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第七章 孤独と孤独 3

 ――聞いてくれよ、悠。俺ひどい夢を見たよ。  君がいなくなる夢だ。バカバカしいだろ?  俺には予知能力は無いから、正夢になんてならないけど。  ほんと、バカバカしい。  ……でも、怖かったな。  どこを探しても君がいないんだ。サヨナラ一つ言わないで、君が消えるんだ。  怖いよ。君がいなくなるなんて、考えたこともなかったから。  君と出会ってから、まだ三年ぐらい? 案外短いな。  一時期、君から離れようなんて考えてた自分を殴ってやりたい。  君から離れて、生きていけるわけないのにさ。  時間を無駄にした。つまらない意地張ってないで、もっと君と一緒にいれば良かった。  あんな変な夢見ただけで、動悸が収まらない。震えが止まらないよ。  ねぇ悠、俺の手を握ってよ。  ここにいるよって。  ――どこにも行かないって言ってくれよ。 * 「瞬さん!」  瞬が声のする方を見た。見知った顔が、そこにあった。 「あ……」  二三度瞬きして、その顔を見る。柴浦は安堵の表情を浮かべた。 「私が、分かりますか」  それには、頷きを返す。そして、天井を見た。  白くて、少しシミの浮いた天井。白とクリーム色のカーテン。  右上に目を向けると、液体の入った袋がぶら下がっているのが見えた。  そこから伸びた管は下方へと伸び、瞬の腕へとつながっていた。 「ここ、どこ」 「難波先生の所です。家で倒れていたところを、我々が見つけました」 「そ……う」  身体が重く、頭がふわふわする。  ふと、瞬は自分の右手を見た。  きつく、柴浦の手を握りしめている。  離そうと思ったが、力の調節が上手くいかない。 「しばさ、て、はがして」  言われて柴浦も気づいたのか、その手を見る。  血の気を失うほどに固く握られている。柴浦は、瞬の指を一本一本、ゆっくりと引き剥がした。  そして、全てを剥がし終わると、優しく撫でてやった。  骨張った指に緊張と震えが残る。 「瞬さん」  いつの間にか、瞬の目から涙がこぼれ落ちていた。  眦を伝ってこめかみへと流れる涙は、そのままぽたりと枕へ落ちた。 「……瞬」 「ふ、ぅう、っく……」  静かな涙はすぐに嗚咽に変わった。 「しば、さ……」  「分かってる」 「ゆ、いな、い」 「あぁ、分かってるよ」 「ぼ、く、おいて」 「……」 「ぼく、おいてかれ、ちゃった」  手で顔を覆い、ひどくしゃくり上げて、瞬は泣いた。 「どうして? ……どうして?」 「瞬、辛いだろうが今は何も考えるな。身体を治すことだけ考えろ。お前の代わりに俺たちが、悠を探すから」  ひどく泣きじゃくる瞬を前に、柴浦は胸が痛んだ。  今目の前にいるのは、十歳の少年なのだ。  愛する者を当の本人に奪われた理不尽。それを昇華できず苦しんでいる彼に、何がしてやれるだろう。  柴浦は、ただ黙って、瞬の涙を拭ってやった。 *  ――ねぇ、悠。悠はさ、僕のことどう思ってたのかな。  ずっと十歳の子供だった? それとも、見てくれの年相応には思ってくれてた?  僕、今でもあの最初の事件を思い出すんだ。  僕とマコが捕まって、悠が助けに来てくれた、あの事件。  逃げ遅れた僕を、君は抱きしめて、大丈夫、って守ってくれたね。  僕たちの関係は、もしかしたらあの日から全然変わってないのかもしれない。  悠は本当は僕よりも五つも年上で。  僕が君を守る、なんて偉そうなこと言ってても、実際は君に守られてばっかりで。  君は何でも独りで決めてしまって。  そうして、僕を置いていくんだ。  でもさ、そしたら、置いて行かれた僕は、どうしたら良いんだろう。  僕の気持ちは、どこへ持って行ったら良いんだろう。 * 「すみません、荷物を持ってきていただいて」 「いいえ、それは良いの。意識は戻ったのね?」 「はい。今は鎮静剤で眠っています。酷く興奮していたので……」  笙子は、瞬のベッドの傍らに立って彼を見下ろした。  泣きながら眠ったのだろう、腫れた瞼が痛々しくて、笙子はそこにそっと触れた。 「可哀想に……」  笙子も、二人の関係が単なる恋人というくくりではないことに、うすうす気付いていた。  恋人と呼ぶにはあまりにも激しく、狂おしい感情が二人の間には溢れていた。  それは二人の歩んでいた道程のためなのだろう。しかしそこは笙子が暴いて良い領域ではない。 「笙子さん」 「何?」 「これから、しばらく……瞬さんが落ち着かれるまで、瞬さんを子供として、扱っていただけませんか」 「……どういうこと」  柴浦は、困ったような笑顔を貼り付けて言った。 「詳しくは、ちょっと」 「ショックで幼児退行しちゃったの?」 「……当たらずとも遠からず、というところでしょうか」 「まったく、うちの男どもと来たら!」  笙子が呆れたように両手を挙げた。 「揃いも揃って秘密主義なんだから! いいわ。何も聞かないでおく」 「……助かります。記憶の混乱などはないそうなので、普段通り接してやれば良いと言われました。ただ、悠さんのことになるとひどく泣かれるので、今は極力その話題に触れないように。励ますのもいけません」  笙子が頷いた。 「そうね。頑張ってきた子に、もっと頑張れって言うの、……キツイものね」  笙子が、くしゃりと髪をかき上げた。 *  悠は、僕のこと……、どう思ってるの?  暁と同じくらい? 柴さんと同じくらい? それとも、弟とかそんな感じだったのかな。  悠は優しいから、必死に縋って愛してるなんて言った僕を、邪険に出来なくて、流されてくれてたのかな、なんて。  卑屈すぎかな。  なんでだろう。どうしてこんなに君のことが好きなんだろう。  刷り込み? 顔が好き? 性格が好き?  ……違う。  君の生き方が、眩しかった。  辛いとき、君は泣いて、挫けて、心折れて、それでもまた立ち上がる。  一人で立ち向かおうとする。  僕に助けてと言った、あの時初めて、君は僕を必要としてくれた。  初めて僕に手をさし出してくれた。  僕はようやく、君の手をとることが出来たんだ。  僕に、手を離さないでって言ったこと、覚えているかな。  あれは君の本当の願いじゃなかったのか?  君の手を、僕は本当に離してしまって良いんだろうか? * 「つーわけです」 「……そうか」  東城が真田に事の次第を伝えた。  事務所のデスクの端に腰掛けていた真田は、真剣な顔でしばらく黙っていたが、やがて一つため息をついた。 「この前の」 「……はい」 「この前の松永の一件の時。要らぬことを言ったかとずっと気になっていた」 「要らぬこと……なんて言いましたっけ」  眼鏡の奥から、キツイ目が東城を見上げる。 「言いたいことを言ってしまえと、焚き付けたからな」 「あぁ……いやでも、あれは、悠坊にとって必要なことだったと思いますよ」 「……そうかもしれん。だが、ずっと張り詰めていたものがぷつっと切れるのはそういうときだ」  そう言ってもう一度ため息を漏らす。 「どうする。探すか」 「えぇ、そのつもりです」 「彼が自分の意志でいなくなったのだとしてもか」 「……俺は、納得いきません。あいつが瞬坊の前から消えなきゃならん理由が分からんのです」 「捕まえて問いただすか」 「……まぁ、そんなところです」  東城が憤慨した様子でそう言うと、真田が笑った。それに更にむっとした顔で言葉を返す。 「いけませんか」 「いけなくは、ないな。お前らしい。お前らしいが……彼がどこにいるか、考えたことがあるか?」 「へ、……え? どこ、って、そんなことは」 「どこかに隠れてると思うか」 「いや、それは」  改めて聞かれて、東城は口ごもる。 「悠坊が、一人で逃げるとは思えませんが……」 「そうだろうな」  真田はゆっくり立ち上がった。 「彼は、例の研究所へ戻ったのかもしれない」 「……っな、こと」 「あるわけがないか?」 「平気で人体実験やらかすようなところに、何でわざわざ!」 「それはな、我々が強者の立場にあるから言える台詞だ」 「……」 「幸い、うちの組は南雲会という後ろ盾がある。私をはじめ、幹部は若いし腕も立つ。シマは安定している。さて、お前は虐げられ続けた者の気持ちが分かるか?」  東城は何も言えず、真田を見た。 「常に監視されているような恐怖。大切な者を奪われるかもしれない恐怖。四六時中そんなストレスを受け続けてみろ、逃げたくもなる」 「逃げるために……元に戻るんですか」 「自分が加虐者の元にいれば、少なくとも瞬に累が及ぶことはない、と彼なら考えるだろうな」  そう口にしてから、真田は三度、溜息を吐いた。 「……だからこそ、あの言葉を言わせてはならなかったのかもしれん」 *  暗闇に、ぴかり、ぴかりと小さく光る物がある。  瞬が手を伸ばすと、指が硬い物に触れた。携帯電話だ。  誰かが家から持ってきて充電までしてくれたのだろう。瞬はその画面を見た。  笙子からの着信履歴でびっしりと画面が埋まっている。  瞬は、ふふっと笑った。  今日は何日だっけ、と日付を見て、悠が消えてからもうそんなに経つのかと驚く。  また自分の指は、あの日触れた悠の肌の感触を忘れていないのに。  急に悠の面影が遠くなっていくような気がして、慌てて頭を振った。  まだ、頭がぼうっとする。  もう一度前後不覚に眠ってしまいたい。  瞬は電話の電源を落とそうとして、ふと、画面の端に点滅するアイコンを見た。  新しい録音を知らせるアイコンだ。  笙子からだろうか、と再生ボタンを押した。  すぐに、電話の向こうから雑音が流れてくる。屋外だ。車のエンジン音や人の声がかすかに聞こえる。  だが、肝心の通話者の声が聞こえてこない。間違い電話か何かだったのかと、瞬がボタンを押そうとしたときだった。  人の声が、聞こえた。 「……瞬、ごめんね。黙って出てきて、ごめんね。……僕はもう、君の側にはいられない。僕のことは忘れて……」  瞬は息を呑んだ。 「さよなら」  録音はそこで途切れた。  恋い焦がれたその人の声は、あまりに残酷だった。 「……ひ、どいよ。酷いよ、悠……っ!」  新たな涙が、瞬の目からぼろぼろとこぼれ落ちる。 「こんな、でんわで……、こんな、こんな勝手なことっ」  瞬は、声を上げて泣いた。ひどい、ひどいと、ただ繰り返して泣き続けた。

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