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第五章 有意と無意 1

「さーわーのーくんっ」  後ろから駆けられた声を、沢野は無視した。 「さーわーのーくんっ」  聞こえないふりをする。 「さわのー」 「……」 「おいこら、沢野」 「るせぇ!」  思わず怒鳴る。だが職務中だった事を思い出し、すぐに音量を下げた。 「邪魔だ、あっち行け」 「なんだよー、昔なじみにそんな冷たくする事ないじゃなーい」  沢野の背後に付いてきた小柄な眼鏡の男は、ふくれっ面で言った。童顔だ。それがふくれっ面で余計に幼くなる。 「仕事中だ」 「おっ、来ましたね。仕事! なになに、そろそろ話してくれる気になった?」  男はいそいそとポケットからメモを出す。 「で、今、沢野サンは何を追ってるんですか? テロリスト? 誘拐犯? 脱獄犯? 宇宙人?」 「だー、うるせぇっ! そんなに知りたきゃ警察のぶら下がりに行け! 公安に付いてくるバカがどこにいる!」 「ここにいまーす。だってさぁ、うちの雑誌売り上げ落ち込んでてさぁ」 「知るか、三流!」 「傷つくなー。三流雑誌には三流記者の意地ってモンがあるのよ」 「……」 「あぁそんなとき。なんの期待もせずに行った同窓会で、運命の出逢いをしようとは!」  沢野は心底嫌そうな顔をした。 「いやぁまさか昔のクラスメイトが公安サンになっていようとはねー」 「俺は公務員だと言っただけだがな」  どこをどう調べたのか、男は沢野が公安部勤務である事を探り当てていた。 「記者の勘ヨー」 「へぇへぇ」 「で、その公安サンは僕と喋ってて良いのかなー? もしかして僕、カモフラに利用されてる?」  男が、メモを取りながらなんでもない風に言う。  ――三流のくせに鼻は利きやがる。  だが沢野は、ふんと鼻で笑って目の前の男のメモを取り上げた。 「ちょっと!」 「黒川さん、お巡りさんは、これからこわーい人の所へ行くので付いてこないで下さいね? 付いてきたら、こうむしっこうぼうがいでローヤにぶち込みますからね?」  そして最初の数枚を破り取ると、残りを黒川に返した。 「じゃ、もう二度と会う事はないと思うが元気でな」 「なんだよ、バカコーアン!」 「でかい声出すな三流!」 * 「あー静かだー」  沢野が一人煙草を吹かしていると、その横に無言の男が立った。 「いいねぇ、お前さんは静かで」 「……」 「なんか言えよ」 「静かにして欲しいんだろう」  柴浦が言った。 「ばーか、情報交換するのに黙ってちゃ話にならねぇよ」  言いながら、沢野は周囲に視線を走らせる。 「今日はやけに念入りだな」 「面倒くせぇストーカーがくっついてくるんだよ」  幸い黒川の尾行は上手くまけたようで、今その姿は見あたらない。  ほっと胸をなで下ろして、沢野が言った。 「続報アリか」 「なぁ沢野」  柴浦が、珍しく真正面から沢野を見た。 「……」 「お前今、何を追ってる」 「捜査上の機密」 「茶化すな」 「……この前の男だよ。ずっと振られ続けてるもんでね」 「……」 「なんだよ」 「そいつ、なにをやったんだ」 「今日は質問攻めだな」  沢野は笑いながら紫煙を吸った。 「機密――と言いたいところだが、お前は大事な情報提供者だしな。……交換条件だ」 「なにを」 「情報だよ。俺とお前と、一対一だ」  一本吸い終わると、すぐに次の煙草に火をつける。 「チェーンスモーカーが」 「俺のことはほっとけよ。ほら情報情報」  柴浦は一つため息をつくと、言った。 「お前の捜してる男を見た。たぶんな」 「なに! どこでだ」 「そっちの番だ」 「くそっ、そいつはたぶんコロシをやってる」 「たぶん?」 「証拠はない。ちらほら目撃情報があるだけだ。もっと言うとな、コロシかどうかも不確定だ」 「そんなことで公安が動くのか」 「だから、だよ。今度はそっちだ」 「……うちの事務所の一つの側にいた」  柴浦が住所を言うと、沢野は手帳にメモを残す。 「……あんな所に事務所になるような建物あったか?」 「……」  伊達に公安勤めをしているわけではないらしい、と柴浦は思った。 「……まぁ、いい。そこで何をしているかは不問にしてやる」 「そりゃどうも」 「そいつ、そこで何してた」 「事務所を見張っているようだった」 「中に何があった」  柴浦はどこまで明かすべきか考えた。だがその前に沢野が言った。 「松永でも監禁していたか」 「……」 「肯定したのと同じだぜ?」 「……確かに松永を監禁していた。だが奴は消えた」 「消えた? 逃がしたのか」 「手引きした奴がいる」 「見たのか」 「見た。お前が追っているのとは違う男だ」 「……」  沢野は珍しく軽口を止め、黙った。  一度大きく煙草を吸い込むと、短くなった残りを靴の裏で押しつぶし、懐から出した携帯灰皿に入れる。  沢野のこの習性は、社会マナーと言うよりもおそらく、一切の痕跡を消す為なのだろう。  柴浦が黙って沢野を眺めていると、彼は携帯灰皿と入れ替わりに手帳を出した。 「コイツか」  沢野が出した写真には、男の横顔が写っていた。車から降りる瞬間を狙ったようなアングルだ。  二十歳前後の平凡な顔。これと言って特徴は無いが目つきだけは写真でも分かるほど異様に鋭い。 「間違いない」 「……つーことは、だ。お前ん所の三好のいざこざと、俺の案件がつながってたのか」 「名前は」 「コイツか? コイツはまだ分からん」 「そうか」  柴浦はこの男の名を知っている。だがそれを明かすわけにはいかなかった。 「もう一人は」 「あぁ、アキラ、だ」 「本人が名乗ったのか」 「あぁ」  こちらもそのうち、瞬たちに確認を取る必要がありそうだ、と柴浦は思った。 「こいつらの根城は分かっているのか」 「……知ってどうする」 「松永がそこに連れ込まれているかと……。他に何かあるのか」 「いや」  沢野は短く言葉を切ると、それきり黙ってしまった。こうなると、この件に関しては何も聞き出せないだろう。 「まぁ、いい。松永の件もある。我々は引き続き奴を追う」 「わかった。何か分かったらまた情報交換といこう」  沢野は写真をしまうと、さっとその場を後にした。  まるでそこにいたのは最初から柴浦一人だったような、そんな錯覚さえ起こす消え方だった。 「さて、これからどうするか……」  その時、沢野が去るのを待っていたかのように、柴浦の電話が鳴った。  あの難波医師からだった。

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