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(四)

 土日とラノベを読み耽って英気を養った僕は、月曜日、意気揚々と学校に登校した。まだ時間が早いからか。まばらに生徒が通りかかる校門を潜ると、今日の美化担当であるらしい。相沢さんが花壇の花に水を撒いている。 「おはよう、相沢さん」  挨拶をしないのも不自然なので声をかけてみるも、ちらと一瞥されただけだった。  機嫌が悪いのだろうか? だったら仕方ないと、彼女にありがちな態度に深く考えずに通り過ぎる。直後、うーっす。と、背後から声が聞こえてくるなり、後頭部を何かで叩かれた。恐らくは鞄だ。振り返った僕は、意地の悪そうな笑顔を浮かべて立っている滝に頬を膨らませた。 「本当にさあ、滝さあ、僕のこと、そうやってさあ」 「何だよ、小山内。俺の愛情表現が気に入らないって?」 「お仕置きだよね、これは」 「何だよ、拗ねるなって」  いーや。絶対にお仕置きしてやる。  僕は滝を斜め後ろに先を往った。待てよー。と、笑いながら滝が後をついてくる。いつか絶対に学校で()ってやる。僕は決意を新たに二年生用の昇降口を潜った。  靴を脱いで下駄箱の前に立つと、僕の上履きの上に茶封筒が置かれている。何だ? 僕は茶封筒を取り上げた。封はされていないが、中には紙が入っているようだ。 「何だ、それ? ラブレターにしちゃ素っ気ない封筒だな」 「この見た目でラブレターだったら、逆に怖いよ」  僕の手元を覗き込んでくる滝から封筒を隠そうとするとも、好奇心に負けたようで、滝の手がすいと横から伸びてくる。 「滝、駄目だって」 「様子のおかしいもんは先に確認しておけよ。もしかしたらってこともあるぞ」  きっと良くない予想をしたのだろう。滝が茶封筒の中から、紙片を取り出す。  何の飾りもない四つ折りの白い紙。それを開いた滝が、中身を確認するなり顔付きを険しくする。 「何が書いてあったの?」僕は滝の手から紙片を取り上げた。  ――七五三掛比奈子に近付くな。  どういうことだ? 紙片にプリントされている文字に僕は混乱した。  近付くなも何も、同じクラスである以上、多少の接触があるのは当たり前だ。それとも僕が垂れ幕制作で七五三掛さんと一緒に行動していたのが気に食わなかったのだろうか。垂れ幕の完成から日が経ち過ぎている気がするけれども、文面からして、この手紙が七五三掛さんのことを好きな誰かしらが寄越したものであるのは間違いない。  面倒臭いことになった。僕は紙片を茶封筒に戻して、鞄に仕舞った。  笹内さんが知っていたぐらいだ。もしかすると、七五三掛さんの好きな人が僕であることが噂になっているのかも知れない。それを知った誰かが……という線は充分に考えられる。そうなると、七五三掛さんには申し訳ないが、暫く僕は七五三掛さんから距離を取った方が良さそうだ。そんなことを考えながら滝を振り返ると、奴にはしては珍しも真顔でいる。 「気味の悪いことをしやがる奴もいるもんだな」 「うん。あんまり気分のいいもんじゃないよね。てか、滝。七五三掛さんの話、誰かにした?」 「するかよ。七五三掛が話してない限りは、誰も知らないだろ。お前はそういうの、誰かに話して歩く性格じゃなさそうだし」 「そりゃそうだよ。僕だって面倒ごとは御免だし」  僕は溜息をひとつ吐いて、教室に向かうべく歩き出した。  僕は滝にしか話していないし、滝は誰にも話していない。七五三掛さんもあの性格だ。あちこちに云って歩く性格でもないだろう。そう、打ち明けるとしたら相沢さんぐらい――。  そこでぴんと閃いた。  だから、か。相沢さんが僕を無視するような真似をしたのは。  かといってあれだけ仲のいいふたりだ。相沢さんから洩れる可能性も低いだろう。と、なるとやっぱり七五三掛さんの好きな人が僕であるという噂が出回っているんじゃないかという気がする。そう滝に告げれば、笹内に訊いてみるか。との返事。 「ついでにその封筒を置いた奴も調べてもらおうぜ。そうすりゃ、そいつに対する牽制にもなるだろ」 「その程度で牽制になるかなあ」 「わざわざ筆跡を残さないようにしてるぐらいだぞ。自分がやったってことがバレたくないのは間違いないだろ。つまり小心者ってことだ。そういうヤツには効くんだよ。自分のやったことを、本人以外の誰かが嗅ぎ回っているって状況はさ」  それは一理ある。  確かに。と、頷きながら廊下を往く。 「でも、笹内さんにこの話、しちゃっても大丈夫?」 「あいつはあれでも口が堅いんだよ。自分は情報を握って、必要な時以外は出さないタイプだからな」 「敵に回したくない人だなあ」 「ギャルだと思って甘く見てると怖い目に合うぞ」  あはは。と、滝は笑っているけれども、僕としては怖いこと他ない。  でも、そういう人ほど味方に付けておけば安全というのはあるかも知れない。僕は気持ちを切り替えた。誰かは知らないけれど、やっていることの趣味が悪い。僕に向いている分にはいいけれども、こういった行動に駆り立てる感情が七五三掛さんに向きでもしたら。 「滝、この話は七五三掛さんには内緒ね」 「おや、随分と七五三掛には優しいこって」 「そういうんじゃないよ。ただ気に病みそうな性格、してるからさ」 「それはわかる。わかった。内緒にしといてやるよ」  突き当りの階段を上がって、教室に入る。徐々にクラスメイトが登校してくる中、僕は自分の席に荷物を収めて、鞄をロッカーに仕舞おうとした。  まただ。僕は目を剥いた。  ロッカーの中に茶封筒が置いてある。 「またかよ」背後に立った滝が眉を潜める。 「これ以上、何を伝えることがあるんだろう?」 「中、見てみろよ」  滝に云われるがままに僕は茶封筒を開いた。紙片を開くと、「わかったな。」と、だけ記されている。 「念押しかよ。性格悪ぃな」 「それよりも、普通に薄気味悪いよ。だって、ロッカーの中に入ってるってことは、このクラスの……」 「わからないぞ」滝が茶封筒と紙片を、僕の手から取り上げてくる。「それが目的かも知れない」  僕は上の空だった。  金曜日の僕と滝は文化祭の準備に参加していない。けれども、かなりの人数が教室に残っていたのは目にしている。彼らの目を盗んでロッカーにこの茶封筒を入れるのは不可能だ。しかも教室の戸締りを担当しているのは、あの尾口である。天地が引っ繰り返っても尾口が鍵を掛け忘れることなんてないだろう。  だったら今朝は?  僕は日直を確認した。鍵開け担当は七五三掛さんになっている。  まさか、七五三掛さんが? 僕は更に混乱した。もしかしたら、僕が普通に接してくることが苦痛だった……その可能性も捨てきれない。それはそうだろう。フられた相手が同じクラスにいる。普通だったら、もっと気まずくなっているところだ。けれども、七五三掛さんは優しい子だ。だからこそ、クラスの輪を乱さない為にと僕に気を遣ってくれていたのではなかろうか。  いや、駄目だ。僕は首を振った。  七五三掛さんに限ってそんなことはない。それだけは僕はちゃんと理解(わか)っている。僕のようなもっさい陰キャオタクを好きになってくれた人なのだ。それを疑うなんて、どうかしている。 「うぃーっす。何してんの? ゆっきーと小山内はぁ?」  振り返るまでもない。この特徴的な語り口は、笹内さんだ。 「笹内、ちょっと来い」  気だるそうに立っている笹内さんを滝が教室の隅に連れてゆく。僕も行った方がいいのかとまごついていると、滝が手招いてくる。僕は鞄の中に仕舞い込んでいた一通目の茶封筒を取り出して、滝と笹内さんの許に向かった。 「えー? キッショ。何コレ? やばたにえん」  僕と滝が差し出した茶封筒の中身を見た笹内さんが小声で呟く。 「小山内は心当たりないん?」 「ないから困ってるんだよね」 「本当にぃ?」  マスカラで大きく見せているカラコン入りの瞳が、ぎょろりと僕の顔を覗き込んでくる。恐らくはこうやって目当ての相手から情報を引き出しているのだろう。カマのかけかたがかなり堂に入っている。  僕の内心は恐慌状態だ。気弱な陰キャは、笹内さんが悪い人ではないとわかっていても、その見た目の迫力に負けてしまうことがある。今にしてもそうだ。黙っているのが辛く感じられて仕方がない。 「すみません」僕は反射的に頭を下げてしまっていた。「ちょっとだけ、あります」 「なになにぃ? もしやひなっちに告白でもされたぁ?」 「怖いよ、笹内さん……」 「そらそうっしょ。もう直ぐ文化祭。と、なるとぉ、後夜祭のフォークダンス、だしぃ」  流石は情報通。勘が鋭い。と、思っていると、横から滝の手が伸びてきて、笹内さんを押し退ける。 「それはいいんだよ、笹内。こいつは断ったんだから」 「マジマジマジンガー? 小山内、やるぅ」 「あんまり揶揄わないでよ。僕、これでも真面目なんだから」  瞬間、笹内さんが歯を剥き出しににやりと笑う。 「これを誰が作ったか調べんでしょ? 楽勝、楽勝」  自信たっぷりに云ってのけると、ハイこれ。と、手にしていた二枚の紙片を僕に渡してくる。やっぱり、怖いなあ。そう思うも、動き始めた歯車は止まらない。ひらひらと手を振って自分の席に戻っていった笹内さんに、何だか狐につままれた気分になりながら、僕もまた滝と一緒に席に着いた。  ややあって、チャイムが鳴る。  後のことは笹内さんに任せるしかない。僕は机の奥に紙片を仕舞い直した茶封筒を押し込んだ。  ※ ※ ※  それから二日が過ぎて水曜日になった。  二日間の間、七五三掛さんに注目していると、やっぱりというべきか。漫画同好会の部長は、相変わらず七五三掛さんに付き纏っているようだ。相沢さんはそれを把握しているんだろう。こまめに七五三掛さんの様子を窺いに来ては、七五三掛さんと部長の会話に割って入ったりしている。 「やっぱり部長なのかなあ」 「部長? ああ、酒井か。あいつは確かに怪しいよな」  滝も僕と同じ考えでいるようだ。僕の呟きに、そう相槌を打ってくる。  一般的には七五三掛さんと付き合っていると思われている漫画同好会の部長だ。七五三掛さんの好きな人が僕であると耳にしたとしたら、冷静でいられるだろうか? 僕が部長の立場だったら、とても平静を保っていられないと思う。 「七五三掛ももうちょっと、はっきりとした態度を取りゃいいものを」 「いや、七五三掛さんにそれは無理じゃない? あそこまでべったりされたら、逆に怖くて突き放せないでしょ」  月曜日の怪文書以降、僕におかしなことは何も起こっていなかったけれど、用心に越したことはない。僕は七五三掛さんと必要最小限の会話しかせずにいた。七五三掛さんはちょっぴり悲しそうな表情をしていたけれど、仕方がない。僕だけならまだしも、七五三掛さんに何かがあってしまってからでは遅過ぎる。そう云い聞かせて我慢した。  昼休みになって、お弁当を食べていると、笹内さんに体育館裏に呼び出された。  急いでご飯を掻き込んで滝と一緒に体育館裏に向かうと、笹内さんだけでなく、七五三掛さんも一緒にいる。どういうこと? と、思っていると、「御免なさい!」と、七五三掛さんが涙ぐみながら頭を下げてきた。 「え? 何? 何?」 「多分なんだけどぉ」笹内さんが髪を掻き上げながら口にする。「隣のクラスの相沢ぁ? なんじゃないかって話ぃ」 「相沢さんが? 何で?」  意味がわからない。僕は首を傾げた。 「期待させるなってことなんじゃね? 距離近だと、やっぱぁ。ほら、恋心って、自分じゃ制御出来ないっしょ」 「でも、何の根拠があって」  僕は信じたくなかった。  確かに僕の相沢さんの印象は良くない。けれども、そこまで親しくない仲でもない以上、僕に直接云えばいいだけの話だ。わざわざプリントアウトした紙を仕込んだ手紙を作ってまで、僕を七五三掛さんから遠ざけようとするなんて思えないし、思いたくなかった。  何より、相沢さんは七五三掛さんの大事な友人なのだ。  あれだけ仲のいいふたりだ。似た者同士であると僕は思っていたかった。そう、七五三掛さんがそうであるように、相沢さんも根っこの部分では優しい子に違いない。その思い込みを崩されるのが怖くて仕方がなかった。 「あの日、鍵を開けた直後に優菜が教室に入ってきたの」  目の前に立つ七五三掛さんが口を開いた。  友人がしでかしたことにショックを受けているのだろう。伏し目がちな瞳が涙を溜めている。 「日誌を書ている間にロッカー前に立ってたの。だからその時になんじゃないかって」 「金曜日に入れるのが無理っていうのは、うちらが証明出来るっしょ」笹内さんが七五三掛さんの言葉を引き継ぐ。「そうなると月曜の朝しかないなってなるっしょ。だから、月曜日の朝に早く学校に来る理由がある連中を当たってたんだけど、ひなっち以外に心当たりがありそうな奴がいなかったんだよねぇ」 「でも、クラスメイトが目を盗んでってこともあるんじゃないの?」 「私の次に登校してきたのは尾口くんたちなんだよね。井沢くんと、中村くんと、三人で教室に入ってきたの。だから無理なんじゃないかって」 「尾口たちは流石にねえな」滝が云った。「あの真面目が服を着ている連中には無理だ」 「まあ……確かに。あの三人じゃ無理そうだね……」  尾口や井沢は弁論部に所属している。ふたりとも竹を割ったような真っ直ぐな性格をしていて、そういった不審な動きを見逃すような人間ではない。  中村は囲碁部だけれど、論理的に話をするのが得意な奴だ。先生の覚え目出度き優等生でもある。  成績不良者の僕では敵わない弁舌の持ち主たち。あの三人だったら、あんな変な手紙を用意するより先に、僕に直接何故そうして欲しいのかを云ってくる筈だ。 「どうするぅ? なんだったらうちらが話を付けてもいいけどぉ」  風に揺れた笹内さんの髪から、ココナッツの香りが漂ってくる。 「いや、それは僕がやるよ。何でああいった手紙を作ったのか、直接聞きたいし」  きっと、笹内さんの方が話を丸く収める能力に長けている。それでも僕は自分で話をしようと思った。それが七五三掛さんをフった僕に出来る唯一の償いのような気がしたからだ。 「おお。小山内、格好いぃ」 「マジか。お前、大丈夫かよ」 「あの、小山内くん。無理はしないで。私から優菜に訊くから」  僕が頼りなく映るのだろう。笹内さんと滝、七五三掛さんが三者三様に言葉を吐く。 「それは駄目だよ」  僕は七五三掛さんに向き直った。 「七五三掛さんは何も知らない振りをしていた方がいいよ。これは僕と相沢さんの問題だからね」 「でも、小山内くん」 「云わない方がいいこともあるんだよ」  今のままだと七五三掛さんが僕に告げ口をした形になってしまう。それを相沢さんが許せるか、そんなに長くない付き合いの僕には判断が付かない。  幾ら七五三掛さんと仲が良くとも、僕に対して当たりが強くなることがある人だ。僕を嫌うあまり目が曇ってしまうことも有り得る。僕は普段の七五三掛さんと相沢さんを思い返した。きゃっきゃと楽しそうに語り合うふたりの姿が幾らでも思い浮かんでくる。こんなに仲のいい子たちを、僕の所為で仲違いさせる訳にはいかない。 「あの女がしらばっくれたりしないかねえ」滝が悩まし気な表情で宙を睨む。「証拠らしい証拠もねえし」  僕は暫し考えてから、自分の考えを述べた。 「美化委員の当番で早く学校に来ていたことと、七五三掛さんが鍵当番だったことでつつけばいけないかな?」 「どうかねえ。俺はあの手のタイプの女が考えてることはわからないしな。まあ、お前がやるってならいいんだけど」 「うん、僕がやる。だから滝、今日の放課後付き合ってよ」 「俺がぁ? 付き合っても何も出来ないぜ」  相沢さんと話をする上で、七五三掛さんをフった件は避けられない話題だ。そうなった時に、彼女に理由を納得させられる自信が僕にはなかった。  滝はその為の切り札に充分に為り得た。  勿論、ゆうみなちゃんを出すなどという野暮なことはしない。滝悠人のままで使わせてもらう。  実は、相沢さんは周囲に隠しているある秘密がある。七五三掛さんにさえ内緒にしているそれが何であるかはさておき、彼女に軽く見下されているっぽい僕ひとりでは、その弱点を突き切るのは難しい。  加えて僕は非力なオタクだ。気分屋の相沢さんに逆上されでもしたら太刀打ち出来ない。だからこそ、僕は滝を同行させるのだ。流石に気の強い相沢さんでも、男ふたりを目の前に暴れ出すこともないだろう。もし暴れるようなことがあったとしても、滝と一緒なら押さえ込める。  だから、僕は滝に向かって云った。 「もしかしたら出来ることがあるかも知れないよ」そうして口の端を吊り上げる。「そうならないように願ってはおくけれど」 「出来ること……?」  何をさせられるのか予想が付かないからだろう。滝が不安そうに目を瞬かせる。  大丈夫だよ。と、僕は笑った。滝はそこに立っていてくれるだけでいいから。そう告げて、笹内さんと七五三掛さんに向き直る。改めてお礼を云うと、複雑な心境なようだ。代り映えのしない表情の笹内さんはさておき、七五三掛さんは滝同様に不安そうな表情でいる。 「小山内くん。本当に、大丈夫……?」 「うん、大丈夫だよ。だから、七五三掛さんはもうこの件については忘れること。そして、いつも通りに相沢さんと仲良くすること。いい? この程度のことで仲違いしちゃ駄目だよ。そんなことになったら、僕、一生落ち込むからね」  念を押すように云えば、罪悪感を覚えているようだ。「ごめんね、小山内くん」と、七五三掛さんが深々と頭を下げてくる。波打つ艶やかな漆黒の髪の毛が、七五三掛さんの頭の角度を表しているようだ。 「まあ、最悪、うちらもいるしぃ。ね、小山内?」  小さくなっている七五三掛さんが可哀想に映ったのだろうか。笹内さんが底抜けに明るい声を出す。 「うん。僕で駄目だったら、お願いしてもいい?」 「だーかーらー、小山内は真面目過ぎぃ」あはは。と、声を上げて笑った笹内さんが、僕の肩をバンバンと叩いてくる。「(おんな)じ学校の仲間っしょ。もっと気楽にうちらを頼んなって」  ※ ※ ※  放課後になった。  夕方からカラオケボックスでバイトがある滝の為に早めに話を終わらせるべく、終礼が終わると同時に僕は隣のクラスに向かった。けれども相沢さんの姿がない。もしやもう漫画同好会に行ったのだろうか? 僕は滝を引き連れて漫画同好会の部室に向かった。 「優菜ぁ? まだ来てないけど」  困ったぞ。と、思うも、下手に校内をうろついて、擦れ違ってしまっては話にならない。教室に戻るか、ここで待つか。滝と悩んでいると、トイレの方から相沢さんが歩いてくるのが目に入った。  一気に僕の手足に緊張が漲る。  嗚呼、やっぱり僕は相沢さんが苦手なんだなあ。嫌な思い出が脳裏に蘇る。今はもう顔の細部さえも思い出せなくなった中学時代のクラスのリーダー格だった女子。その顔が相沢さんになってしまっているのは、僕の弱さの表れだ。 「相沢さん」 「何か用?」  ぎろりと睨み付けられながら返されては、心も萎もうというものだ。  僕は相沢さんから目を逸らしてしまった。逸らしてしまってから、いやいや。と、自分に胸の内で突っ込む。  頑張ると云ったのは僕だ。僕は自分を奮い立たせた。七五三掛さんは勿論のこと、笹内さんにも啖呵を切っている。ここで踏ん張れなければ、僕と七五三掛さんの今後の平穏な学校生活はない。僕はさておき、七五三掛さんは守らなくちゃ。その気持ちで、相沢さんに向き直る。 「お前、感じ悪ぃな。何だよ、その態度」  僕が先に口を開くより先に、滝が言葉を発する。 「滝、いいよ。大丈夫だから」 「面白くないことがあるんだったら、直接云えっつーの。そういうじとじとした女、気持ち悪いんだよな」  あまり、相沢さんにいい印象を抱いていないのか。そう口にした滝がふいと顔を逸らしてしまう。  滝はもてる割には女子に冷たいところがある。特に自分に好意を抱いている相手にそれが顕著だ。期待を持たせたくないらしく、どうしてそこまでと思うくらいに突き放した物言いをする。なら、笹内さんはどうなんだって話だけれど、彼女のようにあっさりしている女子は、何を云っても後に残らないだけに付き合いが楽なのだそうだ。 「で、何? 用があるんでしょ。あるなら手早く済ませて」  相変わらず不機嫌さらさらな態度で相沢さんが言葉を吐く。それが気に入らないのだろう。「人の話、聞いてねーな」ぽつりと滝が呟く。 「まあまあ、滝。そんな突っかからないでよ。喧嘩をしにきた訳じゃないんだから」  僕は相沢さんに場所を変えることを提案した。  何処にしようか迷ったけれども、時間的な関係もあって、近場で済ませることにする。本棟二階の空き教室。屋台や掲示ボードといった文化祭用の成果物や資材が仕舞われている場所だ。  終礼後こそ出入りが激しいが、その後は殆ど人の出入りがない。僕たちが空き教室に入る頃には、作業に必要な資材は持ち出された後だったようだ。人気もなければ荷物もないような状態だ。 「こんな所に連れてきて、何の用なの? こっちは製本作業で忙しいんだけど」 「大丈夫、直ぐに済むから」  僕は相沢さんに二枚の茶封筒を手渡した。中を見るように告げるまでもなく中身を改めた相沢さんが、で? と、尋ねてくる。  僕を睨み据えている相沢さんの態度は挑戦的だ。やれるもんならやってみろとでも云いたげな表情が僕に向けられている。頑張らなきゃ。僕は両手を握り締めた。あの時のリーダーと相沢さんは違う。そう心に云い聞かせる。 「それ、僕にくれたの相沢さんだよね」 「それって、酷い云いがかりじゃない?」 「云いがかりなのかなあ」僕は相沢さんの手から茶封筒を取り上げた。「七五三掛さんの彼氏は部長でしょ」 「はあ? 何云ってんの。しらばっくれんじゃないわよ」 「世間一般ではって、話だけど?」  挑発するつもりはなかったけれども、こうも喧嘩腰だと話にならない。  いきり立つ相沢さんの目の前で、僕は茶封筒をひらひらと振ってみせた。思いっきり眉を潜めた相沢さんの表情がいっそう険しくなる。だけど、僕は自分で予想していたよりかは冷静だった。  五時間目と六時間目の授業中、僕は考えていた。証拠が弱いなら、論理だ。尾口たちのようにスマートにとはいかないけれど、授業で何度かディベートをやった際に尾口たちに筋がいいと褒められている。僕はその言葉に縋ることにした。二時間かけて考え出したロジック。これで相沢さんに罪を認めてもらうのだ。 「それで? 世間一般では部長が比奈子の恋人だから、何?」 「そこなんだよね。そうである以上、七五三掛さんを好きなどこかの誰かがこの手紙を僕に出す筈がないでしょ。出すとしたら先ず部長にだよ。あれだけ七五三掛さんの傍にいるんだもの」 「それは……っ」  云い返したいけれども、上手く言葉が続かないようだ。歯噛みする相沢さんに僕は言葉を続けた。 「だとすると、考えられるのは、部長がこの手紙を出したか、部長の恋を応援したい誰かが出したか、になっちゃう」 「なら、あたしじゃない。あたしは比奈子が部長に迷惑していること、知っているもの」  僕が的外れな方向に持論を展開したからだろう。相沢さんが安堵した様子を見せる。 「まあ、待ってよ」僕は茶封筒を制服のジャケットのポケットに仕舞い込んだ。「もうひとつ、可能性があるんだよね。それは、僕が七五三掛さんに告白されたことを知っている人。その人からしたら、僕が変わらずに七五三掛さんと仲良くしているのは腹立たしく感じられるかも知れないでしょ。期待を持たせるような真似をしているように見えるんだもの。だから、ここに相沢さんと滝を連れてきた訳。どう、滝。僕は滝に七五三掛さんに告白されたことを云ったけど、それ、誰かに云ったりした?」 「云う筈がねーな」  自分の出番が回ってきたからことで、僕の思惑を察したようだ。滝がにやりと笑う。 「云ったって誰が信じるかよ。七五三掛の彼氏は部長だって思われてるんだぞ。俺が嘘を吐いていると思われちまう」 「相沢さんは? 七五三掛さんから聞いてると思ってるんだけど、それ誰かに云った?」 「云う筈ないでしょ」 「となると、容疑者は三人。滝と相沢さんと七五三掛さんってことになる」 「何で!?」相沢さんが声を荒らげた。「あたしはともかく、何で比奈子まで容疑者になるのよ!」 「クラスメイトだからでしょ」  僕は持論を展開した。  文化祭の大事な時期にクラスの輪を乱しくないと考えた七五三掛さんが、無理をしている可能性だ。 「いい? 今は文化祭の準備シーズンなんだよ。どのクラスや部活も一致団結して準備に頑張ってる。そこにフったフラれたの話を持ち込んだらどうなると思う? クラスメイトだって気を遣うよね。そういうのを七五三掛さんは嫌がる性格でしょ。優しい子だから」  僕はそこで溜息を吐いた。  相沢さんに自白させる為とはいえ、七五三掛さんに嫌疑をかけているような発言をするのは心が苦しい。これが他の女子だったらここまで苦しくなりはしないのだけれど、何せ二学年の聖女だ。云った先から自分が嫌になってくる。 「……だから、比奈子がって云いたいの?」 「自分から距離が取れないなら、不可抗力な理由を作ればいい。そういう考えをする可能性はあるってこと」 「最低!」 「どうとでも云ってよ」僕はポケットの中の茶封筒を握り締めた。「僕が疑ってるのは相沢さんなんだから」  昼休みの七五三掛さんは本気で苦しんでいた。それはそうだ。大事な友人が自分の好きな人に怪文書を送り付けたと知ってしまったのだ。伏せた瞼に溜まった涙は、七五三掛さんのやり場のない気持ちの表れだったに違いない。  やりきれないなあ。そう思いながら、僕は話を続けた。 「下駄箱とロッカーに手紙が入っているのに僕が気付いたのは月曜の朝。クラスメイトに確認したけど、金曜の放課後にはそんなものはなかったんだって。って、ことは手紙が入れられたのは、開門から僕が登校してくるまでの間になるよね。ここまではOK?」  ぶすくれた態度で相沢さんが頷く。 「僕のクラスの鍵開け当番は七五三掛さん。美化委員で当番だった相沢さんも早く来てたんだよね。滝が登校してきたのは僕の後。ここで先ず滝が容疑者から外れる。尤も一度学校に来ている可能性までは否定出来ないけど」 「そんな面倒臭いこと、誰がするか」 「だよねえ」  短い付き合いだけれども、滝がそういったことをしないのだけは保証出来る。そもそも、まだるっこしいことの嫌いな滝ことだ。僕にそういった意味で云いたいことがあったならば、僕の胸倉を掴んで云いまくるに決まっている。 「となると、容疑者は相沢さんと七五三掛さんのふたりになるんだよね。まあ、僕としては、七五三掛さんは全く疑ってないんだけど」  僕は相沢さんを真っ直ぐに見詰めた。これで白状しないのなら、僕はもう知らない。七五三掛さんには申し訳ないけれども、きっちり落とし前は付けてもらおうと思う。 「……だって」相沢さんが絞り出すような声を上げた。「あんなに比奈子が勇気を出したのに!」 「だからって、これはないでしょ」  僕は握り締めていた茶封筒を再び取り出した。七五三掛比奈子に近付くな。たった十三文字の手紙は、僕を怯えさせるのに充分な効果を発揮していた。何せ僕は気弱なオタクなのだ。滝や笹内さんがいなかったら、僕はこの手紙が持つ気味の悪さに打ち負けていたことだろう。 「わかってるのぉ。でも、比奈子がぁ……辛そうでぇ……」  突然のことだった。  ぼたぼたと涙を流し始めた相沢さんが、わんわんと声を上げてその場にへたり込んだ。僕はどうすればいいかわからなくなって滝を見た。滝も相沢さんをどう扱えばいいのか理解(わか)らないようだ。顔に手を当てて、困惑しきった表情でいる。 「なんでぇ、なんでぇ、オタクくん。比奈子をフったのよぅ。あんなにいい子、他にいないのにぃ」 「それはわかってるんだけどね。でも」 「お試しでもいいじゃないのよぅ。比奈子と付き合ってやってよぅ」 「いや、そういうのはちょっと」 「どうすればいいのよぅ。あたし、比奈子の恋、ずうっと応援してきたのに、なにもしてあげられてないぃ。ねえ、ねえ、オタクくん。お願いだからぁ、比奈子と付き合ってよ。じゃないと比奈子が可哀想過ぎるぅ」  僕は唸りながら空を仰いだ。相沢さんがここまで感情的になってしまった以上は、どうにかして彼女を宥めないとならないだろう。けれども通り一遍の慰めでは泣き止みそうにない。というよりも、そもそも僕の話を聞いていないようでもある。 「滝、ちょっと」 「何だよ」  僕は滝を手招いた。ふたりで相沢さんの目の前にしゃがみ込む。 「あのね、相沢さん。部長のことについては、僕らが何とかするから」 「それだけじゃないのぉ。比奈子、比奈子がぁ」  相沢さんが僕の制服を掴んで泣きじゃくるものだから、僕は途方に暮れてしまった。  どうすればいいんだろう。だって僕、七五三掛さんのこと、本当にそういう風には見られないのに。  これはやっぱり切り札を使うしかないのだろうか。悩み抜いた僕は、当初の計画を実行に移すべく相沢さんの肩に手を置いた。相沢さん。名前を呼んで相沢さんが顔を上げるのを待つ。 「取り敢えず、こっちを見てよ。相沢さん」  涙で顔をぐしゃぐしゃにしている相沢さんにハンカチを渡す。ハンカチを鼻に当てた相沢さんが顔を上げて、僕を見た。 「あのね、僕、七五三掛さんがいい子なのはわかってるんだよ。でもね、そういった意味で好きになれるかっていうと、それはまた違う問題でしょ」 「でも、でも、なんでぇ? 比奈子オタクくんと同じクラスになってから、凄く楽しそうだったのにぃ」 「それはね」僕は滝の方を向いた。  所在なげにしゃがんでいる滝に顔を重ねて口付ける。ばっ、と身体を退いた滝に、瞬間、相沢さんが息を呑んだのが伝わってきた。 「な、な、お前……!」 「こういうことなんだけど」  滝を無視して続ければ、効果覿面だったみたいで、すっかり涙が止まった相沢さんの顔がある。心なしか、目にハートマークが浮かんでいるような気がするけれども、それはきっぱりと無視をする。  相沢さんは腐女子なんだよね。  しかもナマモノ傾向の強い。  だからか、七五三掛さんに限らず同好の士の前でも、そんな気配は微塵も見せようとしない。  まるで古の腐女子のようにひっそりと趣味を楽しんでいる相沢さん。何故、相沢さんが腐女子であることを僕が知っているかというと、相沢さんの好きなアイドルやVtuberなどから推測出来てしまったからなんだ。カマをかけてみたらこれが見事に大当たり。勿論、彼女にきつく口止めされている僕は、今までその秘密を誰かに口外したことはない。 「え? 本当に? 本当に、そういうことなの?」 「冗談でこういうことをやるように見える? この僕が」 「きゃ、きゃあ。あの、あの、オタクくん。今度詳しく話を聞かせて。原稿の参考にするから」  身近なBLを目の当たりにして、オタクの本性が剥き出しになってしまったようだ。全力で前のめりになっている相沢さんに、理解が追い付かないのだろう。どういうことだよ。と、滝が呆然と呟く。 「相沢さんは隠れ腐女子なんだよね」 「お前の知り合い、やっぱりまともじゃないんだな……」  それでも僕の突飛な行動の意図は汲んでくれたようだ。怒りもせずにいる滝に、ごめんね。と、云うと、あー、まあいい。との返事。 「で、わかってくれた? 相沢さん」  僕は相変わらず目にハートマークを浮かべている相沢さんを振り返った。 「あの、ごめんね。ふたりとも」全く反省しているとは思えない調子で相沢さんが言葉を継ぐ。「もう、そういうことだったらあたしに先に云ってくれればよかったのに。あ、違うの。下心とかじゃなくて、そのぉ、現代社会の世論を賑わす問題の実例のひとつとして、きちんと実態を把握したいというかぁ。でも、比奈子にはちゃんと上手く云っておくから心配しないで。他の人にも黙ってるから。だから、いつかちゃんと話を聞かせてくれる? オタクくん?」  怒涛の勢いで捲し立ててくる相沢さんに、滝が忌むべきものを眺めるような目になった。  それはそうだ。僕の男の娘趣味ですら理解が及ばないと云っているぐらいだもの。男同士の絡みが大好物だなんて人間も理解に苦しむのは良く理解(わか)る。 「いいの、云いたいことはわかってるの。それでも進まずにいられないのが腐女子の性。だから、ふたりの馴れ初めから今度じっくり聞かせてね? 永遠に待ってるから!」 「おい、こいつ凄い馬鹿だぞ」 「云わないでやってよ、滝……」  でも、どうにか事態の収拾が付きそうで良かった。笑顔を取り戻した相沢さんに僕はほっと胸を撫で下ろした。相沢さんが湿っぽくなっていたら、七五三掛さんも辛いだろうしね。それに、いつぞや滝に後頭部を叩かれた仕返しも出来たし、僕としては大団円といったところなんじゃなかろうか。  あとは、無事に文化祭が終わるのを待つだけだ。  漫画同好会の部長については、もう少しだけ滝に協力してもらうことにしよう。僕は色々計画を立てながら、空き教室を出た。バイトに行く滝、そして漫画同好会に戻る相沢さんと教室前で別れる。あともうひと頑張りだ。僕は文化祭の準備を終わらせるべく、アニメ同好会の部室に向かうことにした。

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