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第12話 辰樹と颯希

 鷹橋(たかはし) 辰樹(たつき)は、カーテンの隙間から漏れ出る朝の日差しの眩しさで、ずるりと緩慢にまぶたを開けた。  この、三階にある南向きの角部屋は、贅沢にも窓ガラスが八枚もあって、無駄に日が入りすぎていると思う。十畳以上ある部屋の真ん中の、これまた無駄に広いベッドのド真ん中で寝ているにも関わらず、早朝の陽光が眩しいというのは一体どういう理屈なのだろうか。  眠い。時計を見ると、まだ朝の五時半だった。もう一度眠れるものなら眠りたいが、目が冴え過ぎて難しい。  ちくしょう、と悔し紛れにこぼして体を起こす。  できることなら一生寝ていたいくらいなのに、こんなに朝早くから起こされるなんて屈辱だ。 「……くそだりー」  ベッドの上に座り込んで、ため息をつき、ぼそりと零した。返事はない。まぁ他に、誰もいないのだから当たり前か。  シーツからはみ出した身体が何だか肌寒い、と思ったら、上半身が裸だった。下だって下着しかつけていない。  なんで昨日は服を着ないで寝たんだったろうか。一応思い出そうとはしたものの、どうでもよすぎて記憶になかった。  とりあえず、床に落ちていたパーカーを拾って羽織るため、ベッドから下りることにする。せっかく起き上がったのだからついでに何かと思ったが、ついでも何も、そもそも全くすることがなくて、ベッドの端に腰掛けるだけで終わってしまった。  この部屋には娯楽が何もない。スマホはもちろん、タブレットも、ゲームも、テレビすら。  本棚には本が並べて置いてあるが、どれも昔読んだことがあるものばかりでつまらない。  昨日はあまりにも暇で窓の外を見た。  だからどうした、という景色しか無かった。  ――やっぱ寝る以外にすることねぇ。  そう思い直して、辰樹がまたベッドに登り上がった時だった。  コンコン、とドアをノックする音がする。  わざとらしいその音に、辰樹はただただうんざりした。 「辰樹? もう起きたの?」  早起きだね、と猫撫で声で微笑まれる。傾げた首に、サラサラしたベージュ色の髪が揺れている。 「ンだよ、イヤミか。颯希(さつき)」  見るからに不機嫌そうに睨みつけたというのに、颯希は特に気に止めず、寧ろニコニコと楽しげだった。  でも実際、イヤミにも程がある。  どう見ても寝起きの辰樹に対し、颯希はこの時間だと言うのに、すでに白のシャツにスーツパンツという今にも仕事に行けそうな出で立ちだし、髪だって寝癖のひとつもない。  辛うじてパーカーは羽織ったが未だにほぼ全裸だし、もともと癖毛の髪もぐしゃぐしゃのまま、ベッドに足を投げ出している自分とは大違いだ。 「辰樹の前では、いつも綺麗にしてたいんだよ」  颯希は笑顔でそう言うと、自分もベッドの縁に腰掛けた。長い足を組み、少し背を反らして、ベッドの上の辰樹に右手を伸ばす。  細く長く冷たい指が頬に触れ、次に顎と唇を掴む。  自分は颯希の行為に対して何もできない。逃げることも、避けることも、憎まれ口を叩くことも。  颯希と出会って十五年。その(かん)ずっと、そういう風に躾られた。 「辰樹」  親指に下唇を押されて促され、致し方なく口を開ける。  半開きになった口に指が一本差し込まれた。 「ん、んん……ん、ん、あ……」 「口の中、触られるの好きだろ?」  口の中の指が二本になる。  ただ好き勝手されるのに堪えるのが精一杯で、口の端から唾液が溢れても気にしていられない。 「んんっ、ん、ん」 「耳も弱かったな、辰樹は」 「んんんんッ、あ、はぁっ」  同時に耳を舐められていた。  いやだ、と言いたかったような気がするのに、やっぱり言えなかった。  言えないうちに、ピアスが刺さる辺りを犬歯で甘噛みされて、あ、と声が出てしまった。 「辰樹のピアスホール、僕が開けてあげたんだよね」 「ん、んんっ」 「かわいかったな、あの時の辰樹。針刺すの怖がってさ。でも颯希といっしょがいいって、涙目で我慢して」 「あ、んんっ、ん、ん……」  耳元で何か色々言われているが、あまり頭に入ってこない。  それより口の中にある指をうっかり噛まないようにするのに必死だった。  噛んだからって、罰があるとか、別にそういうわけじゃない。むしろ、辰樹が噛みたいなら噛みな、と、必要以上に許される。  その代わり、死ぬまでそのことを言われる。  噛んだね。噛んだよね。血が出たね、と。  まるで、段々と数が増える針のむしろに座らされているみたいに、ちくちく、ちくちく、ことあるごとに刺してくる。  白鷺(しらさぎ) 颯希(さつき)は、そういう男だ。 「辰樹、帰って来てくれて嬉しいよ」 「……んんっ、ぅ、颯希、まって。まって、さつき」  ようやく口から抜かれた指は、唾液で濡れてびしゃびしゃだった。  その指がそのまま丸出しになっていた胸を這い、固くなった粒を撫でる。ぬるっとした感覚が気味悪い。気味悪いのに、腹が疼《うず》く。 「颯希、さつき」  嫌だとも、やめろとも言えないので、苦肉の策で名前を呼ぶ羽目になっている。  どうせ意味なんてないのだが、とりあえず何か言ってやらないと気が済まない。  苦し紛れに皺ひとつない白いシャツを鷲掴みにした。そこだけ汚い皺がついて、ほんの少し溜飲が下がった。 「こんなにしがみついてきて。相変わらず甘えん坊だな、辰樹は」 「ふ、んんっ、うっ、んん……」 「昔から、いつも僕の後をついてきてたな。何でも僕と一緒がよくて、同じようにしたくて」  ねぇ? と囁かれ、抱きしめられる。背中に回る濡れた右手の指が、下着のゴムを(めく)って潜る。 「辰樹には、やっぱり僕がいなきゃだめだろ?」  そんなわけない。何ならいなくていい。できることならこれまでの自分の人生から、颯希という存在を、一切無かったことにしたい。  でもそれなのに、違うと言えない。十五年、言えなかったことを急に言えるわけがない。    この一年は楽しかった。  この一年を忘れずに覚えていたいとは思う。  そうしたら、またここに戻って来ても、どうにか過ごしていられる気がしている。  鷹橋(たかはし) 辰樹(たつき)は、白鷺(しらさぎ) 颯希(さつき)に飼い殺されている。

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