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第四章 諸恋と片恋 2
松永の襲撃から、一週間が経った。
「瞬、もう行ける?」
「あぁ、今行く」
一週間、瞬は悠につきっきりだった。
笙子の店はあれからまだ一度も店を開けていない。
刺されてから三日眠り続けた悠は、その次の朝に何事もなかったように目をさました。
そのまま東城達の元へ行こうとする悠をなんとか押しとどめ、養生をさせること四日。悠を部屋に押し込めておくのももう限界だった。
家に籠もっていた間、組からは見舞いの品が山のように送られてきた。
そして後処理でかけずり回っている東城や柴浦の代わりに、親しくなった組員達、中でも柘植が毎日のように見舞いに訪れ、状況を報告していった。
あれ以来東城の周辺は警戒も物々しくなり、事務所に詰めている人数も増えたという。
この家にいてさえ、組員達の緊張が瞬にも分かった。こんな状態が長く続いたら、逆に神経をすり減らしてしまう。再度の襲撃があっても碌に身体が動かないだろう。
言っても詮無いこととはいえ、憔悴していく面々を目の当たりにするのは、辛かった。
「悠さん!」
その日、瞬は悠を連れて事務所を訪れた。二人が事務所に着いた途端、事務所のあちこちから若い衆が押し寄せてきた。
「もう動いても大丈夫なんですか?」
腕と額に包帯を巻いた男が言った。あの日襲撃の現場に居合わせた森下だった。
「森下さん、お怪我は」
「いえいえ、こんなのかすり傷ですよ。ほら、眉間に傷跡が残ってなかなかの面構えになったって、若頭に褒めていただきました」
「でも、まだ無理しないで下さいね」
悠が心配そうに言うと、森下は照れたように頭を掻いて頷いた。
ここにいるほとんどは、悠の傷の完治を知らない。知っているのは東城と柴浦だけだ。他の者は、まだ悠が痛む傷を押してここまで来たのだと思っている。
騒ぎを聞きつけた柴浦が、驚いた顔で駆け寄ってきた。
「悠さん……」
「こんにちは、柴浦さん」
あのとき柴浦は、傷が塞がってゆくのを見ていた。だがやはりこうして笑っている悠を見ると、あのときの出来事が夢だったような気がしてしまう。
ふと、悠の後ろに立つ瞬の険しい表情を目にして、柴浦は瞬の言葉をまざまざと思い出した。
――悠の傷は、確かにすぐに治る。でも、痛みを感じない訳じゃない。
柴浦は居住まいを正し、腹に力を込めた。
「おめぇら」
途端にその場の者が皆黙った。しん、と水を打ったように静寂が広がる。
「このお方は、若頭の命を救って下さった」
詳しく知らされていなかった者もいたのだろう。半数ほどの者が、はっと息を呑むのが分かった。
柴浦はその場に膝をついた。すぐに全員がそれに倣う。
悠が慌てた。
「し、柴浦さん――」
「悠さん」
「……はい」
「このご恩に報いるため、我ら一同身命を賭して、悠さんをお守りいたします」
柴浦が頭を下げた。ざぁっと波が引くように、皆も頭を垂れる。溜まらず悠が叫んだ。
「いけません!」
「……悠さん」
「あなたたちの命は、あなたたちのものでしょう! 僕なんかのために……」
「あなたは若頭のためにその身を投げ出して下さった」
「それは、僕がすぐになお――」
「悠」
後ろから瞬が小声で制した。人が多すぎる。
すぐに瞬の意を悟った柴浦が、立ち上がって言った。
「さぁ、皆は持ち場に戻れ。俺は二人をお連れする」
二人を待っていた東城は、部屋に入ってきた悠の顔を見るやいなや、彼をその太い腕の中に抱きこんでしまった。
「……坊!」
「と、とーじょーさん、きっつい……」
あまりにきつく抱きしめられて、悠はその腕を叩いた。
「くるひーでふ……」
「若頭、悠さんを抱き潰すつもりですか」
呆れて柴浦が声を掛けると、ようやく東城はその腕を解いた。
「すまん、どう礼を言おうかずっと考えていたんだが、お前さんの顔を見たらつい、な」
こちらも照れたように頭を掻く。悠が顔を歪めた。
「そんな恩を感じてもらうようなことじゃ――」
「いやお前さんが死んだらと、あのときはぞっとしたぞ……」
その軽口とは裏腹に、東城は神経質に顎を撫でている。
「僕はどうせすぐに傷が治るんですから」
「死なない訳じゃないだろう」
「死にませんよ。滅多なことじゃ」
投げやりに悠が言う。
「皆さんとじゃ、命の重さが違うんですよ。どうせ死なないから――」
「悠!」
瞬が咎めるが、それを東城が穏やかに制した。
「なぁ、坊」
「……」
「お前さんだって、刺されたら痛いだろう?」
俯いてしまった悠のつむじに向かって、東城は語りかけた。
「痛い思いをすると思ったら、怖くて身が竦むだろう?」
俯いたまま首を振る悠の、細い肩に東城の武骨な手が置かれた。
「こんな小さい身体で、怖い思いをはね除けて、俺の前に立ち塞がってくれた」
東城の手が悠の顎を掬った。大きく見開かれた目が東城の目と合った。
「俺は、その心意気に感謝したい」
「――僕……」
小さな声で悠が言った。
「僕を、気味悪がらないで、いてくれて……あ、ありが――」
大粒の涙がぼろぼろとこぼれる。
「気味悪いはずがなかろう」
東城の大きな手が、悠の頭を包むように撫でた。
*
悠の涙が落ち着いた頃、四人はテーブルに向かい合わせに座って、額を付き合わせた。
柴浦が二人に会うのも久しぶりだ。いろいろと報告すべき事が山のようにあった。
「……逃げた?」
柴浦の目の前で姿を消した松永の話をすると、瞬と悠はすぐに顔を見合わせた。
「男は名乗りましたか」
「いいえ。ただ、あの不思議な状況は……」
「テレポーテーションだ……」
悠の手が、震える声を隠そうと口元を覆った。
「どうしよう、瞬、あのひとだ――」
「落ち着け。あいつはまだ、俺たちに気付いていない」
そう言われて、悠は大きく息をした。胸を押さえ頷く。
「あの男は、やはり研究所の?」
「えぇ、所長の側の男です。名前は忠。俺たちと同じ力で瞬間移動能力を持っています」
「瞬間、移動……」
松永を連れて姿を消したとき、柴浦は意外なほど動揺しなかった。
瞬と悠の能力を既に目にしていたからだ。もしそうでなければ、目の前で起こった事実すら受け入れられなかっただろう。
「あの松永達はいったい何だったんだ。悠坊と同じ力を持ってる人間って事か?」
東城が言う。瞬が、考え考え言った。
「それは……ない。悠の力は特別だ。だからこそ所長は悠の力にあんなに拘ったわけで……、その松永って奴の言った事の方が信憑性がありそうです」
「しかし、実際あの治癒力は尋常じゃありませんでしたね」
柴浦もあの時のことを思い出しているのだろう。柴浦が腕の骨をへし折っても、男たちは平然と向かってきた。
「僕もそんなすぐに治るわけじゃないし、代償が……僕のは睡眠だけど、睡眠と引き替えに治るんだ。そんな何もなしに治っちゃうなんて、ちょっと考えられない」
「うーむ」
東城が唸った。
難しい話になると、つい癖が出るのだろう。東城は懐を探っている。だが、ややあって動きを止めるとそのまま手を出し、代わりに顎を撫でた。
「松永の言葉通り身体を作り替えられたとして……その所長が何かやったと言う事になるか」
ため息のように言葉を吐き出した。
「おそらく」
瞬が答えた。
「所長は悠の治癒能力のデータを持ってます。それをどうやって使ったかは知らないけど、奴らの体に移したのかも」
「――遺伝子治療、と言う医療技術があります」
瞬の言葉を受けたのは柴浦だった。
「無毒化したウイルスの中に、コピーしたい遺伝情報を入れて人体に投与すると、それが体に組み込まれるとか……。癌治療などに用いられているそうですが」
「技術的には可能って事なんだな」
柴浦が頷く。悠の体が震えた。
「……聞きたくないか?」
瞬が心配そうに顔を覗き込んだ。悠の顔は青い。
だが悠は唇を引き結んで首を振った。
「僕が一番、分かるから」
元が同じ遺伝子なら、その弱点もきっと同じだ。
「……絶対に限界はあるはず」
「限界?」
「さっきも言ったとおり、何も無しに力が発揮できるはずがない。たとえ、所長が手を加えていたとしても、限界は必ずあると思う」
「つまり……」
「その限界まで、こちらが引かなければいいってことか」
東城がにやりと笑う。
「いいじゃねぇか。ひたすら殴り続けてりゃいいんなら簡単だ」
「造血には……」
悠がぽつりぽつりと言う。手は、シャツの胸元を握りしめたままだ。
「……造血には、時間、かかるから、動脈を切れば」
悠は経験で知っていた。造血だけでも三、四日はかかる。
「それから、傷の再生を、邪魔す、れば……」
突然、悠は瞬に抱き留められた。
「息を吸って」
瞬が言う。悠の目の前が真っ赤に染まる。
――そうだ、所長に腹を割かれたとき、傷を鉗子で押さえられた。あのとき傷は塞がらな――。
「悠!」
自分が何を話しているのか良く聞こえない。胸が痛い。息が、できない。
――刺されたときも、刃が邪魔だった。出血はするけれど、傷の再生には刃物は抜いてしまった方が良い。
「もういいから!」
――刃を抜けないようにすれば、傷は再生されない。
そのとき、唇に何かが触れた。同時にぬるい空気が肺を満たす。
胸のあたりを強く押され、痛みで悠は呻いた。
「悠! 俺を見ろ!」
視界の赤は徐々に薄まっていた。悠の目が、意志を持って焦点を結ぶ。
喉を締められた名残のような感覚に、軽く咳をする。
「あ、れ?」
悠が見回すと、自分がソファに横になっているのが分かった。シャツのボタンが外されて胸元が露わになっている。
慌てて前を掻き合わせ、傷を隠して瞬を見上げた。
「僕、どこまで喋った?」
悠がそう言うと、急に瞬が立ち上がってソファから降りた。
「瞬……?」
「……」
瞬は何も言わずにくるりと後ろを向くと、部屋を出て行ってしまった。
「しゅ、ん? なに? どうしたの?」
悠が瞬の後を追おうと身を起こしかけた。が、その身体は後ろから柴浦に引き戻された。
「悠さん、気付いてないんですか?」
珍しく強く言われて、悠は戸惑った。
東城が立ち上がった。
「柴。坊を見てろ」
「はい」
東城は部屋を出ると、瞬の後を追った。
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