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波紋
力が抜けた身体を投げ出すようにベッドに倒れ込むと、ぎゅっと身体を丸めた。あの日、意識をなくした自分を助けるためにレイヴァート家を頼ったこと。
そこで、身体が術に耐えられず魔力暴走を起こしかけたこと。
それを、シェリオスが抑えてくれたこと⋯
父の言葉が頭の中をグルグルと回る中、ブレスレットが巻かれた手を胸にぎゅっと押し付けた。
色も、気配も、何も感じ取ることは出来なくて、無性にシェリオスが恋しくなった。
「⋯お祭り、いこうかな⋯」
ゴシゴシと乱暴に瞼を擦ると、フード付きのケープを手に、そっと屋敷を出た。
ーー
屋敷を出た頃には傾きかけていた日も、街に着く頃にはすっかり沈み込んでいた。
代わりにたくさんの灯籠が街を明るく照らしていた。
王都のシンボルにもなっている四つの魔塔を象った灯籠が多く見えたが、店の宣伝も兼ねているのか中には変わった形の物も混ざっていた。
オレンジや淡い紅色、水色、桃色。たくさんの色の光が見慣れた街並みを幻想的に彩っている光景に思わずあの紫色を探してしまい、被っていたフードをぎゅっと深く被り直した。
威勢のいい声が響き渡り、香ばしく焼ける肉の匂いや、果実を煮詰めたような甘い匂いが鼻孔をくすぐる。純粋に祭りを楽しんでいる熱気と笑い声に少しだけ気分が晴れたかもしれない。いい匂いに釣られるまま近くの店で串焼きを一本買うと、目的も決めずにふらふらと歩いた。
「わ、っと⋯⋯」
普段よりも人が溢れた通りは少し歩きづらく、何度も人にぶつかりそうになる。
慌てて避けようとした拍子に脱げてしまったフードを慌てて被り直すと、道の端っこにある石段に座り、少し冷めてしまった串焼きを食べながら人の流れる様子をぼんやりと眺めていた。少しだけ視線を上に向ければ、街の外れにある一本の魔塔がその先端を覗かせていた。
「⋯シェリオス様は、どの塔にいるかな⋯」
王都の四方に見張り台のように建つ塔全てを今から回るのは流石に無理がある。
それは分かってはいるのだが、一番近い所なら行けるだろうか。
最後の肉を口に放り込むと、とりあえず行くだけ行ってみようかと立ち上がると不意に誰かに声をかけられた。
「クミル、だよね?」
「えっと、すいません。どちら様ですか?」
自分を知っているのか、目の前の男に名前を呼ばれたがまったく見覚えがなかった。
身なりからそこそこ良い家の子息に見えたが、自分と同じくらいの知り合いなどシェリオスとルーセルくらいしか思いつかなかった。
「あ〜まあ覚えてるわけないか。子供の頃一回遊んだだけだし」
子供の頃と言われ、少しだけ記憶を探ってはみた。
身体の調子がいい時、何度か家を抜け出して街の子供達に紛れてこっそり遊んでいた記憶はある。⋯父にバレて物凄く怒られた記憶のほうが強いが⋯その時の一人だろうか。
まったく覚えていない。
「すいません⋯あの、」
「ん〜まぁ普通はそうだよね」
急いでいることを伝えようとしたが、それを遮るかのように会話を続けられ、突然強い力で腕を掴まれた。痛みと驚きに顔をあげると、被っていたフードを払われる。
「つっ⋯!?」
「あぁ、やっぱりクミルだ。⋯⋯相変わらず綺麗な色だな」
そう言いながら薄水色の髪を指で一束掬い上げると、匂いを嗅ぐように顔を近づけられ身体がゾワリと震えた。あまりの気持ち悪さに助けを求めようかと声を上げようとしたが、それより早く、男の手で口を塞がれてしまった。
「むっ⋯っ⋯⋯!」
「せっかくの再会なんだから、邪魔されたくないだろ」
必死に抵抗しようと暴れたが、濁りを纏った深紅の靄が見え始めると賑やかな喧騒が遠のいていく。意識が徐々に薄れていく中、屋敷を黙って出てきてしまったことを後悔した。
ーー
意識を取り戻して最初に見たのは見知らぬ石造りの天井だった。
目を覚ます前の事が脳裏を過ぎり、勢いよく身体を起こすと寝ていたベッドはギシッと嫌な音を立てた。警戒するようにあたりを見回して見たが、さっきの男はここにはいないようだった。寝かされていただけで拘束はされていないと分かると、そっと床に降りた。
近くの窓から逃げられないかと覗いてみたが、とても飛び降りられる高さではないと愕然とした気持ちでうなだれた後、一枚しかないドアへと振り返った。
「あそこしかないんだけど⋯」
なぜ自分が攫われたのかは分からないが、前にライアスが言っていた言葉を不意に思い出していた。
『人は珍しいものが好きだからね』
あの時は分からなかったが、今の状況はまさにそれではないか。
「逃げよう」
そう思ってドアへと足を向けると、ガチャリと外側から開いたドアからさっきの男が部屋に入ってきた。
「目が覚めたんだ」
人懐っこい笑みを浮かべながら近づいてくる男にビクリと肩を大きく跳ねさせると、近づかれた分後ろへと下がると、その背中はすぐに壁にぶつかった。その冷たさにゾワリと身体が震えると、男は自分へと手を伸ばしてきた。薄水色の髪に触れたと思うと、強引に身体を引かれた。
「そんなに警戒しなくても、何もしない。ただ、ここに居てくれればいい」
「ッ⋯は、離して」
「本当に綺麗な髪だな。初めてみた時から、ずっと欲しいと思ってたんだよね」
男は愛おしそうに髪を何度も梳いていたが、その度に身体中に気持ち悪さがまとわりついてくるようだった。シェリオスもよく自分の髪を撫でていたがそれとは明らかに違う。
逃げようと身体をねじってみたが、逆に腰に回された手は強さを増しただけだった。
掴まれた腰を軽く撫でられると、ゾワリと駆け上がる嫌悪感に身体が小さく震えているのが分かった。
「やだ!離して!」
「少し、うるさいかな」
モワッと男の周りに深紅の濁りが立ち込めると、喉へと張り付くように纏わりつく。
恐怖に声をあげたつもりだったが、そこからは空気が漏れ出る音しか出てはこなかった。
「つっ⋯?!⋯っ⋯」
「これで静かになった。⋯あぁ、あの時双子に邪魔されなければ、もっと早く手に入ったのに⋯」
「つっっ!?」
忌々しそうに男は顔を歪めると何を思ったのか、壁に押し込められていた身体を大事そうに持ち上げると、ベッドへと向かって歩き出した。
恐怖に身体を強張らせると、男はにっこりと微笑みを向けてきたが貼り付けたような笑みが気持ち悪かった。
「やっぱりディルクも欲しいなぁ⋯二人並んでるの、本当に綺麗だったから」
「っ⋯!?」
ゆっくりとベッドに座らせられると、どこを見ているのか分からない目がうっとりと垂れ下がる。その目を見た瞬間、一番の恐怖がザワザワと肌を撫でた。
自分より遥かに強いディルクがそう簡単に捕まるはずはないと思うも、己の欲にしか興味がない底しれぬ狂気がディルクにまで及んでほしくないと、その胸元をグッと掴み上げると、男は何を思ったのか、ねっとりとした声を耳に張り付かせた。
「クミルも嬉しいんだ。ちょっとだけ我慢して、すぐに会わせてあげるから」
掴み上げていた手を男は絡め取るように剥がすと、薄水色の髪に唇を落とした。
シェリオス以外に触られている事実に、堪えていた涙が零れた。
「あぁ、泣いてるのもいいね。でもごめんね。もう少し見ていたいけど、少し用事があるんだ」
男はそう言うと、何事もなかったかのように部屋から出ていった。
バタンと音を立ててドアが閉まると、その一面が絵の具で塗りつぶされたようにべっとり深紅に染まっていく。
次第に小さくなっていく足音に身体の力が抜けると初めて、足が震えていたことに気づいた。
震える足を軽くさすると、ふらついた足取りで男が出て行ったドアへと進む。何度ももつれた足に転びそうになりながら、目の前に広がる深紅の前で足を止めた。
(⋯どうしよう)
声が出ない以上、助けを呼ぶことも出来ない。呼んだところでこのドアが開くとも思えないが…。
今まで見てきた色の中で、一番濁っている赤に触れたいとは思わなかった。それでも逃げ道はここしかないと、ダメ元でドアノブに手を伸ばす。
思った通り鍵がかけられているようで、ドアはガタンと音を鳴らしただけだった。
諦めきれずに扉へと再び触れると、突如一面を覆っていた赤が、その色を水に溶かすかのように消え去っていく。
その瞬間、身体の奥から何かが一気に引き抜かれたような感覚が襲った。
(なに、これ⋯)
激しい目眩に襲われ、ふらついた身体を支えるようにドアへ手をつくと、固く閉ざされていたはずのドアが僅かに開いた。
(逃げ、なきゃ…)
意識を保とうと唇を強く噛みしめるも、次第に身体に力が入らなくなっていく。
目を開けていられない…視界が暗く染まっていく中、微かに紫を見た。
その色が徐々に濃さを増していくと、重かった身体が嘘のように軽くなっていく。空白を埋めるように流れ込んできた紫黒色に瞼を開くと、それは波紋のように辺りに広がっていた。
(シェリオス、様だ…)
身体を包み込むように漂っていた紫黒がブレスレットへと吸い込まれていく。
ふと耳元で何かが小さく割れる音がして、イヤリングをする耳をそっと撫でると、そこにはめ込まれていた石はひび割れていた。
(また…助けてくれた…)
⋯何も言わないで、勝手に守って…
聞いたって、知らないフリをするに決まってる…
(共犯だって言ったのに…)
割れてしまったイヤリングを握りしめると文句のひとつでも言ってやりたくなる。
そう思って濡れた瞼を擦ると、僅かに開いていたドアを開けた。
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