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第六章 賢者と愚者 3
真田、東城、柴浦、そして瞬が顔を合わせたのは、その日も深夜近くになってからだった。
皆一様に疲労の色が濃い。
真田がまず最初に柴浦に尋ねた。
「柘植の容態は」
「何とか一命は取り留めました。傷の縫合が済んで今は輸血と、感染症への措置をとっています」
そして、瞬に言った。
「悠さんは――」
「家に連れて帰りました。今は、まだ眠っています」
柴浦が柘植についてこの事務所を離れ、幹部が一人もいない状態になって、ここは大混乱に陥った。
残っていた若衆が、倒れていた悠を別室に運ぶまではしたのだが、誰もが慌ててしまい、瞬へ連絡する事を思いつかなかった。
結局事務所が落ち着きを取り戻したのは、東城と本部長の羽仁が駆けつけてからで、瞬がこの事件を知ったのは更にその後、事務所に戻った柴浦からの連絡によってだった。
「本当に、申し訳ありません」
悠にまた傷を付けたこと、悠を放置せざるを得なかった事、連絡が行き届かなかった事、何もかもが情けなく、申し訳なく思う。
「悠さんのおかげで、柘植の命が助かりました」
深く頭を下げる。真田と東城も、黙って頭を下げた。
「……いえ、……いいえ」
瞬が静かに首を振る。
「あれは……あれを暁がしたと言うのなら、原因は俺たちにあ――」
「坊」
東城が遮った。
「責任がどうこうなんざ考えるな。いいか、最初は俺たちの問題だった。そこにお前さんたちの事情が加わった。それだけの話だ。お前さんのせいじゃねぇ」
真田は、椅子から立ち上がって窓の外を見た。雨が降り始めていた。
「悠さんを狙っているわけではないのか」
真田が言った。
「……はい、戻ってこい、とは言われていましたが、連れて行こうとするわけでもなく。ただ『自分は使いだから』とだけ」
あの忠という男の言葉を思い出す。悠をバケモノと呼んだ、あの男は、言葉で悠を弄んだ。
「暁は……俺たちと同じ研究所にいました」
瞬がぽつぽつと話し始めた。
「俺が赤ん坊の頃に拾ってくれて、ずっと、大切に育ててくれて……」
信じられなかった。柴浦の話を聞いても、柘植の傷を見ても、血だらけの悠を見てさえも、到底信じられなかった。
「暁が、悠を傷つけるなんて……」
暁は悠を愛していた。それは間違いようのない事実だ。
だからこそ、暁は研究所に残ったのだ。悠を助けるために。愛する悠に幸せを与えるために。
けれど、突きつけられたこの現実が偽りでないこともまた、十分に分かっていた。
「瞬さん」
真田が、瞬を見て言った。
「その青年の現在がどうであれ、あなたには縁の深い人物です。そのような人と争うのは、本意ではないでしょう」
暗に来なくても良いと逃げ道を用意してくれる真田に、瞬は感謝した。そして首を振った。
「暁は俺に来いと言った……。それなら、俺に拒む理由はありません。それに」
瞬が、三人の顔を見た。
「俺には、今、あなたたちの方が大事です。俺で何かの助けになるのなら、同行させて下さい」
「……ありがとうございます」
普通の相手なら、真田は一人でも臆することなど無いだろう。だが、得体の知れない輩相手とあっては、実情を知る者がいるのは心強い。
「暁の能力は、催眠暗示です」
「催眠?」
「えぇ、暗示を掛けて、相手を自由に操ることが出来ます。ただ、目を見つめるとか、接触するとか、条件が必要ですが」
「なるほど」
「……しかし、奴らの目的は何だ」
東城が頭を掻いた。いらついている。
「松永たちはまだ分かる。問題はその二人だ。何のために松永を助ける」
「所長がやりそうなことなら……」
瞬が考えながら言った。
「……実験、でしょうか」
「実験? 我々をですか?」
真田が言うと、瞬はまた首を振った。
「悠の遺伝情報を投与した、松永たちの能力の実験です」
それならば、わざわざ瞬を指定した理由も分かる。
「所長は、おそらくあの感電の傷痕から俺の存在に気づいたのでしょう。それで、もう一度徹底的に実験することを思いついたんだ」
最初の襲撃は、単なる偶然だっただろう。たまたま目を付けたゴロツキに遺伝子を投与して、その効果を確かめるだけのつもりだった。
そこへ瞬が現れたのだ。
「俺の力で叩きのめしたときに、あの治癒力がどこまで対応出来るか……、知りたいのはそんなところでしょう」
「……ふむ」
「それなら、向こうの手勢は八人で間違いない。人数が多すぎてもそれほど意味はありませんからね。それに実験段階なら、あの遺伝子サンプルがそう数があるとも思えない」
「確かに……。分かりました」
真田が、向き直った。
「三日後の面子ですが、柴、東城、私、瞬さんと、あとは森下――」
「ちょ、ちょっと!」
東城が遮った。
「今、さりげなーく誰かを紛れ込ませませんでしたか!?」
「あぁ?」
銀縁眼鏡の奥が光る。
「何か文句あるか」
「大ありですよ! こんな小競り合いに、あんたが出ることはない!」
「二度も同じ相手にコケにされて、黙っていられるか!」
真田が声を張り上げた。びりびりと部屋の空気が震える。その迫力に、瞬も肝が冷える。
「ましてや、柘植があんな目に遭わされたんだ。瞬さんには申し訳ないが、私にも譲れない矜持がある。その青年には、落とし前を付けさせて貰う」
瞬の胸が、チリと痛んだ。だが、瞬は頷いた。
瞬とて、どんな事情があろうとも、悠を傷つけたことは許せるものではない。
――暁……、一体何を考えている?
*
「どういうつもりだかね」
塔の上は風が強い。身体を持って行かれそうな雨混じりの強風に煽られながら、忠は下を見た。高い。
「ちと高すぎるな。ここからじゃ見えねぇや」
言いながら、忠は隣に立つ男を見た。忠とは反対の方を見つめながら、何も言わない。
「暁」
「……」
「何で手を抜いた」
「抜いてはいない」
「抜いたじゃねぇか。あの男の腹、刺しただけで済ませてよ」
「殺しても殺さなくても、大勢に影響はなかろう」
「殺した方が、あいつら怒り狂って面白そうじゃねぇ?」
そう言って、忠は笑った。
「あのカワイコちゃんを、ボーヤの目の前で殺してやったら、すげぇ怒るんだろうなぁ」
想像するだけで、楽しくて仕方ないらしい。
「殺すなと言われただろう」
「分かってる分かってる。じゃぁよ、逆にボーヤを目の前で殺したら、あいつどうなるんだろうな」
忠はその考えに興味がわいたようだ。乾いた笑い声を立てながら、喋り続ける。
「べったり依存してるみたいだから、気が狂っちまうかもな」
「……瞬も重要なサンプルだ。言われなくても分かるだろう」
「……つまんねぇなぁ。あれも殺すなこれも殺すな」
「今回は見届け役だ」
「結局俺もお前も、あのオヤジには逆らえねぇんだよな」
つまんねぇ、と忠はもう一度言うと、肩をすくめた。
「降りて他の場所、探そうぜ」
「……俺はここで、全体の把握をしておく」
「あ、そ。んじゃ後でまた迎えに来てやるよ」
言い終わるか終わらないかの内に、忠は跳んで消えた。
暁は、雨粒が大きくなった空を見上げた。
勢いなく降り注ぐ雨が暁の頬を打ち、血を洗い流していく。
「……ユ、ウ……」
その声は、溜息にしか聞こえなかった。
*
誰かに、口づけされている。
柔らかい唇の感触が、気持ちいい。
決して深くなる事はなく、唇を合わせ、啄むように上唇を挟まれ、下唇を撫でられる。
本当に気持ちいい。
悠が溜息を吐くと一瞬唇が離れたが、その可愛らしい愛撫はまたすぐに再開された。
時折髪を撫でられている感触もある。悠は目を開けないまま、その手に頭をすり寄せた。
「……悠」
耳が正常に働いた。大好きな低音を拾い上げる。
だが、まだ他の機能は低下したままだ。
声の主を抱きしめたいのに、腕が上がらない。
自由が効かない不快さに、悠が呻く。と、慌てたように相手が、唇を離してしまった。
違う。そうじゃないのに。
離れないで。側にいて。キスして。
ひとりにしないで。
ひとりに、しないで。
*
「なぁ、柴」
東城が、いつものように煙草をくわえながらぽつりと言った。
「はい」
「さっきは、さらっと聞き流しちまったんだがな」
「はい」
「その暁って男は二十代ぐらいなんだよな」
「はい」
「瞬坊、さっき『自分を赤ん坊の頃に拾って育ててくれた』とかなんとか言ってなかったか」
「あー……」
「なにが、あー、だ」
既にこの部屋には、真田も瞬もいない。
事後処理は我々でするからと二人を家へ追い返したのだ。
「その件はですね……」
珍しく言い渋る柴浦に、東城が胡乱な目を投げる。
あれは二月頃だったか、悠の告白を聞いたときに、なし崩しに知った事実だった。だが、それを東城に伝えるのは躊躇われたのだ。
にわかに信じがたいと言う事もあった。証明する物は何もない。ただ悠がそう言っただけの事だ。
そう思って、今日まで来てしまった。
だが、元より隠し事をするつもりもない。
「瞬さんなんですが」
「あぁ」
「その、悠さんのお話では、彼は今、十歳だと」
「……どういうことだ」
「瞬さんは、九歳の時点までは普通の少年だったのが、ある日を境に一気に十年分成長して、十九歳になったのだと、そう言っておられました」
他にどのようにも表現も出来ず、結局あの日悠が言ったままをそのまま伝えた。
東城はしばらく黙っていたが、一度深く煙を吸った。
そして、同じだけの時間を掛けてゆっくりと吐いてから言った。
「そうか」
それきり、何も言わない。
「信じ……ますか」
「そうだな……」
東城は、灰皿を引き寄せ灰を落とした。
「坊に感じていた違和感は、それで説明が付くな」
そう言われて、柴浦も頷く。
「悠坊がやけに瞬坊を庇うのも気になっていた。妙な気がしたんだが、もし瞬坊が十歳だというなら、あの態度も頷ける」
そう言って、東城は鼻の頭を掻いた。
「なぁ、柴」
「はい」
「俺は、なんだか最近、細かい事がどうでも良くなってきたぜ」
「……」
「研究所がなんだ、昔の仲間がどうだとうるさい事を全部捨てて、好いた二人で静かに暮らせりゃ、それでいいと思うんだがな」
東城の言葉に、柴浦は、昼間の悠の笑顔を思った。
悠は、一体何を諦めようとしているのだろう。
「それが出来ないのが、あの二人らしいんだろうけどよ」
「……若頭は、もう少し細かい事を気になさった方が良いですよ」
「おいおい、俺に矛先を向けるなよ」
「いいえ、今度の件についても、少しは計画を練って確実に松永を潰す算段を――」
「お前とオヤジに任す」
「……またあんたはそうやって」
後に続くのは、溜息しかない。
「分かりましたよ、ただし、引くとき、逃げる時は私の指示に絶対に従っていただきます」
「あぁ、今回はオヤジが一緒なんだ。あの人を危険な目に遭わせるわけにはいかねぇ」
やれやれ、と東城は肩をすくめた。
「お前も俺も、忠義に振り回されてるな」
その言葉に、柴浦も肩をすくめるしかなかった。
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