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遊戯

ドアの外には深紅の色溜まりがあちこちに広がっていた。一見血溜まりのようにも見える色に、引きつるように息を吸う。その異様な光景に、すくむ足を無理やり動かす。 今さっきドアに張り付いていた色を触って意識を失いかけたばかりだ。消えた色は効力を失ったようだったが、実際何が起きたのかは分からない。ただ、下手に触ってまた倒れることになったらと思うと、必然的に色を避けながら廊下を進んでいた。 (…魔力、だよね⋯) 普段目にする魔力の色とはあまりにもかけ離れていて、少し判断に迷ってしまう。男がどこにいるのかも分からない状況に心臓が痛いほど脈を打ってはいるが、立ち止まっては居られなかった。色を踏まないよう慎重に足を進めているせいか廊下がやけに長く感じた。近くの窓から差し込む僅かな月の光だけでは心もとないと、壁に手をつこうとすれば、深紅に邪魔をされ胸に抱くようにすぐに引っ込めた。 (⋯通れない) 奥に階段らしい影を見つけたが、川のように道を塞いでいる色を前に足を止めた。引き返した方がいいだろうかとじっと目の前の色を見ると、僅かに染まっていない隙間を見つけた。一歩間違えれば周りの色を踏んでしまいそうなほど細い道を慎重に進んでいく。道の終わりにあった小さな色溜まりを一気に飛び越えると、張り詰めていた息が漏れた。額に伝う汗を乱暴に拭うと、階段をゆっくりと降りていく。降りても景色の変わらない廊下に、本当に先に進めているのかという不安に身震いしながらも足を止めることはしなかった。 (⋯⋯こっちでいいのかな) 廊下の突き当たりに来ると、左右に別れた廊下の深紅が薄まっていることに気がついた。比較的染まりが少ない右側の角を曲がれば、色溜まりはほんの僅かその色を残すだけだった。進路を阻むことが減ってきていることが何を意味するのかは分からなかったが、色が見えないことにほっとした気持ちになったのは初めてだった。 先に進むと、ガラス張りの大きなドアの向こうに草木が揺れているのが見えた。駆け寄ってみればドアは見た目に反して簡単に押し開けることができた。ここに来て初めて感じた空気を胸いっぱいに吸い込むと、張り詰めていた身体が僅かに楽になったような気がする。だが、周りをぐるりと囲む白い壁のせいでそれ以上先には進めそうもなかった。 どこか登れそうな場所はないかと壁沿いを歩いていくとこの場所には深紅の色が一つもないことに気づいた。 その瞬間、目の前に突如現れた紫の丸い光がふわりと視界を横切っていく。 光は目的を見つけたかのように、くるりと自分の周りを一周すると、一本の線へと形を変えた。 (近くに、いる?) そんなはずはないと思いながらも、期待してしまう自分の頬を両手でぐっと押すと、紫の線を頼りに止まっていた足を前へと進めた。しばらく歩くと今までで一番開けた場所に出た。紫の線がそこにある重厚な造りをしたドアの先に続いている。もしかしたら外に出られるかもしれないと、わずかに気が緩んだ直後ーードアが外側から静かに開いた。 「ッ⋯!!」 「あれ⋯やっぱり解除できちゃうんだ」 男のどこか温度のない声に、音のない悲鳴が喉に張り付く。心が恐怖に塗りつぶされそうになりながら…… それでも⋯ 男が伸ばしかけた手を掠めるようにその脇をすり抜けると、その後ろに見える紫の線へと向かって一気に駆け出した。 背後から男の驚く声が聞こえた次の瞬間、ぞわりと嫌な気配が流れ込んでくる。 ただひたすらに紫を欲して駆ける足に何かが絡め取るように巻き付くと、バランスを崩した身体が地面へと激しく叩きつけられた。痛みで一瞬息が止まる中、追いついてきた男に優しく抱き起こされた。それと同時に、激しく頭をぶつけていたのか視界がグルグルと回り軽く吐き気が込み上げてくる。 「せっかくの髪が汚れちゃったじゃない。戻って綺麗にしないとね」 触られたくないのに⋯痛みのせいで思うように動かせない身体が男に倒れ込んでしまいそうになる。それを地面に手をついて何とか堪える中、男は髪についた土埃だけを払っていく。 ぞわりと全身に鳥肌が立ち始めると、不意に地を這うような低い声が鼓膜に響いてきた。 「お前⋯クミルに何をしている⋯」 その声に顔を上げる間もなく男が視界の外に弾き飛ばされると、目の前が紫黒色に染まる。 「クミル!!」 「つっ⋯!!っ⋯⋯」 求めていた温もりに抱きしめられると、その背中に腕を回した。名前を呼びたいのに⋯掠れた空気の音しか出てこない。シェリオスの背中を服が寄れるほど強く握りしめれば、シェリオスは頬を包み込むように上と向かせた。見上げたアメジストの瞳が微かに揺らめくと、はくはくと空気しか出てこない唇をそっとなぞっていく。 「……声が、出ないのか? 」 全身から立ち上る紫黒色の魔力が、色を濃くしながら激しく波打った。辺りにバチバチと弾ける稲妻を帯びた黒雲が立ち込めていく中、シェリオスは男が弾き飛んだ方を鋭く睨みつけた。 「⋯身体を飛ばすだけじゃ、物足りなかったな」 倒れていたはずの男はまるで何事もなかったかのように服についた土埃を軽く払いながら、ふらりと立ち上がった。 「とっさに避けたけど、今のは危なかったね。さすが化物といったところなのかな?」 「手加減はしてやったつもりだが?」 相変わらず感情が読めない声にビクリと肩を震わせると、相手を警戒しながらもシェリオスがその手に抱き寄せてくれる。ねっとりとした声を響かせながら一歩ずつ近づいてくる男に、シェリオスは怒りを隠す気はないようだった。 「そうなんだ。それはありがたいね。君は強すぎるから、うっかり存在を消されそうだよね。それで、そろそろクミルを返してほしいんだけど?帰って髪を綺麗にしないといけないんだ」 「魔力がないお前が勝てるとでも?」 (え⋯?) シェリオスの思わぬ言葉に男の後ろに立ち込める色を見た。濁ってはいるが自分の目は確かに深紅を映し出している…だが、屋敷の中で見た深紅に疑問を抱いたのも確かだった。 「魔力は人が扱うものでしょ?まーでも、ちょっと君を相手にするのは厳しいかな⋯だから…」 それまでシェリオスに合わせていた視線が僅かにその後ろへと流されたことに釣られるように後ろを振り返ると、男の視線の先に、ディルクとライアスが近づいてくるのが見えた。 (来ちゃダメ!) 声がでないことも忘れて叫ぶと、喉に酷い痛みが走った。 「かは、つっっ⋯」 「無理にしゃべるな。後で直すから、今はこれで我慢してくれ」 シェリオスが喉を軽く撫でると、痛みが徐々に和らいでいく。男の目的を何とか伝えたくて服を掴む手に力を入れるも、うまく伝えることはできなかった。その一瞬を逃さないかのように、立ち止まっていた男は一瞬でディルクに距離を詰めていた。 「なっ?!⋯つっ⋯!!…誰だ、お前?」 「クミルを探しに来ただけなんだけど、何この状況」 「知らん。くそ、剣持ってくればよかった…」 不意をつかれたことに驚いた声を上げながらも、すぐに男と距離を取るように後ろへと地面を蹴るディルクに、ライアスはシェリオスの周りに立ち込めた黒雲に目を細めた。 男がさらに距離を詰めようと前に出ると、ライアスはディルクを隠すように立ち塞がった。 「また君か⋯」 「また?」 男の言葉に怪訝そうに眉を寄せる中、男の周りに立ち込めていた深紅の霧がゆらりと歪んで見えた。 「まあいいや。それより⋯」 男が動いたのは見えなかったのに、その姿はいつの間にかディルクを後ろから抱きしめると何の感情も移してはいない目で、ディルクを見ていた。 「そろそろ”器”は完成したかな?」 「⋯何でお前が知って⋯っ⋯!?」 男が逃れようと暴れるディルクの顎に手をかけ強引に自分の方へと向かせると、ライアスの足元に黄緑色の魔力が獰猛に渦巻き始める。渦の底から這い上がってくるような怒りを含んだ声に、風が吹き荒れる音が重なっていく。 「ディルクから離れろ…」 シェリオスの雷を帯びた黒雲も相まって、空気が嵐のように吹き荒れ始める。その状況にシェリオスは小さく舌打ちをすると、抱きしめてくれている腕の力を強くした。その間にもライアスの魔力は激しさを増していたが、ディルクが男に捕まっている状況に攻撃することをためらっているように見えた。 「き⋯もち悪いな!!お前っ!!」 動きを封じられていたディルクは嫌そうに声を張り上げながら男へと炎を放つと、その腕から抜け出した。途端、嵐が嘘のようにその激しさを消すと、ライアスがその場に膝をついたディルクへと駆け寄っていくのを男が表情一つ変えることなく見ていることに、凍りつくような感覚が背筋を這った。 「ッ⋯!!ディルク!!」 「くそ、油断した」 ディルクはライアスの手を借りて立ち上がると、不快そうに男を見やっていた。剣の印象が強いが、ディルクは炎を扱うのも得意だったなと、無事な姿に胸を撫で下ろした。 「すまん。咄嗟に魔力使った⋯あれくらいなら問題ないだろ」 「ディルクらしいけど⋯⋯後で足すからね」 「つっ!!……この場を乗り切れたら好きにしろ…」 二人の会話の意味は全くわからなかったが、シェリオスがうんざりした顔をしていることだけは分かった。だがすぐに、男のねっとりとした声が聞こえると三人は警戒の色を強めた。 「ちょっと飽きたかな。まぁ、ディルクはもうすぐ手に入るし…クミル」 男はおもちゃに飽きた子供のように急にディルクから興味をなくすと、再びこちらを見て楽しそうに口角を上げる顔に、身体がぶるりと震えだした。 「また、遊ぼうね」 その言葉を最後に、男の周りが蜃気楼のようにゆらめくと、その姿は深紅の色ごと、完全に見えなくなっていた。 今だカタカタと震える指でシェリオスの服を強く握りしめると、激しく雷鳴を鳴らしていた黒雲がスっと消え始めていた。 「チッ…あいつらが邪魔で攻撃しそこねた」 心底悔しそうに奥歯を噛み締めるシェリオスの顔へと手を伸ばすと、アメジストの瞳を覗きこんだ。それだけで救われた気持ちになる自分が少し…恥ずかしかった。

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