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第七章 孤独と孤独 5
「沢野」
珍しく、柴浦が立ち上がって沢野を迎える。
その表情で、沢野はすぐに何か重大な動きがあったことを再確認した。
「何だよわざわざ呼び出して」
そう切り出した沢野を遮って、柴浦が言った。
「お前、今から事務所に来てくれ」
「……あぁ?」
「車はそこだ」
「……いや、俺の聞き違いか? 事務所がどうとか」
「あぁ、事務所に来てくれと言ったんだ」
「……てめ、俺の首が飛ぶようなことを簡単に――」
「訳は後で話す。お前にも分がある話だ」
「分? 分だと?」
「組長も交えて話を……」
「くみちょ……!? お前、気は確かか? どこの世界に、組長に情報もらいに行くお巡りがいるんだよ!」
「喚くな! こっちにも事情があるんだ!」
声を張り上げた柴浦に、さすがの沢野も黙る。
「たのむよ、沢野。お前の情報が今必要なんだ。お前の悪いようにはしないから」
「……分かったよ! 行きゃぁいいんだろ。その代わり、事務所への出入りは慎重にしてくれよ。俺はまだ無職にはなりたくねぇ」
「最善を尽くそう。車に乗ってくれ」
沢野は、くるりと後ろを向いた柴浦の背を見て、腹を括った。
車は滑るように走り、程なく事務所へと着いた。地下駐車場に入る前、沢野は不自然な様子で顔を隠し、沢野の失笑を買った。
エレベーターで上へと上がり、奥の応接室に通される。
不思議と緊張はなかった。あくまでも平和的な話し合いだと言うことが、柴浦の様子からも十分に分かっていたからだ。
応接室には、銀縁眼鏡の男と大柄な男が彼を待っていた。
沢野が口を開く前に、眼鏡の男が言った。
「お初にお目に掛かります。組長の真田です。……お噂はかねがね」
「警視庁公安部公安第四課第二公安資料第2係巡査部長、沢野敏也です」
さすがに敬礼まではしなかった。が、所属を正しく口にする。それが、沢野なりの礼の尽くし方だった。
――一日に二度も言うことになるとは思わなかったがな。
沢田の隣に立つ男に視線を向けると、相手もすぐに名乗った。
「組若頭、東城です」
「初めまして、沢野です」
沢野が先に頭を下げた。慌てて東城も頭を下げる。
堅苦しいことが苦手な東城は、すぐに砕けた口調になった。
「公安さん、あんた、単独ですか」
「えぇ、俺は少々爪弾き者でして。皆俺と組むのを嫌がるんですよ。おかげで気楽にやってます」
飄々と言う沢野の顔をじっと見つめる。
嫌な感じを受けるような人間ではなかった。前々から、柴浦が接触をしているとの報告は受けていたが、実際に会うのはこれが初めてだ。
「柴浦が世話になっております」
「いえ、こちらこそ」
当たり障りのない挨拶。ここは一発、腹の探り合いだ……と沢野が覚悟を決めたその時。真田が言った。
「あなたがお持ちの情報を教えて貰いたい」
「……えらく直球ですね」
「そちらにもメリットがあることです」
「等価交換?」
「えぇ。あなたもご存じの通り、うちとそちらで追っているネタがかぶってましてね」
「はぁ」
「それならこの際、共同戦線でも張ろうかと」
「……はぁ?」
何かの聞き間違いかと、聞き返す。
「ですから、共同――」
「ちょ、ちょっと、待って下さいよ、公安とヤクザの共同戦線って、それはちとマズ……」
「何も金銭の授受があるわけでなし。何か便宜を図れと言っているわけではありませんよ」
「いやまぁ、そりゃそーですが」
「ではよろしいですね?」
そう言って、真田が椅子を勧めた。椅子に座れば、話は決まりだ。
止めるなら、ここで部屋を出て行けば良い。
沢野はさすがに一瞬迷った。だが、最後にもう一度、真田の顔を見た。眼鏡の奥からこちらを見るその目は、裏があるようには見えない。
「やれやれ、部下が部下なら上司も上司だ」
そう言って、どかりと椅子に腰掛けた。
「良いでしょう。ここまで来たらとことん付き合いますよ」
そう言ってから、扉の側に立つ柴浦へ向けて「恨むぜ」と言う視線を送る。
柴浦は肩をすくめただけだった。
*
「――神崎義隆。四十三歳。国立大の博士課程修了後、海外の研究施設を渡り歩いた、超エリート。我々が所長と呼んでいるのはそんな男です。専門は、遺伝子工学」
その単語に、真田が小さく反応した。
「……遺伝子工学……」
「と、まぁ、公式にはそう言うことになってますがね」
沢野は話し始めると調子が出てきたのか、胸のポケットからお決まりの煙草を取り出した。
「実際の所、奴は日本の大学に在籍していた頃、危ない橋を渡っちまったらしいです」
「……なにをやらかしたんです」
「クローン。それも、パーツじゃない。完全な人間のクローンを作ろうとした。もちろんヤバイ。俺も付け焼き刃の知識しかないが、《人クローン規制法》つーので確実に処罰される。当然奴もそんな事は承知の上でやったことだろうが、もちろん前代未聞の大事件だった」
沢野は煙草に火を点け、煙を吸い込んだ。
「慌てたのは大学だ。神崎は学部長の娘を嫁に貰っていた。監督責任もある。神崎を切って決着を付けて終い、つー訳にもいかない。結局箝口令を敷いてもみ消した。神崎は海外に飛ばされたというわけです」
沢野は時折煙を吸い込むために言葉を切った。だが、誰も口を挟む者はいない。
「向こうで何をやっていたか、細かいことはさておき、奴は金さえあればどんな研究でもやれることを思い知る。金さえあれば、非合法だろうが、非倫理だろうがね。そんなとき、奴に転機が訪れた。日本で脳科学研究所という研究施設を設立する。表向きは、脳の働きの中でも解明されていない謎を研究する、という名目の研究所だ。先の隠蔽が完璧だったからか、表に奴の名前が出なかったからか、公益法人の認可はあっさり下りた。もちろん、多額の金が動いた。理事には錚々たる面子が名前を揃えている。でもまぁ、十中八九、お飾りだ。きっと職員は理事の連中の名前も聞いたことがないだろうよ。会計監査も一発オールクリア。一体どんな手を使ってるんだか」
また言葉を切って、灰を灰皿へ落とす。
「その施設には、子供が研究対象として収容された。学校にも通わせ、食事など一切の面倒を見つつ、同時に研究対象としていた。……これもまぁ、表向きの話です。さて」
沢野が突然話をやめ、真田を見た。
「ここから先はあんた方もご承知でしょう」
「……そこに飼われていた子供を、面倒見ている」
「瞬と悠、ですね?」
「……えぇ」
「研究所にいた子供達は、皆いわゆる『超能力者』と呼ばれるような人種だった。特に強い力を持っていたのが、七名。二名は、俺が追っている二人。そして、悠と瞬。残る三人も、今は別のところで暮らしている」
「会ったんですか」
「……えぇ、会いましたよ。良い子達でした」
『良い子』と言う言葉に含みを持たせる。
「彼らはかなり酷い扱いを受けていたらしいですね」
「あぁ、我々もそう聞いています」
「七名の内、一名、忠という名の青年は神崎の側の人間だ。残る六名が結託して、研究所を逃れた。今から約一年半前の秋のことです。そしてそのうちの一名が、研究所に戻った。それが、暁青年です」
「……あなたは、研究所で今どんなことが行われているか、知っていますか」
真田が、言った。
「今? 今現在ですか?」
そう問い直してから沢野は首を振った。
「そこまではまだ」
「神崎は遺伝子工学の専門と言うことだが」
「えぇ、それは間違いありません」
「その悠少年の能力は?」
「いいえ。あなたはご存じですか」
「……見ました。この目で」
真田は、乗りだしていた身を起こし、もう一度深く座り直した。
「彼の能力は、驚異的な治癒力です。神崎はその遺伝子情報を使って、不死の人間を作り出そうとしている」
そのとき、暁の口から出た言葉が沢野の脳裏に蘇った。
――不死、遺伝子、コピー。
「厳密に言えば、不死ではない。あれは不死ではなかった」
「あれ? あれ、とは?」
真田は、脇に立ったままの柴浦の方へ視線を向けた。
柴浦が、一つ頷いて後を受けた。
「お前が情報を寄越した、三好の松永だがな」
「あぁ、あいつか」
「あいつらが姿を消していた先が、その研究所だ」
「……な、に?」
「奴らはそこで、その『不死の遺伝子』を投与されて、身体を作り替えられた。傷を負っても瞬く間に元に戻る身体だ。その松永達が、若頭を襲撃した」
「それで」
「一度は何とか撃退した。だが、後日その忠と暁という二人が、わざわざ襲撃の予告に来た。松永がどうしても決着を付けたいと言うからと。我々は受けた。忠という男はその時、『実験だ』と言っていた。マウスで成功したから、次は人間だと」
その言葉にも、表情にも苦い物が浮かぶ。
「……神崎の目的は何だ?」
沢野が独りごちるように言う。
「コピー……松永のような人間を大量生産することか」
だが、柴浦は言えなかった。悠の笑顔が、胸に重くのし掛かる。
真田が、言った。
「松永に用いた物は、あくまでも研究の副産物だと思う」
「……なぜです」
「奴は、クローンを作ろうとしたのでしょう? 今も同じことをしていると考える方が自然ではありませんか」
「クローン? 一体誰の」
「悠君ですよ。驚異的な治癒力を持った、オリジナルだ。彼のクローンか、もしくは、その遺伝子を持つ第二世代を作り出すこと。作ってどうするかまでは知りませんがね」
「……」
「沢野さん」
「はい」
「その悠が、姿を消しました」
沢野が目を眇めた。唇を煙草のフィルターで撫でる。
「……神崎の元に戻った?」
「おそらく。我々は、彼を奪還したい」
真田の言葉にようやく得心がいった様子で、沢野が頷いた。
「それで、俺と」
「そう言うわけです。それなりに落とし前は付けたいが、神崎はお譲りしますよ。こちらは悠さえ取り返せればそれでいい」
沢野は、真田、東城、そして柴浦を順番に見た。そして手にしていた煙草を灰皿に押しつけた。
「決まり、ですね」
そして真田に手を差し出した。真田がそれを握る。
「しばらくはお互いの立場を忘れることにしましょう」
「えぇ」
「――公安、いや、沢野さん」
と、それまで黙っていた東城が、口を開いた。
「はい」
「俺から一つ頼みがあるんですが」
――……そーらきた。
と沢野は思った。
――大体、何か融通しろだの便宜を図れだのと続くんだよな。
今まで何度も経験した流れに、沢野は内心身構えた。
だが東城の頼みは、沢野の予想を裏切った。
*
瞬は、ぼんやりしていることが多くなった。
毎日見舞いに多くの人間が訪れたが、彼らと話をしている最中でも、ふとした弾みに深みにはまってしまう。
人前で涙を流すことは無くなったが、時折深い溜息を吐く瞬に、皆、掛ける言葉がなかった。
「……くん、瞬君」
肩に触れられ、びくりと過剰な反応を返してしまう。慌てて顔を上げると、ベッド脇の椅子に笙子が座っていた。
――いつから、いたんだろう。
「大丈夫? 気分悪い?」
「いいえ、大丈夫です」
何とか返事をする。いたわるような笙子の態度を申し訳なく感じて、瞬は手元に視線を落とした。
身体は順調に回復を見せ、点滴も昨日完全に外された。退院の許可も出た。
だが瞬は怖かった。あの広い家に帰るのが恐ろしかった。
「ねぇ、瞬君」
笙子が、声を掛ける。
「……」
「明日退院よね」
「……はい」
「あなた、明日からしばらくうちに来ない?」
「……え?」
咄嗟に言われたことが理解できず、瞬が顔を上げた。
「うち? って、どこの?」
「私のうちよ」
笙子が、何でもないことのように言った。
「部屋もたくさんあるし。ね? あなたをあの家に独りで置いておくのは心配だわ」
「……いけませんよ、そんなこと」
「なんでよ」
「東城さんに申し訳ないです。それに笙子さん、東城さんに相談もナシに言ってるでしょう?」
「だって」
「こんな得体の知れない若い男を連れ込んじゃいけませんよ」
「若い男って何よ、偉そうに! 瞬も悠も、私の大事な家族じゃないの!」
肩をそびやかし、きりりとした目で笙子が言う。
「東城が面倒見てる者はみんな私の家族よ! ってかね、大体私怒っているのよ! ずっと! あんた達二人とも、もうちょっと周りに相談してくれたっていいじゃないの。悠は勝手にいなくなるし、あんたは助けを求めてもくれなかった!」
「笙子さん」
「何よ!」
「しょうこさん」
「……何よ」
「……しょうこねえさん」
「…………」
「ね」
「……なによ……」
瞬が、笙子の手を取った。
「ありがとう」
「……」
「みんなが、僕のこと心配してくれて……感謝してます」
「そんな、こと改まって言うような事じゃないわ。当然じゃないの」
口を尖らせて、笙子が言った。こんな子供っぽい仕草も、東城は愛しているのだろう。
「少し一人になって、頭を冷やして考えたいんです。悠がいなくなったわけを」
「でもそれじゃぁ……」
「大丈夫です。もう、病院に担ぎ込まれるようなヘマはしません。ちゃんと食事も摂りますから」
そう言って瞬は笑った。
その笑顔を見ながら、前に柴浦が念を押したことを、笙子は思い出した。
瞬を子供として扱ってくれ、と、柴浦は言った。
だが瞬の態度も言動も、年相応の物に見えて首を傾げたものだ。
子供だというなら、もっとわがままを言ってくれても良いのに、と笙子は思った。
けれど。今目の前の青年を見て、笙子はようやくその意味が分かった。今の瞬は、危うすぎる。
普段の瞬なら、状況を冷静に分析できただろう。相手を――悠の胸の内を思いやることも出来ただろう。
しかし今、瞬は子供の純粋さと残酷さで悠への感情を募らせている。
――頭を冷やして、なんて大嘘だわ。
笑顔の下にあるのは、怒りや苛立ち、焦燥、不満、不安。悠への負の感情が渦巻いている。
それを言葉に出さずにいられるのは、抑えているからではない。単に経験がないからだろう。
笙子は、そんな感情は嫌いではなかった。
――それを昇華できるというなら、いいわ。
「分かった。でも毎日一度は顔を見にいくわよ。店の方は……」
「行きます」
「休んでも良いのよ」
「いいえ。行きます」
「……そう。店に出る以上は、ちゃんとしてもらうわ」
「はい」
「あとは……そうね、もうダメだと思ったら、大人を頼りなさい」
瞬は一度目を見開いて笙子を見た。
「耐えられないとあなたが言うまで、私達は何も言わない。でももう、一人で泣くのはナシよ。泣きたくなったら……悠のこと、罵って、詰ってやりたくなったら、私も一緒に聞いてあげるから。ね?」
――あなたの側にいるのは、悠だけじゃない。あなたを大切に思うたくさんの人がいる。そのことに気付いて。
瞬は、すぐに視線を逸らすと、ただ小さく頷いた。
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