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第3話 春の月、朧の月
期間限定の恋人として過ごしたクリスマスイヴの日から数日後。年末年始の休業期間に入り、一息ついたのも束の間。先日の甘い雰囲気から一転し、俺と彼の間には重い空気が漂っていた。原因は、彼が取ったある行動だった。
「ネタは上がってるんだよ。素直に認めた方が身のためだぞ」
俺は冷たい声で言い放つ。
「はい…」
消え入りそうな声でそう言った彼は、珍しく借りてきた猫のように大人しく、小さくなっていた。
「で?何したか正直に言ってみな」
苛立ちを隠せないまま、俺はそう言う。
「……私、中野春は、冷蔵庫にあったケーキとプリンとアイスを、月浦透さんがいない間に全て一人で食べました」
視線を逸らしながら、気不味そうに彼はそう言った。
俺は頭を抱えて盛大な溜息を吐く。そして、
「しかも一気食い。俺が日頃あれ程やめろって言ってたのに、だ」
いくら食べても太らないからって油断してると、いずれ糖尿病になるぞ、そう俺はぴしゃりと言う。
ごめん、と謝罪する彼を見て俺は心を鬼にしてこう言った。
「春、お前今日夕飯抜きな」
「……分かった」
「はい分かりました、だろうが」
「申し訳ありません……」
因みに、と俺はこうつけ足す。
「今日はお前の好きなグラタンでした」
残念だったな、と俺は鼻で笑う。
ぐっと唇を噛み締めて俯く彼を見て、俺は、
「いい機会だ。少しは反省しろ」
と言ってキッチンへと去る。少し厳しく言い過ぎただろうか、とも一瞬思ったが、仕方ない。彼には長生きしてもらわないと困るからだ。
俺は出来上がった二人分のグラタンの片方にラップをかけて、溜め息を吐きながら冷蔵庫へ入れた。
その日の夜。ベッドで眠りに就こうと横になり、うつらうつらと舟を漕いでいた俺の名を彼が呼ぶ。
「月浦」
「悪い……明日にしてくれないか」
疲れてるんだ、そう言った俺に、ごめん、俺のせいで、と彼が申し訳なさそうに言う。俺は、
「ちゃんと改めてくれたらそれでいいから、あんまり気にするな」
俺は春の体が心配なだけだから、と寝ぼけ眼で彼の頭を乱暴に撫でる。
うん、ありがとう、と彼は笑った。
「それじゃあ、おやすみ」
欠伸をしながら再び眠りに就こうとしたその時、彼が俺をこう呼んだ。
「……透」
あの日のように、彼は再び俺をそう呼んだ。そして、
「キスしたい」
と言いながら俺を見つめた。寝ぼけた頭ではいはい、と一度流しかけて、俺は数秒後にその違和に気づく。
「……は?」
俺の意識は急激に覚醒する。
「それは……告白の返事が決まったってことか?」
俺が尋ねると、彼は
「……うん」
と言って小さく頷いた。
「イヴに一日、透と過ごしてよく分かった。俺は、ずっと君と一緒にいたい。だから、今度こそあの日の返事をさせてほしい」
――俺も、透のことが好きだよ
そう言う彼の左の薬指には、あの時の指輪が静かに光っていた。
俺は嬉しさと愛おしさが込み上げてきて、彼を強く抱きしめ返す。そして、
「イヴの後から、ずっと不安だった。初めて手を繋いでキスしたあの時から、俺の中の春への気持ちがどんどん大きくなってた」
もし春がその感情を友情だと判断したら、って想像するだけで、怖くて仕方なかったんだ、俺はそう言って涙を流す。
彼を好きだと自覚したその日からずっと、傍にいられるだけで幸せだった筈なのに、諦めようとしていたのに。いつしか俺の中には彼を独占したいという気持ちが膨らんでいっていた。
彼は、ずっと待たせてごめん、とそう言って俺の涙を拭う。
「俺も怖かった。山根さんの事があった時、透を失うかもしれないって思ったら、気が狂れそうだった」
自分の中ではっきりとした答えが出るまで、ずっと苦しかった。でもイヴを恋人として一緒に過ごして、その時に気づいたんだ。透は俺にとって親友の枠を越えた、かけがえのない存在なんだ、って、と彼は訥々と語った。
「……ありがとう、春」
必ず大切に、幸せにするから。そう言って俺は彼の唇に自らの唇を重ねた。
互いに舌を絡めながら深く口づけをした後、彼は、
「今度はどういう意味か分かるか?」
と言い、潤んだ瞳でこう懇願した。
「……抱いて、透」
囁くような小さな声だった。俺は分かった、と一言答える。俺はその夜、彼の体を、心を、深く大切に愛した。
翌朝、目覚めると隣には彼がいて、俺はその事実に大きな幸福を感じていた。
その寝顔を見つめている内に、ふと触れたくなり、彼の頭を優しく撫でる。昨夜あれだけ求めあったばかりなのに、胸の奥に次から次へと愛おしさが込み上げて、触れたいという欲が湧き上がってくる。
と、そうしている内に彼が目を覚ました。
「……おはよう、透」
「おはよう、春」
俺は彼の唇に自らの唇を重ねて口づける。軈て唇を離すと、彼は蕩けた表情で愛おしそうに俺を見上げた。その匂い立つような色香を纏った彼を見ていると、昨夜の出来事が蘇る。
彼は今まで俺が見たことがないような、艶やかで美しい姿を見せてくれた。
俺はゆっくりと彼の左手を取り、薬指の指輪に口づける。
「体の調子は?」
俺が尋ねると彼は大丈夫だよ、と言って笑った。
まだ寝てな、朝食作ってくるから、そう言って俺は床に落ちている服を着てからキッチンへと向かった。
朝食を取った俺たちは、リビングに移動してソファで彼と話をしていた。
「誕生日はどうする?」
と、彼が言う。俺は、
「春がいればそれでいいよ」
そう答えて彼の手を取り、彼の口許に手を伸ばし、親指でゆっくりと唇をなぞる。彼は目を伏せ、薄く開いた唇から微かに熱い吐息を漏らす。
「……春、キスしたい」
俺は起き上がり、彼の返事を待たずに唇を重ねた。彼は口づけが終わるまで俺の髪を優しく撫でてくれた。
「なんだか透、スキンシップが増えたな」
「嫌か?」
「嫌じゃないよ。凄く嬉しいんだ」
「あぁ、俺愛されてるんだなぁ、ってさ」
初めてだから、こんなふうに身も心も愛されたのは、と彼は笑う。俺はその笑顔を見て、ふとこう尋ねる。
「春は、今まで誰かと付き合ったことはあるか」
「無いよ。告白されたことは何度かあったけど、基本的に人が苦手だから、俺」
こんなだから友人も少ないしな、と彼は少しだけ寂しそう笑う。
俺は胸が痛くなって、
「これからは俺がいるよ」
ずっと春の傍にいるから、と彼に微笑みかける。
「うん、ありがとう」
彼が柔らかく微笑んだ。
「透は、彼女いたんだろ?」
「あぁ、まぁ……いたな」
と俺が彼の顔色を窺いながらそう言うと、彼は苦笑いしながら、
「大丈夫だよ、もう前みたいに嫉妬したりしないから」
透は俺だけのものだって分かったからさ、と艶のある笑みを浮かべて彼は言う。
長く付き合ってきて、彼の多くを知っていたつもりだった俺だが、彼が抱えるこの危うさは最近知った。そう、山根さんの時だ。
多分、彼は俺に依存している。
「透、俺だけを見ていて、永遠に」
俺の全てを透にあげるから、決して裏切らないと誓ってくれ、と彼はどこか苦しげにそう言う。
俺は自分に執着し溺れる彼を見て、狂おしい程に愛おしいと感じていた。
俺もまた、心の何処かで彼に依存しているのかもしれない。
春の月、朧の月。俺は彼のもの、彼だけの月。そしてまた、彼自身も孤独というヴェールを纏った朧月なのだろう。俺たちは互いに足りない部分を補うように愛し合う。
けれどその反面で、いつか彼を全ての苦しみから解放してあげたいと、俺はこの時強く思った。
明るい陽の光の下で、彼に広い世界を見せたい。
「好きだよ、透」
心から、愛してる。
「俺もだよ、春」
雪が溶け、冬が終わりを告げる時は必ず訪れる。どうかこれから来たる春が、君にとって優しいものであるように。
そして、一月一日。誕生日を迎えた俺は、寝室のベッドの上で彼と愛し合っていた。
「……綺麗だ、春」
とても、と俺は彼の耳元で囁く。彼は本当か、と自信が無さそうに尋ねる。本当だよ、と俺は彼の額に口づけてそう言った。
彼は、俺に抱かれる度に悦び、しかし不意に俯いては涙を見せることもしばしばだった。
俺は、そんな彼の孤独を消し去るために、出来うる限りのことをした。硝子細工を扱うように丁寧に愛を囁き、彼の身も心も深く深く愛した。
好きだよ、春。
愛してる。
ずっと傍にいてほしい――
数日かけて幾度もそれを繰り返す内に、彼に少しづつ変化がみられた。
最初の頃は、俺だけを見ていて、と今にも泣きだしそうな瞳でそう繰り返していた彼だったが、軈て俺の愛を受け入れ、以前のように不安そうな表情をしなくなった。
「……ありがとう透、こんなに沢山の愛を俺に注いでくれて」
彼は俺にそう言った。俺はもう寂しくないか、と聞く。彼は何も言わず、その代わりにただ静かに微笑んだ。
「よし、出来た」
彼はリビングのソファの上で開いていたパソコンをそっと閉じ、大きく伸びをする。
「お疲れ。進捗は?」
俺は紅茶の入ったマグカップを差し出しながらそう尋ねる。彼は、
「良い感じだよ」
そう言って笑う。彼は、以前よりも笑顔が増え、雰囲気が柔らかくなってきた。俺はまだ彼自身すら気づいていないであろうその変化に、一足早い冬の雪解けの予感をしていた。
「これ、山根さんからの差し入れ。サインのお礼に、だってさ」
「ケーキだ」
彼は嬉しそうに言い、俺に
「山根さんにありがとうございます、って伝えといてくれ」
と笑う。その笑顔に、あの時のような影はもう無い。そして、
「透。あのな、」
新しい小説、一番最初に透に読んでもらいたくて、と、彼は膝の上のパソコンを再び開く。
俺はパソコンの画面を覗き込み、文字を目で追う。
「これは……恋愛小説?」
意外だった。彼が今まで書いたことのないジャンルだ。
「以前から書いてみないかって言われてたんだ。けど今までは自信がなくて……でも透に愛された今なら書ける気がしてさ、」
挑戦してみた、と彼が微笑む。
俺は暫く夢中になって彼の小説を読み進めた。その小説は、切なくも穏やかで優しく、読んでいて心が温かくなるような話だった。
以前の彼の小説は文章こそとても美しかったが、何処か浮世離れした内容だったり、冷たく暗い影のようなものが多く見られた。
心境の変化によるものだろうが、まるで別人のような文章に俺は驚き、そして同時に心から安堵する。
彼は一歩ずつ前に進み、今、その手に輝く星を掴もうとしている。ずっと望んでいた、幸福と言う名の眩い星を。
「どうかな……」
彼は緊張した面持ちでそう問いかける。
「凄くいいと思う。前の尖った文章も好きだけど、この優しい雰囲気が俺は凄く好きだよ」
春にしか書けない作品だと思う、とそう言い、俺は静かにパソコンを閉じた。
彼は嬉しそうに、そうか、と微笑みながら目を伏せた。
その頃から彼は少しづつ変わっていった。斜に構えた発言をしなくなり、その代わりに俺だけでなく、周囲の人々とも積極的に関わるようになっていった。
俺が彼へ愛を囁く度、彼は愛される喜びを知り、安堵し、軈て自信を持つようになったようだった。
そうして彼は友人も少しづつ増えてゆき、休日も友人たちと出掛けるようになった。その結果俺の家に泊まることが減ってしまったのは少々寂しく残念だったが、俺は彼の変化を心から喜んだ。
暫くして彼の新しい小説が出版された。世間からの反応はまずまずで、今までの作品と比較すると売り上げは格段に上昇していた。何もかもが上手くいきはじめている、そう思っていた。
ある日俺が店で仕事をしていると、彼が一人の男性を連れて店を訪れた。
柔らかな微笑みを浮かべたその男性は、派手さは無いが整った顔立ちをしており、見るからに好青年と言った様子の人物だった。
「はじめまして、貴方が月浦さんですね。春からよく話は聞いています。私は春と同じで作家をしています、米山薫《よねやまかおる》と言います。どうぞ宜しく」
「出版社の受賞パーティで知り合った友人なんだ。最近仲良くなって、今日も出掛けてきたところでさ」
そう言って彼は嬉しそうに笑いながら話をする。ふと見ると、米山さんは穏やかな優しい表情で彼を見つめていた。軈て米山さんはその姿をじっと見つめる俺の視線に気づき、こちらに向かって微笑みかける。その時、不思議と胸がざわついて、俺は反射的に目を逸らしてしまった。
「透、今日泊まってもいいか?」
「……あぁ、いいよ」
俺は笑いながらそう言った。米山さんは俺たちのやりとりを見て、お二人は本当に仲がいいんですね、と微笑む。
しかし穏やかな表情に反してその声音はどこか少し冷えたもののように感じられて、俺はその意味を考える。そして、
「じゃあ薫さん、また」
彼がそう言って笑う。
「はい、また今度」
米山さんは言いながら、月浦さんも、と軽く俺に頭を下げてから去っていった。
米山さんの後ろ姿を見送って、尚もその場に留まる俺に、彼は
「透?どうかしたのか」
と心配そうに尋ねる。俺は「なんでもないよ」と笑いかけながら、胸の中で密かに嵐の前の静けさのような何かを感じていた。
店を閉めた俺は帰宅するなり彼を求め、深く口づけた。彼は突然のことに少々驚いたようだったが、直ぐに優しく抱きしめてくれた。
「春、ごめん……俺あの人ちょっと苦手かも」
微かに震える手で彼を抱きしめ返して、俺は言う。
「あの人って薫さんのことか?何で?」
彼が不思議そうに尋ねる。俺はこの違和感を説明するための適切な言葉を見つけられないまま、
「……なんとなく」
直感で、とそう俯いて言う。
「珍しいな、透がそんなこと言うなんて」
彼は困ったように笑いながら、
「薫さんは本当にいい人だよ。だから心配しなくても大丈夫」
と言う。
「……うん、そうだよな」
俺は彼の屈託の無い笑顔を見て少しだけ安堵する。きっと俺の気のせいだろう、俺はそう思い込もうとする。米山さんが春を好きかもしれない、だなんて。
それから数ヶ月後。季節は変わり、蝶が舞い、草木が芽吹く暖かな季節がやってきた。
「透、今度花見に行かないか?」
朝食を取っている最中、彼がそんな提案をしてきた。俺は、
「いいよ、行こうか」
と答える。彼との久々の二人きりの外出の機会が、俺は内心嬉しくて仕方なかった。と、彼がこう言った。
「それがさ、実は薫さんも一緒なんだけど、いいかな」
俺はその瞬間、強く胸が締めつけられたような気持ちになった。彼は、
「この前薫さんが誘ってくれたんだけど、良かったら透も一緒に行かないかなって思ってさ」
な、いいだろ。薫さんには伝えておくから、と彼は微笑む。
「あぁ、そうだな……」
俺は正直気が進まなかったが、久々の彼との外出であること、そして万が一のことを考えて同行することにしたのだった。
数日後。彼と俺は、駅前で米山さんを待っていた。
「お待たせしてすみません、お二人とも」
こんにちは、と米山さんは笑顔でそう言った。
「こんにちは、お久しぶりです」
俺が会釈しながら挨拶すると、彼が、
「大丈夫、待ってないよ。俺たちもちょうど今来たところだから」
と笑う。米山さんは彼を見ると柔らかく微笑み、
「それならよかった。じゃあ行きましょうか」
と言った。
電車で三十分程移動した先にある自然公園で、俺たち三人は花見をした。
レジャーシートを敷き、俺は用意していたサンドウィッチをはじめとした簡単な料理をバスケットから取り出し、並べる。
「簡単なものばかりで申し訳ないですが、よかったら召し上がって下さい」
そう言って料理を勧めると、米山さんは微笑みながら、
「ありがとうございます。月浦さんは料理がお上手だと、よく春が言っているんですよ」
「はは、お恥ずかしい」
俺はそう言って、米山さんの優しく穏やかな態度に、少しでも疑っていた自分を恥じ入りかけた、その時。
「あ、春。ついてますよ」
そう言って米山さんは自らの指で彼の口許を拭う。彼はありがとう、気づかなかった、と言って笑った。
青年は慈しむような視線を彼に向けて、
「春は本当に子供みたいですね」
と言って微笑む。
あぁ、米山さんは恐らく。否、きっと。
俺は、その光景を見て、目の前が暗くなるのを感じた。
その後のことはよく覚えていない。俺はただ親しげに話す彼らに相槌を打ちながら、笑みを取り繕うので精一杯だった。
帰り際、駅についたところで、米山さんが月浦堂に寄りたいと言ってきた。欲しい本があるんです、と言う米山さんに、俺は、
「分かりました、行きましょうか」
と、答える。本音では早く一人になりたかったのだが、何とか堪えた。
「じゃあまたな、透」
薫さんも、また、と言って彼は改札へと消えていった。
店に着くと、米山さんは本棚を眺めながら、
「……春はいつも『透が、透が』とよく貴方のことを話すんですよ。聞けばしょっちゅう泊まっているそうじゃないですか」
本当に仲が宜しいんですね、と少し冷えたあの声音でそう言った。俺は、
「えぇ、親友ですから」
と笑みを浮かべながらそう答える。出来るだけ自然に、そう心がけながら。
すると米山さんは溜め息を一つ吐き、今度は優しい声音で静かにこう言った。
「あの指輪、貴方が彼にあげたのでしょう」
違いますか、と。
「違いますよ。言ったでしょう、俺たちは親友だって」
咄嗟に俺はそう言った。彼の社会的立場を考慮した結果だったが、
「よかった。その言葉を聞いて安心しました」
俺は米山さんのその言葉に強い違和を感じる。青年は、
「でも、一体誰なのでしょうね。あの指輪を彼に贈った相手は」
と俺の目を真っ直ぐに見つめそう言った。
「さぁ……恐らく、彼女でも出来たんでしょう」
俺はたじろぎ、然し何とか笑みを保ったままそう言う。
「嘘が下手ですね、月浦さん。交際相手が他にいるなら、春が親友の貴方に伝えない筈がないでしょうに」
米山さんはやや呆れたようにそう言って笑うと、こう続けた。
少々まわりくどかったですね。申し訳ありません。では、はっきり言いましょう――私は彼に好意を抱いています。
「……あぁ、つまり彼を恋愛対象として見ている、という意味です」
米山さんの言葉に、俺は背筋が冷たくなるのを感じた。
「いつから……ですか」
俺は軽い目眩を感じて、カウンターに片手をつく。強い焦燥感。絞り出すように出したその声は、自分でも驚く程戸惑いが色濃く滲んでいた。
「驚かないんですね、私が同性愛者だと聞いても。やはり月浦さんはお優しい方だ」
米山さんは微笑み、こう続ける。
「最初は彼の才能に惚れ込んで興味を持ちました。繊細で神経質で、然し非常に美しい文章を書く彼に」
切っ掛けはほんの数ヶ月前です。年が明けた後、彼から連絡が来たんです。受賞パーティの時以来でした。とても嬉しかった。私は直ぐに彼を好きになりました。あの美しさと優しさに強く惹かれ、そして救われた。
米山さんは、彼に心酔しているようだった。呆然とする俺に、米山さんは優しい瞳と穏やかな口調でこう続ける。
だから、《《親友》》である貴方には是非協力していただきたい。よかったら、春について色々と教えて下さいませんか。
「……出来ません」
俺は掠れた声で辛うじてそう言い返す。
「何故ですか?」
米山さんが不思議そうな表情でそう尋ねる。
「俺が……春と、交際しているからです。俺は彼を、愛しているから」
今、言わなくては――俺は自らを奮い立たせ、米山さんの瞳を真っ直ぐに見つめて、そう言った。
「やっと認めましたね。その言葉を聞きたかったんですよ」
米山さんが微笑む。
「春の小説を読んで驚きました。妙だと。以前とは作風が全くと言っていい程異なっていたからです。あれは、貴方の影響だったのですね」
米山さんは僅かに嫉妬の色を滲ませた瞳でそう言った。
「率直に申し上げます。彼と今すぐに別れてください。貴方は彼に相応しくない」
「は……?」
俺は突然のことに言葉を失う。
「彼に必要なのは過保護な保護者などではない。真の理解者なんです」
米山さんは微笑みを湛えたまま、そう言った。
「私の言いたいことが分かりますか?」
貴方は春を束縛しようとしているんですよ。
「今日だって私は春と二人で出掛ける予定でした。然し何故か貴方がやって来た」
「……あれは春が」
と言いかけ、口籠る。俺が言おうとしたことを察したらしい米山さんは、遠い目をしてこう言った。
「春は優しいですからね。恐らく、貴方のその哀しそうな顔を見て気遣ったのでしょう」
残念です、と米山さんは呟いた。
「春は……俺がいないと駄目なんです。俺が愛さないと、彼はまたきっと孤独になる」
俺が彼を、縛りつけている――?
俺は心の中で違う、と否定しつつも、強く反論する自信も無かった。動揺を隠せないまま、俺は言い訳をするようにそう言った。
米山さんは俺の心中を知ってか知らずか、宥めるような、然し何処か嘲笑うような口調で、
「貴方のそれこそ愛情ではなく依存ではないのですか。そもそも、貴方がいないと春が駄目になるんじゃない。春がいないと貴方が駄目になるんだ。そんな関係は健全ではない。春はもっと自由になるべきです。私なら彼を救える」
と、こう言った。
「私なら同じ作家仲間としても彼を支える事が出来る。同じ苦しみや喜びを分かち合える。春と私はよく似ています。彼の孤独を、私ならきっと分かってあげられる……何より、私は貴方のように彼から目を離したりしない」
俺はその言葉に自信を失いかける。彼は本当はずっと、この青年のような仲間と一緒にいたかったのではないか、と。
「俺は……確かに依存しているのかもしれません。実際、彼を失うこと考えるのはとても恐ろしい。けれど、彼のことを都合よく扱った挙句放置していた訳でもない。孤独に支配されていた彼を解放し、外の世界を見せてあげたかった、ただそれだけです」
俺は自分の気持ちを正直に述べた。米山さんは、
「成程、流石月浦さんは本当にお優しい。でもその結果、彼の心は少しずつですが、貴方から離れつつある」
と言い、俺の耳元で
――春が変わりつつあるのは、貴方も気づいているでしょう。
と、そう囁く。
「何が言いたいんです」
俺は米山さんを睨みつけ、そう言う。米山さんは微笑みを浮かべながら、
「あまり彼から目を離さないほうがいい、と忠告してさしあげてるんですよ――恐らく、貴方の役目はもう直ぐ終わります」
「そんなこと……」
「選ぶのは春です。貴方ではなく」
米山さんはただ黙って立ち尽くす俺にもう一度微笑みかけ、去り際にこう言った。
さようなら、月浦さん。またいずれ。
その夜、俺はずっと米山さんが語った言葉について考えていた。春への依存と束縛。彼を愛していると言いながら、俺は本当は彼の可能性を奪おうとしてしまっているのではないか。彼に相応しいのは米山さんの方ではないのか。
するとその時、スマートフォンの通知音が鳴り、画面に新着メッセージの表示がされる。メッセージの送信者は、彼だった。
『今日はありがとう、楽しかった。来週泊まっていいか?』
彼は優しい。彼は俺を愛してくれている。確かにその筈なのだけれど、今はその優しさが辛かった。
『恐らく、貴方の役目はもう直ぐ終わります』
米山さんのその言葉が頭から離れない。俺は窓の外に浮かぶ凍えるような月を眺めながら、そんなことばかりを考えていた。春の湊、彼の行き着く先は誰の元なのだろうか、と。
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