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第七章 孤独と孤独 2
笙子が、事務所にすごい勢いでやってきた。
眦をきっと上げ、大股で階段を駆け上がる。
その勢いのまま、笙子は蹴るように東城の部屋のドアを開けた。
「ちょっと!」
「げ、笙子」
「笙子さん」
東城と柴浦が同時に笙子を見た。
「あんたたち、どっちかあそこんちの鍵持ってんでしょ!」
「あそこ?」
「瞬のマンションよ!」
「う、え? そりゃ一応、オーナーだからな……」
「さっさとよこしなさい!」
「おいおい、そりゃマズい――」
「あたしじゃ、あそこ入れてくれないのよ! 知り合いだって言ってるのに!」
しかもこの前まで住んでたっつーの! と笙子がわめく。
東城が困ったように言った。
「ちょっと待てよ、話が見えない」
「無断欠勤! もう一週間よ!」
「あぁ? 瞬坊がか? まさか」
「事実よ! 電話をしてもでない! 切られる! 家まで行っても応答なし! さっさと鍵よこしなさいよ!」
柴浦が先に動いた。
「行きましょう。なにか、変だ」
*
三人が揃って、マンションに急ぐ。
直接玄関まで行ってインターフォンを鳴らしたが、応答はない。
「開けて」
笙子が傲然と命令した。東城が、鍵を開けた。
中は気味が悪いほど静かだった。所々に衣服が散らばっているほかは、整然としている。少し、埃っぽい。
しばらく換気もされていないように見受けられる。
笙子が、ずかずかとリビングに入り、カーテンを開けた。窓も開け放つ。
「いないのか」
東城が言った。言いつつも、そんなはずはないと思い返す。
悠は、大抵この家にいた。こんな長い時間、家を空けるはずがない。
「寝室を見てきます」
柴浦が言った。
寝室はカーテンが中途半端に開けられていた。やはり空気が籠もっている。
整ったベッドが一つと、乱れたベッドが一つ。
柴浦は、かすかに人の気配を感じ、奥に足を踏み入れた。
そして、シーツにくるまりぐったりと横たわる瞬を、見つけた。
「瞬さんっ!」
シーツから覗く顔はひどい有様だった。乾いた唇はひび割れて血が滲んでいる。
落ちくぼんだ眼窩には黒々と隈が浮かび、頬はげっそりとこけていた。
「瞬さん、しっかりして下さい!」
体温が少し高い。ざっと見たところ傷はない。
と、柴浦の声が聞こえたのだろう、東城と笙子も寝室に駆けつけ、そのまま言葉を失った。
「……どうしたの、どこか具合……救急車……」
狼狽する笙子に、東城が強く言った。
「落ち着け。笙子、難波先生に電話だ。脱水を起こしてる。すぐ連れて行くと伝えろ」
「……分かった」
笙子がリビングへ駆け戻る。
柴浦が瞬を抱き上げた。やけに軽い気がして、内心ぎょっとする。
そのまま車まで運ぼうとして、腕にしがみつかれていることに気づいた。
「瞬さん、気づ――」
「……だれ?」
瞬の目がおびえたように動く。
「あなた、だれ?」
「瞬さんッ!」
「ゆうは?」
そこにあったのは、いとけない表情。二十歳の青年の顔に、あまりに不釣り合いな少年の表情だった。
「ゆうはどこ?」
東城がさっと視線を走らせた。悠は、どこにもいない。
「……あとから、いらっしゃいますよ」
柴浦が何とか言葉を取り繕うと、瞬は、一度小さく身体を震わせて、目を閉じた。
*
「坊主ァ、一体何やったんだ!」
開口一番、難波が東城に怒鳴った。
「ひでぇ脱水だ。代謝異常を起こしてる。こりゃぁ、時間を掛けて戻してやらんと危ねぇぞ」
ここは難波の診療所だ。難波の診断は予想以上に重かった。三人とも言葉がでない。
「ここでしばらく治療して様子を見るが、意識混濁が改善されなけりゃ、デカイ病院に移す。いいな」
言われて、東城は頷いた。
「お願いします」
いつもの軽口もない。難波はせわしなくまた瞬の病室へと戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、東城が小声で言った。
「一体何がどうなってんだ」
とにかく、この状況を説明できるものが何もない。
「瞬坊の容態もだが、悠坊もだ。この状況で、なんであいつがいねぇんだ? あいつならこんな瞬を放っておくわけがないだろう」
「もしかしたら」
ふと、それは柴浦の口を突いて出た。
「悠さん――」
「……何か思い当たることがあるの?」
笙子が問う。
「一週間ほど前、瞬さんが事務所に来たそうです。慌てた様子で、悠さんが来ていないか尋ねたと……」
東城を見てはっきりと言う。
「そうです。佐々木が言っていました。来ていないと言ったら、事務所に上がることなく帰られたと」
「……一週間前」
笙子が、自分の携帯電話をバッグから出した。いくつか操作して、着信履歴を探す。
瞬からの着信が最後にあった日を探し出して、日付を確認した。
「あった。そうよ、その日は私にも電話が掛かってきたんだわ。前の晩、スタッフみんなで飲みに行って、昼頃まで寝ちゃってて、そこに電話が掛かってきて」
笙子は会話の内容を懸命に思い出そうとした。
「たしか、悠君がどうとか言ってたわ。それで、次の日から無断欠勤――」
「あれ、アニキ? うわ、若頭とねぇさんまで」
背後から声を掛けられ、柴浦が振り返るとそこには柘植が立っていた。
「柘植、お前もう良いのか」
「ハイ、明日には退院です。でもあれ、皆さんおそろいで、何かあったんすか」
「……いや、ちょっと瞬さんが体調を崩されてな」
容態の事は黙っておく。と、柘植が言った。
「え、それじゃあん時から調子悪かったんかな」
「……あの時? いつだ。お前瞬さんに会ったのか」
「はい、一週間ぐらい前……、昼頃だったかな。すげぇ青い顔で、悠ちゃんが来てないかって」
「……やはり一週間前か」
東城が唸った。
「え、なんか瞬君、ヤバイんすか!?」
途端に、柘植の顔が曇る。東城が、何でもない風を装って言った。
「大丈夫だ。妙な心配をするな。お前は自分の傷の養生をしろ」
「……ハイ」
若頭に言われては、もう何も言えない。
柘植は一度ぺこりと頭を下げると、自分の病室へと戻っていった。
「一週間前に、悠君が消えたってこと?」
「そうなるな。それで坊はあちこち探し回って、挙げ句に飲み食いも忘れて……」
東城が黙った。痛ましい瞬の様子が思い出される。
「なんで、悠君がいなくなるのよ」
笙子は、二人の背後を知らない。ただ、恋人だという二人しか知らないのだ。
東城が首を振った。
「笙子。お前今日は店に戻れ」
「はぁ? 何でよ、瞬君を放り出して行けって言うの!?」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
東城が、真剣な眼差しで笙子に言う。
「悠坊は、事情があっていなくなったとしか思えん。……この前話したことは、覚えているな」
ぐ、と笙子は言葉を飲み込んだ。組に関わることだと言われては、笙子は頷くしかない。
「分かった。でも、何かあったら、必ず私にも連絡を入れてちょうだい」
「あぁ、すまない、笙子」
「私ね、あの二人のこと、弟だと思ってるの。瞬君が起きたらそう伝えて。一人で悩むなって」
笙子が柴浦に向かってきっぱりと言った。
柴浦は深く頭を下げて、笙子を見送った。
「んで、お前はどう思う」
笙子が立ち去り、東城は廊下の椅子に腰掛けて柴浦に問うた。
「拉致られたと思うか」
「いえ……」
柴浦にはもう一つ、胸の奥底で疼いている記憶があった。
悠が柴浦の下を訪れたあの日、悠が突然口にした言葉。
まるで後を柴浦に託していったような……。
「可能性がないとは言えませんが……、それより悠さんは、自分で姿を消したのかもしれません」
「なぜだ。そんな必要がどこにある」
東城には分からなかった。
襲撃の件はひとまず落着した。向こうも特に手を出してくるわけでもない。悠が姿を消さねばならない理由など無いはずだ。
「……あいつはヤケに松永の最期を恐れていたし、まさか一人で逃げ――」
そう口に出してから、すぐにそれを打ち消す。
「いや、違うか。逃げるつもりなら、瞬坊を置いていくはずがないな」
そう言って、顎を擦る。
「やっぱ、奴らに拉致られたのか……」
「……悠さんが姿を消す数日前、私は悠さんとお会いしました」
「……で?」
「そのときに、瞬さんのことを聞かれました。瞬のことが好きか、と」
「……」
「私は、弟のように好きだと答えました。そうしたら、よかった、これからも瞬を守ってやってくれと……言われました」
「……」
「そのときは、悠さんが急にそんなことを言い出した理由が分かりませんでした。でも、今こうして姿を消したことを考えると……」
「覚悟の上か」
「えぇ、悠さんは、何かの意志を持って姿を消したと、私は思います」
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