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第5話 おしまいの朝

 翌朝、丈一郎は、ブラインドの隙間から差し込む朝日で目を覚ました。  あの行為の後、二人でずるずるソファの上で寝てしまったらしい。その証拠に、半裸の丈一郎の隣では、同じく半裸のタツが背もたれにしなだれて眠っていた。  右腕を枕に眠るタツの横顔は、相も変わらず美しかった。けれども、目尻には行為中に溢れ出た涙と、その滲む涙を擦った跡で赤く腫れてしまっている。 ――タツ、ナカでしたことあるの?  昨晩の行為中、丈一郎がどうしても堪えきれずに聞いてしまった質問に、タツは酷く狼狽えた。 「ん、あ、ち、ちが……っ、ちがうっ、んなことなっ、じょういちろっ、ちげぇから……っ、ちげぇからな……丈一郎っ! んんっ!」  息を乱すその合間に、ただただ否定と丈一郎の名前を繰り返す。  例え生理的な理由であっても、涙が出ていることが許せないのか、何度も必死に目元を拭った。 「ごめん、タツ」  起こさないよう、横顔にそっと頬を寄せた。  昨日みたいに燃えるような熱さはなくて、朝の冷え込みのせいか、むしろ流水に顔を浸けたみたいだ。  自分はタツのことを何にも知らないのだな、と丈一郎は改めて思う。  タツが鬼倉田の家に住むようになって一年、ほぼ二十四時間一緒にいるから、もう何でも知ったような気になっていた。  けれどもそんなのは自惚れでしかなかった。  タツの、「鷹橋(たかはし) 辰樹(たつき)」の中の「丈一郎の拾ったタツ」である時間は、約十数年生きてきた中の僅か一年でしかない。 「あんなこと、言わなきゃよかった」  知らないフリだってできたし、タツの「違う」という言葉に従い、聞き流したって別に良かった。  お互いの過去を知らなくとも「この家」では生きられるのだから。  でもそんなこと、昨夜の丈一郎にはとても出来なかったので、鬼倉田のみんなが言うように、やっぱり自分はまだ子供で、「お嬢」から抜け出せないのかもしれない。 「どうした?」  丈一郎、と掠れ声で呼ばれてハッとした。  顔をあげると、タツがぼんやり目を開けて、こちらをゆるく振り向いていた。 「タツ」 「ンだよ、服着てねぇのか。ばか、(さみ)ぃだろ」  グシャグシャになった頭ごと両手で包んで抱き寄せられる。  投げやりな言い草はいつものタツで、丈一郎の胸が痛んだ。 「タツ! 俺、昨日、タツに変なこと聞いちゃって……」 「いいから、早く服着ろ」  感じた痛みのままに丈一郎が口を開く。が、タツはそれを無視して、さらに抱きしめる腕に力を込めた。そのまま、勢い任せにタツの胸へと押し付けられる。  力尽くで、もう喋るな、と言われた気がした。 「お前に風邪ひかせて帰したら、俺がトクさんに殺されんだよ」  頭の上から降ってくる声は優しい。優しすぎて、必要以上に甘やかされていると感じる。  タツは昨日、みんな、丈一郎のことがかわいくて、大事なんだと自分に説いた。そしてタツも、自分のことがかわいいと、だから大事にしてやりたいと言った。  あの時タツは、それと同時に、「みんな」と同じところで綺麗にまっすぐ、自分との一線を引こうとしたのだなと今更思った。 「……ははっ。タツが殺されちゃうの、俺やだなぁ……」  固い胸の中で冗談のように返す。  てっきり、勝手に殺すな、とか、だったらさっさと服着ろよ、とか、気怠い軽口が返ってくるんだと思っていた。  それなのに、タツは何も言わず、ただ丈一郎の背をゆっくりと、赤ん坊でもあやすみたいに、とん、とん、とやんわり叩いた。  それから家に帰るまで、タツとは何も話さなかった。  薄暗い早朝、始発から三本目の電車に乗り込み、まだ人の少ない静かな車内で二十分。端の席に座った丈一郎から、タツは拳一つ分だけ空けて座り、目も合わせずに、ただ黙々と帰路に着いた。  玄関に着くと、トクが門のところで二人の帰りを待っていた。てっきり絞られるのかと思ったが、「お帰りなさいやし」と、ただニヤニヤ楽しげに笑っているだけだった。 「ちゃァんと、私との約束を守ってくんなさって」  トクは、にやにやしながら、丈一郎とタツを順番に見る。  でも、丈一郎もタツもただ口を噤んだだけで何にも言わなかった。言うに言えない、という方が正しいかもしれないが。 「七時までに部屋に戻っときゃ大丈夫ですよ。江には何にも言っちゃいねェんで」  まぁ後は上手くやってくんなせェ、と、トクは、何故か丈一郎ではなく、タツの方の肩を叩いた。 「丈一郎」  敢えて廊下を渡らず、縁側から部屋に戻った。その戻りしな、久しぶりにタツが口を聞く。 「なに」  一体何を言われるのかと、丈一郎は内心どきりとしていた。が、極力平静ぶって、静かに振り向く。  でもやっぱり隠しきれなかったのか、タツは、「顔怖ぇな」と、吹き出しながら笑っていた。 「今度、海でも行くか」  えっ、と面食らった。  全く予想していなかったし、突然過ぎて意味がわからない。 「急にどうしたの?」  キョトンと聞くと、どうもしねぇよ、とタツがまた笑った。 「夏休み、最後だろ。どっか行きてェよなってだけ」  内容はわかるが、やっぱり意味はわからなかった。  どうしても自分の中の好意のせいで、変な期待をしそうになるのが悔しい。  しかし、丈一郎が意を決して、どういう意味、と聞く前に。 「お前と、トラと、三人で。あ、折角だから寺井も呼ぶか?」  ゆるい笑顔に、あ、と思った。  今のは自分でもさすがに分かる。  そうか、そうか、とため息が出た。 「学校で相談しよっか。二人とも、昨日のこと気にしてると思うから」  できるだけ大袈裟に笑って返した。  フラれたな、と頭で理解はしても、受け入れるのには時間がかかりそうだった。

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