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第3話 お前が俺に入れるんだよ
翌朝、冬城直哉は普段より早く目が覚めた。
昨夜のことを思い出した瞬間、枕へ顔を押しつけたくなった。
春川幹人を想像して、一人で果てた。
名前まで呼んだ。
酒のせいにはできない。帰宅したころには、足取りも思考もはっきりしていた。
直哉はベッドから起き上がり、額を押さえた。
「最悪だ」
そう呟いても、身体の奥に残った感覚までは消えない。
幹人を抱き寄せる想像は、現実より鮮明だった。
低い声で悪態をつかれ、睨まれ、その表情を自分の手で崩す。
そんなことを考えただけで、また下腹が熱を持ちそうになる。
直哉は勢いよく立ち上がった。
仕事だ。
会社へ行けば、幹人も普段どおりに戻っている。
昨日の取引先での言いがかりも、時間が経てば少しは落ち着いているだろう。
そう思っていた。
****
午前九時を回ったころ、法人営業部のフロアはいつもの騒がしさに包まれていた。
電話の呼び出し音、キーボードを打つ音、コピー機の駆動音。
窓の外には、曇った札幌の空が広がっている。
直哉は自席でメールを確認していた。
幹人は少し離れたデスクで、後輩社員に資料の修正点を説明している。
「ここは先方の数字に合わせて直してください。午前中で大丈夫です」
「分かりました。ありがとうございます」
「困ったら声をかけてください」
柔らかな声。
穏やかな笑顔。
昨夜、直哉が頭の中で乱した男とは思えない。
幹人がふいにこちらを見た。
目が合う。
直哉は反射的に画面へ視線を戻した。
昨夜の妄想を見透かされた気がした。
もちろん、そんなはずはない。
「冬城さん」
肩を軽く叩かれた。
直哉が振り返ると、幹人が満面の笑みで立っていた。
「少しよろしいですか?」
「何の話だ」
「ここではちょっと」
周囲の社員へ聞かせるための、よそ行きの声だった。
直哉が何か言う前に、幹人は身体をかがめた。
耳元へ唇を寄せる。
「来いって言ってんだ。分かるよな?」
昨日より低い。
直哉の背筋を、熱が走った。
「朝から脅すな」
「脅してねぇ。呼んでるだけだ」
幹人はすぐに身体を離した。
「小会議室を取ってあります。お願いします」
営業用の笑顔へ戻り、先に歩いていく。
直哉は椅子を引いた。
近くにいた同僚が、書類から顔を上げる。
「冬城さん、春川と何か打ち合わせですか?」
「そんなところだ」
自分でも、何を話し合うのか分からない。
直哉は幹人の後を追った。
****
小会議室のドアが閉まった。
廊下に面した壁は曇りガラスになっている。中の人影は見えるが、表情までは分からない。
幹人はドアの鍵をかけなかった。
代わりに、テーブルの上へ一枚の紙を置いた。
「何だ、これ」
「会議室の予約表」
「見れば分かる」
「三十分押さえてある。誰も入ってこねぇよ」
幹人は直哉へ向き直った。
営業用の笑顔が消える。
「昨日のこと、考えたか?」
「考えた」
「なら話は早い」
「何も分からなかったけどな」
幹人が眉を寄せる。
「まだとぼける気か」
「とぼけてない。お前が勝手なことを言ってるだけだ」
直哉はテーブルへ手をついた。
「俺は職場の男を相手に人気争いするつもりはない」
「人気争い?」
「お前、俺を同じ側のライバルだと思ってるんだろ」
「同じ側って何だよ」
「だから」
口にするのが急に馬鹿らしくなった。
しかし、ここで曖昧にすると話が終わらない。
直哉は息を吐いた。
「俺は、職場の男に抱かれる気はない」
幹人の動きが止まった。
数秒、何も言わない。
直哉は、ようやく伝わったかと思った。
「……は?」
幹人の声は、普段よりさらに低かった。
「だから、お前と受けの座を争うつもりはない」
「誰がお前を抱くって言った」
「お前だろ」
「言ってねぇよ」
「男たちは俺のものだって言ったじゃないか」
「そういう意味じゃねぇ」
幹人は額を押さえた。
「お前、俺が職場の男に抱かれて回ってると思ってたのか?」
「そこまでは言ってない」
「ほとんど同じだろ!」
声が大きくなり、幹人はすぐに口を閉じた。
曇りガラスの向こうを人影が通る。
足音が遠ざかってから、幹人は直哉を睨んだ。
「俺を何だと思ってんだ」
「それはこっちの台詞だ。俺を受け仲間に入れたのはお前だろ」
「入れてねぇ!」
幹人は一歩近づいた。
勢いよく直哉のネクタイを掴み、引き寄せる。
「俺が言ってるのは、お前と俺で、どっちが上かって話だ」
顔が近い。
幹人の呼吸が唇へ触れそうだった。
昨夜、自分が想像した距離とほとんど同じだ。
直哉は喉を鳴らした。
「何を基準に決めるんだ」
「身体だよ」
幹人は迷わず言った。
直哉の思考が止まる。
「……身体?」
「俺が、お前の力を直接確かめる」
「どうやって」
幹人の目が、一度だけ直哉の胸元から下へ動いた。
すぐに視線を戻したが、耳が赤くなっている。
「お前が俺に入れるんだよ」
直哉は何も言えなかった。
幹人がネクタイを掴んだまま、さらに顔を寄せる。
「俺が最後まで屈しなければ、俺の勝ち」
「待て」
「俺を負かしたら、お前が危険だって証明される」
「何の証明だ」
「そこは勝負が終わってから教えてやる」
幹人は言い切った。
直哉は、目の前の男を見つめた。
昨夜、抱きたいと思った。
想像の中では、幹人の腰を引き寄せ、逃げられないように抱き込んだ。
だが、本人から自分の中へ入れろと言われる展開までは考えていなかった。
「どっちにしても、お前が俺に抱かれるんだな」
「検証に必要なんだよ」
「ほかの方法は」
「ねぇ」
即答だった。
幹人の耳が、さらに赤くなっている。
「それに、お前も反応してただろ」
「社食の話か」
「男に触られただけで、あんなになるやつが何言ってんだ」
「お前が妙な触り方をしたからだ」
「じゃあ、俺相手ならいけるってことだろ」
幹人の理屈はつながっているようで、どこかがおかしい。
それでも直哉には、反論する言葉が浮かばなかった。
幹人を抱きたい。
その本音は、もう否定できない。
「いつだ」
「今夜」
「今日か」
「逃げる時間を与える気はねぇ」
幹人はネクタイから手を離した。
ポケットからスマートフォンを取り出し、画面を直哉へ見せる。
ホテルの予約画面だった。
時刻は午後八時。
「準備がよすぎるだろ」
「勝負だからな」
「昨日のうちに取ったのか」
「何か問題あるか」
「いや」
むしろ昨夜からそのつもりだったのかと思うと、胸の奥が熱くなった。
幹人はスマートフォンをしまう。
「八時、南口」
「分かった」
「逃げたら負けだからな」
「逃げない」
直哉が答えると、幹人は一瞬だけ目を見開いた。
すぐに顎を上げる。
「当然だ」
そう言いながら、口元がわずかに緩んでいた。
****
午後八時。
札幌駅南口の時計台前に、幹人はすでに立っていた。
黒いコートの襟を立て、スマートフォンを見ている。
直哉に気づくと、画面を消した。
「遅い」
「まだ五分前だ」
「俺より後に来た」
「それを遅刻とは言わない」
幹人は返事をせず、歩き出した。
直哉も隣へ並ぶ。
夜の空気は冷たく、歩道の端では凍った雪が街灯を反射している。
二人の間に会話はなかった。
幹人はいつもより速く歩いている。
緊張しているのだろうか。
そう考えた途端、直哉自身も急に現実味を覚えた。
これから、幹人を抱く。
勝負という形ではあるが、することは変わらない。
ホテルへ入り、服を脱がせ、触れる。
最後には、自分を幹人の中へ入れる。
昨夜の妄想が、現実になる。
直哉は息を整えた。
「春川」
「何だ」
「今なら、まだやめられる」
幹人が足を止めた。
冷たい目が直哉を射抜く。
「怖じ気づいたのか」
「そうじゃない」
「なら黙って来い」
幹人は直哉のコートの袖を掴んだ。
「俺は逃げねぇ」
そのまま手を離さず、再び歩き出す。
直哉はそれ以上言わなかった。
幹人が自分からホテルを予約し、ここまで来て、直哉を連れていく。
その行動で十分だった。
****
ホテルの部屋へ入ると、幹人はすぐにコートを脱いだ。
ハンガーへ掛け、ネクタイを緩める。
直哉はドアの前に立ったまま、その姿を見ていた。
幹人が振り向く。
「何してる」
「本当にやるんだなと思って」
「ここまで来て何言ってんだ」
幹人はベッドの端へ腰を下ろした。
足を組み、直哉を見上げる。
「早くしろよ」
「随分偉そうだな」
「俺が上だからな」
直哉はコートを脱いだ。
ジャケットを椅子へ掛け、ネクタイへ手をかける。
幹人は直哉の動きを目で追っていた。
シャツのボタンを外すたび、その視線が下へ移る。
「見るなとは言わないのか」
「見せつけてんのはお前だろ」
「普通に脱いでるだけだ」
「その身体で普通を名乗るな」
幹人は不機嫌そうに言いながら、頬を赤くしていた。
直哉はベッドへ近づいた。
幹人の前に立つ。
「お前も脱げ」
「命令すんな」
「勝負するんだろ」
「分かってる」
幹人はシャツのボタンへ指をかけた。
一つずつ外していく。
襟元が開き、白い肌が現れる。
細身だが、仕事着の下には適度に締まった身体が隠れていた。
直哉は思わず見入った。
「何だよ」
「いや」
「言いたいことがあるなら言え」
「可愛いと思って」
幹人の指が止まった。
「殺すぞ」
「褒めたんだけどな」
「俺は可愛いんじゃない。格好いいんだよ」
「職場では姫君って呼ばれてるだろ」
「それは周りが勝手に言ってるだけだ」
幹人はシャツを脱ぎ、直哉へ投げた。
直哉が受け止める。
「今のうちに余裕ぶってろ」
「余裕がなくなるのは、どっちだろうな」
幹人の目つきが変わった。
「言ったな」
ベッドから立ち上がり、直哉の胸元を掴む。
今度はネクタイではなく、開いたシャツの襟だった。
幹人は自分から唇を重ねた。
乱暴なキスだった。
歯が触れ、息がぶつかる。
勝負を始める合図のつもりなのだろう。
直哉はすぐに幹人の腰へ腕を回した。
細い。
昨夜想像したとおり、片腕でも引き寄せられる。
幹人が一瞬だけ息を詰めた。
直哉は逃がさず、さらに深く口づけた。
幹人の舌を絡め取り、呼吸を奪う。
「ん……っ」
低い声が、初めてわずかに揺れた。
唇が離れる。
幹人は息を乱しながらも、直哉を睨んだ。
「大したことねぇな」
「今ので?」
「挨拶みたいなもんだろ」
「そうか」
直哉は幹人の腰を抱いたまま、ベッドへ押し倒した。
マットレスが沈む。
幹人のシャツが床へ落ちた。
「じゃあ、ここから勝負開始だ」
直哉が覆いかぶさると、幹人は逃げるどころか、自分から脚を開いた。
「ほら、入れてこいよ」
強気な声。
それでも、頬は赤い。
直哉は幹人の腰を引き寄せた。
「後悔するなよ」
「お前こそ、俺を屈服させられなくて泣くな」
幹人はそう言って、直哉の肩へ腕を回した。
直哉はその身体を抱き込み、もう一度、深くキスをした。
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