32 / 46

第六章 賢者と愚者 3

 真田、東城、柴浦、そして瞬が顔を合わせたのは、その日も深夜近くになってからだった。  皆一様に疲労の色が濃い。  真田がまず最初に柴浦に尋ねた。 「柘植の容態は」 「何とか一命は取り留めました。傷の縫合が済んで今は輸血と、感染症への措置をとっています」  そして、瞬に言った。 「悠さんは――」 「家に連れて帰りました。今は、まだ眠っています」  柴浦が柘植についてこの事務所を離れ、幹部が一人もいない状態になって、ここは大混乱に陥った。  残っていた若衆が、倒れていた悠を別室に運ぶまではしたのだが、誰もが慌ててしまい、瞬へ連絡する事を思いつかなかった。  結局事務所が落ち着きを取り戻したのは、東城と本部長の羽仁が駆けつけてからで、瞬がこの事件を知ったのは更にその後、事務所に戻った柴浦からの連絡によってだった。 「本当に、申し訳ありません」  悠にまた傷を付けたこと、悠を放置せざるを得なかった事、連絡が行き届かなかった事、何もかもが情けなく、申し訳なく思う。 「悠さんのおかげで、柘植の命が助かりました」  深く頭を下げる。真田と東城も、黙って頭を下げた。 「……いえ、……いいえ」  瞬が静かに首を振る。 「あれは……あれを暁がしたと言うのなら、原因は俺たちにあ――」 「坊」  東城が遮った。 「責任がどうこうなんざ考えるな。いいか、最初は俺たちの問題だった。そこにお前さんたちの事情が加わった。それだけの話だ。お前さんのせいじゃねぇ」  真田は、椅子から立ち上がって窓の外を見た。雨が降り始めていた。 「悠さんを狙っているわけではないのか」  真田が言った。 「……はい、戻ってこい、とは言われていましたが、連れて行こうとするわけでもなく。ただ『自分は使いだから』とだけ」  あの忠という男の言葉を思い出す。悠をバケモノと呼んだ、あの男は、言葉で悠を弄んだ。 「暁は……俺たちと同じ研究所にいました」  瞬がぽつぽつと話し始めた。 「俺が赤ん坊の頃に拾ってくれて、ずっと、大切に育ててくれて……」  信じられなかった。柴浦の話を聞いても、柘植の傷を見ても、血だらけの悠を見てさえも、到底信じられなかった。 「暁が、悠を傷つけるなんて……」  暁は悠を愛していた。それは間違いようのない事実だ。  だからこそ、暁は研究所に残ったのだ。悠を助けるために。愛する悠に幸せを与えるために。  けれど、突きつけられたこの現実が偽りでないこともまた、十分に分かっていた。 「瞬さん」  真田が、瞬を見て言った。 「その青年の現在がどうであれ、あなたには縁の深い人物です。そのような人と争うのは、本意ではないでしょう」  暗に来なくても良いと逃げ道を用意してくれる真田に、瞬は感謝した。そして首を振った。 「暁は俺に来いと言った……。それなら、俺に拒む理由はありません。それに」  瞬が、三人の顔を見た。 「俺には、今、あなたたちの方が大事です。俺で何かの助けになるのなら、同行させて下さい」 「……ありがとうございます」  普通の相手なら、真田は一人でも臆することなど無いだろう。だが、得体の知れない輩相手とあっては、実情を知る者がいるのは心強い。 「暁の能力は、催眠暗示です」 「催眠?」 「えぇ、暗示を掛けて、相手を自由に操ることが出来ます。ただ、目を見つめるとか、接触するとか、条件が必要ですが」 「なるほど」 「……しかし、奴らの目的は何だ」  東城が頭を掻いた。いらついている。 「松永たちはまだ分かる。問題はその二人だ。何のために松永を助ける」 「所長がやりそうなことなら……」  瞬が考えながら言った。 「……実験、でしょうか」 「実験? 我々をですか?」  真田が言うと、瞬はまた首を振った。 「悠の遺伝情報を投与した、松永たちの能力の実験です」  それならば、わざわざ瞬を指定した理由も分かる。 「所長は、おそらくあの感電の傷痕から俺の存在に気づいたのでしょう。それで、もう一度徹底的に実験することを思いついたんだ」  最初の襲撃は、単なる偶然だっただろう。たまたま目を付けたゴロツキに遺伝子を投与して、その効果を確かめるだけのつもりだった。  そこへ瞬が現れたのだ。 「俺の力で叩きのめしたときに、あの治癒力がどこまで対応出来るか……、知りたいのはそんなところでしょう」 「……ふむ」 「それなら、向こうの手勢は八人で間違いない。人数が多すぎてもそれほど意味はありませんからね。それに実験段階なら、あの遺伝子サンプルがそう数があるとも思えない」 「確かに……。分かりました」  真田が、向き直った。 「三日後の面子ですが、柴、東城、私、瞬さんと、あとは森下――」 「ちょ、ちょっと!」  東城が遮った。 「今、さりげなーく誰かを紛れ込ませませんでしたか!?」 「あぁ?」  銀縁眼鏡の奥が光る。 「何か文句あるか」 「大ありですよ! こんな小競り合いに、あんたが出ることはない!」 「二度も同じ相手にコケにされて、黙っていられるか!」  真田が声を張り上げた。びりびりと部屋の空気が震える。その迫力に、瞬も肝が冷える。 「ましてや、柘植があんな目に遭わされたんだ。瞬さんには申し訳ないが、私にも譲れない矜持がある。その青年には、落とし前を付けさせて貰う」  瞬の胸が、チリと痛んだ。だが、瞬は頷いた。  瞬とて、どんな事情があろうとも、悠を傷つけたことは許せるものではない。  ――暁……、一体何を考えている? * 「どういうつもりだかね」  塔の上は風が強い。身体を持って行かれそうな雨混じりの強風に煽られながら、忠は下を見た。高い。 「ちと高すぎるな。ここからじゃ見えねぇや」  言いながら、忠は隣に立つ男を見た。忠とは反対の方を見つめながら、何も言わない。 「暁」 「……」 「何で手を抜いた」 「抜いてはいない」 「抜いたじゃねぇか。あの男の腹、刺しただけで済ませてよ」 「殺しても殺さなくても、大勢に影響はなかろう」 「殺した方が、あいつら怒り狂って面白そうじゃねぇ?」  そう言って、忠は笑った。 「あのカワイコちゃんを、ボーヤの目の前で殺してやったら、すげぇ怒るんだろうなぁ」  想像するだけで、楽しくて仕方ないらしい。 「殺すなと言われただろう」 「分かってる分かってる。じゃぁよ、逆にボーヤを目の前で殺したら、あいつどうなるんだろうな」  忠はその考えに興味がわいたようだ。乾いた笑い声を立てながら、喋り続ける。 「べったり依存してるみたいだから、気が狂っちまうかもな」 「……瞬も重要なサンプルだ。言われなくても分かるだろう」 「……つまんねぇなぁ。あれも殺すなこれも殺すな」 「今回は見届け役だ」 「結局俺もお前も、あのオヤジには逆らえねぇんだよな」  つまんねぇ、と忠はもう一度言うと、肩をすくめた。 「降りて他の場所、探そうぜ」 「……俺はここで、全体の把握をしておく」 「あ、そ。んじゃ後でまた迎えに来てやるよ」  言い終わるか終わらないかの内に、忠は跳んで消えた。  暁は、雨粒が大きくなった空を見上げた。  勢いなく降り注ぐ雨が暁の頬を打ち、血を洗い流していく。 「……ユ、ウ……」  その声は、溜息にしか聞こえなかった。 *  誰かに、口づけされている。  柔らかい唇の感触が、気持ちいい。  決して深くなる事はなく、唇を合わせ、啄むように上唇を挟まれ、下唇を撫でられる。  本当に気持ちいい。  悠が溜息を吐くと一瞬唇が離れたが、その可愛らしい愛撫はまたすぐに再開された。  時折髪を撫でられている感触もある。悠は目を開けないまま、その手に頭をすり寄せた。 「……悠」  耳が正常に働いた。大好きな低音を拾い上げる。  だが、まだ他の機能は低下したままだ。  声の主を抱きしめたいのに、腕が上がらない。  自由が効かない不快さに、悠が呻く。と、慌てたように相手が、唇を離してしまった。  違う。そうじゃないのに。  離れないで。側にいて。キスして。  ひとりにしないで。  ひとりに、しないで。 * 「なぁ、柴」  東城が、いつものように煙草をくわえながらぽつりと言った。 「はい」 「さっきは、さらっと聞き流しちまったんだがな」 「はい」 「その暁って男は二十代ぐらいなんだよな」 「はい」 「瞬坊、さっき『自分を赤ん坊の頃に拾って育ててくれた』とかなんとか言ってなかったか」 「あー……」 「なにが、あー、だ」  既にこの部屋には、真田も瞬もいない。  事後処理は我々でするからと二人を家へ追い返したのだ。 「その件はですね……」  珍しく言い渋る柴浦に、東城が胡乱な目を投げる。  あれは二月頃だったか、悠の告白を聞いたときに、なし崩しに知った事実だった。だが、それを東城に伝えるのは躊躇われたのだ。  にわかに信じがたいと言う事もあった。証明する物は何もない。ただ悠がそう言っただけの事だ。  そう思って、今日まで来てしまった。  だが、元より隠し事をするつもりもない。 「瞬さんなんですが」 「あぁ」 「その、悠さんのお話では、彼は今、十歳だと」 「……どういうことだ」 「瞬さんは、九歳の時点までは普通の少年だったのが、ある日を境に一気に十年分成長して、十九歳になったのだと、そう言っておられました」  他にどのようにも表現も出来ず、結局あの日悠が言ったままをそのまま伝えた。  東城はしばらく黙っていたが、一度深く煙を吸った。  そして、同じだけの時間を掛けてゆっくりと吐いてから言った。 「そうか」  それきり、何も言わない。 「信じ……ますか」 「そうだな……」  東城は、灰皿を引き寄せ灰を落とした。 「坊に感じていた違和感は、それで説明が付くな」  そう言われて、柴浦も頷く。 「悠坊がやけに瞬坊を庇うのも気になっていた。妙な気がしたんだが、もし瞬坊が十歳だというなら、あの態度も頷ける」  そう言って、東城は鼻の頭を掻いた。 「なぁ、柴」 「はい」 「俺は、なんだか最近、細かい事がどうでも良くなってきたぜ」 「……」 「研究所がなんだ、昔の仲間がどうだとうるさい事を全部捨てて、好いた二人で静かに暮らせりゃ、それでいいと思うんだがな」  東城の言葉に、柴浦は、昼間の悠の笑顔を思った。  悠は、一体何を諦めようとしているのだろう。 「それが出来ないのが、あの二人らしいんだろうけどよ」 「……若頭は、もう少し細かい事を気になさった方が良いですよ」 「おいおい、俺に矛先を向けるなよ」 「いいえ、今度の件についても、少しは計画を練って確実に松永を潰す算段を――」 「お前とオヤジに任す」 「……またあんたはそうやって」  後に続くのは、溜息しかない。 「分かりましたよ、ただし、引くとき、逃げる時は私の指示に絶対に従っていただきます」 「あぁ、今回はオヤジが一緒なんだ。あの人を危険な目に遭わせるわけにはいかねぇ」  やれやれ、と東城は肩をすくめた。 「お前も俺も、忠義に振り回されてるな」  その言葉に、柴浦も肩をすくめるしかなかった。

ともだちにシェアしよう!