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第四章 諸恋と片恋 5
柴浦の携帯に、瞬から直接連絡があった。
いつも用事があれば事務所の方へ連絡を入れてくるのに、今日は一通のメールが柴浦の都合を聞いてきた。
――義理堅いことだな。
好ましく思うのと同時に、しばらく忘れていた堅気の世界を煩わしくも思う。
柴浦は首を振ると、十時に事務所で、と短く返した。
きっかり十時に瞬は事務所を訪れた。すぐに柘植が出迎える。
「柴の兄貴ももうすぐお戻りになるんで」
と、いつもの殺風景な部屋に通された。
「今日は悠ちゃんは」
「留守番だよ」
コーヒーを出され、甘い物でもどう? と期待の籠もった申し出を丁重に辞退すると、残念そうな声と共に聞かれた。
「そっかー。新しくフィナンシェも作ってみたんで、感想聞きたかったんだけど……」
「悠じゃ、なんでも美味しいしか言わないから張り合いがないだろ」
「えーっと、うん、上達するには厳しい方がありがたいけど、でも、悠ちゃんに厳しいこと言われたら、逆にヘコむかもなー」
柘植がへらりと笑った。瞬も、笑った。
悠の怪我の一件で毎日家に通い詰めた柘植は、いつしか瞬たちと打ち解けた友人のような間柄になっていた。
「確かに」
「悠ちゃんって、俺の元気の素っつーか、悠ちゃんに美味しいって言ってもらったら、次も頑張るぞーって思えるんだよなー」
「……分かるよ」
「あぁでも、悠ちゃん優しいから、どんな不味くても美味しいって言ってくれちゃいそうで、それはそれで困る」
「いや、それは大丈夫だろ。悠は嘘はつかない。不味けりゃ不味いって言うぞ」
「ホント? そっか。それならいいやー」
柘植は顔をくしゃくしゃにして笑う。それを見てふと瞬は思っていたことを口にした。
「柘植さんさ、菓子職人とか、なるつもりないのか?」
「え?」
「俺、味の事はよく分からないけどおいしいと思うし、菓子の見た目もすごくキレイだし、柘植さん人当たり良いし。センス良いって東城さんも褒めてたから」
「や、そんな事、考えたことなかったよー」
さっきまで笑っていた顔が、今度は難しそうに顰められている。面白い。
「こんな極道上がりでも、店とかできるんかな」
「それこそ、柴さんに聞いてみれば」
「うん、そうだね……」
柘植はと言うと、やけに真剣な顔で考え始めている。
極道の足抜けがどれくらい厳しいのか、それともあっさりしたものなのか、瞬には見当も付かなかった。
軽々しく口にしすぎたかもしれない、と申し訳ない思いが過ぎる。
けれど、柘植の才能を埋もれさせるには惜しいと思ったことも確かだった。
そんな瞬の思いを感じ取ったのか、柘植が笑って言った。
「おれさぁ、お袋に酷いことばっかりやってきたんだ。ガキのころからよく殴ってたし。たぶん今じゃ、俺が生きてるか死んでるかも知らねぇと思う」
柘植が頭を掻いた。
「親孝行の一つもやったことねぇんだ。だからさ、堅気の職に就いたら、親孝行にならねぇかなぁ」
「……」
親というものを知らない瞬には、返答できなかった。それは昔、暁に抱いていた感情と近いのだろうか?
「まぁ、それにさ、俺一人抜けても、ここ影響ないもんなぁ」
「……そんなもんなのか?」
「うん、ここのシマは若頭のお膝元だから、結構睨みが効いてて平和なんだ。そうでなくても、柴の兄貴も若頭もしょー……しょーすーせ……えっと。なんだっけな」
柘植は、以前客人が口にしていた言葉を思い出そうとした。
「もしかして、少数精鋭?」
「あー、そうそう、少数精鋭主義、だってさ」
「なるほど」
この事務所に通うようになって、ヤクザの事務所というのは案外人がいないのだなと思ったものだが、実際の所ここが特殊だったと言う事か。
「でもそれなら、柘植さんもその『精鋭』に入ってるって事だろ」
「……」
「抜ける抜けないはともかく、柘植さんも必要な人って事で……なに?」
柘植にじっと見つめられて、瞬は途端に居心地悪さを感じた。悠にならともかく、他の人間に見つめられるのにはどうも慣れない。
「そういう人を舞い上がらせること、さらっと言えちゃうんだよなぁ」
柘植が目尻を下げて笑った。
「瞬君さ、気をつけねぇと、女泣かすぞー」
「なんだよそれ……」
自分は悠に泣かされっぱなしだというのに。
「だからさぁ――」
柘植が言いかけたとき、部屋のドアが開いた。
「なんだ、ここにいたのか」
柴浦が柘植を見るなり言った。
「向こうで佐々木が探していたぞ」
「あ、そうだった!」
先約があったのだろう。柘植はぺこりと頭を下げると、部屋を出て行こうとして、立ち止まった。
「あ、兄貴、お茶は……」
「俺はいい。しばらくこの部屋には近づくな」
「はい」
柘植は短く返事をして、部屋を出て行った。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ、お忙しいところ、無理を言ったのはこちらですから」
いつになく、瞬の受け答えが堅いような気がする。
――まぁ、昨日の今日だからな。
悠にちょっかいを出すなと、警告でもしに来たのかと思ったが、それにしては瞬の目は凪いでいた。
柴浦は、黙って目の前の青年を見つめた。
瞬はしばらくの間手元のコーヒーカップに目を落としていたが、やがて何かを決意したかのように顔を上げた。
「俺、昨日、悠を……抱きました」
まっすぐな目が、柴浦をまっすぐに見た。
柴浦は一瞬返答に迷った。茶化すべきか、嫌みの一つも吐くべきか。
だが、柴浦は黙って頷くだけにした。
「柴浦さんには、ちゃんと言っておきたかったので」
「牽制ですか?」
「いいえ」
瞬は首を振った。
「俺のけじめ、です」
「私はもう、あなたの敵ではない?」
笑って言う。だが、瞬は真面目な顔でまた首を振った。
「柴さんが誰を思おうと、俺に止める権利はないし、それに――」
瞬の目がわずかに泳いだ。
「俺は、あなたには敵わない」
「この状況では嫌みにしか聞こえませんよ」
柴浦が軽くおどけて見せたが、瞬は真剣な表情のまま首を振る。
「目の前のことで精一杯で、全然余裕ないし。人のことを考える暇も無い。もっと大人になりたいけど、図体ばっかりでかくなって、中身が付いてかないです」
「私は、あなたのそういう所がうらやましいですけれどね」
言いながら、柴浦は瞬へ手を伸ばした。瞬は、柴浦から視線を外さない。
柴浦は黙って、瞬の額を指ではじいた。
「いてっ!」
びし、と小気味よい音がして、瞬が額を押さえる。
「いたたた」
思わず涙目になった瞬を、柴浦が笑った。
「お返しですよ。……これで、手打ちです」
「手打ち?」
「和解というか、仲直りということです」
瞬はしばらく首を傾げていたが、やがて笑い出した。
「ありがとうございます」
「悠さんはしっかり捕まえておかないと、どこかに飛んで行ってしまいますよ」
「……はい」
「風で飛ばされた種がもし私のところで芽吹いても、もう文句は言わせませんから」
東城から聞いていたのだろう。瞬は苦笑した。
「柴さんもそんな事言うんだ」
柴浦は冗談とも本気とも付かぬ顔で笑った。
瞬は、この男が好きだった。暁を思い出させるからだ。暁は迷い、迷いながら道を捜すような男だったが、柴浦に迷いはない。
けれど、二人とも胸に秘めたものに向かって一途に突き進む。そんな姿が瞬には眩しかった。
「柴さん」
「なんでしょうか?」
「一つ、柴さんにお願いがあります」
「金絡みですか?」
瞬は首を振った。
「いいえ、医者を紹介して欲しいんです」
「医者? どこかお悪いんですか? それならすぐ――」
「病気じゃないんです。ちょっと検査して欲しいことがあって」
瞬はどう話を進めようか迷っているようで、、少し遠くを見るようにしている。
「内科? うーん……泌尿器科? 産婦人科?」
「産婦人科?」
その単語にはさすがに面食らったようで、柴浦が聞き返す。
瞬は、あぁ、と笑った。
「……昨日ちょっと思いついたんですが、俺たち二人とも生殖能力がないかもしれません」
*
瞬は、そっと自宅の扉をくぐった。
部屋の中から物音は――しない。まだ眠っているのだろうか。
結局昨晩……否、今日になってから二人が眠ったのは、すっかり空が白んだ頃だった。
離れがたくて、抱きあって。そのうちどちらからともなくまた欲情して。
浴室で、廊下で、台所で。それから寝室に戻って。
悠の身体の負担になるような深く激しい情交は無かったが、それでも二人とも、思うさま求め合った。
瞬は、寝室の扉を静かに押し開いた。――悠は、目を開けていた。
かすかに扉が軋ると、悠の目がこちらを見た。
「……」
だが目が合うと、すぐに布団の陰に隠れてしまう。
瞬は苦笑して部屋の中へ入った。
「悠」
掛けていた鞄をベッドの脇に滑り落とすと、柔らかな羽毛布団の上から、悠を抱きしめた。
「どこ、……っ、てた、?」
布団の奥深くから、途切れ途切れに声が聞こえた。
「可愛い」
「……、さん……とこ?」
「顔見せて」
わざとなのか会話にならない瞬に、悠がむくれた顔を出した。
「意地悪」
瞬が笑った。
「分かってる。……柴さんの所だよ」
悠が首を傾げた。午前中の、こんな短い時間の間に何をしに行ったのかと不思議に思ったのだ。
だが瞬はそれには答えず、いきなり悠を抑え込んでその唇を奪った。
「……!」
油断していた悠は、あっさり瞬の腕に囲われてしまう。
口づけは深く、今朝まで続いた行為を思い出させて、悠の鼓動はまた簡単に跳ね上がった。
「ん、ん……」
悠は瞬を突き放すことも出来ず、されるがままだ。
角度を変え、強弱を付けて唇を吸われる。
「シュ――」
唇が離れる合間に、悠が言葉を漏らす。瞬がうるさそうに遮った。
「……後で」
「聞き、……たいこと、ある」
瞬は聞こえなかったふりをして、その口を塞いだ。
羽毛布団の下は、もう悠の素肌しかない。
唇を離さないまま、温もった身体の上から上掛けをはぎ取ると、浅い春の空気に悠が震えた。
「ぅん……っ!」
悠が抗議するように瞬の胸を強く押した。
それをも瞬は無視しようとしたが、少しきつく舌を噛まれてようやく瞬は諦めた。
名残惜しげに顔を離すと、意外なことに、今にも泣き出しそうな目がこちらを見ていた。
「……なに」
「どこでこんなの、覚えてきたの」
悠が詰るように言った。
「それが……聞きたいことか?」
瞬が呆れ半分に聞くと、悠は顔を背けてしまった。
「悠」
「だって夕べだって、あんなに慣れてて……」
そう言ったきり悠は黙った。耳から項にかけて、真っ赤になっているのが見える。
「……どこかで練習、したのかって?」
「う……」
「こっち向いて。これじゃ話せない」
「やだよ……」
ぐずぐずと言いつのる悠の顎に手を掛け、少し強引にこちらを向かせた。
「はっきり、言えよ」
「……疑ってるとか、そう言うのじゃ、ないけど――」
「あぁ」
「今まで僕たち、そ、そういうこと、関係ないとこに、いたわけで」
「そうだね」
「まだ僕ら、子供で、しかも男、同士で」
子供、と言う言葉に、瞬は敏感に反応した。
「ガキはこんなセックス知らないだろうって?」
瞬の言葉の棘に、悠は自分が禁句を口にしてしまったことに気づいた。
「ち、違う、そういう意味じゃ――」
「夕べの、そんなによかったんだ」
耳元で瞬が囁く。途端に、今度は悠の全身が朱に染まった。隠す物もなくせめて顔を覆おうにも、その手も瞬に押さえつけられる。
悠をまたぐようにのしかかった瞬は、凶暴な捕食者の目で悠を見ている。
「笙子さんに感謝しなくちゃな」
突然その名が出て、悠は聞き返そうとしたが、代わりに甘い悲鳴を上げた。
瞬が首筋に吸い付いたのだ。
きつく吸い上げられ、悠の肌に鬱血の痕が散る。
「笙子さん、俺が君に惚れてること最初から見抜いてた」
瞬は腕の拘束を外した。身体をずらし、今度は二の腕の柔らかい部分に唇を寄せる。
そこにも鬱血を残し、瞬はうっとりと微笑んだ。
「綺麗だ」
その痕に、瞬の胸が甘く切なく疼いた。
こんな些細な痕跡など、悠の上からはすぐに消えてしまう。どんなにきつく印を刻んでも、瞬く間に血の色が引いていく。
「男の抱き方、全部教えて貰ったよ」
さすが夜の業界に長く身を置くだけあって、笙子は性の世界にも詳しかった。
同性愛者の友人も多かったし、彼らのための性産業を生業にしている友人も多くいた。
自然、そちらの知識も増えざるを得ない。
悠は、きつく吸われた箇所のじくじくとした妙な感覚に戸惑う。
「どこをどうしたら気持ちいいか、とか」
瞬の手がすっと下腹部をなぞる。ささやかな刺激なのに、悠の腰が揺れた。
「ここの解し方とか」
瞬の指がゆっくりと後ろへ動く。
彼の囁く低い声に耐えきれず、悠は顔を背けた。けれど、それは瞬の前に耳を晒す格好になる。
案の定、瞬は悠の耳に唇を寄せた。
「悠」
名を呼ばれる。それだけで、叫びだしてしまいそうなほど、身体が、胸が疼く。
瞬の指は相変わらず、悠の下腹部をゆらゆらと当てもなく動いている。時折悠の敏感な箇所をかすめ、その度に悠は息を詰めた。
「昨日、……怖かった?」
甘い囁きの中に、少しの苦い物が混じる。
昨夜の交わりの最中にも、幾度も投げかけられた言葉だ。
悠は陥落しそうになっている理性をなんとかかき集めると、瞬の目を見た。
「怖くなかった」
「……本当に?」
「本当。なにも思い出さなかった」
そして、首を無理に起こして、瞬に口づけた。
「幸せすぎて、君のことしか考えられなかった」
僕ばっかりごめんね、と言うと、瞬がその鼻をつまむ。
「卑屈すぎ」
そしてその鼻の頭にキスを落とした。
「俺だって、幸せすぎて、……怖いよ」
瞬が呟くと、悠がいきなり瞬の首に腕を回した。そのまま自分の胸に彼の頭を抱き込む。
瞬の頬に、傷痕の薄く危うい皮膚が触れた。
目を閉じれば、悠の鼓動が聞こえてくる。
「悠」
「……うん」
「今度、ちょっと検査してこないか」
「検査?」
「ん」
瞬の指が先ほどの戯れを再開した。
「あとで、ちゃんと説明する」
脇腹を撫でると、ひくりと腹の筋肉がうねる。一旦は落ち着いていた鼓動が、再び早くなる。
「ね……もう一回、しようか」
瞬が囁くと、返事の代わりに、頭の先にキスが降ってきた。
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