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始り

眠ってしまったクミルの額にかかった髪を軽く払うと、その穏やかな顔を眺めながら腕に巻かれたブレスレットに意識を集中させる。自分の中から魔力が吸い上げられる感覚に記憶の中にいるクミルの姿が重なって見えた。 ―― 王都の東側は未だ未開拓な土地が多いせいか、他の領土よりもどこか華やかさにかけた自然が豊かな土地だった。土地を治める公爵家の人間として、幼い時から問答無用で魔獣退治に駆り出されていた俺は、物心がつく頃にはすでに魔力を発動させていたらしく、気付けば困惑と恐怖が混じった目を向けるようになっていた。 間近で見ていた母がそんな俺を段々と避けるようになると、見かねた父が何度か諭していたようだが、母の態度は悪くなる一方だった。 それでも父は変わることなく俺に接してくれていたから、魔獣退治に同行できることを嫌だと思ったことはない。 攻撃魔術も一通り使えるようになってくると、周りは手のひらを返したようにもてはやし始めた。そんなどうでもいい日が当たり前になりかけた頃、父が古くからの友人だと、レオニールを連れてきた。 笑みを絶やさない顔に一見無害そうに見えるものの、そいつには隙というものが感じられなかった。だが時々、視線が彷徨う瞬間があった。何かを見ているようにも思えたが、俺には代わり映えの景色にしか映らなかった。そんな変なやつをわざわざ俺に引き合わせた父の意図は分からないが、レオニールを信頼していることは二人のやり取りから感じ取ることはできた。 王都に暮らすはずのレオニールは、何かにつけてレイヴァート家を訪ねてきては父の仕事の邪魔ばかりしていたようで、それでも父がレオニールに帰れと口にしたのを俺は聞いたことがなかった。さらにレオニールは俺に色々な話をしてくれた。王都で今流行っているもの、庭師が植えた花がやっと蕾を付けたこと、俺と同い年の息子が身体が弱くて心配なこと、そんなどうでもいい話をいつも楽しそうに話していた。そんなレオニールにあまり関わりたくはないなと思う自分を不思議に思っていた。 ある日、父が急な仕事で家を空けることになると暇になったのか、レオニールは俺を強引にお茶に誘ってきた。話をする時はいつも父がいる時だったため、レオニールと二人きりになるのは初めてだった。用事がないなら帰ればいいのにと思うも、家を出る間際に父から頼まれてしまったこともあって、蔑ろにするわけにもいかず、俺は無言のままお茶をすすっていた。 「本当は今日はクミルも連れて来るはずだったんだよ。楽しみにしていたのだけれど、まだ少し熱が残っていてね。泣かれてしまったよ」 話に聞くクミルとやらは生まれつき身体が弱いらしくよく熱をだすと聞かされていたが、最近その回数が減ってきていたとも聞いた気がする。泣くほど来たい場所でもないと思う。 「凄く可愛いから!シェリオスにも会わせたかったのだけど」 「可愛い関係あるか?」 連れてくることが出来なかったと残念そうに話をされたが、そもそも今日連れてくる話自体が初耳だった。会ってなんになるのかと思いながらも前触れもなしに連れてくるのはやめてほしかった。 「シェリオスも気にいると思うよ」 「意味がわからない」 何を根拠にそんなことを言っているのか、そもそも可愛いからして理解できなかった。 それからも会う度にうんざりするほど息子自慢をされていた俺は、前よりレオニールには関わりたくないという思いが強くなっていった。 その腕に水色の子供を抱えながら飛び込んできたレオニールを見たのは、俺が13になった年だった。 特徴的な髪色を見た瞬間、ずっとレオニールの話の中にしかいなかったはずのクミルだと分かってしまった。そんな曖昧だった存在は目を開くこともなく、レオニールの腕の中でぐったりと横たわっていた。 「ダニエル!」 「レオニール?!何があった!」 「分からない!でも、このままじゃクミルが死んでしまう!俺も、ディルクも魔力を使いすぎて、ほとんど残っていないんだ…だから頼む!助けてくれ…」 父の焦る声と縋るように叫ぶレオニールの声が鼓膜を激しく揺らした。 いつも穏やかな口調で話すレオニールとはあまりにかけ離れていて一瞬、理解が及ばなかった。それでも、レオニールの後ろに立っていた紺色の髪をした青年が、今にも倒れてしまいそうなほど青ざめている姿が、現実だと教えているようだった。 父はレオニールからクミルを託されると、隣の部屋のベッドへと運んだ。ベッドに寝かされたクミルの右腕には、真っ黒な文様が手首から肘まで巻き付くように伸びているのが見えた。文様に気づいた父は驚愕した表情を見せると、レオニールの胸ぐらを掴みあげた。 「…っ…お前、掟をやぶったな!」 「仕方なかったんだ!これしか方法がなかった!」 「お前の身勝手さに、ディルクまで巻き込んでるんだぞ!」 「…だから、お前のところに来たんだ⋯頼む…」 父は盛大に舌打ちをすると、レオニールから離した手で泣きそうな顔のディルクの頭を軽く撫でた。 「クミルは助ける。話はそれからだ」 父はディルクに休むよう声をかけると、俺にディルクを託した。ふらつく足に手を貸すと、近くのソファへと小さく震えるディルクを座らせた。ソファの上で膝を抱え込むように座るディルクは、誰かの名前を呼んでいるようだった。 「どうなってる…」 これが実戦だったなら、俺は確実にやられていたと考えられる一方、クミルからずっと感じている複数の魔力の気配に、考えがまとまらなかった。 クミルの文様が淡く光を帯びると同時に、父からは魔力を使う気配が濃く漂ってきた。 汗で張り付いた髪を煩わしそうに掻き上げながら奥歯を噛む父は、まるで何かを押さえ込んでいるかのように、クミルの右腕を強く握る。ただ眠っているようにしか見えないのに、クミルの中で何かとてつもないことが起きているのだと感じた俺は、座り込んでいたレオニールに声をかけた。 「クミルは…死ぬのか?」 「……死なないよ…死なせない……だから魔力譲渡までしたんだ…」 「魔力、譲渡…」 クミルから感じた複数の魔力。 黒い文様。 そして、魔力譲渡という言葉。だが… 「魔力は譲渡できない」 魔術を学ぶ以前の常識だ。だが、目の前にある光景はその常識を容易く覆していくようだった。 理解できなかったものの正体が、輪郭を持ち始めてくる。 「待て。そんな術式があるなら、なぜ今まで——」 言いかけた瞬間だった。 ビシリ、と。 何かがひび割れるような音が部屋に響いた。反射的に視線を向ければ、クミルの手首に刻まれた黒い文様が不気味な光を放っていた。 「っ!」 「クミル!」 凄まじい魔力がクミルの身体から溢れ出すとレオニールが叫び声をあげた。とっさに後ろに下がった父は舌打ちと共に結界を張ったが、その魔力は溶けるように崩れ落ち、すぐに消えてしまう。それは俺が張った結界も同様だった。 「父さん!」 「下がれ!レオニール!死ぬ気で抑え込め!暴走でクミルが死ぬぞ!」 「分かってる!」 クミルの手首に刻まれた黒い文様は脈打つように光を繰り返し、その度に溢れ出した魔力が部屋を満たしていく。かろうじて抑え込んではいるが、クミルに魔力を流してしまった二人は明らかに疲弊していた。俺は咄嗟に前に出ると父の制止も聞かずクミルへと手を伸ばした。死なせたくないと、そう思ったから…。 「シェリオス!」 「器を変えればいい」 俺の言葉に父とレオニールが訝しげにこちらを見ていたが、気に留めている余裕はなかった。意識のないクミルが制御出来ないのなら、外から違う何かで抑え込むしかなかった。俺は頭の中に浮かんだ術式を幾重にも組み立てると文様はまるで生き物のように脈打ち、その光をより一層強めていた。額から流れ出す汗が煩わしくはあったが、気を抜けば弾かれてしまいそうな力に、俺はクミルの手を強く握った。 次第に弱まった光はぐにゃりと歪むと、クミルの腕にあった文様は剥がれ落ちるように浮かび上がり、そのまま螺旋を描くようにその形を変えた後、光を完全に失った文様は消え去り、その代わりのようにクミルの腕には銀色のブレスレットが巻き付いていた。 「シェリオス!何をした!」 部屋に広がっていた魔力が落ち着きを見せ始めた頃、父は俺からクミルを遠ざけるように俺の腕を強く引くと、ひきつった顔の父の後ろには、床に片腕をついたレオニールを支えるように膝をついていたディルクが恐怖に染まった目で俺を見ていた。 「文様自体は魔力を貯める器のようなものだったので、形を変えて余剰分を外に逃がしました」 「いや、待て待て。そんなことをこの一瞬で⋯?」 「⋯まあ、そうですね」 考え込むように眉間の皺を抑えた父に軽く返事をすると、今まで呆気に取られていたレオニールの肩が小さく揺れ出すと、唐突な笑い声が聞こえてきた。 「凄いなシェリオス。凄すぎてあのダニエルが固まってるよ」 「うるさい。黙れ」 可笑しそうに笑うレオニールを父は鋭く睨みつけたが、レオニールは気にした様子はなかった。父は一度クミルの様子を確認するとレオニールを呼んだ。安心したようにクミルの頭を撫でる傍らで、何故か俺も父に頭を撫でられた。 「シェリオス。今日のことはクミルには話すな。ディルクも、ここで見たものは他言無用だ」 ディルクは苦しそうに小さく頷くだけだった。 父もレオニールもそれ以上何も話してはくれなかった。俺は眠るクミルの腕で静かに光る銀色のブレスレットを見つめながら、話すなと言う父の言葉を特に気にも止めなかった。 目を覚まさないクミルとは言葉を交わすこともできないまま、またいつものどうでもいい日々に戻るだけだと、かすかに胸の奥が疼いた。 だが、その日を境に俺は目の色が変わるようになった。 文様を書き換えた代償なのか、単純に魔力が強まっただけなのか、黒い瞳が紫に変化するように、今まで歪だった母との関係が完全に途切れた。それまでも親子のふれあいのようなものなどされた記憶はないが例え畏怖を帯びた感情だったとしても、母は俺を見ていた。それすらもなくした母は俺の存在自体もなくしたようだった。母の中から自分が消えたことが悲しいことなのかすらよく分からないまま、相変わらず父の邪魔をしにきていたレオニールがクミルを連れてくることは一度もなかった。 俺の中に出来てしまったクミルが、聞いていた話とかけ離れたせいなのか、前より気になって仕方がなかった。だから、形式の為に入った学園で一目見ればそれがなくなると思って、興味もない式に足を向けた。 「お前が誰かに指名されるのは嫌だったな」 腕の中で眠るクミルが小さく動く気配に意識をクミルに戻すと、安心しきったような顔のクミルに困りながら天井をぼんやりと見るとため息がでた。 無くなると思っていたものがどんどん膨らんでいく変化は案外悪くなかったと思うと無性にレオニールを殴りたい気持ちになっていた。

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