27 / 46

第五章 有意と無意 3

「ねー、さわのくーん」  またか、と、沢野は後ろも振り返らず歩調を早めた。  午後八時。今は一応、勤務時間外だ。だが黒川に付き合うだけの気力も、体力も、精神力も、理由も、何もかも持ち合わせていない。  ちなみにここは、沢野の数ある帰宅ルートの内の一つだ。なぜそこで黒川が待ち伏せしていたのか。考えるだに恐ろしい。 「ねー、呑みにいこーよー。沢野のおごりでさー」  まるきり無視をして歩いていると、黒川が畳みかける。 「ねー、きれーなおねーちゃんのいるおみせにいこーよー」 「何でおめーとオネーちゃんのいる店に行かなきゃならねーんだよ!」 「あ、こっち見た♪」  黒川があははと笑った。 「なに、沢野ってオネーちゃんに興味ない? え、オネエの方が良いの!?」 「黙れ三流」  軽く頭痛がしてきた。この頭痛が本格的な物にならないうちに逃げるに限る。  だが黒川は思わぬ名を口にした。 「ねー、《Jade》ってクラブ、知ってる?」  沢野はとっさに表情を繕った。 「高級クラブだろ。俺でも知ってる有名店じゃね」 「そうそう、うちの社長がそこの常連なんだってー」 「軽く飲み食いして二、三十万は飛ぶんだろ。薄給には関係ねーな」 「あはは、ホントそうだよねー。だけどさ、なんか最近その店に、良い感じの黒服が入ったらしいのよ」 「へぇ、ホストクラブじゃねぇのに、客が黒服なんて気にするもんかね」 「すっげぇいい男なんだってさ。いいなー、僕も一度拝んでみたいわ」  黒川がくねくねと妙なダンスを踊る。沢野はひらひらと手を振った。 「タカるんなら金持ちのとこに行けよ」 「えー、ボク沢野と一緒に行きたーい」  黒川が沢野の腕を掴んだ。 「ちょ、お前――」 「あんたも、その黒服に興味あると思うヨ」 「……なんでだ――」 「――アキラ」  沢野の動きが止まった。取り繕うのも忘れて、腕にぶら下がる眼鏡を見た。  黒川は、ふふんと鼻で笑う。 「どーしよーかーなー。情報教えちゃおっかなー。それとも帰っちゃおっかなー」 「……いいぜ、おごってやる」  沢野が笑った。それはあの、猟犬の目だった。 *  沢野は、店の裏手に面したカフェに陣取った。隣のふくれっ面に、目の前のコーヒーを差し出す。 「おごり。飲めよ」 「酒……きれーなオネーチャン……」 「俺は酒をおごるとは一言も言ってねぇ」 「イケメン黒服……」 「それなら、ここからでも拝めるだろ。ほら食え。適当に頼め」  沢野はサンドイッチをアイスコーヒーで流し込んでいる。黒川はがっくり肩を落とした。 「てっきり店に行くと思ったんだけどなー」 「ばーか、一見お断りだろ。門前払いだよ。それより、情報寄越せ。情報」 「見返りはー?」 「うっせぇ、警察に協力するのは市民の義務だろ」 「そーだっけぇ」  目の前のメガネザルは、軽薄な振りをしながら沢野に食らいついてくる。タダで情報を引き出すのは難しそうだ。  なかなか進まない話に、沢野が焦れた。 「分かったよ、五対一でどうだ」 「なんだよそれ」 「お前の情報五つに対して俺から一つ情報渡す」 「はぁ? お前バカ? なにその条件。イチイチに決まってんでしょ」 「……じゃヨンイチ」 「ニイチ」 「…………サンイチ」 「OKOK」  黒川はすぐに鞄から手帳を取り出した。 「時間がもったいないからさっさとしましょ。――なんだよ?」 「……お前としゃべるの、ものすげー疲れる……」  沢野は深く溜息を吐くと、テーブルの上を見回した。灰皿は、ない。 「おい、外のテーブル行くぞ」  沢野は旨そうに煙を吸い込むと、ようやく満足げに笑った。 「うわ、お前骨の髄までニコチンで真っ黒なんじゃないの」 「あぁそうかもな」  再び軽口の応酬になりそうなところを、沢野が遮った。 「黒川」 「……なんだよ」 「いいか、良く聞け」 「……」 「お前はこれから、俺の情報提供者になる」 「それで?」 「俺は出来るだけ手荒なまねはしたくない」 「手荒って――」 「黙って聞け。お前がフェアであれば、俺もフェアで行く。だが、お前が故意に偽の情報を渡そうとしたら、俺は手荒なことをしなくちゃならん」 「……拷問?」 「ばーか、日本の警察が一般人に拷問するかよ。そんなんじゃねぇ。だがな」  沢野が声を潜めた。 「俺は、お前が隠している事全部を暴く。お前の忘れたい過去も、秘密にしていることも、全部」 「それってどういう、こと……」  黒川が訊く。だがそれには答えず、沢野は続けた。 「それが嫌なら、俺を騙すような事だけはするな。知られて困る情報は黙ってろ。いいな」  黒川は素直に頷いた。が、すぐに言った。 「僕がわざと嘘を吐いたか、それとも間違った情報を信じてお前に売ったか……、なんて、お前に分かんの?」 「俺には分かる。だから心配すんな。フェアであろうとしてくれれば、それでいい」  黒川は、もう一度深く頷いた。そして、口火を切った。 * 「アキラ。自分で名を書くときは、アカツキって字を使っているらしい。年は推定二十歳。戸籍がないため正確な年齢不詳。小中学校に通っていた記録はナシ。ある日突然七尾市の公立高校に入学。住民票は七尾市の物だったけれど、正式に申請して作った物かどうかは不明。一応言っとくと、記載されていた住所には廃業した工場が建ってたよ」  あんた達がどこまで調べたか分からないから、僕が調べた事を言ってくよ、と黒川は言った。彼の手帳は数冊に及んでいた。 「友人はナシ。一人もいない。年齢から言って高校卒業後まだそれほど時間が経っていないのに、殆どの人間が彼の事を覚えていない。当時の担任ですら、彼の事を覚えていなかった。ただどうも彼は時々、ほかの少年達と行動を共にしていたようだね」 「……少年?」  初めて沢野が口を挟んだ。 「年格好は、アキラ青年より少し年若なくらいで、かなり見栄えの良い子達だったみたい。それで商店街のおばちゃんが覚えていた。――これで情報いくつ分?」 「ひとつ」 「ケチ。少年達の名前は、ケイとリョウ。こっちは、中学のクラスメイトが覚えてた。二人とも、卒業を前に転校してる」 「写真は。あるんだろ」 「写真一つにつき3カウントだよ」 「……わかったよ。データを――」  そのとき通りを挟んだ店の裏口のドアが開いた。  沢野が、サンドイッチの皿に手を伸ばした。 「……あれか」  確認するまでもなかった。  ドアから出てきたのは背の高い青年だった。なるほど、その端整な顔立ちは、客たちが絶賛するのも無理はない。  少し癖のある短髪が、通りを挟んだこちらからでも良く見える。  道を走る車のヘッドライトが、彼の顔を一瞬照らした。  沢野は皿の影からカメラのシャッターを切った。 「その写真チョーダイ」 「……はぁ?」 「いいじゃんー。今までの情報に、こっちの写真二枚も付けるからさー」 「……わかったわかった。今度会ったときに渡す」  やった、と、黒川は小さく拳を握った。 「あの男の名は」 「瞬。苗字は分からなかった。なんでも、あの店のママが連れてきた子らしいよ。で、彼が、アキラ青年と接触していた男その三、って訳」  沢野は、ふうんと気のない返事を返した。  しかし、彼の指がぴくぴくと忙しなく動いた。  ――興奮してやがる。  獲物は、もうそこまで来ている。

ともだちにシェアしよう!