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第五章 有意と無意 5
悠は、ぼんやりと寝室のベッドに腰掛けていた。
どこをどう帰ってきたのか、全く覚えていない。それほどまでに、あのニュースは衝撃だった。
大津が死んだ。学校名が出ていたから、別人の可能性は無い。
ニュースは事故か自殺の可能性と報じていたが、悠は確信していた。
――殺されたんだ。
大津が逃亡を手引きした事は容易に調べが付いたはずだ。
自殺や事故に見せかけて命を絶つ事など、所長にしてみれば簡単なことだろう。
大津は、悠達に関わったばかりに殺された。だがもう一つ悠には気に掛かる事があった。
なぜ今なのか。
悠達の逃亡から二年近くが過ぎ、今頃になって、なぜ大津を殺す必要があるのだろうか。
と、ふとある考えが思い浮かび、悠は慄然とした。
……所長は、悠を燻り出そうとしているのではないか。
直接捕らえずとも、悠は次の犠牲を出さぬために研究所に戻ってくる。所長はそう考えているのではないか。
東城を襲った男達は、所長の手で改造された身体を持っていた。所長の研究はそのレベルまで来ている。
その間、悠は不要だった。だが第二世代を作り出す事に失敗したはずの今、再び悠が必要になったのだろう。
大津は、悠のために殺されたのだ。
――もう、涙も出ない……。
危険を顧みず力を貸してくれた恩人が、自分のために命を奪われたというのに、悲しみの一つも沸いてこない。
ただぼんやりと、悠は己の行く末を思った。
人から奪い続けることでつなぐ命に、どんな意味があるのだろう。
悠は自分の手元に目を落とした。
絆創膏だらけの指に、苦笑が漏れる。
悠は無意識に絆創膏を剥がした。
そして次の瞬間、悠は我が目を疑い、凍り付いた。
緊張で鼓動が早まる。
震える手で全ての絆創膏をむしり取るが、そこにあったのは同じものだった。
「治って、ない……」
傷はどれも、包丁で切った浅いものばかりだ。普段なら、一時間と掛からずに完治するのに。
悠が傷を握ると、皮膚は口を開け、鈍い痛みと共に血が滲んだ。
「力が、弱く、なってる……?」
*
瞬が家に戻ったのは、もう辺りが暗くなってからだった。
今日一日、組の事務所で柴浦相手に喧嘩の実戦の手ほどきを受けていたのだ。
経験不足の瞬にとって柴浦の話は貴重だった。それでついつい長居をしてしまい、気付いたときは日も落ちかかっていた。
「……あれ」
部屋の明かりは一つも灯っていない。玄関に明かりを点けると、悠の靴は確かにある。
「寝てるのか?」
リビングにもキッチンにもやはり明かりはない。テーブルの上には、袋に入れられたままのタッパーが置いてある。
瞬はすぐに寝室に向かった。
「悠?」
少し躊躇った後、瞬は寝室の照明を点けた。だがベッドにも人影はない。
「……悠、どこ?」
と、ベッドの影にかすかに動く人影を見つけた。すぐに駆け寄る。
悠は床に座ったまま、ぼんやりと床を見つめていた。
「悠……悠!」
肩に手を掛け乱暴に揺すぶる。すると悠が顔を上げた。
「あ、お帰り」
「なにやってんだ、真っ暗の家の中で」
「え……?」
言われて初めて、悠は窓の外の闇に気付いた。
「あ、ほんとだ、もう暗い」
「明かりが全然付いてなかったから、心配したぞ」
「ごめん、びっくりさせちゃったね」
首を傾げて曖昧に笑う。
「なにかあったのか? ぼんやりして――」
「ううん。なにもないよ。笙子さんの家って結構遠いんだよね」
悠は笑って首を振った。
「往復したら、ちょっと疲れちゃった」
肩に置かれたままの瞬の手に、そっと自分の手を重ねる。
「笙子さんのところで、煮物教えて貰って作ったんだ。一緒に食べよ?」
「……あぁ、うん」
「あ、ご飯炊くの忘れちゃった……」
ごめん、と言いながら悠は立ち上がった。
「具合悪いなら――」
「え? ううん、ほんとに大丈夫」
そう言ってにこりと笑った。
――また、この顔。
今までに何度か見た、作り物めいた笑顔だ。もうなにも聞くなと拒絶されているような気がして、瞬はその笑顔から視線を剥がした。
いつもここで、踏み込むべきか否か迷う。
悠が何を考えているのか、なぜそんな風に笑うのか。
話して欲しい。隠さないで欲しい。
……問いただして、果たして答えは返ってくるのだろうか。
悠を抱いて、ぐずぐずに感じさせて理性を飛ばしたとき、その一瞬だけ、悠の心に触れられるような気がする。
瞬の身体に縋る手にこそ、真実が込められている気がする。
「瞬? 向こうに行こ?」
悠が振り返って瞬を見た。微笑んで手をさしだす。
瞬は黙ったままその手を取ると、ぐいと己の方へ引き寄せた。
急な力にふらついた相手は、すぐに瞬の腕の中へ収まる。
悠は驚いたように瞬を見上げたが、すぐにまた笑った。
「瞬?」
腕の中の優しい笑顔に、切なさが募る。
瞬がその額に唇を落とすと、悠はくすぐったそうに身を捩った。
「お腹減ってないの?」
笑いながら悠が言う。今度はその唇へキスをしながら、瞬が答える。
「先にデザートから食べたい」
「……うわぁ」
「なんだよ、うわぁって」
「いい男が言うと、気障ったらしい台詞も決まるなぁと思って」
冗談めかして言う口を、今度は真剣に塞ぐ。
すぐに差し出された舌をすくい上げると、柔らかな舌が絡み合った。
合間に熱い息を零し、互いの首筋に廻した腕が、きつく頭を引き寄せる。
……そのままどれほどの間貪り合っただろうか。
瞬は唇を離すと、悠を抱き上げた。
「シュ――」
「黙って」
耳元で静かに囁かれ、悠は口を噤む。
瞬は悠をすぐ側のベッドに下ろすと、有無を言わさず彼の着衣を全てはぎ取った。
続いて自分の服も、破りそうな勢いで脱ぎ散らかす。
「……ったく、夕べしたばっかりだってのに」
悠の上に覆い被さりながら、ガっついてゴメン、と小さく続けると悠が微笑んだ。
「僕も同じ」
「うん?」
「僕もすぐに瞬が欲しくなる」
「……どっちの口に?」
「やらしい台詞。どこで覚えてきたの」
「耳年増って言うんだっけ? まぁ、夜の商売ですから」
軽口を交わしながら、剥き出しの性器を擦り合わせる。
たったそれだけの触れあいですら、簡単に息が弾む。
「……あ、ぁ……」
「もう濡れてる。……やらしくて、可愛い」
そう囁くと手で顔を隠そうとしたので、瞬は悠の手を引きはがしてシーツに押さえつけた。
と、びくりと悠の身体が強張った。
「あ、ごめん。痛かった?」
「……ううん、びっくりしただけ」
瞬がすぐに悠の手を取った。その指に唇を近づける。
だがそれが触れる前に、悠はするりとその手を逃れた。
「急に握るんだもん」
そう言って、瞬の頬に手を伸ばした。
「ねぇ」
わざと挑発するように。
「下の口に、欲しい」
わざと煽るような口調で。
「はやく」
――隠し事が上手いのか下手なのか。
瞬は悠に流されるまま、ベッドサイドの引き出しからローションを探り出して指を濡らした。
狭い後孔は、すぐに瞬の指を飲み込む。すっかり馴らされたそこは、少し刺激を与えるだけで柔らかく解け、瞬を待ち望んでいるようにすら思える。
「本当に、可愛い……」
瞬が呟くと、それに合わせて悠の腰が揺れた。
「早く、……はやく……」
宛がった瞬の切っ先には、まだそこは少し狭い。それでもいいからとねだられれば、瞬に抗う術はない。
精一杯優しくしたいのに悠がそれを許してくれない。
せめて暴走しないようにと、瞬は息を一つ吐いてから、悠の体内にゆっくりと押し入った。
「ふ、ぅう、あ……っ」
――悠の強情な仮面が少し外れる瞬間。
「う、ぅ、んぅ……っ!」
――俺とつながる瞬間。
「声、我慢するな……キツ、い」
ぐいと腰を進めると、悠が瞬に手を伸ばしてその首筋に縋り付いた。
「く、ぅん」
耳元でうめく声が固い。瞬は相手の体を絡めるように抱き上げた。少し腰を引き、結合を浅くする。慌てて追おうとする悠を押しとどめ、今度は同じ時間をかけて侵入した。引いては寄せる波ように抽挿を繰り返す。
「声、聞かせて」
脇腹を優しく撫でると、ようやく悠の身体が弛緩した。
その隙に、瞬は奥のぬかるみまで一気に侵入を果たす。
「あぁ……んッ!」
甘い悲鳴が零れ、悠の爪が瞬の肩に傷を作る。その淡い痛みで、瞬は思わず射精しそうになった。
「瞬……っ」
「……痛い?」
その問いには、首を振って答える。
明るい色の髪が、パサリ、パサリとシーツを打った。
――残酷なくらい優しくて。
「動いて、奥、欲し、いっ」
その目を覗き込むと、堪えきれない涙が眦に引っかかっていた。
瞳の上に涙の膜が張り、溶けた飴のように見える。
じっと見つめていたら悠が目を閉じた。弾みで涙がこぼれ落ちる。
「奥がいい?」
確かめるように、ぐり、と中をかき混ぜる。
「ひぅ、ん」
悠の中がうねるように動いて、瞬の陰茎を舐める。
その反応に痛みの影がないことを確認してから、瞬は小刻みに奥を打った。
「はっ、あっ、あ、あっ、ぁ、あ……」
揺すぶられる動きに合わせて、声が、息が跳ねる。
腰を抱え上げ、自分の太腿の上に載せるようにして結合を深くする。
瞬の肩を滑り落ちた手が、何か掴む物を探してシーツの上を彷徨う。
「瞬っ、……あ、あぁ、あ、瞬っ……」
――言って。
名を呼ばれているだけなのに、焦燥が瞬の胸をじりじりと燻る。
――言って。君が願うことならなんだってする。
「手、握っ、て……」
さっき瞬を逃れた手が、今度は瞬を求める。
瞬は指を絡めてその手を握った。
冷たい手に熱を分けるように、瞬は彼の指に口づける。
悠の目からまた涙が一筋こぼれた。
「……離さないで」
囁くような掠れた声が、瞬の耳に届いた。
それは睦言だろうか。それとも。
――それが君の願い?
「離さないよ」
はっきり答えると、悠は一度大きく目を見開いた。
「離さない」
悠は頬を染めて頷いた。
*
くたりと力の抜けた身体を、後ろから抱きしめる。
手をつないだまま、何度も名を呼び合った。
悠に名を呼ばれるたび、瞬の身体の芯が疼いた。
悠に求められていることが嬉しいはずなのに、なぜこんなに胸が痛むのだろう。
悠の愛を一身に受けているはずなのに、なぜこんなに飢えを感じるのだろう。
「悠……」
小さく呼びかけるが、返事はない。
規則正しく胸が動くばかりだ。
「俺は君が望むだけ、そばにいる」
――だから、そんな寂しそうに笑わないで。
――お願いだから、本当の声を聞かせて。
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