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第七章 孤独と孤独 4
抜けるような春の青空だ。
まだ直射日光を浴びていても、暑いとは感じない。
沢野は、ビルの屋上で仰向けに寝転んだまま、思い切り手足を伸ばした。
手に持った煙草に火を付けようか迷う。
待ち人はさて、いつ来るだろうか。
今火を付けて一本無駄にするか。それとも吸い終わるまでは来ないだろうか。
「ふむ」
沢野は起き上がると、初めて、手にしていた煙草をポケットに戻した。
「焦らされるのも悪くないな」
「なに、気色悪いこと言ってやがる」
後ろから不機嫌な声が掛けられた。沢野がにやりと笑った。
「待ち人来たる」
「……」
「時間は」
「は?」
「時間はどれくらい猶予がある?」
「……日没まで」
沢野は頷くと、すぐに立ち上がって暁の手を取った。
「……お、おい」
「黙って付いてこい」
沢野は、建物を出るとすぐに裏路地へと入った。
ビルの横を、裏を、右に曲がり左に曲がり。
高架下をくぐり、時には建物の中を素通りもした。
迷っているわけではなさそうで、確かな足取りで暁の前を歩いて行く。
その手は、暁に繋がれたままだ。
「……どこまで行くんだ」
十五分ほど歩いていいかげん焦れた頃、暁が前を行く男に声を掛けた。と、珍しく煙草をくわえていない口が、笑った。
「ここだ」
そこは、特に何の変哲もない建物だった。
一階は店舗が入るスペースなのだろう、シャッターが降りて、空き店舗の貼り紙がしてある。
脇の階段から上がった上は、事務所兼居住スペースといった所だろうか。
沢野は、そちらの階段へ廻ると先に上へ上がってゆく。
暁も慌てて後を追った。
階段を一つ上りきると、二つの扉が並んでいた。
そのうちの奥の方を、沢野が開けた。
「どうぞお入りを」
沢野が、にこりと笑って促した。
中は広くはなかった。
二十畳ほどのフローリングスペースに、台所とユニットバス。
部屋の隅には埃の積もった暖房器具が一つ。部屋の中央には、ソファとローテーブルがワンセット。隅に狭い簡易ベッドが一つ。
これだけだった。
南と西に開いた窓には、全てカーテンが引いてある。
「……ここは?」
「俺たちの、……つーか、まぁ、俺の隠れ家、の一つ」
「俺『たち』?」
暁が問いただした。
「あれ、お前さん、俺のお仕事覚えてねぇの?」
「……仕事……」
過去に交わした会話を思い返してみたが、全く記憶にない。
沢野が残念そうに手を振った。
「まぁ、しょうがねぇか、あん時は時間もあんまり無かったからな」
そうして、懐から黒い表紙の手帳とそのバッジを見せた。
「ワタクシ、警視庁公安部公安第四課第二公安資料第2係巡査部長、沢野敏也です」
「……公安? あんたが?」
「まぁ、そう言うこと」
「公安が、なんで」
暁は、ふらふらと部屋のソファに腰を下ろした。沢野は、少し離れたその向かいに立った。
「公安つーのは、いろんな部署があって、過激な思想集団見張ったり、暴力団見張ったり、まぁ、そう言うところだな」
「見張り」
「そうそう、見張りと、情報収集。とにかく、情報収集なわけよ」
締め切っているためか、部屋が暑い。暁は額に浮いた汗を、手で拭った。
「んで、俺のこの力が役に立つって訳だな」
「あんた俺と同じ力、持ってるんだよな」
「あぁ、そうだよ」
沢野が、ネクタイを緩めた。
「情報を引き出すには大いに役立つ力だから、俺は公安に飼われてるのさ」
暑い。これはおかしい。
そう思って、一度ソファから立ち上がろうとして果たせず、暁はもう一度ソファに沈み込んだ。足に力が入らない。
いつの間にか、すぐ側に沢野が来ていた。
「どうも俺の方が、お前より力は強いらしいな」
「そんなこと、なんで、分かる――」
沢野が暁を見下ろす。暁もまた、沢野を見上げた。視線が絡み合う。
「お前は俺のテリトリーで動けなくなった。俺の目に捕らわれた。そういうことさ」
沢野が軽く暁の肩を押すと、彼は抵抗なくソファに倒れた。日に焼け傷んだ髪が、パサ、と音を立てる。
少し不安げにその目が揺らめくのを見て、沢野が笑った。
「酷いことはしない」
「酷くないことは、するのか」
「まぁ、そういうことだ……。お前さんだって、したいだろ? この前の、続き」
「話の、続きだろ」
暁が僅かな抵抗を見せると、なぜか沢野は優しく笑って見せた。
「それもだけどな」
沢野は暁に馬乗りになると、相手のシャツの中へと手を滑り込ませる。
「どっちかっつーと、こっちが本命」
「……っ」
暁は肌を這う手の動きに、身体を震わせた。
「……なんで」
「なんで?」
暁の腕が力なく沢野を掴む。
「なんで、抱く?」
辛うじてそう問うと、沢野は暁の耳元へ顔を寄せて、言った。
「これから、教えてやる」
*
沢野は、暁が快楽に陥落して行くのをつぶさに見ていた。
暁は、快感にひどく弱かった。
――つーか、あれだ、優しくされるのに、慣れてないのか。
苦痛には慣れているのだろう。少し強く愛撫を加えても、それほど反応は返ってこない。
それなのに、優しく肌を撫で上げただけで、抑えきれない震える声が漏れる。
沢野は、ただひたすら暁を甘やかした。
「しつ……こい!」
脇腹から骨盤のあたりを、何度も何度も撫でさすられ、暁が抗議の声を上げた。
「あれ、良くないか?」
「……シツコイってんだよ! やるならさっさと突っ込め!」
「うーん」
「なんだよ」
「最後までやるつもりだったけどさ」
「……」
「今日はやめておこうかな」
「……なんでっ」
「だってお前、もういっぱいいっぱいだぜ?」
鼠径部をするりと撫でられ、暁の身体がまた跳ねる。
「こんなびくびくしちゃって」
「るせぇっ! おかしい、んだよ、お前の手……」
「まぁ、そうだろうな」
思わぬ肯定の返事に、暁が目を見張った。
「ここの部屋はな、俺の力の『場』なんだよ」
「……? バ?」
「あぁ、例えて言うなら、蜘蛛の巣、ってところか」
冷静な声で説明をしながら、沢野の手が暁の剥き出しの性器に触れた。
「ひ……っ」
「尋問に近いことをやるときに、この部屋に入れてやると、相手は酔っぱらったみたいに警戒心を無くして、いろいろ聞かせてくれるのさ」
「あ、く……、ぅ……」
「一般人でそんなレベルだから、同類のお前には少々効き過ぎるようだな」
「あ、ぁぁ……ッ」
先走りで、暁の腹はべったりと濡れている。
それをすくい上げながら先端をくるりと撫でると、性器は物欲しげにびくりと揺れた。
「暁」
「んっ、あ、あぁ……」
「アキラ」
二度三度と名を呼ばれてようやく耳に届いたのか、暁がゆっくりと沢野を見る。
「ちょっと質問するから、答えろよ」
暁が首を振る。沢野が、軽く陰茎を弾いた。途端に、電気が走ったように暁の腰が跳ねた。
「良い子にしてたら、気持ちよくしてやるから」
「ば、かに、するな、っ!」
「そうそう、その調子でもうちょっと頑張ってくれよ」
「くそ……あぁっ!」
沢野はゆるゆると陰茎を握る。決定的な刺激を与えないよう、絶妙に加減している。
「お前、所長と呼ばれてる男の受けた依頼を、請け負っていたな?」
暁は首を振ろうとしたが、そのとき、陰嚢のあたりを柔らかく揉まれて、眦から涙が溢れる。
「もう一度聞くな? 所長の依頼、お前が片付けてたのか」
今度は、暁は素直に頷いた。
「そうか、良い子だ。対象を殺すよう命じられた件がいくつもあったはずだが、覚えているか?」
それにも頷く。褒美だとばかりに優しく先端を撫でられ、暁はまたとろりと粘液を零した。
「詳細はどうだ? 顔写真や名前があれば、思い出せるか」
「全部は、ぁ、む、り」
「いいよ、一部でもいい。出来るか?」
「う……ん」
「所長は、これで多額の金を得ていたはずだ。奴は何に使っている?」
「……研、究」
「なんの?」
「こ、ぴ」
「こぴ?」
「……ぁっ、も、イかせ、てっ、くれ!」
涙に濡れた顔で、暁がせがむ。だが、沢野は許さない。
「質問に答えろ」
「不死の、遺伝、子、……コピー」
それだけを口にすると、暁は仰け反った。
「おねが、い、だから!」
「あぁ、いいぜ。楽にしてやる」
沢野は指に力を込めた。固く張り詰めた暁の陰茎の、薄い皮膚の上から芯をこすり上げる。
「あぁぁぁぁ!」
その刺激だけで、暁は達した。精液が激しく波打つ彼の胸元に散る。
「あっ、はぁっ、はぁっ……」
荒い息の下で、自分を上から見下ろす男を見る。
絶対的な力の差が、そこにはあった。身体の自由も、心の自由も全てこの男に奪われる。
無理強いされていたら、暁も抵抗したかもしれない。
だが、沢野は無理に征服しようとはしなかった。
巧妙にも、自分が堕ちてくるのを待っているのだ。
――コイツは雄で、俺は雌だ。
足で蹴り倒して逃げればいいのに、暁はそうしなかった。
相手の力に魅せられている。
強大な力を持つ雄に、自分は惹かれているのだろうか?
「気持ちよかったか?」
腹の上の精液を指で捏ねられ、気遣うように問われて、また暁の目に涙が浮かぶ。
「もっと、好きなようにヤればいいだろッ」
「そんな気はねぇよ」
「……なんでっ! 俺はあんたが追っかけてる犯罪者だろうが!」
「違うな」
「……何が違――」
「お前を引っ張ったって意味ねぇ。お前は利用されただけだろうが。俺が燻りだしてやりたいのは、黒幕だよ」
「じゃぁ」
「あぁ?」
「なんで、……こんなこと」
「……わからねぇ?」
ふと、沢野の目が細められた。
「尋問のため?」
「尋問なら、こんなコトしなくても吐かせられるよなぁ」
「嫌がらせ」
「お前さんに嫌がらせしても、俺の得にはならねぇよ」
「……」
「それじゃ、次に会うときまでの宿題な」
「……つ、つぎぃ!?」
「あれ、『話の続き』はもう良いのか?」
そうして、沢野は、ぐいと暁に顔を近づけた。
「もっと気持ちいいコトしてやるよ」
「……っ」
暁の顔が瞬時に赤く染まった。顔の側に置かれた手を、乱暴に押しやる。
「……いいから、拭くもの寄越せっ!」
「ハイハイ」
沢野が暁から離れた。
「ほっとけねぇよなぁ」
巧妙なその呟きは、暁には届かなかった。
*
暁が部屋を去ったあと、沢野は独りこの部屋に留まった。
この建物の元のオーナーは音楽鑑賞が趣味だったとかで、安っぽい見てくれの割には部屋の防音対策もしっかりしている。
多少の物音では外に漏れないこの部屋が、沢野は気に入っていた。
細く窓を開け、ささやかな風を入れる。
そうしておいて、沢野は簡易ベッドに寝転んだ。鉄製のパイプがぎしりと鳴る。
今後の捜査をどう展開させるか、ファイルを捲るように脳内で組み立ててゆく。
あの男は容易には尻尾を掴ませない。焦るな。焦りは禁物だ。外堀から埋めていくほか無いのだ。
暁の証言と、他の少年達の証言。
お得意の別件逮捕から引っ張り出すのが、最も早道だろう。上司にも話は通してある。思い切り嫌な顔をされたが。
……この力を疎んじられ、その一方でこの力を利用されている。
――まるで暁と同じだ。
ふ、と鼻で笑って煙草を取り出そうとしたとき。
放り出してあった上着のポケットの中から、電話が彼を呼んだ。
その着信を見て驚く。ボタンを押して開口一番、言ってやった。
「……おいおい、一体どういう風の吹き回しだよ」
『用があったら掛けろと言ったのはお前だろう』
「美味しいネタでも揚がったか」
『そう言うやりとりは好かん』
「こりゃ失敬。……動きでもあったか」
『あった。いつもの所に』
「陽が落ちてからにしよう。八時」
『分かった』
そう返事をすると、相手は一方的に通話を切った。
約束の時間までまだ少しある。
「……さて、一眠りしていくかねぇ」
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