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第十一章 瞬間と悠久 4
重い殴打の音が幾重にも重なって、高い天井に響く。
敵味方が入り乱れ、激しくぶつかり合う。敵は十、味方もほぼ同数。
神崎の宣言通り、男達はほぼ素手で向かってきた。
迎え撃つ瞬たちも素手だ。後から合流したSATも銃器は使わず、素手や警棒など殴打の武器で応戦している。この状況では、銃は却って危険だろう。
男たちの攻撃は無秩序だった。
集団でありながら、それぞれが好き勝手に攻撃してくる。
暁が動きを束ねているわけではなさそうだと、柴浦は即座に判断した。
柴浦が今対峙しているのは三人。だがここでも彼らは連携を取るわけでもなく、互いにぶつかり合いながら柴浦に殴りかかってくる。
御しやすい。動きが読みにくいかと思えばそうでもなく、生半可にリズムがある。
おそらく元は格闘技に一通り精通している人間なのだろうが、暁に自我を奪われている分、動きが単調だ。
何度か殴打の技を繰り出した後で、柴浦の上体が起きたところに足技。このパターンの繰り返しだ。
ただ一点、彼らの異常な治癒力だけが厄介だった。
男達の治癒のスピードは、予想を遙かに超えていた。
柴浦が伸びてきた男の腕を取る。そのまま脇に巻き込んで稼働範囲外へとねじ曲げると、相手の肘を起点に骨の砕ける感触があった。
一瞬ひるんだ相手に更に畳みかける。男の横隔膜の辺りに肘を打ち込み、身体が離れたところへ今度は膝めがけて鋭く蹴りを入れる。
膝が反対側へ曲がった。
関節を破壊すれば、多少なりとも動きを封じることが出来るはず――と言う柴浦の目算は見事に外れた。
膝蓋骨を砕かれても、彼らは瞬く間に治癒し、立ち上がり向かってくる。
「クソ、こいつら、松永よりも治りが早い」
少し離れたところで、東城が男の脇腹に膝蹴りをたたき込みながら言った。
肝臓の辺りを抉るように強打され、本来なら一瞬で無力化される急所だが、それでも男は少し息を乱しただけですぐに反撃に出てくる。
「素晴らしいだろう」
スピーカー越しに神崎が言う。
「この治癒力。この回復スピード。先の検体とは比べものにならない完成度だ」
分厚いガラスの向こうで、愉快そうに神崎が笑った。
「……ったく、可愛げのねぇもの作りやがって……っ!」
スピードに乗って繰り出される拳を全て避けきり、東城は跳ね上げた勢いのまま掌底を突き上げた。
狙いすました攻撃は過たず顎に入り、男は仰け反った。
「お」
脳震盪のダメージで、男の足が縺れる。
「柴!」
「はッ!」
さすがに、脳へ与えられた衝撃は、身体の比ではないらしい。
柴浦は関節を狙うのをやめ、即座に頭部への攻撃に切り替えた。
東城がはじき飛ばした男のこめかみめがけて、上段回し蹴りを食らわす。
すさまじい音を立てて男が吹っ飛び、ガラスにたたきつけられた。
「沢野ッ!」
柴浦が叫んだ。他の男と殴り合っていた沢野が、すぐに顔を上げる。
「拘束具ッ!」
短く叫ばれた言葉に、沢野は瞬時に反応した。
目の前の男を蹴り飛ばすと、別で交戦中のSAT隊員に駆け寄る。その脇に下げてあった白い樹脂製の拘束具をひっつかみむしり取った。
その束を柴浦に放る。柴浦は慣れた手つきで、気絶しかけている男を後ろ手にまとめ、その親指と手首をバンドできつく縛り上げてしまった。
「足もだ!」
後ろから飛んできた声に、すぐに両足も拘束する。
男を床に転がして顔を上げると、ガラスの向こうで神崎が笑っているのが見えた。その腕の中には、未だ生死すら分からぬままの悠がいる。
その光景はあまりに不快で、胃の腑が焼け焦げそうだ。
柴浦は無理矢理視線を剥がすと、戦況の方へと頭を切り換えた。
柴浦に拘束具を放ってから頭が冷えたのか、沢野は再び戦いの輪に飛び込みながら周囲を冷静に分析した。
柴浦と東城は大丈夫だ。村瀬は元より状況への適応が早い。この異様な治癒力の相手にもすぐに慣れ、ひるむ素振りすらない。
飛びかかってきた相手に華麗に関節技を決めると、あらぬ方向へ捻って、関節を外している。確かに、折られた骨は癒着するだろうが、外れた関節は填めなければ戻らない。
村瀬は男の肩関節を外したままさっさと後ろ手に拘束してしまった。
SATの隊員達も既に動揺を見せていない。今し方の柴浦の行動で最善の方策を理解したのか、戦意を削ぐ攻撃ではなく、昏倒させる方向に転換している。大丈夫だ。
着実に、確実に敵は頭数を減らしていっている。
――あとは。
沢野は、部屋の中央を見た。周囲の抗争からぽっかりと切り離されたように、静かに睨み合う青年たちがいる。
――暁……。
*
こうしてちゃんと顔を合わせるのは、研究所を逃れてから初めてだった。
瞬は黙って暁を睨んでいる。敬と涼、真は、未だ迷いを残した様子で暁を見つめている。
端で様子を眺めていた忠が茶化した。
「おいおい、お前らいつまで睨めっこしてんだよ」
だが、忠が焦れているのは明らかだった。隠しきれない苛立ちが口調に滲んでいる。瞬が、暁から目を離すことなく言った。
「タダシ」
「あぁん? なんだよ」
「そのガラスの向こうへ跳べないのはなぜだ」
「あぁ、テレポーテーション? 出来なかったろ」
「なぜだ」
「さぁねぇ、……と言いたいところだけど、教えてやるよ。あのおっさんも、ダテに毎日俺の能力を見てたわけじゃねぇってことさ」
敬が眉を顰めた。
「テレポーテーション能力を阻害しているのか」
「理屈は良くわかんねぇけど、そう言うことらしいぜぇ。ガラス、つーか、あっちのパーテーションには跳べないようにしてあるって――」
「タダシ」
神崎の声が被さった。
「んだよ、別に種明かししたところで、こいつらには何にも出来ねぇだろ」
「無駄口を叩くな」
「へぇぇい」
瞬は暁を凝視しながら、何とかして向こう側へ行く方法を考え続けていた。
敬の能力は使えないことが分かった。向こう側の扉の鍵は特殊な物だと沢野が言っていた。生体認証か複雑なパスコードを使うのか。もしかしたら、一方通行の扉なのかもしれない。所長が入ってきた側の扉の回線に侵入してコードを読み取ることも考えたが、きっと所長のことだ、セキュリティは万全だろう。下手に手を出して、逆にシステムを破壊されたら厄介だ。
――正面切って、このガラスをぶち破るしかないか。
「暁」
瞬が言った。
「引くつもりは、ないか」
「……ない」
暁が答えた。敬が、そっと真を背後に隠す。
「そうか」
瞬が床を蹴って、跳ねた。
後ろから大きく回された右踵が暁の顎を狙う。暁は軽く仰け反って、ぎりぎりでそれを躱す。
瞬は空中で身を反転させ、今度は左足を振り抜いた。ごう、と風を切る音と共に、暁のこめかみの上を爪先が擦過する。
かすっただけの衝撃にもかかわらず、暁の視界が一瞬ぶれた。
瞬は着地と同時に踏み込み、間合いを詰める。
臂で鳩尾を打ち、暁が身体を折ったところへ、腕ごと跳ね上げて掌で顎を突き上げる。
暁は、ヒットする寸前で相手の腕を払った。続けざまに襲い来る腕から辛うじて逃れる。勢いを削ぎながら受けとめるが、瞬の殴打の威力はそんな程度で押さえられるものではなかった。
終いには勢いを殺しきれず足が縺れる。
傾いだ身体めがけて今度は膝が食い込む。
だがその寸前。
暁が消えた。
否、消えたのではなかった。忠だ。
瞬の攻撃の届かない距離に、忠が暁の腕を取って立っていた。
「く……」
瞬が唇を噛んだ。サシの勝負なら負ける気など毛頭ない。だが、忠の能力を使われたら――。
ところが、瞬が考えを廻らせるより先に、暁が言った。乱暴に忠の手を振りほどく。
「お前は手を出すな」
「……へぇ」
忠が言った。
「お前勝つ気あんの?」
「……」
「それともナニ、負けてやるつもり?」
「……」
暁は答えない。忠の顔が、楽しそうに歪んだ。歯を剥き出しにして笑う。途端に、平凡な顔が凶暴なものへ変わった。
「お前、罪滅ぼしのつもりとか、甘いこと考えてんじゃねぇだろうな」
「……余計な気を回すな。お前には関係ない」
「あー、そう。そんなにこの坊やにお仕置きしてもらいたいんだ」
暁がはっと顔を上げた。忠を睨み付ける。
「貴様……」
「んじゃぁ、良いこと教えてやるよ」
忠が、笑い声を上げる。そして暁ではなく瞬を見た。
「なぁ、坊や――」
「黙れ、タダシッ!」
暁の腕が忠の喉元を狙って掴みかかった。しかし、その前に忠は跳んだ。
跳びながら声は続く。
「暁はな、お前の――」
「黙れっ!」
「大事な大事なカワイコちゃんを――」
めまぐるしく跳び廻る忠を、暁は捕まえることができない。
「無理矢理犯した! お前に化けてな!」
一瞬、言葉の意味が分からず、瞬は惚けたように暁を見た。
甲高い声で笑い転げる忠の声は、尚も続いた。
「暁に犯されながら、悠はお前の名前を呼んでた! あははは! 良かったじゃねぇか、お前、捨てられたんじゃなくてよ!」
瞬の胸に突如、得体の知れない感情が沸き上がった。
それは怒りではなかった。悲しみでもない。
「暁……」
我知らず漏れた声に、暁がびくりと肩を震わせた。
ただ、やるせなく、そして――哀れだった。
「暁……」
暁はそれを非難の声と取ったのだろう。唇を噛んでうつむく。わずかな沈黙の後、その口からか細い声が漏れた。
「許してくれとは、言わない」
心細げに震える声は、瞬の知らないものだ。
「俺は……」
だが暁はそこで口をつぐんだ。忠の、神経に障る声が被さる。
「言えよ! アキラ! あいつを奪ってやりたかったんだろ?」
忠が離れたところからわめく。その背後に突然現れた影があった。
敬だ。
忠の背後に跳んだ敬は、無言で忠の頸椎を狙った。両手を組んで、首めがけて振り下ろす。
しかし、攻撃はあえなく空振りした。瞬時に跳んで逃れた忠がおどけて言う。
「っぶねぇなぁ」
「……お前の相手は俺だ」
「へぇ」
忠の口の端がまた歪んだ。黄色い歯を見せつけるように笑う。心底楽しそうだ。
「お前の力が、俺に敵うとでも思ってんだ」
「俺一人じゃない」
敬が言う。その言葉に被さるように、忠の顔に突然、むわりとした熱気がぶつかった。忠が、目を眇めてもう一方の青年を見た。
「二対一だ」
涼が、揺らめく熱気の向こうで言った。
*
瞬は、暁をじっと見つめていた。忠も、敬と涼も、何も彼の目には入らない。
「暁」
「……」
「言えよ」
「……何をだ」
視線を合わせることなく、床を見つめたまま暁が答えた。
「俺に言うこと、あるだろ」
「……ない――」
「言えよ。ずっと飲み込んできたんだろう?」
言葉を飲み込んで、蓋をして、挙げ句に肚の中で腐らせてしまった。
「暁」
瞬は予告もなく、暁めがけて足を踏み出した。そのまま流れるような動作で左の頬を狙う。
繰り出された拳は綺麗には決まらなかった。わずかに逸らされ、相手の皮膚の上を滑る。
皮膚を抉った拳が裂傷を作り、暁の頬から鮮血が散った。
「く……ッ」
「言えよ、この大バカ野郎!」
瞬は拳を引かず、そのまま振り抜くとその勢いに乗って身体を捻り上げた。踏み出した左足を軸に、右足を振り上げる。
ゴッ、と重い音がして、瞬の踵が暁の外耳にヒットした。体重の乗った蹴りをまともに受けて、暁の身体が横に吹っ飛んだ。
「悠が欲しいって。悠を愛してるって言えよ……っ!」
咄嗟に受け身を取って、暁の身体が床を転がる。一メートルほど先で蹲る暁に、瞬がゆっくりと近づいた。
「……言えるかよ」
足音に向かって暁が言った。頭を振りながら立ち上がり、床に血混じりの唾を吐く。歯が折れたのか、口からの出血で首から襟元が真っ赤に染まっていた。
「言えるかよ! 人殺しの俺の手は血まみれで、悠の隣にはお前がいて」
握りしめた手がぶるぶると震えている。
「真っ白でまっすぐなお前たちの横に、俺が立って良いはずがない!」
激情が、暁の口から迸る。
「それなのに、俺はお前に嫉妬した! 悠に愛されるお前が妬ましくて、だから……、だから、俺は、お前に」
その目が抑えきれない感情に揺れる。
「お前になりたかった……」
もてあました感情を神崎に利用され、一途だったはずの愛情をこんな歪んだ形に育て上げてしまった。
「暁」
静かに瞬が言った。
「俺も、同じだ」
まるで写し絵のように。
鏡像のように。
「……俺も、ずっと引け目を感じてた。暁には敵わない。暁に負けたくない。暁に奪われたくない。……暁が居なければいい。そんなことばっかり考えてた」
自分の幼さを嘆いて、大人達を羨んだ。悠から向けられる好意は、結局同情なのだろうと拗ねた。悠に好かれているなんてうぬぼれることも出来なかった。
拒絶されるのを恐れて顔色を窺って、肝心な事には踏み込めないまま、上辺だけ穏やかな時間が過ぎていった。
挙げ句に悠が自分の下を去って、自分の力不足を呪った。自分の思いが悠に伝わらないことに焦れて八つ当たりした。
自分がどれだけ愛しても、悠はそれを捨てて去っていった。悠に心が届かないことが、どうしようもなく腹立たしかった。
他人と自分を比べては、自分のあら探しにばかり必死になっていた。
「俺は自分の気持ちに振り回されて、悠の事を全然考えていなかった。悠がどう思っているかなんて考えようともしなかった」
結局、誰も彼も皆自分勝手だ。一方的に愛を振りまいて、同じ愛を返してもらえないからと勝手に傷つく。
「悠の隣に立つ事を許すかどうか、決めるのは俺でも、暁でもない。悠が決めることだ」
「でも俺は」
「お前は悠に一言、言えば良かったんだ。愛してる、って。……それだけで、良かったんだ」
暁が顔を上げた。その視線の先にあるのは瞬ではない。彼の向こう、未だ意識のない悠を見遣る。
「……手遅れだ」
「……」
「俺が悠を抱いたときに、もう全部終わったんだ。俺はお前になれなかった。俺は……俺に、なれなかった」
暁はもう一度床に血を吐き出した。そして腕でぐいと口元を拭うと、初めて瞬に目を合わせた。
その表情は穏やかだった。狂おしい胸の裡を押し込めるように、口角を上げる。
「話は終わりだ。瞬」
二人とも分かっていた。
もう、戻ることは出来ないのだ。穏やかに守り守られ、慈しみ合った幼い日々はすでに遠く去ってしまった。
激しく胸を焦がす恋情を、甘く疼く残酷な愛を一度知ってしまえば、もう、戻れない。
「なぁ、暁」
「……」
「俺が、お前を止めてやる」
「……」
「来いよ」
暁がすっと右足を引いた。口元から散った血液が床に落ちた。
「来い、暁」
――同じ恋をこじらせたんだ。
「幕を引こう」
*
――クソ、ちょろちょろと……!
敬は、テレポーテーションで跳び続ける忠を必死に追っていた。忠が跳ぶのに合わせて敬もまた跳ぶ。
その有様はまるで細切れのアニメーションのようだ。忠は部屋の外へ逃げることはせず、部屋の中を縦横無尽に跳び廻っている。
捕らえたと思って掴みかかるも、その手は幾度となく空を切った。せめて涼の助けにと足止めを試みるも、無駄なあがきを繰り返す。
キツイ。
連続で跳び続けるのは限界がある。
それは忠でも同じのはずなのに、忠は敬を嘲笑いながら逃げ続けている。
さすがに、敬と涼の二人を相手に、瞬や他の者たちへ手を出す余裕のないのが救いだ。
敬は跳ぶのをやめた。追いかけっこを続けていても消耗するだけだ。
一瞬でいい。忠のスピードを上回ることが出来たら。
敬は涼を見た。涼もまた、忠を目で追うのをやめていた。やはり視覚で追いきれるような動きではないのだ。
涼は一度大きく息を吸うと、中空に視線を据えた。視野を広くとり、視界全体に部屋を収めるようにする。そうしておいて、背後にまで目配りするのをやめた。
背後から襲うなら、襲えばいい。逆にチャンスだ。
涼の握りしめた手に力が入った。同時に、部屋の温度がまた急激に上がる。
動き回る忠相手に、ピンポイントの温度操作はできない。
まるでサウナのような室温に、敬は身体の水分が奪われて行くのを感じた。
周囲への影響が大きすぎる。早く決着を付けねば――。
左拳が暁の右脇腹に入った。暁がうっと息を詰める。そこへ瞬の渾身の右ストレートが頬を抉った。
「……が、ッ――」
骨の折れる鈍い音が聞こえた気がした。
暁が呻く。そしてよろめきながら瞬の腕を取った。瞬の攻撃は、のらりくらりとかわされている。いくつか入った攻撃も、微妙に勢いを殺されて決定打にならない。
暁は瞬の背後に回ると、取った腕を身体の反対側へ捻り上げて折りにかかった。瞬は腕を引かず、逆に思い切り仰け反る。後頭部が相手の額に激突した。
衝撃で緩んだ腕をふりほどき、振り向きざまに裏拳で眉間を狙う。
その腕を難なく弾き、暁の足が瞬の右足を掬った。
身体が宙に浮く。
喉を押さえ込まれ、そのまま床へとたたきつけられる。
頭が床に衝突する寸前、瞬は咄嗟に喉を押さえる腕を取った。それを軸に、残っていた左足を思い切り振り上げる。
逆上がりの要領で身体を折ると、足を暁の首に巻き付けた。
そして自分の首に掛かったままの暁の腕を強く引き、体勢が崩れたところへ一気に体重を掛けて身体を捻った。
「ぐ……」
たまらず、暁は仰向けに倒れ込んだ。二人して床に放り出される。
瞬はすぐに跳ね起きた。一瞬強烈な目眩に襲われるが、無理矢理それを押し込める。
暁も身を起こすが、瞬の方が早い。
瞬はその隙を突いた。即座に暁の背後を取る。そして無防備な相手の首に腕を掛けた。
そのまま思い切り締め上げ頸動脈を塞ぐ。
暁は逃れようと藻掻いたが、今や体格は五分だ。瞬は精一杯の力で暁を押さえ込んだ。
数秒の後、不意に暁の抵抗が止んだ。
「アキ――」
暁が落ちる寸前、その耳元で瞬が囁いた。
「暁」
好きだった。頼もしいその腕は、瞬と真をいつも守ってくれた。血のつながらない子供を大切に育ててくれた。
道が分かたれようとも、心が、思いが離れようとも。
今でも……。
「大好きだよ、兄さん――」
一瞬、暁の手に力が込められた。が、すぐにそれはだらりと垂れ下がった。
「……い、てぇ……」
瞬は自分の拳を見た。暁の頬を殴ったとき、当たり所が悪く指の骨が折れてしまったらしい。指を伸ばそうとすると激痛が走る。
痛みを堪え身を起こした時だった。
がさり、とマイクロフォンが雑音を拾った。
思わず顔を上げる。と、ガラスの向こうから瞬を見ている神崎の目とかち合った。
暁が倒れ、彼の兵隊達も次々と拘束されているというのに、神崎は余裕の表情でこちらを見ている。
その口元が、勝ち誇ったように釣り上がるのを見た。
――なんだ。
神崎は笑っていた。
――なにが……。
何か不穏な物を感じ、瞬は動きを止めた。と。
瞬の耳が、かすかな声を聞き取った。
「――ゅん?」
仕掛けられた高性能のマイクロフォンは、声と共に押し出されたあえかな吐息まで拾い上げた。
その瞬間、あらゆる音も映像も、今為さねばならなかったはずのことも、全てが瞬の中から消し飛んだ。
唯一、その声だけが耳に届く。
体中の血液が沸騰した。
「あ、ぁ……」
魂ごと引きずられるように、瞬の足が声の方へと動く。
――悠、ゆう、悠……っ!
言葉にならない呻きが漏れる。
意識を取り戻した悠は椅子に座ったまま、くずおれそうな体を必死に支えて、瞬を見ている。
二人の視線がようやく絡み合った。
「ゆ――」
悲鳴が、聞こえた。
それが誰の上げたものだったのか、分からない。
瞬はただ、ガラス越しに悠の目が大きく見開かれてゆくのを見ていた。
同時に、脇腹に酷く熱い何かを押し当てられたような鋭い衝撃を感じた。
誰かが、自分のすぐ脇に立っている。
腕を振り上げると、その腕を取られた。
「よそ見はいけないなぁ、ボーヤ」
男が、瞬の耳元で笑った。
「な……、に?」
自分の身に何が起こったのか、理解できない。
ガラスの向こうでは、悠が椅子からずり落ちようとしていた。下半身が思うように動かないのか、床にへたり込んだ身体を引きずって、それでも必死にこちらへと近づこうとする。
「ユウ……」
思わずガラスに手を伸ばす。
「――ぐ、ぁあぁッ……!」
衝撃が、激痛に変わった。
「よそ見は、いけないって言ったろ?」
思わず痛みの元に目をやると、忠の手に握られたナイフが深く、回転しながら腹に潜り込んでゆくのが見えた。
――刺された、のか?
ようやくそこに思い至ったとき、忠がナイフを引き抜いた。
「瞬っ!?」
「瞬さんッ!!」
「――このッ!!」
周囲の喧噪が一層酷くなる。
瞬は、身体からほとばしり出る血液を、どこか他人事のように見ていた。
「覚えてンだろ? 俺が、カワイコちゃんの腹にコイツを刺したときのこと」
耳元で囁くと、忠は瞬を突き飛ばした。踏みしめようとしたが、足は簡単にもつれる。急激な血圧の低下で、目の前が真っ白になる。
咄嗟に駆け寄った柴浦が、倒れかかる瞬を後ろから抱き止めた。そのまま身体を捻り込んで瞬の身を相手から庇う。
だが、忠はそれ以上踏み込んでこない。代わりに、あの癇に障る声で高く笑った。
「もう一度あいつの腹に刺してやる約束だったけどさ、ま、お前で代わりにしてやるよ」
うそぶいた忠の前に、敬が飛びだした。
ほとんど体当たりのような格好でぶつかり、勢いに乗じて臂から裏拳を振り抜く。
体勢を崩された忠は、よろめきつつも上体を捻ってそれを躱した。
「くっ……」
だがそれは囮だった。忠の視界の外からすさまじいスピードの右回し蹴りが飛び込んできた。敬の踵が忠の頭部を狙う。
その足がこめかみに当たるギリギリで、忠は再び逃れた、かに見えた。
忠が跳ぶ。その刹那、忠の視界がぐらりと揺れた。
避けたと思った攻撃は、寸毫の差で忠の脳を揺らしていたのだ。
急激な吐き気に襲われ、跳び出した先で膝を突く。
すぐにまた跳ばねば捕まる――。忠はよろめきながらも何とか立ち上がった。しかし彼がふたたび跳ぼうとしたそのとき、猛烈な冷気が忠を包み込んだ。
つい今し方まで熱気に包まれていた身に、それは衝撃だった。
思わず息を吸い込んだ忠は、すぐに己の失態を悟った。
冷気が気道を凍らせる。
身体の内側が、灼ける。
咳き込んだ挙げ句、更に冷気を吸い込んだ忠は、呼吸ができなくなる恐怖に襲われた。
肺までが凍り付いて、息を吸い込むことが出来ない。
それでも酸素を取り込もうと喘ぐ忠の前に、涼が立った。
忠が見上げたその先にあったのは、激しい怒りに燃える瞳だった。
「い、きが――」
「苦しめ」
「たの、む、いき……でき、な」
「ゆっくり、ゆっくり凍らせてやる」
膝を突いた忠の腹を、涼が蹴り上げた。
もはや跳んで逃げることも出来ず、忠は床に倒れ伏し、のたうち回る。
「すぐには殺さねぇ。半分凍らせた後でじっくり中から焼いてやる」
忠が、上手く動かなくなった顔を恐怖に引きつらせた。
これまで強者の立場でしかなかった忠が、今初めて、見下ろされる恐ろしさに戦いている。
それを冷笑で受けとめて、涼の足が相手の胸を踏みつけた。
じりじりと加えられる力が、肋骨を圧迫し、やがてその骨を砕いた。
「あ、ぐ、がァァ……!」
涼の身体はすでに霜をまとい、冷気で白くもやが掛かっている。
「それとも、このまま完全に氷漬けになる方が良いか?」
あと少し涼が力を込めれば、ものの数分で心臓が凍り付く。それを楽しむように涼は笑った。
涼の足に更に力が加わる。折れた肋骨が内臓に刺さる。
その涼の腕を、脇から伸びた手がとった。
「……ケ――」
「やめろ」
静かな声が涼の耳を打った。
「やめろ、涼」
「……離せよ。こいつにも同じ目に遭わせてやらなきゃ気がすまねぇ」
涼が小さな声で言った。落ち着いているようにも見える彼の手が、声が、怒りで小刻みに震えていることに敬は気付いていた。
「これを痛めつけても、所長は堪えないぞ」
冷静な言葉に、涼が視線を跳ね上げ神崎を見た。男の顔は未だ愉悦に歪んでいる。自分の息子が痛めつけられる姿にも、心動かされた様子は微塵もなかった。
「――クソっ!!」
敬の手が冷気で凍り付く寸前、涼が力を緩めた。言葉にならない罵詈雑言を吐き捨てる。
そして、目の前で激しく咳き込む忠の襟首を掴み上げると、ありったけの力を込めてその顔を殴りつけた。忠は短く呻くと、そのまま床に激突し意識を失った。
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