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第11話 消失
高校生活最後の夏は、瞬間風速的な波乱はありながらも、結局ずるずると終わりを迎え、時間経過とともに二学期に入った。
特殊な家庭環境に生まれたせいで忘れがちだが、丈一郎たちの学年は、腐っても高三、受験生である。
一学期のうちはまだ、高校生という身分に浸りたがる奴が多かった気がする。しかしそれも夏が終わると一変し、迫り来る受験の影に冷や汗をかき始めている。
「お前ら、本当のんきでいいなぁ」
そんな中でも丈一郎たち三人だけは、夏休み前と全くと言っていいほど変わりなかった。
今日も丈一郎の背後でぐだぐだと絡み続けているタツとトラを見て、クラスメイトが呆れ半分嫌味半分の感想を述べる。
「丈一郎は内部進学組なんだっけ。成績いいのに勿体なくね?」
「別に……俺は、家から通えればどこでもいいし」
「すげー。やっぱ美人の金持ちは余裕がちげー」
しれっと言う丈一郎に教室内が湧く。
「貴虎は? そもそも進学? てかお前が入れる大学ってこの世にあんの?」
「えっ? オレ? オレは、若のところに永久就職! って、生まれた時から腹決まってンだよ!」
「トラ。お前、アホのくせに、よく知らねえ単語、雰囲気で使うんじゃねぇよ……」
胸を張って堂々と、鼻高々に言い切ったトラに、すかさずタツが頭を抱えながらツッコんだ。
おかげで「若のところに永久就職」に、一度はザワついた教室が、なんだぁ、と平静を取り戻す。
トラは、いずれ正式に丈一郎付きの用心棒になることを生まれつき期待されている。そして何より当の本人がものすごくその気だ。そのことを自慢げに言いたかったらしい。
が、何せアホなので、言葉のチョイスがとんでもなく間違っている。
よかった、ツッコミ役のタツがいて。それからトラがアホなことが教室内でも常識で。
「じゃ、辰樹はー?」
「は?」
「辰樹はどーすんの? 丈一郎と一緒に内進?」
えっ、と人知れず動きを止めたのは、タツではなく丈一郎の方だった。
そういえば、タツって、高校卒業したらどうするんだろう。
今この学校に通っているのだって、丈一郎が、どうしてもタツと一緒に通いたいと江太郎たちに懇願し、あまり人に言えない方法で押し込んでいるに過ぎなかった。
幸い上手く馴染んではいるが、あくまで丈一郎の希望でこうしているだけで、そこにタツの意思はない。
「……俺は、どうだろな」
タツは、低い声で短く答えてはぐらかす。
嘘でも適当に取り繕われれば少しは安心できたのに、そうですらなかった。そのことに、丈一郎の心臓が急激に跳ねる。
一緒にいるのがもうとっくに普通になって、すっかり忘れてしまっていた。
そういえば、十七歳より前のタツのことを、自分はなんにも知らないのだ。だから、タツがこれからどうするつもりなのか、どうしたいのか、丈一郎には全く読めないし、想像もできない。
「丈一郎?」
何かを察して、タツがさりげなく覗き込んできた。
どうやら心穏やかでないのがバレているらしい。タツは呆れ混じりの困った顔をしていた。
「タツもまた、俺と同じ学校いってよ」
クラスの話題はいつのまにか、三人の進路よりもトラのアホ言動の方に盛り上がりが移っていた。その喧騒をよそにして、そっとタツのシャツの裾を引く。
んー、とタツは一度唸った。そして、そうだなぁ、と自嘲気味に笑う。
「じゃあ、お前がオヤジさん達にそうオネガイしとけば」
そう言って真上から掻き混ぜるように、頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。
乱れた髪を撫でつけながら、もうっ、と頬を膨らませると、わりぃ、やりすぎた、と笑われた。
このいつもの何気ないやり取りが、今の丈一郎には、ただひたすらに虚しかった。
さっき、自分はこれからもタツと一緒にいたいと言ったつもりだった。できるなら、大学だけじゃなく、その先もずっと。
それに対してタツは、そうしたいならまた丈一郎がお願いしてみせろと言った。タツをこの高校に入れた時と、同じことをすればいいだろうと。
やっぱりそこにはタツの意思がなかった。
自分も丈一郎と一緒にいたいだなんて、決して言われやしなかった。
放課後、午後五時半。日が暮れるというにはまだ早い時間、丈一郎は学級委員の仕事を終えて、帰宅しようとしていた。
学級委員と言うと聞こえはいいが、結局の仕事は、ただの生徒会の雑用係である。
今日の仕事も、生徒総会前のクラスアンケートの集計だった。受験が差し迫る三年のうちの半分ほどが、塾だなんだと理由をつけて、委員の仕事をバックれている。結果、既に暇な内進組とサボりベタな気の弱い奴だけが残り、一人あたり通常の倍量を集計させられた。
「今終わったから帰る」と、昇降口でトラに向かってメッセージを打つ。十秒くらいで、「すぐいきます!」と返信が来た。
十五分も待てばトラと迎えの車が来るだろうと、ひとり、正門近くの植え込みに座った。
「おっそ」
「えっ」
上の方から声がして丈一郎はふと顔をあげる。
「タツ」
帰ったんじゃなかったの、と首を傾げた。
何しろ一時間ほど前に、トラと寺井と並び、手を振って別れたばかりだった。
「別に? ガッコ出てコンビニ行って、戻ってきただけ」
「で、正門で待ってたの? いつから?」
「言わねー」
タツは答えを拒否して、丈一郎の隣に腰を下ろす。
手に持ったコンビニの袋がガサッと鳴った。
「やる」
「……ありがと」
タツはコンビニ袋からコーラのペットボトルを取り出して、丈一郎に手渡した。
冷えていたであろうコーラは外気で結露して汗をかき、ほんのりぬるくなり始めている。蓋を回すと、プシュッ、と炭酸が抜ける音がして、嗅ぎなれた香料の匂いがした。
「……ぬっる」
「文句言うな。しゃーねぇだろ」
「でもさぁ、こういう時はコーラじゃなくない? 絶対ぬるくなるじゃんか」
「いやだってお前コーラ好きだし」
こんなに来ねぇと思わなかったんだよ、と、タツはむすっと口を尖らせる。
そのツンとした唇がかわいくて、丈一郎は、ふっ、と笑ってしまった。
「うそ、うそ! ありがと。わざわざ俺の好きなの選んで買ってきてくれて」
タツかわいい。
そう言って、思わず、ちゅっ、と頬にキスしようとしてしまった。
おい、ばかっ、とタツが慌てて逃げる。
幸いタツが逃げる方が早く、ただ丈一郎が顔を寄せただけで終わり、周りからも、ただクラスメイト同士がじゃれついているだけにしか見えなかった。と思う。
「ごめん、無意識だった」
「無意識で所構わずキスすんなよ!」
「俺、『お嬢』だから、ちょっと世間知らずっていうか……」
「こんな時ばっか『お嬢』使うんじゃねぇ!」
焦っているタツが面白かったので、からかい混じりにさらに迫った。
またキスされるんじゃないかと思ったらしく、タツが顔を背けてギュッと目を瞑る。
それがかわいくて、本当にキスしちゃおっかな、なんて、悪戯心が湧いてきた時だった。
「あ、来ちゃったかも」
車のブレーキ音が聞こえてきて、丈一郎は顔を上げた。見ると正門前に、黒塗りのセダンが一台止まっている。
しかし、微妙にいつもの迎えの車とは違う気がして、丈一郎は眉を顰める。やたらと誘拐されまくってきた不名誉な経験のせいで、妙に車種に敏感になってしまった。
不審に思って警戒していると、バタンと運転席が開いた。
「辰樹さん!」
出てきたのは、スーツ姿の若い男だった。二十代半ばくらいだろうか。あまり特徴のない顔立ちをしていて、記憶しづらい。
その男は真っ直ぐこちらに駆け寄ってきて、必死の形相でタツの手を掴んだ。
「やっと見つけましたよ! 何してるんですか、こんなところで!」
「駿河 」
タツは、男を駿河と呼ぶと、不快そうに顔を顰める。
「お前こそ、こんなとこまで何しに来た」
「何って、辰樹さんを連れ戻しに来たに決まってるじゃないですか! この一年、颯希 さんと私でどれだけ探したか!」
帰りましょう! と駿河は、取り付く島もなくタツの手を引く。
呆気にとられていた丈一郎は、そこでやっとハッとした。
「あの、急に何ですか? ここ学校なんですけど」
「ハァ? 貴方になにか言われる筋合いは……」
とにかく引き止めようと声をかけた丈一郎に、駿河は、ん? と、何かに気付く。
「貴方、お名前は? 最近どこかでお会いしませんでしたか?」
「え? 俺? 俺は」
「言わなくていい」
素直に名乗ろうと開いた口を、タツにそっと覆われた。その横顔は、最近見なかったくらいに鋭く尖っている。
「駿河、とにかく今日は帰ってくれ。学校でふざけたことすんな」
周りが見てる、とタツに言われ、駿河は辺りを見回した。トラブル発生の雰囲気に、下校中の生徒だけでなく、通行人まで立ち止まって、一様に疑惑の視線を送っている。
「……わかりました」
駿河は渋々頷くと、掴んでいたタツの腕を離した。
同時にタツはバッと素早く手を引き抜いて、未だ状況が理解できないでいる丈一郎を自分の背の後ろに隠す。
「今日のところは引き下がります。私も取り乱してしまいましたので。ですが、辰樹さんには近いうちに必ずお戻り頂きます。会社のためにも、颯希さんのためにもです」
では、と頭を下げて、駿河という男は去っていった。
どういうことかと聞きたかったが、タツの表情があまりに険しくて、とても聞ける雰囲気ではなかった。
「悪い。嫌なとこ見せた」
「別に、俺は平気だけど……」
丈一郎としては別にどうという光景ではない。あの家にいると、このくらいの修羅場はままある。
それよりもタツの面持ちと、駿河という男の必死さが気になる。
背後からじくじくと炙るような不穏な気配に、丈一郎は眉根を寄せた。
「……タツ? あの、さ」
でも、どうしても一つだけ聞きたくて、丈一郎は口を開く。
が、その時に再度車のエンジン音がして、今度は確かに鬼倉田の車が門の前に横付けされた。
「若ぁっ! すみませんんっ、お待たせしましたぁっ!」
渋滞にはまっちまって、と、トラが申し訳なさそうに駆けて来る。
タツもいたから平気だよ、と答えながらも、つい気になって丈一郎はタツを見た。
タツは、もういつも通り、なんてことない顔をしていた。しらっと何も無い虚空を見て、ハッカアメを口に放り投げている。
鬼倉田の男としてそれはとても正しい。
正しいのだが、今回ばかりは腑に落ちないし、どこか寂しいような気がして、焦燥ばかりが募ってしまう。
さっき聞こうとしたことだって、このせいで聞きづらくなってしまった。
――タツ、どこかに行かないよね?
本当にこれだけ聞きたかった。
聞いて、ああ、と頷かれて、ただ安心したかった。
それなのに、これを聞けないままいた三日後の朝、タツは鬼倉田の家から消えていた。
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