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第11話 蜜月(後編)
そして梅雨の時期が来た。
雨が降りしきる中、色とりどりの紫陽花が千紫万紅に咲き乱れる道を、傘を差して彼と歩く。久々に瀬川の勤める店に行き、帰り道に夕飯の買い出しをしようとしていた時のこと。彼がふと思い出したようにこう言った。
「あれ以来、あの夢を見なくなったんだ」
そういえば、あの夢は最近見ていない。
「俺もだ。不思議だな」
俺が言うと、彼は、
「……透、あの時はすまなかった。死にたいなんて言って」
どうかしてたんだ、と俯く。
「気にしなくてもいいよ。あんな事があったんだ、仕方ないさ」
俺はそう言って微笑む。
「それから……いつも迷惑かけてごめん。自暴自棄になるのが俺の悪い癖だよな」
「そうだな……あとはやたら食べ過ぎるところとかな」
俺は溜め息を吐く。
彼は苦笑しながら、改めるよ、と言った。
「期待してるよ」
そう言って俺は笑う。店に着いた俺たちは、買い物をして帰宅する。そして俺は夕食を作り、彼と共にそれを食べた。
「ご馳走様」
「春、まだ一杯しか食べてないじゃないか」
どうしたんだ、と俺は驚いてそう言う。
「言っただろ、改めるって。透の為にも長生きしないとな」
「デザートは……?」
「食べないよ」
彼は困ったように笑う。
「偉いぞ春。やれば出来るじゃないか」
俺は感心してそう言う。
「まぁ、春さんが本気を出したらこんなもんよ」
彼は得意げにそう言い、俺は彼の頭を撫でて笑った。
食後、ソファに二人並んで座り、俺は本を読み、彼は小説を書いていた。
頁を捲る音とキーを打つ音だけが響く静かな室内。と、突然、あのさぁ、と彼がパソコンを閉じながら言う。
「今度結婚式を挙げないか」
二人だけで、と。
「え?」
突然の提案に驚き、俺は本から顔を上げ、彼を見た。
彼は俺の目をじっと見つめながらこう続けた。
「結婚したいんだ、透と。法律上は難しいかもしれないけど、せめて形だけでもしたい」
「君はどう思う?」
そう問われ、俺は少し考えてからこう答えた。
「……俺もしたい。春と結婚出来たら、幸せだと思うから」
「ありがとう」
彼は微笑み、これ、式場の候補なんだけど、とパソコンの画面を開き、こちらに見せてきた。
「あぁ、こことか良いんじゃないか」
「そうだな。あとは、こっちも」
俺たちはその後暫しの間、式場探しに夢中になった。
一ヶ月後。海が見える小さなチャペルで、俺たちは二人きりの式を挙げた。純白のタキシードを身に着けた彼はいつにも増してとても美しかった。
俺たちは指輪を交換し、誓いのキスをする。
「……愛してる」
彼は幸せそうにそう言い、柔らかく笑った。
俺はその笑顔を見て、息苦しい程の愛おしさを感じた。胸に、甘い痛みが走る。
「俺もだよ、春」
彼の頭を優しく撫でながら、俺は静かに彼を抱きしめた。
帰宅した俺たちはソファに並んで座り、今日行った結婚式について語り合った。
後日。俺は、花屋で深紅の薔薇の花束を作ってもらい、彼に手渡す。
「……ありがとう、透」
彼が嬉しそうに微笑む。俺は彼に口づけて、こう言った。
「折角だし、これを期にパートナーシップ制度の申請をしようと思ってるんだ」
しても良いか?と俺は彼に尋ねる。彼は愛おしげに俺を見上げながら、
「良いよ、勿論」
と笑った。俺たちはその日、手続きに必要な書類を集め、後日申請手続きを行った。
その日の内に証明書が発行され、俺たちはホテルのレストランでささやかな結婚祝いをした。そしてあの日、クリスマスイヴに泊まったホテルで、俺たちは再び愛し合った。
俺は彼にネクタイで目隠しをすると、口づけをしながらこう言った。
「……春、口を開けてごらん」
彼は躊躇いながら口を開く。赤い舌がのぞく口内に、俺は張り詰め、蜜を零す自身をゆっくりと挿入した。
「舐めて」
「ん……ぅ」
彼は嬉しそうに、口に含んだそれを舌で愛撫する。口の端から時折涎を零しながら、懸命に俺を悦ばせようとする、その愛らしくも妖艶な姿に、俺は静かな背徳感と快楽を覚える。
軈て俺が彼の中で果てると、彼は喉を鳴らしてその口内に溢れた蜜と唾液を飲み込んだ。
「春……凄く可愛い」
俺は自身を引き抜くと、彼の頭を優しく撫でながら、再び口づけた。僅かな苦味が口内に広がる。舌を絡め合い、濃厚な口づけを交わした後、唇を離す。彼は恍惚とした表情でこう囁く。
「透……俺の大切な愛しい旦那さん。ずっと一緒にいよう」
「春。たった一人の、可愛い俺の伴侶。永遠に離さない。約束する」
俺がそう答えると、彼は涙を零して、愛してる、とそう呟いた。
俺たちはその日、互いに溺れるように深く、深く愛し合った。
ある日のこと。買い物のために街を歩いていた俺は、あるヴィンテージ・ドレスショップの前で足を止める。ショウ・ウィンドウの中に飾られた一着のアンティークのドレス。
オーガンジーで出来た透け感のある袖、純白の美しいレースと、上品な幅の広いフリルに彩られたそのロングドレスを見た時、彼に初めて会った時のことを思い出す。きっと、ビスクドールのような彼の美しい容姿によく似合うだろう、と俺は思った。
そうして気付けば、俺は店のドアに手を掛けていた。
「ただいま」
「おかえり、透」
彼は俺を出迎え、甘え、強請るように口づけをする。
「中々帰らないから、寂しかった」
「ごめん。春へのプレゼントを買ってたんだ」
「俺に?」
彼は嬉しそうに笑った。俺は白い大きな紙袋を渡す。
「開けてみて」
「……ドレス?」
「春に似合うと思って」
「確かに綺麗だけど、俺似合うかな……」
大丈夫だよ、と俺は言い、
「おいで、着せてあげる」
と笑う。俺は彼に口づけをしながらゆっくりと服を脱がせた。一枚、また一枚と静かに服が床に積み重なっていく。
「……下着も?」
彼は恥じらうように俯く。
「そう」
俺は一糸纏わぬ姿になった彼の顎に手を添え、上向かせてじっと瞳を見つめた。彼は恍惚とした瞳に、僅かに怯えと不安を滲ませる。軈て諦めたように目を伏せ、分かった、と言った。
今度は順に服を着せていく。レースで出来た下着、ガーターベルト、レースの付いたニーハイソックス。全て純白で揃えたそれらは彼の美しい肌によく映えた。
時折彼の身体に愛撫を加え、口づけを交わしながら一枚一枚、着せていく。
彼は羞恥で頬を薄っすらと薔薇色に染め、強く目を瞑りながら、俺にされるがままでいた。
ドレスを着せ、ファスナーをゆっくりとあげる。頭には黒いストレートのロングヘア・ウィッグを被せ、最後にレースのヴェールを被せると、俺は姿見の前まで手を引き、彼にこう言った。
「目を開けて」
「……綺麗だよ、春」
よく似合ってる、と俺はそう言った。
彼は恐る恐る目を開け、鏡の中の自分の姿を見た。
「これが、俺……?」
恍惚とした表情で、彼はそう呟く。倒錯的な妖艶さを纏った彼は、蠱惑的で、とても美しかった。
「今日はこれで過ごして」
「このまま……?」
「そう。今日一日俺の人形になってもらう」
「喋ったら駄目。動いても駄目。俺の言う事に従って」
小さく頷いた彼を抱き抱えてソファに座らせると、ドレスの裾から覗く爪先にそっと口づける。そのまま裾を捲り、爪先から脹脛《ふくらはぎ》、ガーターベルトが喰い込む柔らかな腿まで口づけしながら、舌を這わせた。彼は両手で口許を押さえ、声を漏らさないように必死な様子だった。
「人形は動かないよ、春」
そう言って俺は彼の両手を外し、予め用意していた純白の絹で出来たリボンを幾重にも巻きつけ、彼の両手を拘束し、縛り上げる。
彼は怯えたように俺を見つめ、微かに身体を震わせる。俺はその瞳に仄暗い愉悦を覚える。背筋にぞくり、と甘く切ない震えが走った。僅かに加虐心が擽られる。
「春……俺だけの可愛い人形。ずっと閉じ込めてしまいたい」
ヴェール越しに彼に口づけをしながら、露わになった腿を執拗に揉みしだき、撫でる。俺は片手でそっとガーターベルトのクリップを外し、片方だけソックスを脱がせた。
敢えて局部には触れず、剥き出しの素足に爪先から丁寧に口づけをする。彼の唇から甘い吐息が漏れ出る。彼自身には触れないまま、俺はただ愛撫を続けた。軈て全身を震わせ彼が気を遣った頃、彼の下着を腿のあたりまで下ろす。たっぷりと溢れた蜜に濡れた彼自身を見た俺は、
「……いけないよ、春。人形がこんな淫らな反応をしたら」
と、耳元で囁く。ヴェール越しの彼の瞳は、表情は、見なくても蕩けきっていることが伝わってくる。俺は彼の耳元に息を吹きかけ、唾液を絡ませながら耳朶を喰む。静かな部屋には衣擦れの音と、水音だけが響いた。
彼は幾度も俺の腕の中で果てた。最終的に彼は唇を重ねるだけで気を遣るようになり、俺は遂に一度も、蜜を溢す彼自身に触れることはなかった。
「一度も触れてもいないのに……駄目だろう、春。きちんと言うことを聞かないと」
どうやら仕置きが必要みたいだな、と、俺は溜め息を零してそう言った。そうして彼の内腿に口づけ、きつく吸った後、彼の腕を縛っていたリボンを解くと、今度はそれで蜜を溢す彼の根元を軽く締め上げ、縛った。
彼の口許から甘い溜め息が漏れ出る。
「淫らで愛しい俺だけの人形。お前の魂も、肉体も全てを俺だけのものにしたい」
「いいか?」
彼は何も答えず、その代わりに小さく身体を震わせる。果てようとする彼を、根本の小さな拘束が許さなかった。彼は静かに涙を零して、微かに身を震わせ続けた。
俺はヴェールを捲ると、舌を入れ深く口づける。暫く口づけを楽しんだ後、リボンを解きこう言った。
「……良いよ、春。出しても」
彼の身体がびく、と跳ね上がる。白くとろりとした淫らな蜜を溢れさせながら、彼は果てた。それと同時に、彼は強過ぎる快楽に気を失った。
夜、俺は彼の服を脱がせ、ベッドで愛し合った。否、正確に言うと彼を愛した。
彼は俺に抱かれてもただぼんやりと俺を見るばかりで、一言も発さず、身動ぎ一つしなかった。
「春、もう終わったよ。喋ってごらん」
彼は虚ろな目をしたまま何の反応も示さず、黙って俺に抱かれ、ただ静かに果て続けた。
翌日、仕事から帰った俺に、彼がベッドの上で本を読みながらこう呟いた。
「……昨日はごめん、ちゃんと出来なくて」
「何が?」
「だからその……俺が何度も気を遣ったろう。途中で快楽と羞恥で訳が分からなくなって、人形に徹する事が出来なかった」
「だから、ごめん」
「謝らなくてもいいよ。可愛いかったし……」
彼のその純粋な反応を見た俺は、加虐心を煽られ、少しだけ意地の悪い事を言いたくなった。
「でも、そうだな……これからは何もかも俺の許し無しでは出来なくさせようか。勝手に気を遣れないようにするのは勿論、笑うことも、触れることも……声を発することすら」
そうやって俺の手で完璧な人形にするのもいいかもな、と俺は笑みを消し、無表情でそう言った。
彼は恐れと期待、陶酔の入り混じった眼差しを俺に向け、軈てそっと目を伏せ、こう言った。
「……はい」
俺は、彼のその従順な言葉と仕草に加虐心を再び擽られる。そして、
「すまない。少しやり過ぎたみたいだ……冗談だよ」
身体の奥が熱く疼くのを誤魔化しながら、何とか理性を取り戻し、俺は慌てて笑ってそう言った。
「……してくれないのか?」
彼は少し寂しそうにそう呟く。
「春を虐めたい訳じゃないんだ」
俺はそう言って笑う。それは、本心ではあった。彼はじっと俺を見つめてこう言った。
「俺は構わない。透に愛してもらえるなら、どんなことでも喜んで受け入れるよ」
「……本当にいいのか?」
俺は彼の頬に手を添え、そう尋ねる。
「あぁ」
彼の瞳に躊躇いの色は無かった。
「君は俺の全てを愛していると言ってくれた」
「ただ君が愛してくれたものの中で、俺の容姿の美しさだけは期限付きだ。いつかは失われてしまうこの美しさを、俺は君の為だけに使いたい。だから……」
「受け取ってくれ、透」
彼はそう言って涙を零し、俯いた。
「……分かった」
俺はそう言って彼を抱きしめた。
囚われたのは彼か、それとも俺なのか。
窓の外には満ちた月が浮かぶ。そこには、もう遮る雲も霞も無く、露わになった月がただ輝いていた。月明かりに照らされ、俺たちはただ危うく歪な愛を確かめ合った。その時俺は不意に、あの日見た夢と出来事を思い出す。あの時と違い、恐怖は、もう不思議と感じなかった。
数日後の夜。俺は彼とソファで並んで本を読んでいた。
途中、彼が俺の肩に頭を預け、気持ち良さそうに目を閉じた。
「どうした?」
「……幸せだなぁ、って」
「俺、透に出会えて、こうして一緒にいられて本当に嬉しいんだ」
「俺もだよ」
「……君とずっと一緒にいたい」
最期まで、と彼は微笑む。
俺は答える代わりに静かに彼に口づけた。
例えいつか、俺たちを死が分かつとしても。互いに深く刻まれたこの想いが、必ず貴方を見つけ出す標となるから。
それから数十年後――
俺たちはあの時の約束の通り、長い時を共にした。
時を経て少しずつ失われていった彼の容姿の美しさ。彼が夏祭りの日に恐れていたそれに反比例するように、俺は彼の全てを愛していった。優しい声と、笑顔。柔らかさを失っていく手と、皺の刻まれた指先。彼との日々は狂おしいまでに愛おしく、かけがえのないものだった。
彼が亡くなる時、俺は皺だらけのか細い彼の手を握り、ずっと傍を離れずにいた。亡くなる少し前から、俺の事すら分からなくなっていた彼は、最期の瞬間、俺の顔を見て穏やかに笑ってくれた。そして僅かに俺の手を握り返し、ありがとう、と呟いたのを今日までずっと覚えている。
「――御臨終です」
彼が亡くなってから、数年後のある穏やかな春の日。俺は病院のベッドの上で静かに息を引き取った。
俺が再び目を開けた時、目の前は暗闇だった。俺はその暗闇の中を、遠くに見える微かな光を頼りに、歩みを進める。どれくらい歩いただろう。気付けばあの頃夢で見た懐かしい、霧深い森と、湖、満ちた月がそこにあった。
湖の傍には彼がいた。遠い昔のような、あの若く美しい姿で。俺はその姿を見た瞬間、懐かしさで胸が締め付けられる。
『待ってたよ、透。行こうか』
彼はそう言って笑った。
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