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第9話 宴へ

 そんな夏らしい、淡い一日だけの楽しみが過ぎ去れば、そのまま夏季休暇が終わるのかと思っていた。  短い非日常の後は、また普段の大して刺激もない、なだらかで抑圧気味な日が過ぎて、二学期に突入するものだとばかり。  しかし意外にも、今年の鬼倉田 丈一郎の夏は、そういうわけにはいかなかった。 「えっ、なにそれ。めちゃくちゃヤなんだけど」  もう一週間で夏休みが終わるというこの日に、丈一郎はこの上なくはっきりと不満を顔に出す。  夕食後、珍しく江太郎にわざわざ呼ばれて書斎へ行くと、そこにはトクまで妙に含みのある顔をして座っていた。   その時点で既に嫌な予感はしていたのだ。が、それがまた、想像以上に嫌な話だった。 「そりゃまぁねェ。お嬢の気持ちもわかりゃしますけども」  丈一郎のあまりにも不服そうな様子に、トクが顎を擦りながら、ふふっ、と淡く笑んで宥めている。 「おい、徳也(とくや)。あんま丈一郎を甘やかすな」  しかし隣から江太郎がそれをすかさず戒めた。  徳也というのはトクの名前だ。トクが江太郎を「江」と愛称で呼ぶにも関わらず、江太郎の方はトクのことを何故か愛称でなく名前で呼ぶ。 「丈一郎も何だかんだもう十八だ。いつまでも好き勝手さしちゃおけねェだろ」 「なァに急に偉そうなことを。私らだって、大して立派な十八じゃあなかったよ」  トクに鼻で笑って言い負かされ、江太郎は悔し紛れに舌を打つ。「俺らン時とは時代がちげェんだ、時代が!」と、尤もらしくあるような、でもそうでもないようなことを吐き捨てて、丈一郎に向き直った。 「とにかくなァ、丈一郎」  ――明後日の辻田(つじた)の叔父貴の誕生祝い、お前も来い。  一方的に命じられたと思ったら、以上! と無理矢理に結論付けられてしまい、丈一郎は、えーっ! と不満を垂れ流した。根っから面倒事が苦手な江太郎のことなので、説得が億劫になったんだなとすぐにわかる。その証拠に、本来フォローする役目のはずのトクが、ただただ隣で苦笑いだ。  が、江太郎は、もう何も聞かないと言わんばかりだった。自分で呼んでおきながら、徳也と詳しいこと話すから出てけ、と、書斎から、ぽいっ、と丈一郎を放り出すと、果てには鍵までかけて締め出された。 「さいっあく」  怒り任せに、その辺でフラフラしていたタツと、ゴロゴロしていたトラを捕まえ自室に連行し、丈一郎は早速今の出来事を二人に愚痴る。 「本当に久しぶりですねェ。若が駆り出されるの」  いまいち空気が読めないトラは、何年ぶりか、いち、にぃ、と指折り数え始めたが、倒す指の数が自分の両手だけでは間に合わず、「十年? いやもっとですか?」と、結局、結果不明に終わった。 「なに? そんなに厄介者なの? お前」  一方のタツはと言うと、一年前にこの家に来たばかりで、経緯を深くは知らないので、いつもの調子でぼやんとしたまま尋ねてきた。  それに丈一郎は、失礼な、とツッコミがてら否定しようとした。が、それより先にトラの方が、失礼なこと言うんじゃねぇ! とキレていた。 「逆だ、バァカ」 「はぁ?」 「そういう席に出るとなァ、若に近づきてぇ奴が、下っ端からお偉いサンまでゴロゴロ纏わりついてきて、揉め事になるンでよぉ。気ィつかって控えてたんだよ、若は」  「ですよね! 若!」とトラが嬉しそうにこっちを見る。  タツに珍しくでかい顔をできて自慢気なところ悪いが、トラが今言ったことは嘘でもないが真実でもない。  丈一郎が、江太郎達に連れ立って宴席に出たのは、今から十一年前、七つの時が最後だった。  まず前提として、七歳の頃の丈一郎は、ものすごく美しかった。  いやもちろん、今だって美人だ。多分自分より顔の良いやつを探すのはとても骨が折れる行為だと、当の丈一郎ですら思っている。  けれどもその上でも、七つの丈一郎は尋常ではなかった。  子供というのは、成長とともに特有の柔らかで丸い可愛らしさが抜けていき、代わりに手足が伸びて、全体的にすらりとしていく。精神的にも成長し、自我が芽生えて、徐々に、徐々に、思慮深くなる。  その一つの境目というのが、丈一郎にとっては七歳だった。「子供」から「少年」へと変わる狭間、そのアンバランスさに生まれ持った美貌が加わり、なんとも言えない妙な色気があったのである。  そんな丈一郎に変な虫がつかないはずがない。というか、本当に変な虫ばかり続々と(たか)ってきてしまい、ほとんど収集がつかなくなっていた。さらに悪いことには、当時の江太郎は鬼倉田組の後継(こうけい)にかかる厄介事の渦中におり、こういう顔繋ぎの場ではあまり強く出れなかった。  その頃の丈一郎は、呼ばれるがままに宴席に出ては、若い江太郎たちが並ぶ末席でなく、何とひとりで上座に座らされていた。そして、「よう、丈、来い来い」と代わる代わるに手招いて呼ぶ叔父貴達の膝の上が、丈一郎の毎度の定位置だった。  しかし、その状況にある日突然終止符が打たれた。江太郎が、鬼倉田組の五代目として組長に就任したのである。  それ以来、丈一郎は一度も宴席に出なかった。  十一年間、一度もだ。 「ほんとやだ。行きたくない」  丈一郎はそう漏らし、机の上に倒れ伏す。  子供の頃の朧げな記憶からですら、気が進まなくてしょうがなかった。 「断れば?」  心底嫌そうな丈一郎を見て、タツが平然と言った。  トラまでも、「オレもオヤジさんに言いましょうか」と丈一郎の心配をする。 「でも、俺に拒否権無さそうだったし」  ぶすっとむくれて、二人に零した。  どうしようもないのは分かっている。あの場の雰囲気はどう考えても、色んな事情で丈一郎を宴席に連れ出さなければならない江太郎の、後ろめたさを誤魔化したいがだけのためのものだった。  でもだからこそ、タツとトラに甘えたくなる。  江太郎が、本当ならいなくてもいいトクをあの場にわざわざ呼んでいたように、丈一郎も、絶対に自分の味方にしかならない二人に、こうして意味もなく愚痴ってしまう。 「あ、そうだ」  そこでふと、丈一郎は顔を上げた。 「いいこと思いついた」    そう呟いて、二人に振り向く。  タツとトラは揃って怪訝な顔をして、ゆっくり首を横に傾げた。 「明後日さぁ、タツとトラも来てよ」    そのくらい許されるだろ、とニンマリすると、二人の表情がどんどん焦っていくのがよくわかる。  それが面白かったので、最悪だった気分がだいぶん晴れた。  翌々日の夜六時。丈一郎はスーツを着込み、紺地のネクタイを締めていた。学校の制服も学ランだから、どうも着慣れなくて首の座りが悪い気がする。  が、後ろにはもっと座りが悪そうに眉を顰めるタツとトラがいた。丈一郎と同じく黒地のオーソドックスなスーツを着て、タツはグレー、トラはエンジのネクタイをしている。 「ほう。なかなか男前じゃねェか」  あっつい、だりぃ、と文句を垂れるスーツ姿の三人を横に真っ直ぐ並べ、トクが満足そうに言った。 「お嬢が急に二人も連れてくってンでねェ。慌てましたよ、私は」  昨日の晩のことを思い出したのか、トクは苦笑いで口元を押さえている。 「ハァ? タツとトラの奴も連れてけだァ?」  昨日の晩、江太郎がトクと連れ立って帰ってくるなり、丈一郎は早速昨日の「良い思いつき」を進言していた。 「若ェのを一人付けるッつっただろうが」 「父さんだって、ずっとトクさん連れてってるじゃんか。俺もどうせならタツとトラがいい」 「馬鹿言え。ありゃ仕事だ仕事」 「俺だって仕事みたいなもんじゃないの? 別に行きたくて行くんじゃないんだから」  むっ、と口を尖らせ、上目遣いで睨みつけてみせる。  すると、結局は丈一郎に甘い江太郎が、うっ、と言葉に詰まって口を噤む。しかも今回は、丈一郎を無理に行かせるという負い目があって、尚更ばつが悪そうだった。  勝ったな、と丈一郎が内心ほくそ笑むのとほぼ同時、江太郎は、「よう、徳也ァ」と後ろから荷物を持って付いてきたトクの方を振り返った。そして、キョトンとしながらも、おぅ、と、とりあえず返事をしたトクに、コソコソ何やら耳打ちをする。  トクは「なんだよ、江も甘やかしてンじゃねぇか」と、半笑いですぐ折れていた。 「タツはいいけど、トラは江の若ェ頃のスーツが合って良かったよ」  さすがに擦り切れた学生服で行かせらンねェからな、とトクは煙草に火をつけながら言う。  二人の急拵えのスーツ姿は、洒落っ気のあるトクによる仕事だ。丈一郎は元より行かせるつもりだったので、密かに仕立ててあったスーツがあったが、タツとトラにはそれがない。それで背丈に合わせて致し方なく、トクは自前のスーツをタツに、トラには江太郎の昔着ていたものを貸していた。  でも、さすがトクの見立てだけあって、丈一郎から見てもよく出来ている。二人とも何だかんだ背が高くてスタイルがいいから似合っていた。  いつもはフニャフニャしたデッカいネコみたいなトラが、スーツを着て髪を撫でつけただけなのに、今はどうにも不思議と大人っぽい。あの普段のアホっぷりはどこに行った。  タツの方も、いつも開けっ放しの上着を今日はさすがにきちんと閉め、だるく腰で履くスラックスもちゃんとウエストに当てていた。そのおかげで、よく締まった腰の細さが際立って、立ち姿が綺麗だった。ふわふわと長い茶色の癖毛は、後ろでハーフアップにしてまとめている。 「はぁ、タツ、かっこいい……スーツ似合う……」  目的地近くを歩きながら、丈一郎はその後ろ姿に、こっそり、ほう、とため息をついた。  あと数分で着くというところで、三人が乗っていた車が渋滞にハマりそうになり、歩いていった方が早いとそこで車を降りたのだ。  タツは、いつもは髪で隠れている下顎辺りが丸出しなのが気になるらしく、無意識に度々摩っている。全身どこもかしこも、こんなにめちゃくちゃ似合っているのに、仕草は初々しくて不釣り合いだ。  かわいい。というか、何かえろい。こんなえろくてかわいい恋人を、あんな魔窟みたいなところに連れて行ってしまって大丈夫なのか。 「……さっきから何見てんだ」  そんなことを考えていたら、タツが丈一郎の視線に気付いて振り向いた。あんまりじっと見すぎたらしい。 「だって、俺のタツがかっこいいんだもん」  もうどうせバレたと開き直り、タツの腰に後ろから腕を回して絡みつく。自分の腕の中で、微かにピクっと震えるタツに、キュンと胸がときめいた。 「本当最悪だと思ってたけど、こんなにかっこいいタツを見てられるんだったらまぁいいや」  腰を抱いたまま下から揶揄うように覗き込むと、タツは照れくさそうにむこうを向く。ずっと子供扱いしかしてくれなかったあのタツが、まさか自分に褒められて照れてるなんて、と、丈一郎は地味に感動していた。そうなってくると嬉しくて、さらに見つめ続けてしまう。  するとタツが、憮然としたまま不意にこっちを流し見た。  不機嫌そうな目つきに、からかいすぎて怒ったかな、と、丈一郎はほんの少し不安になる。  が。 「……お前も、似合ってる」  尖った唇にぼそっと言われて、えっ、と丈一郎は固まった。  タツはそれだけ言って、またむこうを向いてしまった。  さっきからやたら不機嫌そうなのは、ずっと弟みたいに可愛がってきた自分なんかに褒められて、照れくさいのだと思っていた。けれども、もしかすると、それだけじゃなかったのかと思い当たる。 「もしかして、今の俺、タツの好み?」  返事はなかった。でも否定もされなかった。  代わりに、いつもは見えない丸出しの耳が赤くなった。 「えっ、なに? ほんと? ほんとなの? やば……最高……タツが俺にキュンってきてる……」 「き、きてねぇ!」  ストレートに言ったら、さすがに言い過ぎだったようで怒られた。後ろから抱きしめていた腕を振り払われ、ふらっと飛んでいくように逃げられる。  残念、と丈一郎は頬を膨らませた。  容姿を褒められるのはいつものことで、慣れている。「綺麗」「かわいい」「かっこいい」は、丈一郎にとって最早会話ではなく、鳥のさえずりみたいなものでしかない。特に何もしていなくても、ただ存在するだけで言われるから、自分の見た目に気を遣う気も興味も一切無くなった。この容姿は便利だし、数少ない自分の武器だとは思うが、自分としてはどうでもいい。  でも、好きな人から褒められるとなると、全然話が別だった。そのことに、今日初めて気が付いた。 「……じゃあ、もっとちゃんとすればよかったな」  邪魔にならなければいいだろうと、ワックスで適当に上げた前髪を今になっていじり出す。どうでもよかったはずの見た目が、突然気になって仕方ない。  後ろから付いてきたトラに、「ねぇ。今日、俺、どう? かっこいい?」と聞いてみた。  トラはしばらくポカンとしていた。 それはもう絵に書いたようで、口が丸くあんぐり開いている。 「……そんなこと、若に初めて聞かれました」 「……そこまでびっくりすることないだろ」 「えっ、いやだって」  ――生まれてから一緒にいて、これまで一回も聞かれたことないので。  他でもないトラにそう言われ、急に気恥ずかしくなってくる。確かにこれじゃ、十八にもなって急に色気づいたみたいだと頭が沸騰しそうに温度を上げた。  混乱する頭のせいで、スーツ着たの初めてだから! と、らしくなく、トラ相手に適当な言い訳までしてしまった。  トラは、そんな丈一郎に、ふふん、と嬉しそうに口角を上げる。そして、太い両腕を肩口に回して、勢いよく後ろから抱きつかれた。 「もうっ! 心配しなくてもぉ、若は、一番かっこよくて、一番綺麗で、最高ですよぉっ! 若をずっと見てきた、このトラが言うんだから絶対間違いありませんっ!」  ねぇーっ! と、折角撫で付けた髪に、頬をグリグリ擦り付けられながら言われる。  こら、トラっ! と、悪ふざけを窘めながら、ぽうっと火照る頬のままに前を見る。  すると、前に逃げたはずのタツが、振り返っていて目が合った。  ――あっ。  自分の気のせいでなければ、伏せられた瞳がちょっとムッとして見えた。  もしかしてヤキモチかなと自惚れるには、あまりにも一瞬の出来事だった。

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