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第14話 お嬢とトクと煙草のけむり
すっかり日の暮れた縁側は、奥の今の照明が点いていても暗かった。特に庭は、外をぐるりと木塀に囲まれているから月明かりくらいしか照らすものがない。塀沿いに生い茂るツツジは、夜風に枝をざわめかせ、 音だけはしても暗闇に紛れて何も見えない。
「トクさん」
トクはその何も見えないツツジを、ぼうっと眺めていた。
縁側のフチに足を組んで座り、時々煙草の煙を吐く。
丈一郎が声をかけると、おう、お嬢、と、やんわり首だけで振り向き、何か含ませるように薄く微笑み返された。
「どうしました? 子供はもう寝る時間じゃねェですかねェ」
わざとらしい言い草がトクらしい。
でも言い返すとトクの思う壷な気がして、すんとしたまま隣に座った。
「ねぇ、トクさん」
「あい、なんです?」
「トクさんはさ、何で父さんの舎弟になったの?」
素知らぬ顔で下から見上げるようにして聞くと、トクは一瞬固まって、目を何度か瞬かせた。
そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったようで、あのトクを呆気にとってやったと思うと、ついしたり顔をしてしまう。
「なんでって……何だってそんなこと知りてぇんです?」
煙草片手に聞き返された。
「だって今まで聞いたことないもん」と、不貞腐れたフリをすると、参ったねぇ、とトクが作り笑いをした。
「幼馴染って言ってたけどさ。トクさんは、俺とトラと違って、別に親戚とかじゃないだろ? いくら幼馴染だからって、舎弟にまでなることないじゃん。トクさん、出世とかもしたがらないし」
他はともかく、丈一郎が今言ったことは、以前から本当に不思議に思っていたことだ。
仲が良かったというのは分かる。今でもどうかしてるんじゃないかってくらい一緒にいるし、江太郎が何か困った時に、とりあえず呼ぶのは絶対にトクだ。
でも仲がいいだけで、カタギから組に入るというのはよくわからない。トクが組に入ったのは二十八の時だったらしいが、元々「コッチ」に来たかったという感じもない。出世の話は片っ端から断っていて、古株であちこち顔も効き、組の内外問わず慕われているのに、未だにただの「トクさん」のままだ。
鬼倉田組には、若頭も舎弟頭も別にいる。それなのに、江太郎も江太郎で、当たり前に彼らを差し置いて、「幼馴染の徳也」のことを、どこに行くにも連れ歩く。
そりゃ、江太郎からすれば、昔から仲が良くて、賢くて、うまくフォローしてくれるトクが隣にいたら安心だろうが、当のトクには何のメリットも無さそうに見える。
「まさかお嬢にそんなこと聞かれる日が来るとはねェ」
トクは、そう苦笑して困ったように肩を竦《すく》めた。
「お嬢には、江と私、どういうふうに見えてます?」
「……えっ?」
一体何を聞かれたのか、一瞬理解できなかった。
思わずトクの方を見ると、膝の上にタバコの持つ手の肘をつき、ふふっ、と、胡散臭いくらいに人当たりのいい笑顔で微笑みかけられる。
細めた目尻に畳まれる皺の理由が読めなくて、丈一郎は眉根を寄せた。
「……江と私は、別に大したモンじゃねぇですけどね。ただ、私が、江を放っておけねェんですよ」
――ずっと、見たくもねェ面倒、見させられてるってだけです。
タツはそうボソッとこぼした後、庭に向かって、フウッ、と煙草の煙を吐いた。白い煙は少しの間だけ宙を彷徨い、暗闇の中に消えていく。
なんと返したらいいか分からなくて、丈一郎は、その光景をただ漠然と眺めるしか無かった。
それでもその妙にしんみりとした空気に、不思議と胸がどくどく高鳴る。それなのに心臓の奥あたりで血の下がるような感覚もあって気持ち悪い。
その時だ。
縁側に座るトクの姿に、何故か突然、タツの顔が重なって見えた。
きっと背格好が似てるせいだと自分で自分に言い聞かせたが、決してそれだけじゃないことを、徐々に察していってしまう。
そして同じように、トクはトクで、自分を透かした向う側に別の誰かを見ているような気がした。
そしてそれが一体誰なのか、今の丈一郎には、何となくだが、わかってしまった。
そこまで考え、我慢できずに深呼吸した。
長く息を吐く丈一郎に、トクは、お嬢? と手を伸ばす。
「私ァね、お嬢がホントにかわいいんで。お嬢に頼まれたら、つい何でもしちまう」
優しくこめかみの辺りを撫でられる。
骨ばった細い指先だった。
それは自分が江太郎の子だからかと、迂闊に聞いてしまいそうになり、慌てて手の甲で唇を押さえる。
そんな様子をトクに笑われ、カッと頬が熱くなった。
「私の話なんかより、お嬢は私に聞きてェことがあるでしょう」
わかってますよ、とトクが笑う。
その笑い方がめちゃくちゃ腹黒くってむかついた。
やっぱりトクは、丈一郎の一枚も二枚も上手なのだ。この笑顔のせいで、さっきの話だって、本当か嘘か分からなくなった。
「ほら、お嬢。トクに言ってごらんなさい」
促されるまま、口を開く。
トクさん、と呼ぶ第一声が震えてしまった。
「……俺、タツのこと、連れ戻したい」
「ヘェ?」
「タツが今どこにいるのか、俺、わかった。だから、連れ戻しに行きたい。俺も、タツにずっと一緒にいて欲しいんだ。でも、やっぱ俺だけじゃ、どうにもできないこともあるから……っ!」
そこまで言ったところで、丈一郎は、ふと口を噤んだ。
目の前でトクが、しーっ、と唇の前で人差し指を立てたからだった。
「それ以上言わねェでくださいよ、お嬢。タツの奴に腹ァ立って仕方ねェや」
ガキのくせにお嬢に手ェ出すんじゃねぇぞって、忠告しといたはずなんですけどね。
トクはそう呆れ顔で言う。
しかし次の瞬間には、ふふっ、と軽く吹き出して、続けざまに、あっはっは、と楽しげに声を上げて笑っていた。
「まァでも、他でもねぇ、かわいいお嬢の頼みじゃ、しゃあねェわなァ」
トクは、愚痴のように了承して、ちゅっ、と丈一郎の額の生え際にキスをした。
そういえばよく、子供の頃は、こうやってトクにキスされたなと思う。
幼い自分が、日常でちょっとしたわがままを言った時、江太郎は、ダメだダメだとすぐに邪険にするのに対し、トクは笑って、まァいいじゃねぇかと、不機嫌で涙目の自分を抱き上げる。
そして、さっきみたいに額に軽くキスをして、「うちの大事なお嬢が、かわいく一所懸命お願いしてンだ。聞いてやらなくてどうすんだよなぁ」と、優しく笑って楽しげに、丈一郎のわがままを聞いた。
「しっかし、ホント、月日が経つのは早いねェ」
トクはそう呟くと、よいしょ、と縁側から立ち上がり、ふらりと庭の方に出た。
煙草の赤く燃える火だけが、ツツジが蠢く暗闇の中で光っている。
しかしその火もそのうち小さくなって、トクの影はそのまま夜の庭に消えていった。
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