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第八章 帰順と反逆 3

 悠の一日は食事だけで終わる。  朝、いつ目が醒めたかも分からない状態でぼんやりとしていると、職員が食事を運んでくる。  食堂に行けたのは最初のあの時だけで、後は足が動かず、結局この部屋で食事を取ることになった。  何とか半分ほどを飲み下すと、膳を脇に押しやる。  後はこの部屋でまたぼんやりと過ごす。  昼になるとまた膳が運ばれてくる。朝食の膳を下げ、代わりに昼食の分を置いてゆくので、またもそもそと半分ほどを口に入れる。  徐々に日が傾き、陽の光がオレンジ色に変わるのを窓から眺める。  やがて日が暮れると、また夕食が運ばれてくる。  夕食ともなると、もう半分も手を付けることが出来ない。二口三口を腹に入れて夕食は終わりだ。  それからしばらくして、職員が膳を下げにくる。  そのとき足の傷を確認される。  腱がつながってきていると判断されれば、後でまた別の職員がやってきて、初日に行われた拷問をまた繰り返す。  腱を切られ、血と汗で汚れた身体を濡れたタオルで拭き清めて、職員は帰って行く。  そしてまた長い夜が訪れるのだ。  そんな毎日がどれほど続いただろうか。  悠はだんだん自分の感覚が狂い始めていることに気付いた。  ぼんやりと窓の外を眺めていたとき、廊下で足音がした。  そのとき悠は、何の気なしに顔を上げてこう思ったのだ。  ――瞬が帰ってきた、と。  悠は、すぐに我に返った。そして戦慄した。  自分の中で、時が二年分巻き戻されている。  二年前から変わらないこの部屋で過ごす内、自分の記憶が混乱し始めているのだ。  記憶の混乱は、日を追う毎に酷くなっていった。  部屋に残されていた子供の本を手に取ったとき、思わず、瞬と真に話しかけそうになった。  台所に残されたカップを手に取ったとき、敬の名を呼びそうになった。  悠の目が部屋の中を見るとき、知らず知らず子供達の姿を探してしまう。  悠の脳は、あの成長した瞬の姿すら、この部屋の記憶から閉め出そうとしている。  研究所を逃げ出す前。瞬が大人になってしまう前。前へ前へと、記憶がさかのぼってゆく。  心が、軋んでゆく。  瞬が愛を囁いてくれた、あの毎日が消えてゆく。  自分を支えていた記憶が崩れてゆく。  ――僕は、いつまで正気でいられるだろう……?  そして、遂にその時が来た。 *  男が一人、部屋へやってきた。  そのやけにぎらついた目を見て、悠はその目的をすぐに悟った。  ……まだ日は高い。   夜だったら良かったのに、と、悠は男に組み敷かれながら思った。  暗闇なら、男の顔も、自分の身体も、何も見えないのに……。  男の目的は、いや、所長の目的はもう十分に分かっていた。  だからこそ、悠は演技をしなくてはならない。  あまりに従順すぎては、却って所長の猜疑を招いてしまう。  最初は嫌がって見せて、それから徐々に男に陥落してやらねばならない。  感じている風にも見せてやらねばならない。  そんなことをぼんやりと考えていたら、男が震える手で悠の着衣を剥いできた。  悠は仰向けに寝転がったまま、天井を見つめている。  男の不器用な指は、シャツのボタンを外すのにも相当手間取っているようだ。溜息を吐きたいのを何とか堪えて、悠は身体を捩ってみせた。 「やだ……」  抗う言葉を吐いてみる。すると、男の鼻息が荒くなった。  シャツを脱がすのは諦めたのか、今度は下半身を脱がすことに熱中し始める。  嫌がる素振りをしながら、もう一度身を捩って腰を浮かせてやると、ようやく男は下着ごと全てをはぎ取った。  顔を出した悠の性器に、男は顔を近づけた。  精液を汚染させないために、口淫は禁じられているはずだ。  ――どうでもいいからさっさと終わらせてくれ。  悠は、半ば苛つきながら男を見下ろした。  このだらしない顔に膝蹴りを食らわせたら、少しは気が晴れるだろうか。  だが悠は実行に移すことなく、目を瞑った。  男の指が悠の性器をしごく。  何とかそこから快感を拾おうとしたが、無駄だった。少しも気持ちいいと感じない。  当然性器は項垂れたままだ。男は悠の反応に焦ったのか、更に強く擦る。ただ痛く不快なだけの刺激は、しばらく続いた。  多少の演技はしたが、さすがにこれだけは演技のしようがない。出ない物は出ない。  小一時間ほども行為が続いただろうか。男はようやく諦めたようで、動かしていた手を止めた。  男は、のそりと立ち上がると悠の顔を見ることもなく、部屋を出て行った。  今日はこれで終わりか、と悠がうち捨てられた下着を手にしたとき、再び部屋のドアが開いた。  反射的にそちらを見る。入ってきたのは、先ほどとは別の男だった。  ――ご丁寧に、まぁ。  所長はどうあっても、精子を搾り取りたいらしい。  悠は、手に持った下着をもう一度手放した。  二番目の男は、性急だった。  悠の身体をうつぶせにひっくり返すと、いきなり悠の後孔に指を突き入れた。 「ひぅっ……!」  演技ではない声が漏れる。潤滑も何もない状態で、皮膚が、粘膜が攣れる。  男の指は遠慮も何もなく内へと突き込まれ、悠の背が痛みで撓った。  節くれ立った男の指が、身体の内側で卑猥に蠢く。  男の目的地がどこなのか、悠には容易に想像が付いた。  直接陰茎を擦っても勃起しない様を、この男は見ていたのだろう。  前立腺を刺激して、強制射精させるつもりなのだと悟る。  ――それはそれで構わないけど、痛い……。  悠は男の嗜虐心を煽らないよう気をつけながら、小声で「痛い」と訴えた。  しかしやはり効果はなかったようで、男の責め苦は一向に収まらない。  闇雲に擦られても痛いだけなのに。これでは精液を出す以前の問題だ。  悠はもう一度溜息を吐きたくなるのを堪えた。  男は悠と性行為をするつもりはないらしく、ひたすら前立腺への刺激を繰り返すばかりだ。  こんな情景は、滑稽としか言いようがない。  結局、悠はまた一度も射精することなく、不毛な時間をやり過ごした。  次にまた男が来た。  もう、悠はそちらも見ない。  いっそのこと薬でも使ってくれればいいのに、と悠は投げやりに思った。  こんな状態で所長に不審を抱かせるぐらいなら、薬で何も分からなくして欲しいとさえ思う。  けれど、三番目の男は薬を出さなかった。代わりに一つ容器を悠の脇に置くと、 「自分で出せ」  といって部屋を出て行った。  ――自分で?  そう言われて、悠は戸惑った。寝転がったまま容器を見つめる。  自慰など一度もしたことがない。瞬に触れられればすぐに身体は瞬を求めたが、それ以上の欲を内に燻らせたことはなかったのだ。  ――どうやって?  以前、瞬との情交の時に戯れに触れたことを思い出す。  悠は自分の項垂れた陰茎に触れてみた。自分の身体の一部なのに、まるで他人の物のような気がする。 『……悠』  そのとき、ぞくりと背筋に衝撃が走った。 「あ……」  驚いて、悠は声を漏らした。目を閉じて感覚に集中する。 『可愛い……あぁ、可愛い……』  瞬が、この身体に触れて囁いた声。押しつけられた身体の熱。悠の手に添えられた、長くしなやかな瞬の指。 『愛してる』 「ん……っ」  耳からではない。直接頭の中で瞬の低音が再生される。悠の陰茎が首をもたげた。 『ここ、気持ちいい?』  身体を重ねる日々の中で、瞬は悠の手を取って、一つ一つ自分の見つけた快感の芽を教えた。  瞬が辿った指の跡を、悠が追う。 「……ぁ、ふ、……んっ」 『ほら、もう濡れてきた』  とろりとした粘液が先端から溢れ出す。性器はすっかり芯を持ち、悠からの刺激を待ちわびている。  反応をつぶさに返す悠に、瞬は満足げにキスを落とした。 『俺がいないとき、したくなったらここを思い出して』  その前に俺が襲っちゃいそうだけど、と、瞬は笑っていた。  血管の浮き出た場所をこりこりと擦る。その行方を辿りながら先端に触れると、びりっと快感が走った。 「ん……っ!」 『逃げないで、怖くない』  息が上がり始める。 「……ぁっ」 『気持ちよくなれるから』  悠は、薄い皮膚の下の肉を感じた。屹立し、どくどくと脈うつ性器は、尚も物欲しげに揺れている。  悠は身体を起こした。容器を手に取ると、蓋を開ける。ワセリンでも入っていそうな大きめの容器だが、もちろん中は空だった。  そうしておいて、もう一度、瞬に教えられた場所を探る。  陰茎の付け根、陰嚢の際を強く擦った。 『悠はここが弱いんだよ』 「あ、あぁっ!」 『ビクビクしてる……可愛い……』 「う、んぅっ……!」  更に力を込めて擦る。けれど、足りない。瞬の指に追いつけない。 『痛くないか? もう少し強くても大丈夫?』  瞬はいつも悠の身体を気遣った。何度も悠の反応を確かめながら愛してくれた。  悠はもう一度同じ所を強く擦った。鋭い感覚が、背筋を駆け上る。 「ッ……!」  思わず叫びそうになった言葉を、すんでの所で飲み込む。  代わりに、涙が溢れた。 『もう、前だけじゃイけなくなっちゃったかな』  嬉しそうな、からかうような色を含む声のあとで、瞬の指が後ろに触れる。  茎を伝って後ろまで塗らしたぬめりは、媚薬のように粘膜を敏感にさせる。  固く閉じた口の回りをゆるゆると撫で回しているのは、一体誰の指なのか。  びりびりと走る後孔の快感を追っていると、停まってしまった片手を咎められた。 『手が止まってる』  笑いながら背中にのしかかる、瞬の体の重みまで思い出す。跳ね上がる自分の鼓動を、瞬の物だと錯覚してしまう。  悠は陶然としながら、両手で自分の身体を嬲った。 「ああ、ア、ぁ、あ、……!」 『イって』 「あぁぁッ!」  悠は痛みを感じるほど強く、性器を握った。 『イって、悠。僕の手で……』 「んぅっ……!」  呼吸すら忘れる。ちかちかと眼の奥で光が散り、悠は小さく瞬の名を呼んだ。  そして容器の中に、精を吐き出した。  すぐに男が容器を回収に来た。  今日はこれで解放されると言うことなのだろう。代わりに食事を置いていった。  だが、他のことなど考えられなかった。  ――瞬、瞬、瞬……!  悠は、自分の体を掻き抱いた。  全てを置いてきた。ここにあるのは、抜け殻だけだと思っていた。けれど身体は覚えていた。  ――覚えていた。僕は、君を。  悠は、声を殺して泣いた。

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