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違和感

椅子にかかったブランケットをしばらく眺めた後、のそのそとベッドから降りた。 浴室に入ると壁際に設置された魔石台へ手を伸ばした。淡い橙色の魔石を置くとすぐに床がぼんやりと光り始めたと思うと、温かな湯が蛇口から流れ出してきた。初めてシェリオスに使い方を教えてもらった時はかなり驚いたが今はすっかり慣れてしまった。 入学の際に魔術科の生徒は研究室という名の一室が与えられるらしいが、シェリオスの場合それとは別に居住用の部屋まで与えられていることになるのだから、それだけ公爵家の影響力は凄まじいということなのだろう。そこに勝手に住みついた自分が言えることではない気はするが、今更だろう。 「……慣れって怖いな」 最初こそ騒がしかったがあれから特に絡まれたりもすることなく、クミルは今の学園生活に満足していた。 「おい、聞いているのか」 「聞いてますよ」 朝食の席で適当に返事をすると、向かい側から不機嫌そうな視線が飛んできた。 今日の予定が書かれた紙を眺めながら首を傾げた。 「騎士科との合同授業?」 クミルは手元の紙を見つめながら小さく呟いた。 国の治安維持や国境警備を担う騎士団への入団を目指す者達が集まる騎士科は、魔術科ほどではないが身体能力や魔力量にも一定の基準があるらしい。専属指名の制度はないが実習記録や遠征の報告書などで書記科が関わる機会も少なくはなかった。入学当初、そんな説明を教師がしていた気もするが、正直あまり覚えていなかった。 「レイヴァート様、騎士科の合同授業って何するか知ってますか?」 「俺が知ってるわけないだろ」 「そうなんですか?」 「興味ないからな」 そう言って立ち上がったシェリオスを不思議に思い、クミルはサラダにフォークを刺したままの状態で声をかけた。 「あれ?早くないですか?」 「……やっぱり聞いてなかったな」 気まずく視線を横に流すと誤魔化すようにサラダを口に入れた。 「今日は実家に呼ばれているからな、帰りは明日の夜だ」 「あーなるほど」 納得したようにうなづいてみせるとシェリオスは何か言いたげに口を開いていたが、特に気にすることなくパンに手を伸ばす視界に紫黒色が流れ込んできた。 「今何しました?」 「何もしていない」 「イヤリング触りながら言われても説得力ないんですけど」 シェリオスは小さく舌打ちをしながらクミルの額を軽く弾くと、そのまま部屋を出ていってしまった。 「痛い」 クミルは額を撫でながら止まっていた食事を再開した。 ―― 中庭を囲むように立つ三つの校舎は、外観に大した違いはないが、他の科へ足を運ぶことが多い書記科の校舎だけは二本の渡り廊下が伸びていた。 朝食を終えたクミルは騎士科へと続く渡り廊下でルーセルを見つけるとそのまま一緒に演習場へと向かった。 騎士科の校舎の裏に位置する演習場は、中央の訓練区画を囲むように石段が設けられていた。 既に多くの生徒が集まっており、授業とはいえ騎士科の模擬戦を見れることに少しばかり浮き足立った声があちこちからしていた。 演習場の中央では腰までの長さの黒いジャケットを羽織った三年の生徒達が準備を始めているようだった。訓練着姿は初めて見たが、服装だけでこうも雰囲気が変わるものなのかと感心していると、その中に見慣れた紺色に、小さく瞬きをした。 「あれ、兄だ」 「あ?どれ」 次々に演習場に入ってくる生徒を指さしながら尋ねてきたルーセルを真似るように、入口付近にいる兄のディルクを指さした。 「あそこで教師と話してる人」 「……まさか、三年の代表じゃねーよな?」 「代表になったって言ってたね」 次第に周囲のざわめきが小さくなり始めると、演習場全体に緊張感のある静けさが広がっていった。 まだ何か言いたげな視線を向けてくるルーセルを気にすることなく試合へと意識を向けた。 剣がぶつかり合う音が演習場に響く中、護身用くらいしか習ったことがないクミルはその迫力に、護身用意味あるのかな?と考えながら周りから聞こえてくる感嘆の声に耳を傾けていた。 試合が終わる度に、出ていた生徒に声を掛けていたディルクが演習場の中央へと向かっていくのが見えると、期待に胸を弾ませながらも、剣を構える姿を昔から何度も見てきたはずなのに、演習場に立つディルクはいつもと違って見えて、ちょっとだけ寂しくなった。 窓から庭を眺めて過ごすことが多かったクミルは、ディルクの剣術の稽古が何よりの楽しみだった。他の兄は稽古が終わるとすぐに屋敷の中に戻ってしまったが、ディルクだけは夢中で剣を振っていた。窓辺に座ったまま、その背中を眺めている時間が好きだった。 ディルクが相手に向かって剣を構える始めると、それだけで周囲のざわめきが大きくなった気がした。試合の合図がなっても、ディルクは動かなかった。だが一気に間合いを詰めた相手の剣を受け流すといつの間にか、ディルクは相手の懐へ入り込んでいた。その瞬間、周囲から大きなどよめきが上がったが、正直早すぎてよく分からなかった。対戦相手の表情が変わると、それに気づいたディルクが小さく笑ったように見えて、その表情が妙に懐かしくて、クミルはつられるように小さく笑った。 その後の勝敗は言うまでもなかった。 白熱した結果、時間を大幅に過ぎてようやく全ての模擬戦が終了した。 レポート用のメモをファイルに挟むとキョロキョロと当たりを見回しながら、ルーセルの話を聞いていた。 「お前の兄貴すげーな」 「まぁ、かっこよかったよね」 兄を褒められて緩みそうになる口元をファイルで隠していると、その向こうからディルクがこちらへ歩いてくるのが見えた。こちらに気づいたのか、ディルクはそのまま近づいてくるとすぐに抱きしめられた。久しぶりの流れに、何とか離れようと腕に力を入れるが悲しいことにその腕はビクともしなかった。 「クミルーいつになったら帰ってくるんだ?」 「まぁ、そのうち」 ディルクは先程まで連戦連勝で戦っていた人と同じ人物だとは思えないほど情けない声をあげた。 「ディルク、いい加減にしないと可愛いクミルが圧迫死しちゃうかもよ?」 「ライアス兄様助けて」 不意に聞こえた声にクミルはすかさず助けを求めると、ディルクの後ろ襟をガシッと掴み、強引に後ろへと引き剥がしてくれた。ずるずると後退させられたディルクは不満そうにライアスを睨んでいたが、ライアスはなぜか楽しそうに頬を緩めていた。その様子を少し離れた位置から見ていたルーセルは、やや引きつった表情をしながらクミルの肩を小突くと小声で尋ねてきた。 「あれも兄貴なの?」 「そうだけど。ルーセル、なんで助けてくれないの」 「いや、無理だろ」 ルーセルに抗議を一蹴されたが力では無理でも何かしらあってもよかったじゃないかと口を尖らせた。当のルーセルは全く相手にしてくれなかった。クミルは抗議を諦めるとライアスに詰め寄っていたディルク達に声をかけた。 「2人揃ってどうしたんですか?」 ディルクはいまだ不満そうな顔をしていたが、クミルが声をかけると表情を緩めた。やがて諦めたように小さく息を吐くとクミルの頭を優しく撫で始めた。 「レイヴァート様とはうまくやれているか?」 「よくしてもらってますよ」 実際不便に思ったことは一度もなかった。 最初こそ何を考えているのか分からず戸惑うことも多かったが、一緒にいるうちに何となくだが分かってきた気がする。たまに過保護な所は少しだけディルクに似ているかもと、クミルは朝の出来事を思い出し、そっとイヤリングに触れた。 「ならいいんだ」 少しだけ辛そうに笑うディルクに、シェリオスの元へ行くと話した時と同じ違和感を覚えた。 あの時、シェリオスの元に住みたいと話すクミルを、父も兄も特に止めはしなかった。父はむしろ喜んでいるようで公爵家の子息であるシェリオスに指名されたのが嬉しかったのか、くらいにしか思わなかった。一方の兄は最初こそ否定的ではあったが、父の説得の効果か最後には黙ったまま渋い顔をしていた。 「兄様は、レイヴァート様に会ったことがあるんでしょうか?」 「…いや」 「そうなんですか…」 少しだけ言葉に詰まったディルクを見て、相変わらず嘘が下手だと内心ため息をついた。 自分には話せないことかと寂しく思う反面、子供扱いされているように思えて、それ以上聞く気にはなれなかった。 「ディルク、そろそろ戻らないと」 「あ、あぁそうだな」 ライアスに促されるとディルクはまだ何か言いたげな表情のままクミルを見つめていたが、やがて諦めたようにその頭を一度だけ撫でる。 「あ、父さんが寂しがってるからたまには帰って来るんだよ?」 「気が向いたら」 ライアスの言葉に即座に返事をすると、ディルクが苦笑を浮かべている横でライアスも軽く頭撫でてくれた。 「あまりディルクに心配かけないようにね」 何かを確かめるようなライアスの視線に小さな違和感を覚えたが、クミルは背を向ける二人に小さく手を振った。

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