15 / 19
魔灯祭
まだ眠気が残るまま薄く目を開けば、何かが視界を遮っていた。
心地の良い体温に思わず身を寄せれば大好きな匂いが鼻をくすぐると、昨夜のことがふわふわした頭の中を流れていった。
『好きにする』と宣言したシェリオスに早々に音を上げると、そのまま抱きしめられながら眠ってしまったんだと、恥ずかしさから布団を口元まで被せた。
少し視線を上げれば、シェリオスはまだ眠っているようでその瞳は硬く閉ざされていたが、自分に回された腕は昨日と変わらないままになっていた。
初めて見るシェリオスの寝顔は、いつもと雰囲気が違って見える。基本的にいつも不機嫌そうな顔ばかりしているが、こんな無防備な顔を見られるのもいいかも知れないと、少し得した気分になった。
意外とまつ毛が長いんだなとか、すっと通った綺麗な鼻筋をしているんだなとか、今までまじまじと見ることがなかったシェリオスの顔を改めてじっと見れば、小さな発見があって楽しかった。
少しくらいなら起きないかな⋯。布団で隠した口元からくぐもった声で小さく唸ると、シェリオスの頬をそっと撫でてみた。
その途端、自分に巻き付いていた腕にぐっと力が加わると腰を強く抱き寄せられた。
「⋯起きてたんですか⋯?」
「今起きた」
絶対に嘘だ。
その証拠に、肩が小さく揺れている。
普段あまり笑わないシェリオスにまたひとつ違うことを見つけていると、目元を親指で優しく撫でられた。それがくすぐったくて、自然と笑みが零れる。
「ちゃんと寝れたか?」
「気づいたら寝てました」
「それは知ってる」
シェリオスの声もいつもより優しく聞こえる気がした。
今更ながら恥ずかしさが込み上げてきて、布団で顔を隠すとシェリオスに髪をいじられた。
男に触られるのとは全然違うと改めて思う。
「シェリオス様って、俺の髪いじるの好きですよね」
「綺麗だからな。触り心地も好みだ」
「そ、そうなんですね」
「何だその反応」
髪を褒められただけなのに珍しく素直に答えるシェリオスに慣れず、モゾモゾとむず痒くなる。他人に髪を褒められることは何度もあったが、あまりいい気分にはならなかった。それなのにシェリオスの言葉は素直に嬉しいのだから困ってしまう。髪をいじっていたシェリオスは何を思ったのか、額にかかる前髪越しに口を落としてきた。昨日も散々そんなことをされたので今更と言えば今更なのだが、だからといって恥ずかしいことには変わりなかった。
元々よく触る人だなと思っていたし、自分も嫌だとは思っていなかったので特に何も言わなかったところは正直ある。でも、唇で触れられるとなるとまた違う話だ。しかしこればかりはやり返したら自分のダメージのほうが大きい気がする。
「んん〜」
「何で今度は不満そうなんだ」
「不満じゃないです。でも、いつかやり返します」
「それは楽しみだな」
余裕そうに見えるのが悔しくて自分に回されていた手を剥がすと、布団から出た。
シェリオスもベッドから身体を起こすと唐突な言葉を放ってくる。
その言葉に大事なことを忘れていたと急に気持ちが焦りだした。
「祭り行くか?行きたがってたよな」
「え、いいんですか?⋯じゃなくて!結界!家のお仕事は?!」
「結界を貼り直すのは父だから問題ない。挨拶自体は終わってるし俺は雑用みたいなものだからな」
シェリオスが雑用なわけはないだろう。
そう思いながらも、以前自分が祭りに行きたいと言ったことを覚えていてくれたことが嬉しかった。
ーー
夜の魔灯祭は神秘的な雰囲気だったが、昼間はその空気を感じさせないほど活気に溢れていた。駆けてきた子供がぶつかりそうになるのを避けながら、フードを深く被り直すといくつも並んだ屋台を見て歩いた。
「あれなんですか?」
屋台の中には初めて見る料理も多く、歩く度に目移りしてしまう。気になってあれこれ質問するとシェリオスがひとつひとつ説明してくれるのが楽しくて仕方がなかった。
「東の煮込み料理だな。あっちじゃよく食べるぞ」
「へ〜、あれ食べたいです」
立ち止まった店先にある大きな鍋からは白い湯気が立ち昇っていて、何を食べようかと思っていた矢先に、東の料理だと聞いて迷わずそれに決めてしまっていた。
シェリオスが二人分頼むのを隣で眺めていると、ついでのように並べられていた焼き菓子まで手に取った。
「それも食べるんですか?」
「お前のだ」
頼んだ覚えはないのだが、甘い香りにつられ差し出された袋を素直に受け取った。
少し離れた場所に簡易的な食事場所を見つけると、テーブルに料理の器を置くシェリオスの前に腰を下ろせば、ただでさえ空腹だったところにふわりと漂う香辛料の匂いが拍車をかけ、早々にスープを口へと運んだ。
匂いからして辛いのかと思っていたのだが、どちらかというと酸味が強い。少し変わった味付けではあったが、やけに癖になりそうな味だった。
「美味しいですね。身体がポカポカしてきます」
「東は夜が意外と冷えるからな。煮込み料理がやたらとある」
王都は比較的気候が安定している為あまり考えたことはなかったが、他の地域は違うんだなと、自分の知らない話をもっと聞きたくなった。再び食事を始めたシェリオスを見つめれば、添えてあったパンを無造作にちぎると、器の底に残っていたスープを拭って口に運んでいく。学園で食事をしている時には見たことがないその動作に、シェリオスの手元を目で追いかけてしまう。
「⋯公爵様っぽくない?」
「相変わらず唐突だな」
「前から少し思ってたんですけど、シェリオス様ってたまに雑な時ありますよね」
「なにが?」
「動きというか、所作?」
「あぁ、あっちにいる時は野営とかもしてたからじゃないか?」
そういえばこの人、十歳で既に魔物と戦ってたんだと当たり前のように話していたことを思い出せば、妙な説得力があった。もちろん野営どころか魔物を見たこともないが、あれはなかなか過酷だと訓練帰りの兄達がぼやいていたことも思い出す。
「シェリオス様って、武器とかのイメージがないですね」
「使えるけど、使わないからな」
剣を使うシェリオスもたぶん格好いいだろうからそれはそれで見てみたいけれど、それで魔力の色が見れなくなるのは少し勿体ない気もする。そう考えると、自分に魔力を分けてくれても平然としているのだから、本人も自覚している通りそもそもの魔力量が桁違いなのだろうと、結局は再確認する材料にしかならなかった。
「魔力オバケ」
「おい」
低い声で咎められたものの、間違ったことは言っていないと思う。
料理を食べ終わると、先ほど渡された焼き菓子の袋に手を伸ばした。
袋を開ければ甘く香ばしい香りが漂い、ひとつ口に入れるとほろりと崩れる生地に頬が緩む。テーブルに頬杖をつきながらこちらを見ているシェリオスにも一枚差し出すといらないと断られてしまった。
「甘いの苦手ですか?」
前に蜂蜜パンを食べた時も甘そうにしていたことを思い出した。
「少しなら食べるけどな。なくても困らないな」
そうなのかと二枚目を食べ終わるもついもう一枚に手が伸びてしまう。
シェリオスが待っていてくれるのを知りながら、その一枚をゆっくりと食べた。
祭りをもう少し見て歩きたい気持ちはあるのだが、何気ない話をするのも楽しくて浮かれているなと自分でもわかった。幼い頃、父と訪ねるはずだった友人宅がシェリオスの家だったと聞いた。しかもシェリオスはそれを知っていたと言う。二年前の話は口止めされていたとしてもそれくらいは話してくれたらよかったのになと思う。
「ん?」
勝手に拗ねていると不思議そうな顔をシェリオスに向けられたが、知らないふりをしながら焼き菓子が残る袋をカバンにしまった。
「もういいのか?」
「お腹いっぱいです」
「じゃあ行くか」
そう言って席を立つシェリオスに無言のままついて行くと、カバンを握っていた手をそっと掴まれた。そのまま指を隙間なく絡められた手に驚いて顔を上げると、困ったように自分を見下ろす目に一瞬心臓が大きく揺れる。
困るのは自分なんだがと熱くなっていく顔を誤魔化すように近くの露店へと視線を流した。
そのまま手を引かれながらしばらく歩くと、水の中に散らばった色に目を止めた。
シェリオスの手を今度は自分が引っ張ると、水が張られた大きな桶の中を覗いてみる。
不揃いのガラス石が入れられているらしく透けた色が揺れているように見えた。
それの他に、水面には平らな形の薄いガラス石が何枚も浮かべられていた。
隣には同じような桶がいくつか並べられていて、その一つで子どもが水面の石を掬おうとしては、ヘラのようなものに貼られた薄い紙が破けてしまったと悔しそうにしていた。
「お嬢ちゃんもやっていくかい?」
「お嬢ちゃんじゃないです」
フードで顔があまり見えないにしても、どこをどう見たら女の人に見えるのかとむくれていれば、手で口元を押さえながら笑いを堪えているシェリオスを睨んだが、特に気することもなく代金と道具を交換していた。
「せっかくだからな」
「ありがとうございます」
実際やってみたいとは思っていたがいまいち釈然としないまま、水面に紙を入れるも、掬い上げる瞬間に紙は簡単に破けてしまった。
意外と難しいなとついムキになって次の紙でもやってみたが、何度も破けてしまう。
「難しい」
「残念だったな」
「シェリオス様もやってください。難しいから。そして取ってください。紫のガラス石がいいです」
「要求が多いな」
シェリオスは隣にしゃがみ込むと受け取った道具を迷いがない手つきで水の中にくぐらせていく。そのまま奥にあった紫のガラス石をいとも簡単にすくい上げてしまった。
近くで見ていた子どもの凄いと騒ぐ声が聞こえてくると、自分の手に紫のガラス石が乗せられる。
「これでいいか?」
「⋯魔力使いました?」
「使ってないが」
紫黒色が見えないのだから使っていないことは自分が一番分かっているのだが、こうも簡単に取れてしまうと自分が嘘をついたみたいじゃないか。
取ってもらったガラス石を光に翳しながら歩いていると危ないと怒られながら、その後も二人で露店を見て回ったが足を止めたのは自分ばかりで、シェリオスは楽しいのかとふと疑問に思ってしまった。
「シェリオス様は見たいものはないんですか?」
「特に」
「俺ばっかり楽しんでる気がするんですけど」
そもそも嫌なら一日中祭りを回ってくれたりはしないだろうが、どうせならシェリオスがしたいことも一緒にできたらいいのにと思う。そういえばシェリオスから何かをしてほしいと言われたことがない。専属書記としての仕事も研究室の片付けくらいで書記らしいことは何も頼まれていない。今度何か頼んでみようかなと考えながらシェリオスを見れば、うんざりしたような顔をしていた。
「今、余計なこと考えてただろ」
「余計じゃないです」
呆れたように溜息をつかれてしまったが、どうしていつも分かるのだろうかとじっとシェリオスを見つめれば今度は小さく息を飲みこむと、軽く咳払いをしていた。
「そういえば、なんで紫なんだ?」
「シェリオス様の色なので」
「なにが?」
不思議そうにする姿に、そういえば話したことはなかったなかもと思えば、シェリオスの黒い髪が微かに風に揺れる。
黒も好きだけれど一番に思い出すのは紫なのだとガラス石の向こうにシェリオスを見た。
「シェリオス様の魔力の色が紫なんですよ。それが、俺の一番好きな色なんです」
「つっっ〜〜!!」
途端目に見えて顔を赤くするシェリオスに、今朝の仕返しができたかなと満足げに微笑み返すと、その身体を強く抱き寄せられた。日が傾きかけて人通りはだいぶ減ってはいたが、唐突なシェリオスの行動にわたわたと腕を振った。
「きゅ、急になんですか?シェリオス様が聞いたから答えたんじゃないですか」
「答え方が悪い」
「理不尽!」
自分の肩に顔を埋めてしまったまま動かないシェリオスの背中をそっと撫でると、抱きしめる腕に力がこもった。
「帰ったら俺の好きにするからな」
「何でそうなるんですか!」
繋がりが分からなくてその身体を強く押せばシェリオスは離れてくれたが、その嬉しそうな顔に、しばらくはやり返しが続くかもと紫のガラス石を空にかざした。
日が暮れて昼間の賑わいが落ち着いたものに変わると、祭りの最終日にだけ見られるものがあると、大通りから少し離れた道へと手を引かれて歩いていくと、少し開けた場所でシェリオスの足が止まった。
自分たち以外にも何人かの人が集まっているのを見て、今から何があるのかと期待に胸を膨らませながら夜空に見える淡い光を見ると、自分にしか見えていない結界の色がいつもより薄まっている。
「結界って、まだ貼り直してないんですか?」
空を見上げたままシェリオスに尋ねればまた自分が知らないことを教えてくれた。
「まだだな。結界は四箇所を収める各公爵家が魔塔にある媒体に魔力をそそぐ。それを最終日の今日、王城にある塔に王族が全ての魔力を繋ぐことで結界が出来上がる仕掛けだ」
想像より大掛かりな術だが、王都全体を囲むほどのものならそんなもんなのなのかもしれない。完成前だからいつもより色が薄いのかと納得していると、空にいくつもの光の玉が打ち上がり、その色が波のように次々と暗い空に広がっていく。
「綺麗です」
これも自分にしか見えないのかなといくつもの魔力の波を眺めたままそう呟けば、周りから感激の声が上がることに驚いたままシェリオスを振り返った。
「見えるんですか?」
「見えるな。お前が見ているものに近いか?」
「近い⋯⋯です」
その言葉に心臓がうるさいくらい音を立て始めた。シェリオスが言っていた今日だけ見られるものはこれなのかと、再び空へと顔を上げれば波が色を染め上げるように、結界の色を濃くしていた。
「そうか。確かに、これは綺麗だな」
振り返った勢いのままシェリオスに抱きつけばその服を濡らしてしまった。
この人は本当にずるいと思う。
シェリオスにも見せられたらいいのにと思っていた景色を、まさかシェリオスの方が見せてくれるとは思ってもいなかった。
「なんで⋯」
「ん?あれが、結界が張り終わった合図だからな」
そんなことを聞きたいわけではないのだけれど、伝えたいことがありすぎて言葉がうまく出てきてくれない。
シェリオスの胸に埋めてしまった顔を優しく包み上げられると、唇に触れるだけの熱が落ちた。
「⋯泣くほどのことか?」
口は呆れたような言葉しか紡がなかったが、揺れる瞳には愛しさしか感じなかった。
濡れた顔をゴシゴシとこすると、今しか見れない色をしっかりと目に焼きつけようと、空の波が消えるまで静かに空を見つめていた。
ともだちにシェアしよう!

