59 / 60

第十一章 瞬間と悠久 5

「……シュ……」  掠れた音声が、呼吸音に混じる。  瞬へとにじり寄ろうとする悠の、傷ついた足首を神崎が踏みつけた。 「……あぁぁぅぅ……」  悠が仰け反り、髪を振り乱す。叫び声を上げることも出来ず、ただ力ない悲鳴が余計に瞬の胸を掻き毟る。 「良かったな、瞬」  神崎が言った。 「生きていたぞ?」  その言葉に瞬が胴震いする。悠は生きていた。生きて、自分の目の前にいる。  脈が激しく打つのは、出血のためか怒りのためか、自分でも分からない。意識が混濁しそうになって、瞬は脇腹の傷に手を添えた。そのまま強く傷を握る。 「う、ア゛ァ……ッ!」 「瞬さんっ!」  自分を掻き抱く男が上から叫んだ。短く浅い呼吸で息をつなぐが、それでも上手く酸素を取り込めない。 「早く手当を!」 「……いい」  瞬が、血だらけの手を振った。指が柴浦の腕に当たると、そのままぐいと身体を押し離す。 「瞬さん!」 「……悠の」  独り言のように呟く。 「悠の、そばに」  精一杯の力で柴浦を剥がすと、瞬は無理矢理立ち上がった。ふらつく足が、それでも一歩、一歩と先へ進む。  まるでガラス越しの悠の手を掴むように、瞬の手が前を彷徨う。 「……来たよ……やくそく、君を、たすけるって」 「シュ、ン――」  はっきりと名を呼ぶ声が聞こえた。瞬の目から、涙が溢れ出た。  胸が震える。こんな状況で、酷く傷ついた悠を目の前にしてそれでも尚、歓喜が沸き上がるのを抑えられない。  己の片割れがここにある。この身をじりじりと焼き続けた飢餓が急速に薄れてゆく。  痛みも苦しみも、もう何も感じない。 「だめ、……だめ、早く、……」 「いっしょに、かえろう?」  瞬の手がガラスに当たった。血糊がべったりとガラスに付く。その向こうで、瞬が泣きながら笑った。    瞬が泣いている。瞬が傷ついている。血を流している。  誰だ。誰だ。誰がやった。 「そうだ、瞬君」  誰だ。誰が君を傷つけた。 「君の能力は素晴らしい。電気を操る力!」  やめろ。やめろやめろ。 「君にそんな力があったとは。君がここにいる内に知りたかったよ」  僕の。僕の瞬。僕の大切な人。僕のたからもの。……金の小鳥。 「君の力があれば、この世のセキュリティなどないも同然だ」  瞬に、そんな話を聞かせるな。 「どうかね、君。ここに戻ってくる気はないか? 君の能力を研究し、分析し、君の能力を培養しよう」  やめろ……やめろ、やめろ! それ以上言うな――。 「君が戻ってくるなら、悠は解放してやっても良い」 「やめろーッ!!」  悠が叫んだ。 「やめろ! 瞬にそんな言葉を吹き込むなッ!!」  床に這いつくばったまま首だけを起こし、悠が叫ぶ。それを神崎は、嘲り笑った。 「……随分と余力を残していたようだな。まったく、お前には騙されてばかりだ」  神崎が身を屈めた。  悠の襟首を掴み、大した力も入れず片手で悠を持ち上げる。喉が締まり思わず咳き込むと、悠の喉から血が飛び散った。 「叫ぶと喉が裂けるぞ」  言いながら、悠の身体を辛うじて足が付かない高さまで持ち上げる。  乾ききった喉の粘膜が引き攣れ、裂けた部分から溢れ出た血液が神崎の手を汚した。痛みに悠はわずかに眉を寄せたが、彼の目ははっきりと神崎を射貫いている。  神崎はそこに、怒りの炎の燃え上がるのを見た。  神崎を前にして悠はいつも、恐怖におののき震え、許しを請い、終いにはそれすらも諦めて視線を落とし、ただ従順に神崎の命に従っていた。  悠は強者におもねり、床に這いつくばるだけしか能が無い敗者だ。 「生意気な」  不愉快だった。  悠は単なる手駒だ。兄を蘇らせるためだけの存在。金づるであり、商品。そういう意味では価値があったが、それだけだ。  そこに人の意志や感情など不要だ。将棋の駒が勝手に歩き回ってはゲームにならない。  神崎は悠の血で汚れた自分の手を見た。そして汚らわしい物でも見たように眉をひそめると、手を振るって悠をうち捨てた。  ポケットから取り出したハンカチで汚れを拭い、それも床へと放る。  悠は身体を支えられず床に蹲っている。その身体の下につま先を差し込むと、神崎は悠の身体をひっくり返した。  悠が息を吸い込む間もなく、神崎の足が悠の腹を踏みつける。 「は、ぁ……ぐ……ッ」 「悠さんっ!!」  思わず声を上げた柴浦へ、ちらりと視線を投げると、神崎は悠にのし掛かる足に体重を乗せた。  内臓を押しつぶされ、悠が呻く。 「この舌は、要らんな」  一つ一つ検分しながら不要なものを選び取る。 「目も要らん。だが貴様の能力に予知夢があったか。まぁそれなら、眼球を摘出して調べるのも悪くない」  猛禽の視線が悠を舐めた。 「耳、腕、足……どれも貴様には不要だ。勝手に動けぬよう、全部切り落とすことにしよう」  脅しではない。それを見せつけるように、神崎は自分の足を、投げ出された悠の腕へ動かした。 「やめ――!」  誰が発した叫びだろう。神崎は躊躇うことなく、足を踏み下ろした。  ごきん、と固いものが折れ砕ける音をマイクロフォンが拾う。だが、悲鳴はなかった。 「貴様の我慢強さだけは、賞賛に値する」  神崎を見返す目には、なぜか強い輝きがある。痛みと侮辱を与え続けているというのに、その光は失せることなく、一層強さを増しているように見える。  神崎は、初めて違和感を覚えた。 「瞬に手を、出すのは、許さない……」  絞り出された言葉を、神崎は鼻で笑った。 「貴様の許しなど要らん」  切って捨てる言葉の裏に僅かな苛立ちが混じる。 「素材の分際で、私に指図するな」 「……素材?」  悠が言った。 「僕が、素材?」  悠の身体に細かな震えが走った。その様子をつぶさに見ていた柴浦は、彼が泣いているのだと思った。  だが違った。  身を捩り片方の腕を支えに起き上がった悠は、迷うことなく神崎を見上げた。そこにあったのは喜色に頬を染めた顔だった。 「僕の力? 僕の遺伝子? 僕の精子? あなたが、欲しいのはどれ?」  口の端をつり上げ、目は蛍光灯の光の下でさえ異様な輝きに満ちている。  痩せこけ血の気のない顔の中で、目の大きさだけが滑稽なほど大きく映る。  柴浦は、ぞくりとした悪寒を感じた。今まで悠がかけらも見せたことのない表情に、ひどく焦る。  ――なんだ、これは……。 「あなたは何でも欲しがる。一つ満たされるとすぐに次が欲しくなる。あなたは……強欲だ」 「……なにが、言いたい」 「欲しがるだけ欲しがって、その中身が空っぽなことにも気付かない」  悠の声は、乾いた口腔に舌が引っかかって、まるで酔っ払っているように聞こえる。  ――悠さんは、何をするつもりだ。  柴浦の焦りは更に焦りを生む。今すぐ悠を止めなければと思うのに、ガラスに阻まれ今すぐその身を庇うことも出来ない。  悠は神崎を煽って、隙を生み出そうとしているのだろうか。  どうやったら悠をあの部屋から助け出せるのだろう? 出入り口は特殊な鍵で閉じられている。  思わず沢野の方へと振り向くが、そこにあったのは自分と同じ顔だった。打つ手をひねり出そうと口元を歪め、前方を凝視している。  次から次へ、助ける手段が浮かんでは消える。  その間にも、悠は神崎へ言葉を投げつけ続けている。 「あなたがしてきたことは全て無駄だ」 「無駄ではない。あと少しで、私の研究は完成する」 「僕の治癒能力を使って?」 「そうだ、お前の――」  悠の顔が酷く歪んだ。ため息のような吐息に重なって、密やかな笑みが漏れる。 「……なにが、可笑しい」 「あなたは、本当に気付いていなかったんだな」  神崎の表情が一層険しくなる。  二人は、互いの言葉に呑まれたように、相手から視線を外すことも出来ずにいる。  二人の後ろで、小野寺もまた二人を凝視していた。 「何のことだ」  神崎が呻いた。 「貴様、一体何を……」 「僕の治癒の力は、もう消えている!」  高らかにそう言い放つと、悠は自分の足首からガーゼを剥ぎ取った。 「あなたは自分の都合の良いことにしか目を向けない。だから、僕の傷が治らなんて思いもしなかった」  柴浦は、悠の足首の傷を呆然と見た。むごたらしい傷には赤黒く乾いた血と、黄色い血漿がこびり付いている。皮膚と肉は無残にえぐり取られ、白っぽい骨までもが剥き出しになっている。  悠は神崎を、挑みかかるように見た。 「力が……消える……?」  その可能性を、微塵も思いつかなかったのだろう。神崎は戸惑いを隠すことも出来ず、ただ言葉を繰り返す。 「あり得ない。遺伝子レベルで得られた能力が途中で消えるなど」 「あり得ないんじゃない」  悠は言い放った。 「あなたはただ、目を逸らしたんだ」 *  小野寺は、神崎の顔色が変わって行く様を、どうすることも出来ないまま見つめていた。  怒りと呼ぶにはあまりにも苛烈な感情を、神崎が剥き出しにしている。 「違う。何の根拠もない貴様の思い込みだ」 「そう思いたければ思えば良い。あなたは自分に都合の良いことだけに浸っていれば、それで幸せなんだから」  どこにこれだけの力が残っていたのだろう。  悠ははっきりと笑みを浮かべ、力強い口調で神崎を煽り立てていく。 「そうやって、何度も何度も、作り直しては失敗するんだ」  小野寺の背を冷たい物が駆け抜けた。  悠が、禁忌の言葉を口にしようとしている。  彼の目の前で、二人の間の何かが膨れあがり弾けようとしているのを感じる。 「……言うな、悠、いけない……!」 「あなたには、お兄さんを作ることは、永遠に出来ない」 「……きッ、さまぁッ……!」  完璧にコントロールされていた感情が、その一言で呆気なく爆発した。飄々とした仮面を脱ぎ捨て、怒りにまかせて悠を蹴りつける。  その背後では小野寺が驚きに目を見開いていた。  確かに、悠に昔話をした。せがまれるまま、無聊に任せて自分たちの関係から、神崎の兄のことまで。  それは閉じ込められた者の秘密の共有だった。どうせここから出ることは二度とないのだからと、投げやりな気持ちも手伝って打ち明けた。  それを悠はなぜ今、この場で明かしているのだろう。神崎の怒りを買うことなどわかりきっているのに。  ただでさえ上手く働かない頭を抱え、小野寺は混乱のあまり呆然と彼らを見つめた。  悠は踏みつけられながら、尚も続けた。 「あなたがどれだけ足掻こうと、不可能だ」 「不可能ではない!」 「不可能だよ」 「何を――」 「お兄さんは死にたがっている」 「貴様に何が分かるッ!」 「分かってないのはあなただ」  相手を小馬鹿にする口ぶりはわざとらしい。それでも、神崎は自尊心を傷つけられ更に眦をつり上げた。 「生きている間も身体にメスを入れて、死んだ後までもずっと身体を弄られて……。たとえ細胞の一つ一つになっても、もう静かに眠りたい、って、それだけを考えている。その力はとても強くて、今の僕の力ではもう留めることは出来ない」 「そんな安っぽい作り話を誰が信じる」 「あなたには、お兄さんの声が聞こえない。聞こうともしない」  いつの間にか、殴打の音は止んでいた。ガラスのこちら側では、不死の兵たちは動きを止めていた。暁の意識がないからか、支配者である神崎が悠に全精力を傾けているからか。  神崎と悠のやりとりに気を取られていた村瀬は、我に返り周囲を見渡すと、残っていた男たちを手早く拘束した。そして残っていた隊員に搬出と待機を命じる。技術解析班から解錠の報告はまだ無い。  村瀬は沢野を見た。沢野もまた、息を呑んで神崎と少年の様子を見つめている。  本来の目的である北の工作員に動きはない。催眠でもかけられたように、通訳と二人で椅子に腰掛けたままだ。  この異様な状況の中、不思議なほどに静謐な悠の声が響いた。 「眼を開けて、声を聞いて。あなたの側には、ちゃんとあなたを愛してくれる人がいたのに」  一瞬、小野寺は神崎の意識が自分に向けられたような気がした。  視線が絡むことはない。彼は自分に背を向けたままだ。けれどその感覚は確かにあった。そして、すぐにそれは掻き消された。 「……私が欲するのはただ一つだ。他のものなど必要ない」  そう言うと神崎は胸の前に握った手を上げた。ことさらに時間を掛けてその手を開く。  手のひらに載せられた小さな機械。それを悠はただ静かに見つめた。 「私に必要な物と、私に不要な物。世界はその二つだ」  瞬はかすむ視界の中、目を凝らしてその機械を見た。  それまで、その機械を見た事は無かった。だが、それがなんなのか、その機械が何のために存在するのかを瞬時に理解した。 「やめろ……やめろ、やめろ……」  悠を苦しめるためだけに作られた悪魔。  壊せ。悠の力でも、その脆弱な機械程度なら簡単に壊せてしまえるだろう。  それなのに、悠は動かない。機械を見つめたまま、神崎の指がスイッチに掛かるのを待っているようにさえ見える。  壊せ、壊せ。頼むから壊してくれ。 「壊せ――!」  神崎がスイッチを押した。同時に悠の体がはじかれたように跳ねた。仰け反り、背が折れそうなほどにたわむ。 「ア……か、はッ…!」  中空に伸ばされた指が、掴む物を求めて藻掻いた。 「……苦しいか?」  心臓が異常信号を受け鼓動をやめる。悠の心臓は収縮したまま、ぎちぎちと悠の身を絞り上げる。 「お前に力が無いというのなら、もう用はない」  悠は視線だけを無理に神崎に向けたが、何も言えずただ短く喘いだ。 「お前の遺伝子を使えば、次世代の治癒力保有者など容易に作れる」  悠の瞳が否定のために揺らめく。 「遺伝子の欠陥など、いくらでも作り替えてやる。私ならそれが出来る」  先ほどまでの動揺を押し隠すように、神崎は口の端に笑みを上せた。 「どこぞの慰み者に売り飛ばしてやろうと思ったが、それも面倒だ」  神崎が、掌の内に機械を握り込んだ。 「あぁあ……っ!!」  悠の身体を激しい痙攣が襲った。心臓の反乱に、筋肉が暴れ回る。呻く声と浅く短い喘鳴が漏れる口の端から、赤く血の混じった唾液が溢れ落ちた。 「死ね」  神崎が言い放ったときだった。  大きな身体が二人の間に割って入った。男は、神崎の腕に――機械を持った方の手にかじりつくと、その手を開かせようと躍起になった。 「やめろ、やめてくれ!」  小野寺だった。それまで悠の背後で黙って立ち尽くしていた小野寺が、遂に耐えきれず神崎に飛びかかったのだ。 「義隆ッ!」 「……この期に及んで、貴様も刃向かうか」  神崎が手を振るった。それほど力を加えたようには見えなかったが、小野寺の身体は呆気なく相手から離れてしまう。  神崎はそのまま、小野寺の脇腹に向けて足を蹴り上げた。過たず、急所に爪先がめり込む。 「ぐ、うぅっ……!」  息が詰まる。小野寺もまた悠の傍らに膝を突いた。だが、それでも彼の手はもう一度神崎の手に縋り付き、その指の間に爪を立てた。 「も、う、やめろ」 「裏切るか」 「お前の、追ってきたものは、幻だ」 「おまえも、私を」 「俺は、お前を、止めなくちゃならない」 「その顔で、私を拒むか」 「俺を見ろ!」  小野寺が叫んだ。 「俺はお前の兄貴じゃない! 兄貴は死んだ! 死んだ者を生き返らせることは誰にも出来ない!」  その瞬間、神崎がもう一度小野寺を蹴った。胃の腑を抉り、大きくはじき飛ばされた小野寺が、胃液を吐いて悶絶する。 「私を、私の作り上げた世界を、侵蝕する物は、許さない」  神崎が薄く笑いながら、懐に手を入れた。 「邪魔者は、排除するまでだ」  彼の手に握られていたのは、一本の注射器だった。 「まだ実験段階の物を使うのは不本意だが……。悠君、君は松永を覚えているだろう?」  悠は喘ぎながら神崎を見上げている。 「治癒力を使い果たして砕け散ったあの松永だよ。これはそれと同じ作用をするよう作り出した薬だ。即座に細胞に働き、細胞自死を促す。面白いように粉々になる」 「おま……そん、ものま、で……」  小野寺の言葉に神崎は得意げに答えた。 「飛ぶように売れるだろうよ。何しろ証拠隠滅にはもってこいだ。死体の焼却も、溶解の必要も無い、犯罪者や独裁者にとっては夢のような薬だからな――小野寺」  この場に不釣り合いな酷く優しい口調に、小野寺は苦悶の表情の中で魅入られたように相手を見上げる。 「腕を出せ、篤」  名を呼ばれ、小野寺は抗うことを忘れた。一瞬で全ての苦痛を忘れ、数少ない、過去の甘美な記憶を揺り起こされる。  小野寺はふらふらと跪くと、神崎に腕を差しだそうとした。  と、毅然とした声が飛び込んできた。 「逃げるな!」  声は分厚いガラスにも遮られることなく、隅々にまで響き渡った。 「小野寺! 逃げんじゃねぇっ!!」 「……」 「一人で楽になろうなんて許さねぇ。お前が、俺に二人を託したんだろうが! だったら最後の最後まで見届けろッ!」 「……とう、じょう」 「生きろ! 抗え!」  小野寺が首を動かす。その眼に悠が映った。その向こうには瞬が、そしてその傍らには旧友の姿がある。  弱り倒れ伏す自分に何が出来るというのか。そう思いながら、小野寺はもう一度神崎を見た。  小野寺の上に君臨し続けた、絶対の存在。彼を止められないままこの日まできてしまった。  ――止められなかった?  違う。  ――止めなかった。止めようとしなかった。……怖かった。神崎を失うのが、怖かったんだ。  神崎にどうしようもなく惹かれていた。失ったものを求めて闇の中で輝く神崎を愛していた。兄の面影を通して自分に向けられる憎しみが、嬉しかった。 「義隆――」  小野寺は悠へとにじり寄った。そして、悠を神崎から庇うように膝立ちになった。 「おのでら、さ……」 「ごめんな、悠。……ごめん、東城」 「身代わりにその身を差し出すか」  神崎が言う。だが、小野寺は首を振った。 「そもそもこの子は関係ないだろう? お前が憎いのは、この顔なんだから」  小野寺は笑った。 「お前を捨てた兄貴に、お前は復讐したかったんだ」 「復讐、だと?」 「今さら兄貴を作ってどうする。囲って閉じ込めて、自分好みの兄貴に育てるのか。それでお前は満足なのか」 「そうだ……兄は私の物だ。私だけの」 「お前がいくら兄貴のコピーを作っても、それは結局兄貴の代替品だ。俺と同じなんだよ」 「違う!」 「お前は、兄貴を支配したいだけだ」 「違う! 今度こそ、秀隆は俺を」 「兄貴は、絶対にお前を、愛さない」  兄と同じ顔からの宣告に、神崎の顔が蒼白になる。激昂で熱を帯びていた声が、すっと色を失った。 「――それが、お前の返答か」  神崎は、冷え切った目を小野寺に向けた。 「人の生も死も、私の自由だ」  冷ややかに笑いながら、神崎は小野寺の腕を取った。鈍く光る針が皮膚に触れる。と。  小野寺の耳に、ひゅっ、と空気の漏れるような音が聞こえた。  目の前の男からだ。妙な緊張を伴った呼吸に、小野寺がいぶかしげな目を向ける。  神崎は大きく目を見開いたまま、小野寺を凝視していた。 「義――」  注射器の針がぶるぶると震えて、小野寺の皮膚を擦る。思わず腕を引いたが、神崎はそれを追うこともしない。  神崎の手の中の小さな器具が、不自然に手から零れた。注射器はそのまま床に落下する。  ことり、と軽い音が気味の悪い静寂の中にやけに響いた。 「ぐ……ぅ」  神崎が、呻くような声を上げた。 「な、んだ……?」  神崎が、初めて戸惑いの表情を見せた。 「……なんだ、これ、は……」  悠を苛む機械を握り締めたまま、神崎は自らの身体を見下ろした。自分の意志の及ばない所で、身体ががくがくと震え始める。  悠が、ゆらりと身を起こした。膝立ちになり、右手で自分の心臓の位置を掴む。 「ユ、ウ……、やめろ……」  瞬の小さな声が、聞こえた。  傷から血液がゆっくり流れ出て行く。  手足はとうに冷えきっていてもう感覚もない。それでも尚、瞬は白い視界の中で、一人で立ち向かう愛しい人の姿に必死に手を伸ばした。  届かない。震える指は空を掴む。今まさに燃え尽きようとする、その命を救うことが出来ない。 「悠……ッ!」  瞬が声を振り絞った。悠は瞬を見なかった。  悠は今この瞬間、身体が浮き上がるような、不思議な感覚に身を任せていた。  既に胸の痛みは感じなくなっていた。ただ息苦しいだけだ。悠はごく自然に、目の前の男の胸に手を伸ばしていた。  ――違う。  悠の目に映っていたのは、神崎の心臓だった。伸ばされた腕は実体を伴わない。  ――僕は、待っていた。  悠は、力強く鼓動を続けるそれにぐいと手を伸ばし、指で触れた。  途端にその臓器は不自然な細動を始める。片手には収まりきらず、悠は両手で包み込むようにして心臓を抱えた。  ――僕の、最期の時に、これを。 「き、さまかァッ……!!」  神崎が激しく胸を掻きむしった。  ――これを、連れて行く。 「離、せぇっ! 私に、触れ、るな!!」  神崎がふらふらと悠に近づき、小野寺を突き飛ばすと、悠のその細い首を掴んだ。  片手で悠の喉を潰しにかかる。  その場の者たちの中で、何が起こっているのかを正確に理解していたのは、真と瞬だけだった。  研究所を逃れたあの日、今と同じ状況で、悠の力がその身体を食い破り外に溢れ出ようとしたのを、真は見ていた。  そして今再び、とてつもない破壊の力が、ガラスの向こうでふくれあがるのを感じる。  その力の向かう先がどこなのか。  真の目から涙が溢れだした。  ――悠は、知っていたんだ。  悠は、自分が死の淵にあるとき、凄まじい力があふれることを知っていた。だからこそ、自分を追い詰めた。  ――自分の命と引き替えになることを、悠は知っていた。  ミシミシと、自分の骨の潰れる音が悠の耳にも届いた。  徐々にぼやけてゆく視界の中に、赤黒い神崎の顔がある。心臓を握りつぶされる激痛と怒りとで、男の顔にはびっしりと汗が浮いている。  今悠を襲っている痛みと同じ物を、彼も味わっているのだ。  ――あぁ、僕は今、この人の命を奪おうとしている。  一瞬、罪の意識が胸を過ぎった。  自分にこの人を裁く資格があるのだろうか? 手の中の心臓が、びくり、びくりと振動している。生きたいと訴えている。  心臓を握る手が、少し緩む。  だがその時、悠の耳に悲痛な叫びが届いた。  ――瞬が泣いてる。  悠は、ゆっくりと視線をガラスの向こうへ向けた。瞬が血だらけの手で弱々しくガラスを殴りつけている。  汚れた頬に涙の後が白く光る。 「……ユウっ!!」  声は涸れ、もう名前を繰り返すばかりだ。  ――そうだ。  悠は喉の隙間から細く息を吸った。肺が痛い。  ――この人を止めなければ、また同じ事が繰り返される。今度は瞬が犠牲になる。  ――……もう、この人を止めるのは、こうするしか、ないんだ。  悠は目の前の男をもう一度見た。カッと見開かれた目の、瞳孔の奥まで見通せる。  悠の表情に何かを悟ったのだろう。神崎の顔が恐怖に歪んだ。  ――ごめんなさい……。  悠が、見えない手に力を込めた。  パチンと、弾けたような音がした。  瞬はガラスに縋り付いた。  神崎の身体がスローモーションのように倒れ行くのを呆然と見る。  悠の首を絞めていた指は彼を離れ、妙な形に固まったまま痙攣を繰り返している。  神崎はゆっくりと膝を折ると、横へと倒れた。どさりと背を打つ音に続いて、固い頭部が床に衝突した音が響く。  だが神崎はもう何の反応もしなかった。時折、ぴくり、ぴくりと筋肉が反射を起こすだけだ。  悠が立ち上がった。  心臓を苛む機械は、未だ神崎の掌の中だ。  悠はそれを気にする素振りもなく、まっすぐに瞬を見る。  瞬もまた、悠を見た。首は青黒く変色している。傷だらけの顔は鬱血して紫色だ。 「悠、じっと、していて……すぐに、そっちに行く」  悠は瞬の声も聞こえないのか、にっこり微笑むと足を一歩踏み出した。しかし酷く痛めつけられ筋力を失った足は、たったそれだけで限界だった。すぐに足は縺れ、床に倒れて強かに身体を打つ。それでも、悠は進もうとすることをやめない。 「悠っ!」   血糊で、ガラスに突いた掌が滑る。  悠は腕の力だけで、じりじりと進んだ。悠から瞬まで、1メートルもない。その距離が、こんなにも遠い。  悠が手を伸ばした。あと少しで、手が届く。ガラスに指が触れる。  その表情で、悠がガラスを破壊しようとしていることが分かった。  歯を食いしばり、精一杯に手を伸ばす。  だが、悠がふっと息を継いだとき、悠の身体を再び激しい痙攣が襲った。魚のように、身体が跳ねる。 「あ……ぐ、ァっ……」  声を上げる力も無く、ただ筋肉の痙攣に翻弄される。 「ユウッ! あぁ……!」 「技術班! 解錠はまだかっ! ダメなら破壊しろ!」  村瀬のよく通る声が響く。  唐突に、痙攣が止まった。  悠がゆっくりと顔を上げた。  喉を潰され、呼吸すらままならないのだろう。ヒュウヒュウと気味の悪い音の中、悠が口を開けた。  腫れあがった目が、ゆったりと弧を描く。  悠は、笑っていた。 「――」  ゆっくりと形作られる言葉を、瞬は見た。  そして、悠は動かなくなった。 *  ぎりぎりとガラスに爪を立てる。爪は敢えなく滑り、折れて捲れた。 「いやだ……ッ、あぁ……」  瞬の身体の中から、訳の分からない熱がほとばしり出ようとしていた。  悲しい。苦しい。もどかしい。けれど一番大きな感情は、怒りだった。  なぜ、悠は自分を置いて行くのか。  抱きしめることも、手を触れることも、口づけることも叶わないまま、なぜ自分の目の前から悠が奪われなければならないのか。   「もう、……いやだ……」  こんなガラスたった一枚に阻まれて、悠は一人で死にゆこうとしている。  瞬が、両手をガラスに突いた。 「――瞬」  柴浦がその背に手を伸ばそうとしたその瞬間。  真が叫んだ。 「逃げてーッ!!」 「うあぁぁぁぁぁァァァッ――!」  瞬が絶叫した。  まばゆい閃光が一瞬にして部屋を駆け抜けた。咄嗟に跳んだ敬が、柴浦の襟首を掴んで部屋の外へ跳ぶ。  東城もまた叫んだ。 「逃げろ!」  傍らに立つ森下を蹴飛ばす勢いで外に追い出し、その場に残る者たちを追い立てた。 「急げッ!!」  部屋の隅でカメラを構えていた二人組は、突然のことで呆然としている。それを沢野が叩き出した。 「さわのこれな――」 「死にたくなきゃ出ろ!」 「早く! 放電に巻き込まれる――」  真の声に被さるように、にわかに激しい音が沸き上がった。バチン、バチンと電気が空気を無理矢理にこじあけてゆく。  破裂音と共に目の眩むようなスパークが散り始めた。青白い電気の糸が、部屋中を千切れながら飛び交う。  糸はみるみるうちに太く、長くなって部屋のあらゆる物を焦がし始める。  真が後ろを振り返ると、ちょうど東城が部屋を飛び出す背中が見えたところだった。後に残っているのは、拘束され動かない男達と、忠と暁、それに涼だけだ。  ガラスの向こう側では、傍観者を決め込んでいた客人が、出口を求めて扉を叩いている。神崎が居なければ扉が開かない仕組みだったのだろう。だが真にはどうすることも出来ない。涼は唇を噛み締めたまま、瞬と悠を凝視している。 「涼! 早く逃げないと」 「……」 「いくら兄さんでも、瞬の電撃には耐えられない!」  ますます破裂音は大きくなる。再び敬が現れた。 「敬っ! どうしよう、この人達――」  真が音に負けないよう声を張り上げた。敬は一瞬周囲を見渡すと叫び返した。 「こいつらは大丈夫だ!」  例の治癒力はまだ有効だろう。そう判断すると、意識のない暁と忠の腕を取り、跳んだ。 「涼!」 「……見届ける」  涼の声が、真の耳に届いたと思った。だが、真が聞いたのは、涼の内の声だった。  ――約束したんだろう?  真が、はっと涼の顔を見た。その目は、穏やかに真を見ている。  ――瞬が、悠を取り戻すのを、見届けてやる。  真は、頷いた。そして涼の隣に立って彼の手を握った。  ――お前は逃げ……――  ――僕も。  真は握った手に力を込めた。  フィラメントのような発光体が、ぶおん、と大きな音を立てて二人の耳元をかすめ飛ぶ。真が咄嗟に首をすくめると、その肩を抱く者があった。  涼とは反対側を見上げる。上から真を見下ろすのは、もう一人の頼もしい存在だった。  ――俺も、見届ける。    三人がそこに並び立つのを待っていたかのように、轟音の中、瞬の身体が光り始めた。  光はあっという間に激しさを増す。痛いほど白く輝く光の中で、もう瞬の表情も何も判別できない。膨れあがった光はすぐに部屋を覆い尽くした。 「あぁ……!」  真の声が光の向こうでした。瞬の形をした凶暴な光は、見つめていた三人の目を荒々しく刺す。もう、眼を開けていることもできない。  ――弾ける。  誰ともなくそう思った。  その瞬間。  凄まじい破壊の轟音が、建物を揺るがした。 *  唐突に、静寂が訪れた。  廊下の明かりは消えていた。  瞬の起こした電気嵐でショートしたのだろう。暗闇の中、人の気配だけは確かにある。そのうち、誰かが――おそらくは警官隊の誰かだろうが――フラッシュライトを灯した。  わずかな光条の下、無言で互いが顔を見合わせあう。 「……おい、カメラ、無事か」  黒川が傍らの男に言った。それが、皆の耳に届いた最初の音声だった。 「……たぶん。電源は入ります。データは確認してみないと……」 「頼むぜ……」  どこか現実感を伴わないそのやりとりに、最初に我に返ったのは東城だった。左腕を少し庇いながら立ち上がる。 「若頭、腕を――」 「少しかすっただけだ。森下」 「はい」 「お前らは公安と一緒に、怪我人を上に運び上げろ。公安」  東城は沢野ではなく、村瀬に向かって言った。 「エレベーターは生きているか」 「確認しよう」  すぐに村瀬が無線の回線を開く。ごく短いやりとりの後、村瀬が言った。 「エレベーターシステムに異常は無い。救急ヘリは上に待機している」  そうか、と東城が返事をしたとき、廊下の明かりが灯った。補助回路に切り替わったのだろう。  村瀬は、続く指示を出すためにその場を離れようとした。と、その腕を東城が取った。 「公安」  村瀬が東城を見返す。 「何だ」 「……信じて良いな?」  一瞬何を問われたのか分からず、村瀬が黙る。だがすぐにその真意を理解し、村瀬が笑った。 「協力者に手錠を掛けるような真似はしない。俺のバッジにかけて誓う」  その返答に頷くと、東城は身を翻した。すぐ後に柴浦が続いた。    二人は再び部屋に足を踏み入れ、その有様に言葉を失った。  室内はまだ暗闇のままだったが、白い砂煙がもうもうと立ちこめているのが分かる。廊下からの明かりは到底奥までは届かず、入り口の辺りの煙だけを照らし出している。  明かりの届く範囲内だけでも壁や柱が大きくえぐり取られ、巨大な破片がそこここに転がっている。その破壊のすさまじさに、二人はただ無言で立ち尽くしていた。 「すげぇな……」  二人の後ろで掠れた声が言った。沢野だった。彼はいつ準備したのか、大型のライトを手に提げていた。強い明かりが部屋の奥へ向けられる。  床には例の男達が昏倒していた。常人なら既に命はないだろうが、あの治癒力だ。後廻しにしても良かろうと、沢野は光の方へ意識を向けた。  煙は薄くなりつつあるようで、徐々に光が奥へと届き始めた。  東城が最初に息を呑んだ。 「ガラスが」  沢野がライトを動かすと、きらり、きらりと光を受けるものがある。  それは、破壊されたガラスの断面だった。  今、ガラスの壁面はぽっかりと口を開けている。  東城が、先に駆けだした。柴浦も即座にその後を追う。沢野は動きかけた足を止めると、二人の足下を照らすためにその場に留まった。 *  背後からの明かりを頼りに、東城はガレキを迂回し、乗り越え、障壁のあった場所へと走った。  そこへ近づくにつれ、この部屋を襲った破壊の力が姿を現す。  辺りに大きな破片がないのだ。全て粉々に砕かれ、焼かれている。樹脂の焦げた匂いが鼻につく。  やがて目の前に現れた残骸に、東城らはまた息を呑んだ。  十センチはあろうかという厚みのガラスが、丸く切り取られたように消失していた。樹脂を挟まれた堅牢なガラスは割れずに砕け溶けたのだろう。足下にはごろごろと妙な感触がある。  辛うじて残っているガラスの壁も、細かいヒビに覆われて白っぽく変色していた。その切り取られた円の中心、爆心地を見る。  だが、そこには誰もいない。 「……瞬!」  東城が叫んだ。口を開くと、砂粒や得体の知れない繊維が口に飛び込んでくる。それを極力吸い込まないよう、腕で口と鼻を覆いながら東城は声を張り上げた。 「瞬ッ!! 返事をしろ!」  と、そのとき唐突に部屋に明かりが灯った。壁面の非常灯が通電したのだ。  壁もあちこち抉られていたため生き残った照明は少ない。それでも少し黄色みを帯びた照明が部屋の内部を照らし出した。 「シュ――」  東城が途中で言葉を失った。  砕けたガラスの向こうで、一つの黒い影が蹲っているのを見つけた。  影は時折、ひくりと動いた。身を屈め、何かを腕の中に抱え込んでいる。  声が聞こえた。 「もう痛くない?」  囁くように声は続ける。 「終わったよ……ぜんぶ、おわった……」  柔らかく、優しい声は腕の中へと向けられていた。  東城がゆっくりと影に近づく。足下では砂やガラスが嫌な音を立てて軋るが、影は顔を上げることもしない。 「君が、終わらせてくれた……。ねぇ、悠」  返事は、ない。 「痛いのも、苦しいのも、全部終わった、けど」  白い、棒きれのような腕が、だらりと垂れ下がった。 「君がいなくちゃ、何の意味も無い」  東城は、瞬の半身が黒く染まっていることに気付いた。照明の色に紛れて分からなかったのだ。  瞬の左肩に大きな裂傷がある。早く手当てをしなければ――だが、それでも東城は動くことが出来なかった。  瞬にあるのはただ絶望だった。悲しみすら彼の中を通り過ぎてしまった。  東城は唇を噛んだ。瞬に手をさしのべることさえ出来ない自分の無力を思い知る。  いつの間にか、東城の背後に柴浦が控えていた。彼もまた言葉なく二人を見つめている。  瞬が腕の中の悠に頬を寄せた。まだ柔らかさを失わない肌の上を、瞬の手が滑る。 「もう、離れない」  瞬が動いた。身体の下から何かを引っ張り出すような仕草をする。訝しむ間もなくそれは姿を現した。ナイフだ。  部屋の弱い光を受けて、抜き身の刃が鈍く光る。瞬は寸毫の躊躇もみせず、それを己の胸に宛がった。  止めなければ。  止めるべきなのか。  止めてどうするのだ。  東城の脳裏を制止と黙認とが駆け巡る。その背後から。 「この、大バカ野郎どもがぁッ!!」  大音量の罵声が、くたびれたスーツと共に飛び込んできた。 「てめぇら大概にしろよ! まずは心肺蘇生!」  東城にも、そして瞬にも頭ごなしに怒鳴り散らす。その迫力に瞬がぼんやりと顔を上げた。同時に。 「諦めんじゃねぇッ、このバカ野郎!」  沢野がその頬を平手で張り飛ばした。その場に似つかわしくない、高らかな音が響く。瞬の手から、ナイフがはじけ飛んだ。 「胸骨圧迫! 柴!」  瞬の怪我を見て、瞬には処置は無理と判断したのだろう。沢野が叫ぶと柴浦が即座に瞬に寄る。優しく、しかし素早く瞬の腕から悠を抱き上げ、床に寝かせて胸部を強く圧迫し始めた。 「東城さん、カウント!」  激しく指示を飛ばしながら、携帯電話と無線機とを両手に抱えてがなり立てる。 「救護班急げ! 地下五階に心肺停止一名、重傷者数名! 三十秒で来い!! ヘリは待機! いいか、絶対に飛ばすなよ!」  そして通信の合間に、同じ音量で柴浦に怒鳴った。 「どうだ!?」 「まだだ……」  柴浦の手の下で、悠の肋骨が軋みを上げる。華奢な骨が折れる感触にひるみそうになる己を叱咤する。 「救護班! さっさと来ねぇとマスコミに売り飛ばすぞ!」   そう言い捨てて通信を切ると、沢野は瞬の前に膝を突いた。失血と、悠を失ったショックとで呆然とする瞬の頭を両手で掴む。 「瞬、諦めるな。死ぬのはいつだって出来る」  軽く頭を揺すると、瞬が重たげな視線を上げた。 「呼べ! 呼び戻せ! 引っ張り上げろ!」  突然、瞬の記憶の中の声が、蘇った。 『瞬も、僕を呼んで』 「……悠……」  『僕が、君の側にいられるように』 「悠……ッ!」  最期の時を迎えるまで、二人で、共に生きよう。  ――それが、俺の、願いだ。 「……生きろ……生きろ、悠――ッ!!」  絶叫が、悠の心臓を貫いた。

ともだちにシェアしよう!