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第三章 終点と起点 7
東城ら三人が医者で治療を受けている間、瞬と悠は、スモークガラスに覆われた車中にいた。
瞬は医者に悠を診せる事を頑なに拒んだ。
最初は反対していた東城らだったが、改めて悠の傷痕を見せられて、その口を噤まざるを得なかった。
今刺されたばかりの傷は既に皮を張り始めていたのだ。
柴浦は初めて見たその治癒力に、ただ無言だった。そして、以前見たあの掌と身体の傷の事を思い出していた。
「派手にやったな」
古なじみの医者が、顔を顰めながら言った。
森下が白いベッドに横たわり治療を受けている。脇に立つ東城と柴浦が、苦笑しながら二人を見ていた。
「ドスでやられたか」
「はい」
「まったく、しばらくおとなしかったと思えば」
「難波先生、もう少し優しく……」
「これ以上優しく出来るか」
ペチリと眉間の傷を叩かれて、森下が悲鳴を上げた。
「しかしえらい血の量だが、誰かひどく切られたのか」
「……いえ」
歯切れの悪い返事に、難波が首を傾げた。
「じゃぁなんだ、誰か殺してきたのか」
「人死には、出てません」
「……何なんだよお前ら、さっきから湿気たツラしやがって」
難波は、この界隈で名の知れたアングラ医師だ。東城がまだ三好にいた時分からの馴染みでもある。
東城は難波を実の父のように慕っていた。当然、やりとりも容赦ない。
「ほらよ、これで終いだ」
もう一度森下の額をペチリと叩くと、難波はカルテに向き直る。
東城が、言った。
「先生」
「なんだ」
「人間は……いや、子供はどれくらいの出血で死ぬ?」
「……子供?」
「……」
「ふん……体重によるな。血液量は体重の7~8%。体重1kgあたり80mlくらいとも言われている。年はいくつだ」
「……15。だが体重は平均以下。50kgを切ってるくらいだな」
「致死量は全身量の二分の一。だが、その前にショック症状を起こすな。子供なら、それより少ない量で死ぬと考えた方が良かろう」
血液量が3.5から4リットルとすると、致死量は1.5リットル程だろうか。
東城の脳裏に、悠の出血の様子が蘇った。
「……造血にはどうすれば良い」
「あぁ? んな死にそうなほど出血したんなら、それどころじゃねぇだろ。輸血だ輸血」
あくまでも冷静に返されて、東城は押し黙った。
代わりに柴浦が訊いた。
「先生、感電した者の処置ですが」
「……お前ら本当に何やったんだ? 失血だの感電だのと」
呆れたように言ったが、柴浦が曖昧に笑うだけなのを見て、肩をすくめた。
「俺は実際の症例を見た事がねぇから、詳しくは言えないが……教科書的な答えでよければ」
「はい」
「まず、感電すると、やけどを負う。ひどいと、感電経路の組織が炭化する。炭化の後、組織が壊死する。壊死した箇所を切断しても、さらに壊死が進む場合がある。身体が徐々に腐り落ちていくわけだ」
柴浦が頷いた。
「そんなわけだから、応急処置としては出来ることは少ない。軽度の感電なら、やけどの処置は出来るが……。まぁ、心臓が止まってたら人工呼吸と心臓マッサージ、後は救急車を呼んでデカイ病院に連れて行くぐらいだな」
難波は東城を見た。
「やっかい事には巻き込んでくれるなよ」
「今まで巻き込んだことがあるかよ」
「屁理屈はいらねぇよ」
難波は東城に向かって紙を振った。
「おら、処方箋だ。痛み止めと抗生剤。抗生剤は飲み切れよ」
*
治療を終えると、森下は一礼して他の者の車で事務所へと戻った。
「……森下には、なんとか誤魔化しておきました」
「あぁ」
東城と柴浦は、車の脇に立った。だが、中々乗り込めずにいた。
周囲を固める数名の組員が、いぶかしげな顔でちらりと視線を送る。
「松永は」
「組長の指示で、別宅に監禁しています」
「傷の具合はどうだ」
「難波先生のおっしゃったとおり、傷が炭化しています。ただ、例の妙な治癒力のおかげか、壊死までは行ってません」
「分かった」
東城はそう言うと、黙って車内を見た。
スモークガラスのためはっきりとは見えないが、後部座席で悠を抱きかかえたまま、瞬が静かに座っている。
二人とも、頭から血をかぶったままだ。
「大の大人でも悲鳴を上げるってのに」
東城が呟き、頭を振った。
「……笙子は無事か」
「はい。どうも奴らも手を出そうとはしたらしいですが、さすがのセキュリティに手が出せなかったようです」
「そうか」
「心配していらっしゃいますから、若頭はこの後笙子さんの所へお戻りください」
「そういうわけにはいかん」
「いいえ、今日は従って頂きます」
強い物言いに東城が睨んだ。
「今日一日は、後始末で何も動きませんよ。組長も事態を重く見ておられますから、明日から大騒ぎでしょう。忙しくなりますよ」
東城が渋面を作る。
「今日一日、笙子さんの所にいたって罰は当たりませんよ」
「しかし……」
「こちらの二人のことは、私が責任を持ってお世話いたします……悠さんにも直に頼まれましたからね」
「あぁ……うん、そうだな、頼む」
「はい。これから何人か連れて行って下さい。それから、明日私がお迎えに上がるまで、マンションからは出ないでください。笙子さんの店も、状況が落ち着くまでしばらく休んでいただきましょう」
「わかったわかった、全部言われたとおりにする」
東城は手を振って柴浦を遮った。
「……お前も身体は大事にしろ」
「……はい」
東城はそれだけを言うと、別の車へ乗り込んだ。四人の組員がそれに従う。
後には柴浦と、瞬たちの乗る車が残された。
*
ぼんやりとしていたのだろう。
肩を叩かれて、瞬は我に返った。
「瞬さん、家に着きました」
顔を上げると、柴浦が後部座席のドアを開けて、中を覗き込んでいた。
「……すみません」
辛うじて返事をして、瞬は車を降りた。血が身体にへばりつき、手も顔も髪も酷く不快だ。だが瞬は腕の中の悠を決して離そうとしなかった。
二人は無言のままエレベーターに乗り、無言のまま部屋に入った。
「まずは血を洗い流しましょう」
腕の中の悠ごと、バスルームへと連れて行く。
「服を脱いで下さい、悠さんをこち――」
柴浦が手を出す。と、瞬がその腕を払った。
「……」
瞬が柴浦を睨みつける。柴浦は、すぐに手を引いた。
「……着替えを取ってきますね」
そしてすぐにその場を離れた。
――あの人には、思い切り泣く時間が必要だ。
瞬は、着衣のまま浴室に入った。
湯栓を捻り、シャワーの水が湯になるのを待つ。
悠を浴槽に凭せ掛けると、先に自分の服を脱いだ。生地に染みこんだ血が乾き、ごわついて手間取る。
次いで、瞬は悠の服に手を掛けた。血まみれのジーンズを何とか脱がせ、脇の刀傷から、Tシャツを裂く。
そこに現れたのは、血で汚れた悠の古傷だった。
瞬がこうして、真正面からこの傷を見るのは、初めてだった。
一度隙見をした事はあった。だが、悠はこの傷を極力隠そうとしていた。
瞬もまた、敢えて見ようとしないまま、いつしか時が過ぎていたのだ。
瞬は悠を膝に抱え上げると、シャワーを手に取った。
温かい湯が、二人の血を洗い流してゆく。
血で固まった悠の髪を優しく解し、こびり付く血の塊を一つ一つ剥がす。
長い時間を掛け、流れ落ちる水が透明になるまで、瞬は何度も何度も、悠を洗い清めた。
だが、自分の頭からぽたぽたと垂れる雫がまだ赤く、悠を汚す。
悠の真新しい傷の上にまた赤い花が散り、瞬は自分が泣いている事に気付いた。
シャワーの湯と、涙と、血が混じる。
「……悠っ……!」
瞬の絶叫が、シャワーの水音に重なった。
*
真新しく清潔な服に包まれた二人が顔を見せたのは、一時間ほども経ってからだった。
その間に、柴浦は根回しと明日からの騒動の差配を全て済ませてしまっていた。
「瞬さん」
リビングで待っていた柴浦が、すぐに立ち上がって瞬を迎えた。
瞬の腕には、真っ白な夜着に包まれた悠がいる。
「遅くなりました」
「……いえ」
柴浦は首を振った。
「もうお休みになりますか」
「悠を寝かせてきます。それから……」
瞬はふと言い止した。一瞬躊躇う。そして続けた。
「悠の事、お話しします」
柴浦が頷いた。
瞬が再びリビングへ戻ってきたとき、柴浦はカーテンを開けて窓の外を見ていた。
「……何か」
瞬が少し緊張した声で聞く。柴浦はすぐに首を振った。
「いえ、こちらは大丈夫です。奴らもそうあちこち襲撃する余力はないでしょう」
落ち着いた答えに、瞬がほっと胸をなで下ろす。
「悠さんは……?」
「柴さんは、見るの初めてでしたよね」
瞬の言葉に、頷きを返す。
「あれが悠の力ですよ。どんな傷も、すぐに治る」
瞬の顔が苦痛にゆがんだ
「治癒の代わりに、悠は眠り続けるんだ」
「眠る……」
柴浦は、先日の出来事を思い出していた。血だらけの腕の悠は、あの日どんなに揺すっても起きなかった。
――あれも、そうだったのか……。
「傷の大きさによって、眠る期間はバラバラだけど、大体三日から一週間くらい。水も食事も取らないまま、だた眠り続ける」
心拍数も落ち、体温は極端に低下する。死の一歩手前で、悠の身体は再生するのだ。
「でも、痛みを感じないわけじゃない。恐ろしくないわけじゃない」
悠は、今まで一度も瞬に助けを求めたことがない。いつも黙って、痛みにも恐怖にも耐えてきた。
けれどその震える指を、瞬に縋る手を、忘れたことはない。
「瞬さん」
柴浦が瞬の前から一歩後ろに引いた。瞬と目が合うとすぐに、その膝を床に突く。
「柴さん? 傷が痛むんですか!?」
「いいえ、瞬さん」
柴浦は床に手を突くと、深く頭を垂れた。
「この度は、私どもの不始末で、悠さんに大怪我を負わせてしまいました」
「柴さんっ!」
慌てて瞬がその肩に手を置いた。
「顔を上げて下さい!」
「……誠に申し訳ありません」
柴浦は平身低頭し、床に額突く。
瞬は無理矢理、柴浦の身を引き起こした。
「柴さん、俺、柴さんにお礼を言わなくちゃいけない」
「……礼? 何をそんな」
「柴さんが止めてくれなかったら、俺はあの男を殺してた。そりゃ今だって殺してやりたいけど、でも、あそこで止めなかったら、たぶん……俺、奴らを皆殺しにしてたと思う」
瞬の手がかすかに震えた。
「俺、こんな力があるけど、まだ人を殺した事はない。でも、あのとき、全然怖くなかった。人を殺すのが怖くなかったんだ」
怒りに駆られ、感情を全て支配された。人の命を奪う事に何の抵抗もなかった。
「もう俺、狂っちゃってるんだろうな」
柴浦は瞬を見た。瞬は、悠のためにならないものは全て排除してゆくのだろう。
もし瞬自身が悠に有害な存在となったら、きっとその身も自分で消してしまうだろう。
「あなたは、悠さんを……」
瞬が、笑った。
……笑っただけだった。
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