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距離

目を覚ますとシェリオスは既に部屋にはいなかった。 あの後もバタバタと荷物を運ぶクミルに対して、シェリオスはやはり何も言わなかった。 引越し初日は、疲れも相まってすぐに眠ってしまったので、特に会話らしい会話もなかった。 専属だからと常に一緒にいるわけではないし、そもそもシェリオスは何かをしてほしいわけでもなさそうに見える。 一緒に暮らしているのに(勝手に寝泊まりしているだけだが)なんだかな。と、広すぎる部屋を見渡した。 「ホームシックってやつかな?」 ソファに座ると、誰もいない場所をそっとなぞる。突如扉をノックする音が部屋に響くと首を傾げながら、そっとドアを開けた。そこには給仕服を着た男性が立っていた。 「おはようございます。朝食をお持ちしました」 「え?なんでですか?てか、どこから?」 「レイヴァート様より、本日からクミル様の分もお持ちするよう申し付かっております。これは学園の食堂を任されているシェフが作ったものです」 給仕服の男は淡々と説明しているが、とんでもないことを言っている自覚はないのだろうか。 そう思うクミルの脇を男は「失礼します」と通り抜けると、テキパキとした動きでテーブルに料理を並べ、「片付けは後で別の者が参ります」とだけ言って、すぐに立ち去ってしまった。 クミルは並べられた料理を呆然と眺めながら「公爵家こわ」と、呟いていた。 「ってことがあったんだよ」 「なんで俺にその話したよ」 合同授業の見学中。 相変わらず昼寝をしようとしているルーセルを捕まえて、今朝の出来事を話し始めると、昼寝を邪魔されてやや不機嫌なルーセルは、面倒くさそうにしながらも相手をしてくれていた。 「つか、お前そんなのつけてたか?」 動く度に髪の間から見え隠れするイヤリングを指さしながらルーセルが尋ねてきた。 「研究室の鍵をなくしそうだからって、イヤリングにしてくれた」 「いや、意味わかんねえんだけど」 「でもさ」 ルーセルの言葉を軽やかにスルーしながら不思議そうに顎に手をあてると、真剣な表情で疑問を投げかける。 「小さくしちゃったら鍵穴に合わないよね?」 「……お前、実はバカだろ」 盛大なため息に、ムッと口を小さく尖らせるとその頬を軽く引っ張られた。距離を取るように体を捩ると頬をさすりながら軽くルーセルを睨んだ。 「しっかし、お前の話聞いてっと、本当にあの天才様ご本人か疑いたくなるな」 よくそんなに懐いたもんだな。と感心するルーセルに魔力をもらったから…とはさすがに言えない。そうかな?と誤魔化しながら視線を上へと向けた。 ルーセルは役目は果たしたとばかりに芝生の上に寝転ぶと、話し相手をなくしてしまったクミルは、大人しく授業へと意識を戻した。 放課後部屋へと戻ると、特にやることがなかったクミルは、時間があるならと魔術科の研究室が並ぶ離れへと足を運んでみることにした。部屋の場所までは聞いていなかったなと、同じ扉がいくつも並ぶ廊下を歩いていると、薄紫色に光って見えるドアを見つけた。 ここで間違いないだろうとは思ったが、鍵が小さくなった以前に、ドアには鍵穴らしいものが見当たらない。 「ん〜?」 首を捻りながらも試しに触れてみたドアがカチャリと音を立てた。鍵が開くような音に、ポカンと口をあけるとルーセルが呆れていた意味がようやく理解できた。 中に入ると、大きな窓から光が溢れていた。窓の近くには机が置かれその上には書きかけのメモらしきものと、ペンが転がっている。 壁には本棚が備え付けてあり、入り切らなかった本が乱雑に重ねられていた。 手前には小さめのソファもあり、イメージしていた研究室とはかけ離れていた。 奥へと続く扉が開いていることに気づいて、そっと中を覗き込んでみると、白く光る魔法陣が幾重にも浮かび上がり、シェリオスの紫黒色の魔力が霧のように広がっていた。その色を写したかのような瞳はやはり綺麗で、そんな彼を取り巻くこの色彩が自分にしか見えていないことが少し残念だった。 自分の中にあるシェリオスの魔力がそれに応えるように小さく揺れた気がした。 「…やりずらい」 入口で立ち止まったままのクミルに気づくと、シェリオスは眉をひそめながら机にかざしていた腕を下ろした。そこには短剣が一振置かれていたが、シェリオスのイメージには合わない気がした。 「すいません。綺麗だなーって見とれてました」 短剣をしまっていた箱だろうか?シェリオスは手にしたそれを豪快に床に落とした。中々拾おうとしないシェリオスに変わって箱を拾い上げると、回すように全体を確認してみたが、特に壊れてはいなさそうだ。 「…なんなんだ」 落としたことがそんなにショックだったのか、シェリオスはブツブツと何かを呟いていたが、一度大きく息を吐くと、ようやくこちらへと体を向けた。 「そんなに大事な箱なんですか?」 あそこまで落ち込むのだから、実はとんでもない力を秘めた魔法具かなにかかな?とちょっとだけ期待に胸を踊らせている頭を軽く引き寄せたシェリオスが急に髪に唇を落とした。 「今はこれで我慢してやる」 「ん?」 どこか満足そうなシェリオスに心臓がやたらと跳ねていることが不思議に思えた。シェリオスは窓際にあった机に向かうと、少し気だるそうにしながら近くの書類を手に取っていた。 「部屋でもよく書状とかとにらめっこしてますけど、何が書いてあるんですか?」 「…家の仕事…」 「家の…じゃあ邪魔しない方がいいですね」 公爵家の跡継ぎともなれば、学園にいる間も領地の仕事があるらしい。特にレイヴァート家が収める東の領土は、未だ未開拓な土地も多く残ると聞いたことがあった。領地の管理がどのようなものなのかまったく分からなかったが、少なくとも自分が関わっていい内容ではないだろう。 そう思って踵を返そうとすると、不機嫌な声のシェリオスに止められてしまった。 「待て……専属の仕事として、そこ、片付けといてくれ」 「なんか怒ってます?」 急に不機嫌になったシェリオスを不思議に思いつつも、視線をソファへと向けると、そこには本や書類が無造作に積み上げられており、とても座れる状態ではなかった。とりあえず一番上に積まれていた本を手に取ってみるとその内容は書記科でも習う基礎的な内容が多く、パラパラとページを捲っていく。 魔法の発動に必要な魔力は体内で生成されること。 その魔力を変換して発動すること。 人によってその性質は異なり、それが属性として分けられることや、扱いやすい魔法が違うこと、同じ魔法を使っても威力や精度には差が生まれることなどどれも基本的な内容ばかりだった。 大体の人は一つ、多くても二つほどの属性を主としているらしいが、そう考えると全ての属性を使えるらしいシェリオスはやはり規格外なんだろうなと思う。 本を棚へ戻していると、その端に丸めて置かれていた羊皮紙が転がり落ちてきた。何気なしにそれを広げると、どうやら二枚重ねて巻かれていたらしく、国全体の地図の上に、東領土のみを描いたものも重ねられていた。クミルはその場にしゃがみ込むと、興味深そうに地図へ視線を落とした。 書物で何度か見たことはあったが、こうして広げてみるとリネアールという国の広さを改めて実感する。囲むように四つに広がっている領土のせいか、その真ん中に位置する王都は、地図で見るとすごく小さかった。気付けば片付けのことも忘れ、もう一枚の地図に手を伸ばした。 先程の地図の時も思ったが、こうして単独で広げてみると、その大きさがよく分かった。 移動が大変そうだなと思うと、あれ?っとシェリオスへ顔を向けた。 「前にシェリオス様が帰らないって言ってたのって、家が遠いからですか?」 「お前、片付けをしてたんじゃないのか…」 「してました」 「してないだろ」 シェリオスは小さく息を吐くと、広げられた地図へ視線を向けた。 「まぁ、それもあるな」 なるほど。と頷きながら再び地図へ視線を戻すと、東領土の地図には国全体のものには記されていなかった街や村の名前まで細かく書き込まれていて、眺めているだけで楽しかった。 「何がそんなに楽しいんだ?」 「知らない地名がいっぱいあるなーと」 「ふーん」 興味がなさそうな相槌のわりに、シェリオスは隣にしゃがみこむと一緒に地図を眺め始めた。 「東ってどんなところですか?」 「山しかないぞ」 「大自然」 「あと魔獣がでるな」 「…大自然」 「東の騎士は魔獣退治も仕事だな」 人を襲う危険なものもいるが、実際に見たことはなかった。食卓に並ぶ肉も元を辿れば魔獣だし、毛皮や角は加工品としてのイメージしか浮かんでこなかった。大自然な東の領土ではもっと身近な存在なのかもしれない。 騎士の存在も王都とは少し違うらしい。そもそも王都に魔獣がいないのだから当たり前といえば当たり前の話だ。 「ほかには?」 シェリオスは黙り込むと、地図を見ながら考える素振りを見せていた。真剣に悩んでいる横顔が少し可笑しくて、自分が知らない彼の表情が一つ増えたことがなんだか嬉しかった。 「俺もたまに参加させられたぞ?」 「へぇー、ん?シェリオス様俺と同い年でしょ?」 「?」 まるで当たり前のことのように言われたが、流石のクミルもそれが当たり前じゃないことくらいは分かる。そもそもシェリオスが自身の口で、討伐は騎士の仕事だと言ったばかりなのだ。シェリオスは騎士ではないことはこの際置いとくとしても、今よりも確実に幼いであろうシェリオスが討伐に参加している時点で普通ではないだろうけど。 「初めて討伐に出たのって何歳ですか?」 「十だったか?」 「十……」 驚きに思わずシェリオスを見上げると子供のシェリオスが魔獣と向かい合っている姿を想像してしてみたりした。子供とはいえ、普通に討伐していそうなのがなんとも言えなかった。 「お前は?」 頭の中にいた子供のシェリオスを追い払い、幼い頃の記憶を辿ると、屋敷の中や使用人達の顔ばかりが浮かんできた。 「ん?俺は普通ですよ。よく体調を崩していたのであまり外にはだしてもらえませんでしたけど」 「…普通なのかそれ?」 シェリオスにだけは言われたくないのだが、屋敷にいることが多かっただけで、それ以外は特にほかの子供と変わりないはずだ。一度、使用人に混じって彼らの仕事を手伝っていることが父にバレた時は、かなり怒られたのだが、それは黙っていよう。 「屋敷は楽しかったですし。でも一回だけ、すごく残念だと思った日がありましたね」 外出に珍しくクミルを同行させたいと父に言われたことがあった。その頃は体調もだいぶ落ち着いてきていたこともあって、父の友人宅に一緒に連れて行ってもらえる約束をしたのがすごく嬉しかったのを覚えている。 「でも、約束の二日前くらいに熱出しちゃって、結局行けなかったんですけど」 「…父親の友人宅に…なにしに?」 「さあ?行くとしか聞かされていなかったので。でもその後しばらくして、わたあめに触ったら意識なくしちゃったみたいで、父が外出についてまた厳しくなっちゃったんですよね」 「わた…は?」 今度は間の抜けたような顔をしたシェリオスが可笑しくて思わず笑いそうになるのを堪えながら記憶を辿った。 靄が立ち込めて見えたその場所の色がいつもと少し見え方が違った気がして、指でなぞったことは覚えている。 「父を迎えに、兄と二人でお城の中庭まで行ったことがあったんですけ、そしたらわたあめみたいなふわふわしたのが見えて、あ、あれ魔力の色だったのかな?で、次目が覚めたらこのブレスレットがありましたね」 なぜかシェリオスから息を飲む気配がした。その目が微かに驚きを宿していることが微かに胸に残った。今の話に何か変なところがあったかと思い返してみたが、わたあめ繋がりで、朝食の件を思い出したくらいで、特に引っ掛かりは見つけられなかった。 「あ、朝ごはん美味しかったです」 「急だな」 「わたあめで思い出しました。明日は一緒に食べられますか?」 「なんで」 「一緒に食べた方がもっと美味しいじゃないですか」 思ったまま口にすると、シェリオスは顔を手で覆ったまま動かなくなってしまった。 「…分かった」 しばらくして渋々と言った感じで返事をしたシェリオスにクミルは嬉しそうに笑った。

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