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(二)
週が明けた月曜日。文化祭の準備も三日目となった。
会計も兼任している尾口に予算がどのくらい使えるのかと訊いたら、垂れ幕全体の立体化は流石に難しそうな金額が返ってきた。屋台を四つもやる以上は仕方がない。テキストの立体化を諦めることにした僕と七五三掛さんは、図柄の立体化に必要な材料と、テキストを書くのに必要なペンキを購入すべく、放課後になるのを待って学校を出た。
向かうはホームセンターと手芸店だ。
屋台組の方は流石に金曜で買い出しが終わったようで、今日からは四つの屋台の製作に入っている。滝も今頃は、看板作りなんかをしているんじゃないだろうか。賑やかだった教室の様子を思い返しながら、僕は七五三掛さんと肩を並べた。
「残念だったね、垂れ幕」
ホームセンターへの道程を往きながら、七五三掛さんに話しかける。
「でも、一部でも立体化出来るのは良かったあ。尾口くんの管理能力に感謝だね」
垂れ幕案を下書きに起こしてくれたのは七五三掛さんだ。日々、漫画同好会で想像力に磨きをかけているだけあって、ぼんやりとしたイメージを具体的に表現するのが上手い。僕のふわっとした言葉を聞いただけで、さらさらと下書きを描き起こしてゆく。噂によると、七五三掛さんは少女漫画家希望らしいのだけど、彼女ならいつかは必ずデビュー出来るだろう。そう思わせるだけの才能がある。
「ところで、立体物の製作はどうしようか。僕、家庭科は正直苦手なんだよね……かといって七五三掛さんだけにやらせる訳にもいかないでしょ。漫画同好会の原稿もあるし」
「あ、それなら土日で終わらせたよー」
「え? もう描き上がったの?」
七五三掛さんの言葉に目を剥く。
オタクの端くれである僕も一時期漫画を描いたりしていたことがあったのだけど、あそこをああしてこうしてってやってると、あっという間に時間が過ぎてしまって、1P仕上げるのに丸一日かかるなんてことがざらにあった。だから、最低でも8Pの原稿を描かなければならない七五三掛さんのスケジュールが詰まっていることは理解してるつもりだ。それを三日で仕上げるなんて、流石は漫画家志望。素直に凄いとしか云いようがない。
「うん。金曜日も時間取れたでしょ? だからもうばっちり」
「よかったあ」だから僕はほっと胸を撫で下ろした。「急に予定変えさせちゃったから、申し訳ないことしたってずっと思ってたんだよね」
「小山内くん、心配性。でも、有難う。気にしててくれて」
住宅街の中にあるなだらかな坂道を下った僕と七五三掛さんは、線路沿いの通りを右に曲がった。ここから十五分ほど歩いて、線路を越えた先にホームセンターがある。手芸店があるのは、線路沿いの通りを左に折れて駅に出た先になるので、学校に戻るのは早くても17時ぐらいの予定。買い物にかかる時間を考えると、今日中に作業に取り掛かるのは難しそうだ。
「なんだかんだで今週いっぱいかかりそうだね、垂れ幕の製作」
「そうだね。でも、大丈夫。私も頑張るから」
「頼もしいなあ、七五三掛さんは。でも、無理はしないでね」
「うん。そこは大丈夫。ちゃんと脳内でスケジュール立ててるよ」
「偉いなあ。僕なんてぼんやりとしか考えてなかったよ」
「皆、そんな感じだと思う」七五三掛さんが僕を仰ぎ見てくる。「ところで小山内くんは、後夜祭のパートナーは決まってる?」
「え? 僕にそれ聞くの」
僕は途惑った。
文化祭の後夜祭にフォークダンスをやると決めたのが誰なのか僕は知らないのだけど、余所の高校でもあるあるらしいこの習慣が悲喜こもごもな結果を生み出していることは僕でも知っている。後夜祭自体は全員参加なのに、何故かフォークダンスだけは任意参加――しかも、カップルでしか参加が出来ないとくれば、起こることはひとつだ。そう、恋の告白大大会である。
皆、イベントに参加したいのだろう。文化祭前になるとにわかに増え出すカップル。告白に成功した人間はいいけれど、失敗した人間は悲惨だ。それでも後夜祭に参加しなければならないなんて、苦行以外の何物でもない。
それに、別の問題もある。
そもそも、好きな相手がいない人間や、僕みたいに好きな子たちがPC画面の向こう側にいる人間はどうすればいいのか。まさか写真を持って踊る訳にもいかないだろう。だから、カップル限定になっているこの手のイベントが、僕はあんまり好きではない。
「あ、違うの。そういう意味じゃなくて」
「大丈夫、大丈夫。冗談だよ」
そう云って誤魔化すけれども、内心は複雑だ。
ゆうみなちゃんは滅茶苦茶可愛いし大好きだけれども、その元になっている滝自身をそういった意味で好きかと訊かれると、僕はちょっと困ってしまう。だってそうだろう? 当たり前のようにセックスをしておいて何を云うだけれども、実際のところ、僕は滝に対して抱いていた怒りの全てを消化しきった訳ではないのだから。
横暴で、横柄で、俺サマ気質な滝。
今でも僕は彼に苛立ちを覚えてしまう瞬間がある。ノートを僕に借りておきながら、中間テストの点数が僕より圧倒的に良かったりする要領の良さもそうだし、自惚れても仕方ないと思わずにいられないくらいに整った容姿にしてもそうだ。あれだけ僕を扱き使っておきながら、仲間には愛想を良くしているところも気に食わなかったし、金曜日の決まり事を自分の都合であったりなかったりしてしまうところも嫌だ。
ゆうみなちゃんの件がなければ、きっと今でも僕は滝に怒り続けていることだろう。そのぐらいに滝とは水と油な自覚がある。
「僕はほら、女の子にもてないタイプだから」
だから僕はそう云ってしまうのだ。僕がゆうみなちゃんとフォークダンスを踊ることはない。それが理解 ってしまっているから。
「え、じゃあ、あのねあのね。小山内くん、私と一緒にフォークダンス踊らない?」
「あれっ? 七五三掛さん、同好会の部長と付き合ってたんじゃなかったの?」
七五三掛さんの誘いに僕は困惑してしまった。
彼氏がいる子が僕を誘う理由なんてひとつしかない。七五三掛さんが他人を揶揄うような子ではないことを、僕は理解 っていた。だからこそ、もっさいオタクであるが故に、パートナーが出来ようのない僕に優しさで声をかけてくれたのだ。
勘違いしようがない。これが現実である。
何せ七五三掛さんは可愛いのだ。化粧っ気がないのにも関わらず、化粧をしているんじゃないかってぐらいに愛くるしい面差し。ほっそりとして小柄な身体。男だったら無条件で守ってあげたいと思わせる容姿だけでも反則なのに、人を疑うことを知らないんじゃないかってぐらいに純粋で、そして僕のような人間にも気さくに声をかけてくれるだけの優しさまで持っている。
彼女が男の娘だったら、僕は一目で恋に落ちてしまっていたに違いない。かくいうアニメ同好会にも、七五三掛さんに熱烈に恋をしている人間がいる。
「違うの、小山内くん。それね、みんな勘違いしてるみたいだけど、部長とは本当に何もなくて……」
「そうなの? すっごい噂になってるよ。だって僕が知ってるぐらいだもの」
「実はずっと困ってたの。ふたりきりで行動したりしたことないのに、そういう風になってるって思われてて……」
七五三掛さんの告白に、僕は目を瞠った。
だって漫画同好会の部長、凄いんだよ。
休み時間に七五三掛さんの顔を見に来るし、二年生用の下駄箱まで七五三掛さんを送りにくるし。お昼ご飯を一緒にって誘いにくるのも珍しくなかったし。だから、部長が七五三掛さんを好きなのはもう確実として、七五三掛さんも満更じゃないって雰囲気だったから、僕ですらあれはもう絶対に付き合ってるって思ってたんだよね。
けれどもそれは違ったみたいだ。七五三掛さんの表情は、何かを案じているような雰囲気に満ちている。
「だから小山内くんさえ良ければ、フォークダンス一緒に踊ってもらえないかなって」
それはつまり、虫除けに僕を使いたいということである。
僕は唸った。
七五三掛さんの力になってあげたい気はあるけれども、それは同時に漫画同好会の部長の恨みを買うということでもある。
気弱で陰キャなオタクには、リスクが大きい七五三掛さんからのお願い。僕が腕自慢のだったらワンチャン考えなくもなかったけれど、悲しいかな。僕の腕力は、帰宅部故に運動能力がそこまででもない滝よりも低いのだ。
「あの、ごめんね、七五三掛さん。僕、そういうの苦手だからさ、他の人を誘った方がいいんじゃないかな?」
だから僕はそう答えるより他なかった。
それを七五三掛さんは理解したのだろうか。そっか。と、呟くと、ごめんね、と、謝ってくる。
「いや、七五三掛さんは悪くないでしょ。僕が気弱なのが悪いんであって……」
「ううん。小山内くんが困るようなお願いしちゃった私が悪いんだよ。ごめんね。酷いお願いだったよね、今の」
「いや、うん。えーと……」
「だからちゃんと云おうと思う」
どうやら七五三掛さんは、僕に虫除け役を断られたことで、同好会の部長との関係に区切りを付ける覚悟を決めたようだ。
瞳に漲る意志が、彼女の覚悟のほどを伝えてくる。
中学時代から恋愛模様の輪の外側に居続けるのが当たり前になっている僕からしたら、なんて羨ましい境遇となってしまうところだけれども、七五三掛さんとしてはそれどころではないのだろう。きゅっと口唇を結ぶと僕を振り仰いでくる。
「あのね、小山内くん」
「うん。どうかした?」
「私、小山内くんが好きなの。だから、そういう意味じゃなく、恋人としてフォークダンスを一緒に踊ってください」
その瞬間、僕の頭はフリーズした。
云われていることは理解出来るけれども、その相手が僕であるということが理解出来ない。だって、あの七五三掛さんだよ? 漫画同好会の部長に限らず、狙っている男がわんさかいる二学年の聖女だよ? それが僕のことを好きだって?
冗談にも限度がある。
咄嗟に辺りを窺うも、通行人の中に北高の生徒らしき人間はいない。
と、いうことは、これはドッキリや罰ゲームなどではなく、現実であるということだ。僕は更に混乱した。七五三掛さんがそういったことに手を出す人ではないのは理解 っているけれども、そういった事情であった方がどれだけ気が楽だったか。
「えっと……、あの……、ごめん、ね」
たっぷり一分ほど言葉を失った僕は、ようやくそれだけ口にした。
瞬間、七五三掛さんの表情が大きく歪む。泣かれる。と、思った僕は咄嗟に口を開いた。こういった時にどう返せばいいかは、ラノベに山ほど書いてある。その台詞をなぞるようにして、僕は七五三掛さんに語りかけた。
「あの、七五三掛さんは凄くいい子だと僕は思ってるんだけど、僕自身、今はそういった気持ちが全くないんだよね……」
「そっかあ」ぐすりと鼻を鳴らした七五三掛さんに、僕はポケットからハンカチを取り出して手渡した。「小山内くんのそういうところ、私本当に好きなのになあ」
「ご、ごめんね、ごめんね。本当に」
「いいの。仕方ないよね。私のこと、そういう風には見れないってことなんだし」
「うん。っていうか、女の子全般がそういう風に見れないんだよね……」
「有難う。ちゃんと返事してくれたの、嬉しい」
七五三掛さんの態度に僕の胸がきゅうっと締め付けられる。
ああ、やっぱりいい子なんだなあ。
でも、七五三掛さんとどうこうっていうのが僕には全く想像が付かない。一緒に登校したり、一緒にお昼を食べたり、休みの日にデートをしたり。セックスをしている自分だってそうだ。僕がチェックを入れている数多の男の娘たちとは出来る想像が、七五三掛さん相手だと何も浮かんでこなくなる。それは、僕が七五三掛さんをそういった意味では好きになれないことを意味しているのだろう。
すっかり性癖が歪んでしまった自分に僅かに悲しくなりながら、僕は七五三掛さんと再び肩を並べた。
「あの、七五三掛さん……こんなことの直後に云うことじゃないけど、買い出しはするよね?」
恐る恐る尋ねる。勿論だよ。と、笑った七五三掛さんにほんの少し気持ちを軽くしながら、僕は七五三掛さんとホームセンターへの道を歩んで行った。
※ ※ ※
買い出しを終わらせた僕は、残った時間で垂れ幕に下書きを起こしていった。七五三掛さんは立体物を制作する為の型紙作り。三十分ほど廊下と教室とに別れて作業を続けていると、18時になったようだ。教室の方から、今日の作業の終了を告げる尾口の声が聞こえてくる。
疲れたなあ。僕はひとつ伸びをして、垂れ幕の片付けに取り掛かった。
字は決して上手くない僕だけど、漫画の描き文字の要領で描くと、不思議と上手く描けてしまうから不思議だ。まるで他人が書いたみたいな文字。自分が写し取った下書きを眺めながら五メートルほどある垂れ幕を畳んでいると、廊下にひょこっと顔を出した笹内さんが、どんな感じぃ? と、尋ねてくる。
「下書きはほぼ終わったよ。明日はペンキで文字を描き入れる予定」
「おー、流石は絵が上手い組ぃ。作業が早いじゃん。うちらじゃこうはいかないね。てか、ひなっちはあれ何してんの?」
「垂れ幕に立体物を付けようと思ってね。僕、家庭科苦手だから、七五三掛さんがそっちをやってくれてるんだ」
「えー? マジすご。なら、もっと人要るんじゃね? 要るならあげるけど」
陽キャが固まって参加している屋台組の纏め役は笹内さんがやっているようだ。あっさりと人員増員の話を口にした笹内さんに、人が足りないと感じていた僕は前のめりになる。
「くれるの? くれるなら欲しいなあ。七五三掛さんの負担が大きそうだし」
「じゃあ、明日、割り振っとくわ」
「有難う。凄く助かるよ」
「小山内、真面目過ぎぃ。同じクラスなんだから当たり前っしょ」
あははと笑った笹内さんが教室に戻ってゆく。
小麦色の肌に、濃い化粧。そして、金髪のウエーブヘアー。見た目や言葉遣いはヤバめの黒ギャルな笹内さんだけど、僕に限らずクラス全員に平等に接してくれるいい人だ。滝に扱き使われてた時も、ゆっきー、やり過ぎぃ。なんて、さりげなく窘めてくれたりね。
だから、笹内さんのお願いだったら聞くってクラスメイトは多い。
クラスでは尾口に次いで人望がある人なんじゃないかな。ちょっと押しは強いし、成績は僕とどっこいどっこいだけど、ノリが軽いからか、不思議と憎めないキャラをしている。
「おい、小山内。帰るぞ」
「あれ、滝。皆と帰らないの?」
「お前も一緒に帰るんだよ」
畳んだ垂れ幕を持って教室に入ると、帰り支度をしている滝が話しかけてきた。
ぷんと香ってくるペンキの匂い。途中まで描き込まれた屋台用の看板がロッカー前に並んでいる。僕は垂れ幕をロッカーの上に置いた。そして滝を振り返る。
「え、いいよ。賑やかなの苦手だし」
「これだからオタクくんは。俺が来いっつってんだから、来い」
云うなり僕の荷物を勝手に鞄に詰め始めた滝に、僕は肩をそびやかした。本当は、今日発売の続き物のラノベがあるから本屋に寄るつもりだったんだけれど、そういった個人的な事情を許してくれる流れではなさそうだ。
仕方ないなあ。僕は滝に手渡された鞄を手に取った。そして、教室を閉める準備をしている尾口を待っているクラスメイトたちの輪に加わった。だけど、その輪の中に七五三掛さんがいない。どうしたんだろうと思っていると、相沢さんが迎えに来たようだ。A組の前できゃっきゃとはしゃいでいるふたりの姿が目に入る。
「忘れ物はないね? 閉めるよ」
尾口が教室の扉を閉める。
職員室に鍵を返却しにいく尾口に付き合ってぞろぞろと移動した僕らは、その集団のまま下駄箱を経由して校門を出た。あちらでもこちらでも笑い声が上るような、賑やかな帰り道。方向が違うクラスメイトが、ひとり、またひとりと集団から外れてゆく。
「みずちゃぁ、マック寄らね?」
「あー、ありっしょ。じゃ、うちらもここで」
学校から伸びる住宅街の中の坂道を下って線路沿いに出ると、集団が大きく動いた。左に折れて駅に向かう組と、右に折れて郊外に出る組。県営住宅住みの滝は右に折れるし、ひとつ隣の市から通っている僕は左に折れる。だから僕は、駅前のマックに寄るつもりらしい笹内さんたちの後についていこうとした。
と、滝に腕を掴まれる。
「どうしたの、滝?」
「お前は俺を送っていくんだよ」
「はあ?」渡された鞄を持つ。
滝にとっては、今でも僕は使い勝手のいい下僕なのだろう。偶に滝と一緒に帰宅をすると、鞄を持つのが面倒と荷物持ちをさせられることがある。以前ほど嫌ではないけれども、あまりいい気分ではない。
「俺に何かあったら大事だからな。学校の財産がひとつ減る」
冗談めかして云っているけど、目が真剣だ。何か用事でもあるのだろうか。でも、これまで下着の撮影やセックス以外で滝が僕を必要とすることはなかったのだけど。
「じゃあ、ぼくたちはここで」
「じゃあな、尾口。また明日」
線路下のトンネル前を通る頃になると集団もなくなり、僕と滝だけの帰途になった。すっかり暗くなった辺りを街灯が点々と照らしている。この時間に滝と一緒に帰るのは、初めてのことかも知れない。てくてくと滝の後を付いていくと、お前さあ。と、滝が口を開いた。
「七五三掛のこと、どう思ってるんだよ」
「七五三掛さん? 何で?」
今日の今日での滝の発言に、僕はちょっとどきりとした。
真面目に垂れ幕の立体物用の型紙を作っていた七五三掛さんが、誰かに今日の告白のことを話す暇はなかったに等しい。七五三掛さん自体、そういったことを広範囲に言い触らす人でもない。仮にそういった人だったとしたら、どうして漫画同好会の部長との噂がここまで広まったものか。
だから滝は僕が七五三掛さんに告白されたことを知らずに云っている筈なのだが、どうしてそう尋ねてこようと思ったのかがとなると、他にはまるで心当たりがない。そもそも、滝は他人のことに首を突っ込むような人間ではなく、どういった噂話であろうとも「ふーん。で?」のひとことで済ませてしまうような性格だ。それがいきなりこれだ。前置きも何もなく単刀直入に訊いてくるのは滝らしいけれども、その本心は何であるのだろう。
「七五三掛の顔だよ、顔」
「可愛いと思うけど」
「そういう意味じゃねえ」滝が困った風に頭を掻く。「お前と話をしているときの七五三掛の顔。あれは恋してる女の顔だって云ってんの」
またまた僕はどきりとした。
傍から見ていてそう感じられるぐらいには、七五三掛さんの態度は露骨であるらしい。
驚きだ。
嫌だなあ。素直に僕はそう思った。他のクラスの七五三掛さんシンパはさておき、しょっちゅう僕のクラスに顔を出す漫画同好会の部長なんかは、その調子では直ぐに気付いてしまうのではなかろうか。
それは困る。
僕は焦った。面倒ごとや揉め事に巻き込まれたくない僕としては、七五三掛さんからの告白も断っているのだし、このまま彼女の態度が治まってくれるのを願うばかりだ。
「それで、滝はそう思ったから僕に訊くの。それはちょっと早計じゃない?」
「そうだよ。だから笹内に訊いたんだ。七五三掛の情報持ってないかって」
「何で笹内さんなの」
「お前、あいつの情報収集能力舐めんじゃねーぞ。ギャルの横の繋がりで、即座に目当ての情報持ってくるからな」
え、何それ怖い。
僕が友だち関係が希薄な環境に身を置いているからかも知れないが、そういった友だち同士の繋がりが強い人というのは、徒党を組まれると僕では対抗出来なくなってしまうからこそ怖かった。けれども、滝みたいに友人が多い人間はそうは思わないのだろう。何も問題がないといった態で話を続けてくる。
「そしたら七五三掛、酒井と付き合ってないどころか、お前のことが好きらしいって話じゃねーか」
僕はピンときた。
これは噂になる前に鎮火させた方がいいパターンだ。
クラスでハブられていたこともあったりしたからか、僕は自分の炎上案件にはそこそこ強い。どこでどう発言すれば、自分が他人の気持ちを逆撫でしないかがわかってしまう。今回の件については、僕が七五三掛さんにその気がないことを先にアピールするのが大事だ。そうして、噂が流れ出るのを止めなければ。
「滝、それなんだけど」
「何だよ」
「実は僕、今日、七五三掛さんに告白されて」
な。と、言葉に詰まった滝が、直後、妙に慌てた様子で言葉を継いでくる。
「で、どうしたんだよ。お前、まさか七五三掛と付き合うなんてこと」
「断ったよ。だって僕、男の娘の方が好きだし」
「終わってんな。理由が」
溜息を洩らした滝が、何かを憂いたような表情になる。
七五三掛さんのことが心配なのだろうか? 誰もが守りたくなるような華奢で可憐な七五三掛さんの容姿を思い出す。何だかんだ云いつつ、真面目な面もある滝のことだ。僕が巫山戯た返答を七五三掛さんにしていたら、本気で怒るぐらいはしそうな気がする。
「でも、流石にそれは七五三掛さんには云ってないよ」
だから僕はそう答えた。
「そうしておいてやれよ」滝が再び溜息を吐く。「七五三掛もお前の本性知ったら引っ繰り返るだろうしな」
「僕は善良で気弱なオタクなんだけど」
「良く云うぜ。ご主人さまが」
「それは滝が好き好んで云ってるんじゃないの?」
「最初に云わせたのはどこの誰だよ。本当に、もう……」
なんだか話が大分逸れている気がする。
僕は滝に改めて、七五三掛さんに対してそういう気がないことを伝えた。その上で、笹内さんたちにもそう伝えておくように念押ししておく。滝もそれで僕の言葉に納得がいったのだろう。どこか安堵した様子をみせると、「お前、今日はどうする。このまま帰るのか」と、尋ねてくる。
「うーん。ゲーセンでも……って思ったけど、制服なんだよね。帰るしかないかあ」
どうやら滝の用事は終わったようだ。その為にわざわざ? という疑問は消えないけれども、追及しても詮無いことだ。滝にも普通の高校生らしい面があるんだなあと思っておくことにする。
「なら、寄ってけ。飯食わせてやるよ」
「え、いいの?」
「俺の手料理を食ったヤツなんてクラスに数人しかいないんだぞ。有難く食ってけ」
何だかんだで悪いヤツではないんだよな。
僕は滝の印象に少しだけ加点をすることにした。
滝とセックスをするようになって大分経った。こうして少しずつ、僕の中にある滝に対する怒りを僕は消化してゆくのだろう。僕は滝と肩を並べながら、遠くに沢山の窓明かりを映している県営住宅に向かって歩んで行った。
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