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融解
突如として訪れた浮遊感に、シェリオスに横抱きに抱えられたのだとすぐ分かった。
転んだ時にぶつけた身体が今もズキズキと痛んではいたが、歩けないほどではないと伝えるすべがない今、大人しくシェリオスの腕に収まっているしかできないのだが、やけにうるさい胸の音にどうしていいか分からず、シェリオスの服を小さく引っ張った。シェリオスはそれに気づくと、覗き込むように首を傾げた。
「痛むか?」
自分を気づかってくれるシェリオスに首を横に振って否定すれば、不機嫌そうな顔をされてしまう。痛みを誤魔化すつもりはなかったが、それよりも黙って家を出てきた自分を心配して探しに来てくれたであろうディルクとライアスを巻き込んでしまったことが胸につかえた。
掴んでいた指を服から離してディルク達がいる方を示すと、シェリオスはさらに不機嫌そうに眉を寄せながらもちらりとディルクを見た。
意思が伝わったのか黙ったまま二人に向かって足を動かそうとしたシェリオスは、ライアスの威嚇するような声にすぐにその動きを止めた。
「来るな」
「出来れば近づきたくはないんだがな⋯お前がクミルの言ってたディルクじゃない方だろ」
「天才との噂だが、覚え方が雑ですね。レイヴァート様?」
ライアスがシェリオスの事をあまりよく思っていないことは、前に街で会った時の様子から感じ取ってはいたが、それを実際に目にした今は怒りよりも悲しみの方が遥かに強かった。
「ライアスやめろ」
「仕方ないでしょ。今はクミルをあいつに預けるしかないんだから⋯⋯癪だけど」
止めに入ろうとするディルクを強引に後ろに下がらせるライアスを見ながら、想いを言葉に出来ないことが、もどかしく思えた。困ったように肩を落としたままこちらを向いたディルクはシェリオスと目が合うと、その視線をそっと足元へと逸らした。
「クミルをお願いできますか?⋯⋯詳しくは、今は言えないのですが⋯」
「あぁ⋯」
シェリオスは短く返事をすると、そのまま二人に背を向けた。
パタン、とドアが閉まる音が、夜の静かな学園に響いた。
まだ一日しか経っていないはずなのに、酷く懐かしい感覚だ。ベッドに優しく下ろされると、シェリオスの胸に寄りかかるように頭を預けた。ゆっくりと動くシェリオスの手が痛む身体を静かに撫でる。その度に、ホタルのように淡い光の薄紫が、少しずつ身体の痛みを癒していく。同じシェリオスの紫色のはずなのに、見るたび少しだけ違って見えるのを不思議に思うも、心地いい体温は変わらないとその肩に顔をそっと擦った。
シェリオスの、少し躊躇うような息遣いが耳に落ちると、一度大人しくなったはずの鼓動がその動きを早めていく。
落ち着くのに⋯落ち着かない⋯
そんな不思議な感覚に襲われ、預けていた身体を起こせば、シェリオスの手によってすぐに元の位置に戻されてしまった。
そのせいで、さらに早くなった鼓動にぎゅっと目を閉じるが、逆に傷を癒している手の動きに意識が向いてしまう。
擦りむいているのかジクジクとした熱を持っていた額にその手が触れると、もはや何の熱なのかも分からないまま、かき分けられた前髪の隙間から唇を落とされた。
「うぅ〜⋯」
「悪い、痛かったか?⋯⋯話せないのは、やはり不便だな」
声が出せる状態だったら絶対に変な声が出ていた。結果的に痛みと勘違いしてくれたことは良かったのだが、不満を乗せた目でシェリオスを見上げれば、思いのほか近くにあったアメジストの瞳に身体が急激に熱を帯びていくと⋯本当にどうしていいかわからなくなった。
恥ずかしさにきつく結んだ唇を、シェリオスの親指が解くようになぞっていくとぞくり、と身体が跳ねた。
「噛むなよ」
次の瞬間、柔らかい温もりが重なる。
その熱がだんだんと深くなっていくにつれて、思考が白く染められていくようだった。
うまく空気が回らない肺が締め付けるようにぎゅっと鳴ると、抜けるような息がひとりでに零れた。どれくらいそうしていたのか⋯熱で浮かされた瞳に霞がかかる頃、ようやく重なった熱は、その距離を離した。
「シェリオス⋯⋯様?」
まだ少し張り付くような喉を撫でながら深い息と共に名前を呼べば、その唇を今度は軽く掠め取られた。体中の体温が急激に集まっていく顔を見られたくなくて、両手で隠すように覆った。
「後で直すと言っただろ⋯⋯これしかあいつの術が解けなかったから⋯」
すまん。と悲しそうに謝る声に両手の隙間からシェリオスを覗けばバツが悪そうに目を逸らされてしまった。いきなりで驚きはしたものの、嫌だったわけでも、別に謝ってほしいわけでもないのだが。何と言葉をかけるべきか少しだけ迷ってしまった。
「⋯何で、いつも守ってくれるんですか⋯」
恥ずかしさが消えたわけではないが、今聞かないとダメな気がした。
外したままだったイヤリングをポケットから取りだすと、ヒビが入った石をなぞった。
「別に、守ってないだろ」
あぁ⋯やっぱり。
聞いてよかった。
「守ってくれましたよ⋯今日も、昔も⋯黙ってたのはムカつきますけど」
イヤリングをぎゅっと胸に抱きしめて、困惑に揺れるシェリオスを見た。
(あぁ⋯好きだな⋯)
どうしたらこの気持ちが伝わるのかと、そっとシェリオスの頬に手を伸ばすと当たり前のように掴んでくれる。自覚したばかりの心が、シェリオスのいつもより高めの熱がじんわりと温めてくれるようだった。
掴んだ手のひらにそっと口を寄せると、少し驚いたようなシェリオスが小さく笑みを零した。
「お前だから⋯」
ささやき声と共に何度も顔に落とされる口づけに小さく動かした背中が、柔らかいベッドの感触に包まれると、近づく唇にそっと息を重ねた。
重なっていた重みが不意に軽くなると、離れていく熱に寂しさを覚えた。
自覚したばかりの気持ちに戸惑いはあるものの、離れたくはなくて起き上がるシェリオスの服を強く引いた。
「お前、それわざとか?」
ベッドに手を付きながら自分を見下ろすシェリオスは困ったように項垂れてしまった事に、
さすがにまずかっただろうかと掴んでいた手を離しかけると、その手ごと包みこんだシェリオスはベッドに身体を倒した。
黒い髪が倒れた拍子にシーツに流れると、シェリオスは急に力が抜けたように天井を見上げていた。それでも反対の手が自分の肩を抱き寄せてくれているだけで十分だった。
「今日ここで寝ていいですか?」
「⋯は?⋯いや⋯ん?」
あからさまに困惑するシェリオスは初めて見たかもしれない。困らせたいわけでは決してないのだが、あの男が残した恐怖がまだ少しだけ巻き付いているのも確かだった。
そのことを素直にシェリオスに伝えてもよかったのだが、口に出したら気持ち悪さまで思い出してしまいそうで、それは嫌だった。
こうなったら強行突破しかないと、身体を一度起こすと引っ張り上げた布団を被るとまたシェリオスの腕に戻った。
「⋯聞いた意味ないな」
そう言いながらも布団越しに背中を撫でてくれるシェリオスにどうしようもないくらい愛しさが込み上げてきた。
「まぁ、好きにするって前に言ったしな」
そういうと遠慮なく唇を塞いでくるシェリオスに心臓がもちそうになかった。
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