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第7話 君さえいれば

 ――瑞稀side  覚えているもの。  煙草と、噎せ返る様な香水、汗の匂い。  温い粘膜の感触と、水音。心音、乱れた呼吸。衣擦れの音と、首筋にかかる熱い吐息。罵声と暴力、砕けた青い硝子片。  俺はこの硝子と同じだ。一度壊れてしまったらもう戻れない。ずっとそう思っていた。あの人に、出会うまでは。  『――良かったら今度俺とデートしない?』  明との出会い。初めて見た時の彼の印象は大量のピアスに真っ赤な髪の、派手で溌剌とした、少し軟派な人。  明は俺を美しい、と言ってくれた初めての人だ。最初は見た目の話だと思っていたが、明は俺の全てを美しいと言ってくれた。穢れてしまった俺の過去を知っても尚、そう言ってくれた、大切な人。  俺は、明のその言葉に、優しさに救われた。    明は、苦しむ俺の為に何度も泣いてくれた。その時、本当はただ真っ直ぐで優しい人なのだと、俺は気づいた。  そして、明るい笑顔の瞳の奥に、そこはかとない痛みと影を抱えながら、痛ましいまでに優しくあろうとする、不器用な人なのだと。  明の事を知っていく内に、俺はどんどん明に惹かれていった。  ある日、明と電話していた時の事だった。春さんの話をしている途中で、明は珍しく静かな声でこう言った。 『……俺ね、ずっと春ちゃんの事が好きだったんだ。でも春ちゃんは月浦を選んだ。仕方ないよね、こんなフラフラしてる奴なんかさ。……だから、辛いけど諦めた』 『でも今度こそは諦めたくない。後悔したくないんだ。瑞稀くんのことは、本当に大切にしたいと思ったから。だからもう、他の人はデートに誘わない』 『急にごめんね、聞いてくれてありがとう』  その話を聞いた時、俺は嬉しくて、でも何処か哀しくて、胸が苦しくなったのを覚えている。明は、もしかしたら心のどこかで春さんに似ている俺に、春さんを重ねているだけなのではないのか、と。  春さんの代用品。俺はどこまでいってもただのニセモノ――俺は急にあの人の事を思い出して、呼吸が上手く出来なくなった。心臓が激しく脈打ち、目眩を感じる。 『瑞稀くん、どうしたの、大丈夫?俺またなんか余計な事言っちゃったかな……ごめんね……』  俺の異変に気づいた明が、電話口の向こうで心配そうな声でそう言った。 「……違うんです。俺が、勝手に……」  俺は乱れた呼吸を必死に整えながらそう言った。  春さんも透さんも、勿論明も、皆優しくて誠実な人ばかりだ。代用品扱いなんてする訳がない、頭ではそう分かっていても、漠然とした得体のしれない不安に、俺の心は悲鳴をあげていた。  俺は、調子が悪いので今日はこの辺で失礼します、と言って電話を切った。  眠れない日々が続いた。フラッシュバックと吐き気に目眩、冷や汗、呼吸困難に、止まらない涙。俺は縋るように震える手で、クリニックで処方された頓服に手を伸ばす。俺は仕事を辞め、親からの支援で一人暮らしを続けていた。  不甲斐ない自分に嫌気が差して、俺は一人になる度、何度も何度も死を考えた。  明は、そんな俺を気遣ってこまめに連絡を取ってくれた。   『夏祭り楽しかったね。今度は二人で出かけよう』 『瑞稀くん元気?良かったら今度うちの店に遊びにおいでよ。瑞稀くんに似合いそうな服が入ったんだ』 『ごめんね、仕事がなかったらずっと傍にいてあげられるんだけど……』 『誕生日おめでとう!ねぇねぇ、今度デートしない?お祝いさせてよ』  明の言葉は優しくて、温かくて。春の陽だまりのように癒やしてくれる日もあれば、夏の眩しい日差しのように、俺の心を照らしてくれる日もあった。  俺は明のことが好きだった。まだはっきりとは分からないけど、これはきっと恋愛感情なのだと、そう思った。  男性を好きになることだけは生涯絶対にない、と、俺はあの人に襲われて以来強く思っていた。でも明と出会って、少しずつ考えが変わった。この人は決して俺を傷つけない、怖くないのだと。 『ありがとう。俺に本当の美しさを教えてくれて』  美しさをよすがに生きる明が、初めて自らの辛い過去を打ち明けてくれた時、俺に言ってくれた言葉だ。  明は、普段とは違う、とても穏やかな声で静かに語ってくれた。明の瞳の翳りの正体を知った俺は、どうしようもなく彼が愛おしくなった。この人を守りたいと、そう思った。  明は、俺の心を見てくれた。春さんの面影ではなく、俺自身を愛してくれた。俺に寄り添ってくれた。  だから、俺は彼を受け入れることを決めた。  初めて明とした口づけは、あの人とは全然違った。とても優しいそれは、俺の心の凍てついた部分を溶かしてくれるようだった。  初めて俺を抱いてくれた日、明は辛かった俺の過去の何もかもを、例え一時であっても忘れさせてくれた。  俺はその日から、以前程あまり悪夢に魘されなくなった。 「いらっしゃいませー」  明るい金髪の女性店員さんが声をかけてくれる。 「瀬川さんの友人の小川です。あの、瀬川さんはいらっしゃいますか……?」    「はぁい、いますよー。店長ー、お客様ですよー」  店員さんがお店の奥に向かって声をかけると、程なくして、バックヤードから明が出てきた。 「来てくれたんだ、待ってたよ」  明は俺のもとに駆け寄り、そう言って笑った。  俺は緊張しながら 「こんにちは」  と返す。  今日は明の誘いで明の勤めるお店に初めてやってきたのだ。 「今日も綺麗だね。元気にしてた?」 「ありがとうございます、元気ですよ。明さんは?」 「先週風邪引いてダウンしてたんだけど、今瑞稀くんの顔見たら元気になったよ」  明は嬉しそうにそう言った。俺は、 「あぁ、メッセージで仰ってましたよね。大丈夫ですか?一応これ、差し入れです。良かったらどうぞ」  と言って、栄養ドリンクとゼリーが入ったコンビニ袋を差し出す。 「ありがとう。流石、気が利くね」  嬉しいよ、と明が笑う。  ドリンクをバックヤードに持っていった後、戻ってきた明と話をしながら洋服を見せてもらう。 「瑞稀くんスタイル良いから、これも似合うと思うよ」 「はは、俺なんか明さんに比べたら全然ですよ。じゃあこれとこれ、試着させてもらってもいいですか?」 「どうぞ。あとこれも渡しとくね」  あれこれとおすすめの服を試着させてもらって、俺はその中から三着程選び、会計をしてもらう。 「沢山買ってくれてありがとう!気持ちだけど割引きしとくね。あとノベルティもいくつか入れとくから、良かったら使ってね」 「良いんですか?ありがとうございます」  会計が終わり、 「最近はどう?悪夢は見なくなった?」 「いえ、まだ……でも、こうして明さんと話したり一緒に過ごしてる時は、不思議と辛いことを忘れられるんです。だから、平気です」 「そっか……俺で良ければいつでも話を聞かせてね。夜遅くてもいいから、辛くて眠れない時は電話してほしいな」 「はい、ありがとうございます。どうしても辛い時は、お願いしますね」   「約束だよ。一人で抱え込まないでね」  俺は明に手を振って、お店を後にした。  駅までの道すがら、今日明からもらった言葉の数々を反芻する。胸の奥が、温かい。明の傍から離れたくない、ずっと一緒にいられたらいいのに、と、漠然とその時俺は思った。  明から誕生日祝いのメッセージを貰った数日後、俺は明と出掛けた。俺は以前明のお店で購入した洋服を着て待ち合わせ場所にいた。明は時間より少し早く現れて、俺を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきてくれた。 「おはよう!今日も美しいね。洋服、よく似合ってるよ」 「本当ですか?良かった」 「ねぇ俺は?俺はどう?」  今日はね、グランジ寄りのゴスで纏めてみたんだ、と笑う。  グランジ?ゴス?と頭に疑問符を浮かべている俺に、明は   「こういう退廃的でダークなファッションの事だよ。月浦曰く"ボロボロ"ってやつだね」  と、笑いながら教えてくれた。 「かっこいいですね。明さんのファッションはいつも拘りが感じられるし、個性的で、俺そういうの凄く好きです」 「ありがとう、嬉しいな。瑞稀くんは優しいね」  と、明は少し照れたように言う。 「お世辞じゃないですよ。本当にセンスがあって素敵だな、と思ったので」 「分かる?分かってくれる?この美しさを」  目を輝かせて言うさまはまるで少年のようで、俺は、はい、と微笑んで言った。  俺たちはそんな事を話しながら歩き出した。暫くして着いたのは水族館。俺が希望した場所だ。  チケットセンターでチケットを購入し、入館する。硝子張りの巨大な水槽から差し込む青い光が床や壁を照らす中を二人で歩き、様々な魚たちを見た。巨大な筒状の水槽を泳ぎ回る虹色に輝く無数の鰯の群れや、イルカ、ペンギン、そして鮫に触れられる体験コーナー。  色とりどりにライトアップされた海月の水槽に差し掛かったところで、明が俺の手をそっと握る。 「暗いし良いかなって。駄目かな……?」  明が躊躇いがちにそう囁く。俺は、 「いいえ、嬉しいです」    と、笑った。 「良かった。ありがとね」  明は安心したようにそう言う。そして、 「綺麗だね、海月」 「まるで瑞稀くんみたいだね。透き通ってて、ふわふわしてて、綺麗で」  と、明は、そう静かに言った。 「ありがとうございます。でも海月って毒がありますよね。……俺も、知らず知らずの内に誰かを傷つけてるのかも」    俺はふとそんな事を考えて口にする。すると、明が、 「そんなことないよ、そんなふうに誰かを気遣える時点で、瑞稀くんは優しいから」  と微笑んでそう言った。そして、寧ろ毒があるのは俺の方かもね、と明は少しだけ寂しそうに笑った。 「どういうところがですか?」  俺は意外な言葉に思わずそう聞き返す。明るく天真爛漫な明には似合わない言葉だと思ったからだ。明は少し間を置いて、 「……実は結構独占欲が強いところ、とかかな」  と、そう言った。    「好きな人は俺好みにしたくなるんだ。誰にも渡したくないっていう無意識の気持ちの表れかな……春ちゃんにもしたことがあった。一回だけ。最後の悪足掻きでさ」  明はそう言ってまた寂しげに笑った。俺はその表情を見て、胸が締めつけられるように苦しくなる。 「最初で最後に見た春ちゃんのその姿は、綺麗だった、とても」  明は遠い目をして言う。軈て俯き、こう続けた。 「そして今は、瑞稀くんにそれをしているんだ。……少しずつ少しずつ、美しさっていう毒で俺の色に染めて、いつか動けなくさせたいのかも」  静かにそう言ってから、明は顔をあげた。 「……なんて、冗談だよ」  と、いつものように笑いながら。  春さんの、代わり――  フラッシュバック。俺は、目の前が徐々に暗くなっていくのを感じた。 「瑞稀くん?」  俺の様子が可笑しい事に気付いた明が、心配そうに俺の顔を覗き込む。  俺は呼吸が苦しくなり、パニックになりかけるのを、必死で踏みとどまろうとする。 「どうしたの、大丈夫?少し休もうか」  明が気を遣って近くにあるベンチを指差す。 「すみません……」    俺は明に支えられながら、ベンチへと腰掛ける。 「……明さんは、春さんのどこが好きだったんですか……?」    暫く休んでから、俺はずっと気になっていた事を、遂に明に聞く事にした。明は、寂しそうに、然しその反面、どこか嬉しそうにこう言った。 「そうだなぁ……全部かな。素っ気なく見えて実は優しいところとか、普段は無表情なのに笑うと可愛いところとか、相手の心を見て話をしてくれるところとか」 「容姿、は……?」 「勿論好きだよ。大好き」  そう言った明の瞳は優しく、声はとても穏やかだった。     胸が痛い。再び呼吸が乱れる。息が、上手く出来ない。   「大丈夫?俺、従業員の人、呼んでくるね」  そう言って立ち上がろうとする明の服の裾を掴み、俺は何とか引き止める。 「薬……あるんで、大丈夫です」 「でも……」  明は躊躇っていた。 「大丈夫です……お話、続けてください」  俺はそう言い、念のためにと持参していた頓服薬を取り出し、ペットボトルの水と共に飲み下す。  暫くして落ち着いた俺に、明は心配そうに言った。 「大丈夫?話しても……」  「……はい」  俺は泣き出しそうな、気が狂れそうな気持ちをぐっと堪えてそう言った。明は優しい声でこう言った。 「春ちゃんの容姿が好きだって話だったね」  俺は小さく頷く。 「……俺は確かに春ちゃんの容姿が好きだった。でもね、俺は春ちゃんと、そして瑞稀くんに教えてもらったんだ。見かけの美しさよりも大切なものがあるって」  明はそう言って、更にこう続けた。 「心の美しさ、つまり優しさや思い遣りだね。特に春ちゃんは、初めて俺の心に触れてくれた、大切な人だった」 「そして瑞稀くんからは、もう一つ大切なことを教わったよ」 「……?」  俺は何だろう、と明の言葉を待った。すると明は、 「まだ内緒。いつか話すね」  と言って微笑んだ。俺は、 「……お、れは……俺は、ずっと春さんの代用品扱いを受けてきました、あの人から……だから俺、思ったんです。明さんは春さんによく似た容姿だから、俺を好きになってくれたのかなって」 「そう思うと辛かった。苦しかった。また俺を、俺自身を見てはもらえないのかなって」 「本当は明さんを信じたいんです。でも怖くて……」  と、ずっと押さえつけていた本音を吐き出した。目からは、気付けば涙が零れていた。  明がそっと俺の頭に手を伸ばす。然し俺は反射的に体を強張らせて、目を強く瞑る。  しまった、と思い目を開けると明は、哀しそうな顔で、 「あ……ごめんね。怖いよね」  と言って、慌てて手を引いた。そして、 「瑞稀くんを初めて見た時、驚いた。春ちゃんにそっくりだと思ったのは嘘じゃない。失恋したばかりの俺は、そこに惹かれた部分もあったのは確かだった。ただね、俺は春ちゃんをずっと傍で見てきたから分かるけど、瑞稀くんの容姿は春ちゃんそのものじゃない」  と言う。更に、 「それに瑞稀くんは春ちゃんとは表情も違うし、性格も違うでしょう?代用品なんて、俺は思ったこと一度も無いよ」 「俺は瑞稀くんの、瑞稀くんだけの美しさに惹かれた。優しさに惹かれた」 「美しさを誰よりも重視してきた俺が言う事だから、これは事実。だから、信じて」  と続けた。俺は、 「はい……」  と言い、明の目を真っ直ぐに見つめた。明は、   「良かった、ちゃんと伝わって」  と、そう涙を零しながら微笑んだ。  俺は、明の真っ直ぐで温かな言葉たちに安堵した。胸の奥が熱くなり、涙が込み上げる。あぁ、この人は本当に俺の事を、俺をみてくれているのだと。春さんの代用品などではなく、"小川瑞稀"を見てくれていたのだ、と。  後日、遊園地に二人で訪れた日、明は俺への告白と共に、過去の全てを打ち明けてくれた。明が秘密にしていたもう一つの俺から教わったこと、それは"本物の愛、愛する事の意味"だった。  俺は明から沢山のもの、愛情を受け取った。明は友情や親からの愛とはまた違った、魂の触れ合いを経た愛情を注いでくれた。  明は傷ついた俺が一番欲していたものをくれた。俺は明が欲しかったものを渡す事が出来ているのだろうか、そう不安になった俺は明に尋ねた。すると明は優しく微笑みながらこう言った。ちゃんと受け取ったよ、と。  クリスマスの一週間前、明は俺の家に泊まりに来ていた。  俺たちはベッドの上に寝転がり、二人で色々な話をした。  ニ時間程経った時、不意に会話が途切れ、俺は黙って天井を見つめていた。すると隣にいる明の方から視線を感じて、俺はそちらを見る。明は愛おしげに俺を見つめていた。視線が絡み合い、明が徐にこちらに手を伸ばす。俺は明に抱きしめられながら、額に口づけを受けた。 「好きだよ、瑞稀くん」  大好き、明はそう言って微笑む。 「俺も、明さんが好きです」 「ありがとう」  そう言って、明は今度は俺の手を取り、甲にそっと口づけた。 「ずっと一緒にいようね」  そう笑う明に、俺は愛おしさが込み上げてきて、静かに唇を重ねた。 「珍しいね、どうしたの?」  明が不思議そうな表情でいった。俺は、 「明さんの事が可愛いなぁって思ったからです」 「瑞稀くんも可愛いよ」  再び唇を重ねる。今度は深い口づけ。舌を絡めながら、何度も何度も求め合う。  乱れた呼吸が静寂を破り響く。 「……ねぇ、俺、瑞稀くんとしたいな」   明が目を伏せ、静かにそう言う。 「駄目?」  甘い声でねだられる。俺は明が愛おしくて仕方なかった。おれは正直に、 「俺も、したい……です」  と言う。明は嬉しそうに笑って 「可愛い……」  と言い、更に、 「いい子だね」  そう明が頭を撫でながら言った時だった。俺はびく、と体が震え、反射的に、 「申し訳ありません……」  と口にしていた。俺が怯える姿を見て、 「ねぇ、もしかして今の……」  と明が心配そうに顔を覗き込む 「あいつに言われてたんだね……」  ごめん、気づけなくて、そう言って明は涙を零した。そして、 「どうしてもこれは苦手、聞きたくない、されたくないっていう事があったら教えてね。俺、絶対しないから」 「約束する」  明は俺の目を見ながら、優しく、けれど力強くそう言った。 「ありがとうございます……」  明は俺を抱き寄せ、優しく抱きしめてくれた。頭を撫で、 「偉いね、よく頑張ったね……もう怖くないよ」  と何度も何度もそう言い、励ましてくれた。  俺は泣きながら明に抱きついて、 「怖い……怖くて仕方なかった。ずっと嫌だったんです。一人きりで、辛かった」  と、そう本音を伝えた。  明は優しく微笑んで、これからは瑞稀くんを一人になんてさせないからね、と言った。 「はい……」 「じゃあ今日はキスだけにしようか」 「え、でも……」   「いいの、俺の事は。瑞稀くんの心の方が大事だから。今瑞稀くんの心と体はボロボロで、悲鳴を上げてる。だから、無理強いはしたくない。俺、瑞稀くんが怖くなくなるまで待つよ。だから安心して」 「ありがとう、ございます。すみません……本当に」 「謝らなくていいよ、瑞稀くんは何も悪くないんだから」 「じゃあ、その分沢山抱きしめて、キスしてもいい?」 「はい」  そうして俺と明は唇を重ね合わせ、深く口づける。角度を変えて幾度もそれを繰り返した。舌を絡め合わせ、強く吸われる。頭がくらくらして、心地の良い目眩に襲われた俺は、暫くの間、甘いひと時に酔いしれていた。  互いに満足するまで口づけを交わした後、俺は明に抱きしめられながら、その腕の中で穏やかに眠った。その日、俺は悪夢を見なかった。  クリスマスから数ヶ月後。季節は巡って、暖かな春が訪れた頃。ある日、俺と明は月浦堂にいた。 「それにしてもあの明くんがねぇ……」  今日は雪でも降るのかな、と春さんが空を見上げる。  明は、髪を黒く染めてピアスを全て外し、三つ揃えのスーツを着ていた。 「こういう俺もかっこいいでしょ」  と、明が得意げに言うと、春さんが、 「それはいいんだけど、なんで伊達眼鏡……?」  と不思議そうに言った。 「確かに」    と俺が笑う。 「形から入るのも大事かな、って」  と明は大真面目にそう言う。そして、まぁそれはそれとして、とこう続ける。 「瑞稀のご両親へ初めて挨拶に行くんだから、これくらいしないとね」  明はそう言って俺に微笑みかける。俺はありがとう、と言って笑った。そして、 「父さんと母さん、楽しみにしてるって言ってたよ」  と続けた。  父さんは最初、男性の恋人を連れて行くと聞いて驚いていたらしいが、母さんや、俺がお世話になった透さんたちからの説得を受け、渋々ながらも何とか理解を示してくれるようになった。 「まぁ、くれぐれも失礼のないようにな」  透さんが念を押すように言った。       「分かってるって」 「まるで父親みたいだな、透」      春さんが笑う。 「手のかかる息子だよ、全く」  と、透さんが溜め息を吐く。 「じゃあ、そろそろ行こうか、瑞稀」  明がそう言って微笑む。 「うん」    と、俺が言う。 「頑張ってね。健闘を祈るよ、明くん」   「ありがとう、春ちゃん」   「気をつけてな」 「あぁ、またな月浦」  そう言って春さんたちと別れた俺たちは、俺の実家を目指した。  電車に乗り、到着した最寄り駅から十分程歩いたところにある、俺の家まで歩く。 「ねぇ、俺変じゃない?大丈夫かな」 「大丈夫、似合ってるよ」  珍しく不安そうにする明が愛おしくて、俺は微笑みながらそう言った。 「ここだよ」   「うん……」    明は、極限まで緊張しているように見えた。俯き、小声で挨拶の練習を繰り返し行い、その場を行ったり来たりしながら、全体的に落ち着きがなかった。俺は、大丈夫だから、と励まし、   「じゃあ、押すね」  と、玄関のインターフォンを鳴らす。暫くして玄関が開き、母さんが出てきた。 「いらっしゃい。はじめまして、瑞稀の母です。今日はよくいらしてくださいました」 「瀬川明です、はじめまして。お邪魔させていただきます」   「あら、素敵な方じゃない。モデルさんみたいね」  母さんがそう言うと、明は照れたように笑って、ありがとうございます、と言った。 「ただいま、母さん」 「おかえり瑞稀。元気そうね」 「うん、父さんは?」 「リビングで待ちかねてるわ。早く顔を見せてあげて」 「はぁい」  俺たちは玄関で靴を脱ぎ、リビングを目指す。リビングには父さんが立っていて、明を見るなりこう言った。 「瑞稀の父です。はじめまして」 「瀬川明です。本日はお招きいただきありがとうございます。これ、お口に合うか分かりませんが、宜しかったらどうぞ」  そう言って明が菓子折りを差し出し、 「お気遣いありがとうございます。母さん、お願いするよ」  と、父さんは菓子折りを母さんに渡し、どうぞ、と椅子を勧める。母さんは、 「ありがとうございます、お茶を淹れてきますね」  と言ってキッチンへと消えた。 「ありがとうございます、失礼します」  明は緊張した面持ちでそう答え、俺と共に椅子に座る。  そうして俺たちは様々な話をした。世間話から始まり、あの事件の話、明の仕事の話、そして、俺たちの話になった。 「なんでも瑞稀とお付き合いされてるとか……私は古い人間なので、あまりそういった話に免疫がないのですが、中野さんや月浦さん、妻たちから話を聞く内に何とか理解できるようになりました。正直、未だに驚いてはいますが……でも、優しそうな方で良かった」 「なぁ、瑞稀」     父さんが笑顔でそう言った。俺は、 「うん。人の痛みが分かる、とても優しくて良い人だよ。この人がいなかったら、今、俺は笑えていなかったかもしれない。俺にとって、かけがえのない大切な人なんだ」  と言う。父さんは、 「そうか。なら良かった」  と微笑んだ。明は、 「ありがとうございます。こちらこそ、ご両親が優しい方で本当に良かった。微力ながら、瑞稀さんの心の絆が少しでも早く癒えるように、瑞稀さんを幸せに出来るように尽力させていただきますので、どうぞこれからも宜しくお願い致します」  と、そう言って頭を下げる。 「ありがとう。瑞稀もこう言っている事だし、君になら任せそうだ。こちらこそ宜しく頼むよ」  父さんが言い、母さんが、 「瀬川さん、瑞稀の事、宜しくお願い致しますね」  と言った。明は笑顔で、 「はい。ありがとうございます」  と言った。  その日の夕方。挨拶の後、食事会を終えた俺たちは、明の自宅にいた。俺は今日は泊まりだ。 「あぁ、良かった……二人とも優しくて良い方たちだね。流石瑞稀のご両親だ」  明が安堵したようにそう言う。俺は、 「ありがとう。二人とも明の事気に入ってくれたみたいだし、俺も嬉しいよ」  と言う。明は笑いながら、 「頑張ってイメチェンした甲斐があったよ」  と冗談めかして言い、俺は、 「はは、今度はいつもの赤い髪とピアスの姿も見せてあげてよ」  と笑った。然し、明は急に真面目な顔をしたかと思えば、静かに微笑み、こう言った。 「……これからは染めないよ。ピアスもやめる。服は変わらないけどね」 「え?何で?」  一時的なイメージチェンジだとばかり思い込んでいた俺は、驚いてそう尋ねた。すると、 「もういいんだ。赤い髪も、ピアスも――瑞稀がいれば、俺はもう、寂しくないから」  だからいいんだ、と明は微笑んだ。   それに、と言い、明は俺の頬を両手で優しく包む。明は、いつもとは違う、妖艶な微笑みを浮かべてこう囁いた。 「……こういう俺も好きでしょ?」  そうして明は、静かに俺に口づけた。  俺は思わず俯き、視線を逸らす。明は笑いながら俺を覗き込み、 「ね?」  と言った。俺は耳朶まで赤く染めながら、うん、と小さく頷いた。

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