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第5話
ネムは第二王子ユベールがとても苦手にしている。
王家に対して不敬かもしれないが、しかし苦手なものは苦手だった。
王家は獅子の獣人がほとんどで、ユベールもそうだ。黄金に輝く髪に猛々しい雰囲気の顔立ち、誰もが憧れるような美貌を持っていて、貴族平民関係なく友好的な態度で話しかけてくれる人気の王子様だ。
――ネム以外には。
実際に直接、叱責を受けたりなどはないが、どうにもネムへの態度が冷淡なのだ。接触する機会は少なくても、会うたびに睨まれているネムにとっては、とても心理的負担が大きかった。
(何事もなく通り過ぎてほしい)
ネムの願いは通じたようで、ユベールは文官長と会話を交わしながらネムの前を通り過ぎていった。ホッと息を吐いたとき、ユベールが室内に響き渡る声で話し始めた。
「最近、王宮内での規律が乱れていると聞く。王宮で働く者たちの献身に泥を塗るようなことをした者には、職を辞することを言い渡す。覚悟するように」
言い終えると、ユベールと文官長がネムの方を見たので、思わずびくりと体を震わせてしまった。
何か悪いことをしていなくても、他者からジッと見られるのは苦手だった。
自分の容姿が酷いものなのは理解しているが、それでも他者から嘲笑されたりするのには慣れない。
『気味が悪い。お前、羊獣人のくせに変だぞ』
子供の頃、仲が良かった獣人の子供からそう言われたのを思い出してしまう。その子も金色の髪だった。だからなのか、ユベールの視線がどうしてもその思い出の子と重なって、ネムは落ち着かない気持ちになる。
「文官長、あとは任せた」
話はこれで終わりのようで、ユベールはお付きの者たちと共に立ち去っていく。ネム以外の文官達も緊張が解けたようで、それぞれが動き出した時だった。
「ネム・ノワール、話がある。こっちにきなさい」
ネムは文官長から名指しで呼び出されてしまった。
文官達が仕事をしているのは広めの大部屋で、それぞれ執務するための机が並べられている。文官長は一番前にネム達と向き合うようにして机があり、執務をしているのだが。それとは別に個室が用意されていた。機密性の高い内容を決議するときなどはこちらを使うらしい。
文官長にこの部屋に呼び出された場合、出世か新しい仕事を任せられるのだというが、ネムの場合は違うような気がする。
「なぜ呼び出されたか、わかるかね」
文官長の言葉に対し、ネムは答えを持ち合わせていない。言い淀むネムに、文官長はため息を吐いた。
「ネム・ノワール。お前の素行について、さまざまな苦情がきている。だいたい毎日のように……」
やっぱり怒られるのかと項垂れていたところ、執務室の扉がノックされた。文官長が後にするようにと言っているが、扉は開かれてしまう。
「すまない、少し急ぎの用事で。こちらにネム・ノワールが呼び出されたと聞いてきた」
「き、騎士団長様!?」
「えっ!?」
今朝別れたばかりのクロヴィスが、扉のところに立っていた。ネムは思わず声を上げてしまい、慌てて自分の口を押さえた。
(な、なんで、どうしてここに? 昨日と今日のあれは終わったはず。一夜の過ちとか、そういうことにするつもりじゃない!?)
動揺しつつもクロヴィスを見ていると、バチリと視線が合ってしまった。途端、ふわりと微笑まれ、ネムは呆気にとられてしまう。自分に向けてあんなに優しく微笑んでくれる人など、今までいてくれただろうか。
「ネム・ノワールに関する一部の噂だが、誤解があるようなのでそれを伝えに来た。騎士団でも出回っていたので、そちらは私が対処しよう」
「ど、どういうことですか?」
「毎日、娼館に通っているという噂だ。ネム・ノワールは自宅に帰っているだけにすぎない。通勤のための道を確認したが、裏の細道を通り、ちょうど娼館が立ち並ぶエリアと繋がる大通りへ出ているな」
確認するように問われて、ネムは肯定した。
それにしても娼館通いとはどういうことだろう。そんな噂があったのかと首を傾げていると、今度は文官長が尋ねてきた。
「じ、自宅だって? どうして宿舎に移っていないんだ」
「えっ、宿舎ですか? あの、宿舎の管理人さんから、私の名前がリストに載っていないから事務方に確認しろと言われました。それで確認したところ、すでに宿舎の部屋は全て埋まっているので自分で部屋を借りるようにと……」
ネムの給与内で借りることができ、王宮から近い部屋となると、今の場所が最適だった。それにあの部屋は居心地が良くなるように、家具もこだわって集めたお気に入りのものばかり。今更宿舎に移れと言われたらやだなと思ってしまった。
文官長は眉間に眉を寄せつつ、補助金の申請書類が届いていないと言ってくる。
「補助金?」
「事務方のところでもらわなかったのか」
「部屋を借りたらもう一度来るようにと言われましたが、支払う家賃が少なすぎるので申請はできないと……」
ネムの言葉を聞いているうちに、みるみる険しい表情へと変化した文官長が頭を抱えていた。
「……騎士団長様は、ネムの自宅を確認されたのですか?」
「ああ」
しっかりと頷くクロヴィスに、文官長は項垂れて肩を落としている。
「ネム、……自宅の家賃をもう一度申告しなさい。金額に関係なく、王宮で務める者には補助金というものが出る。そして今回は事務方のミスで宿舎に入れなかったとなれば、確実に出る」
「は、はい。あの、ただその。最近その部屋を購入したので、現在は家賃を支払っていないです」
ネムの言葉に対し文官長はそれなら購入でも補助金がでると言ってきた。
「申請書類を後で渡すから、記入して後日持ってきなさい」
話は終わりだと文官長がいうので、ネムは二人に一礼して部屋の外へと出た。が、なぜかクロヴィスも後ろについてきている。
「……あの?」
「顔色が悪いな」
なんの躊躇いもなく、クロヴィスの大きな手がネムの頬に触れた。
「それに歩き方もおかしい。どこか痛めたのか」
歩き方がおかしいのは、昨日と朝にしたことが原因でしかないので、ネムは何も言えなくなってしまう。
(というか、思い出してしまった……)
脳裏に浮かんできてしまった昨日の記憶に、ネムは思わず頬を染めてしまう。
心配されて少し嬉しくなってしまったが、勘違いしてはいけない。これは真面目な騎士団長が、昨日のことに責任を感じて気遣ってくれているだけ。朝の言葉について深く追求しないほうがいいだろう。
(騎士団長の不興までかったら、王宮勤めは絶望的だ)
たくさんお金を貯めて愛人を囲うというネムの計画が頓挫してしまう。ただでさえ抱きしめられて眠るという幸せを知ってしまったのだ。またあんなふうに、誰かに抱きしめられたいと思ってしまう。
何も答えず俯いたままのネムを訝しく思ったのか、クロヴィスは首を傾げながらネムの顔を両手で掴んだ。そして割と強引に上へと向かせる。
クロヴィスの指先が、ネムの目元と口元を何度もなぞっている。
「な、何ですか?」
「……ここと、ここにほくろがあるな」
「はあ、そうですね」
子供の頃、仲の良かった獣人の子にはゴミがついてると笑われた。一緒に遊んでいる時は楽しかったけれど、ゴミと言われて指先で突かれるのはとても嫌だったのを思い出してしまう。
クロヴィスも同じように思って、触れているのだろうか。
(あ、だめだ。泣きそう)
じくじくと胸が傷んできて、目の奥が熱くなっていく。
突然泣いたりしたら、クロヴィスも驚くだろうし、さらに気持ち悪く思われるに違いない。我慢しろと必死に己に言い聞かせているというのに、ネムの涙腺は耐えられなかった。
「……っ!?」
はらりと涙が流れ落ちてしまう。
クロヴィスは予想通り驚いた顔をしてネムを見ていた。
「ネム、……お前」
次に来る言葉を覚悟して、ぐっと唇を噛み締めて耐えようとしていると。
「泣くほど具合が悪かったのか!?」
焦った様子のクロヴィスが、ネムを横抱きにした。
「今日はもう帰って休んだほうがいい。すぐに家まで送ろう」
「え、……だ、大丈夫です」
「無理をするな」
「まだ仕事が……」
「安心しろ。送った後で俺がやっておく」
「へっ?」
それってどういう事だとネムが言うより早く、クロヴィスは走り出した。
(早い、……こ、怖いいい!!??)
狼獣人の本気の走りは、とんでもなく速い。ネムが三十分以上掛けて歩いてきた道を、クロヴィスは駆け抜けていく。あんまりにも怖くてクロヴィスの首にギュッとしがみつくと、さらに走る速さが上がった。
「ネム、……大胆だな」
(何が!?)
訳がわからず何も言えないネムに対し、なぜかクロヴィスは微笑んでいる。
「ついたぞ。鍵をだせ」
昨日と同じように圧が強い。ネムはポケットから鍵を出すと、クロヴィスはそれを受け取り我が物顔で扉を開けた。
つい数時間前まで抱き合っていたベッドまでネムを運んでいく。
思い出してはいけないと思えば思うほどに、クロヴィスに抱きしめられたことが熱を伴いながら込み上げてきて――。
「そんな顔をするな。また欲しくなる」
クロヴィスの顔が近付いてきて、ネムの耳元で低く囁いた。
また、とは。
またネムを抱きしめてくれるのだろうか。
(本当に? でもどうして……?)
ネムに散々触れた大きな手が、ネムの頬をなぞり髪を撫でた。
「また、あとでな」
そう言ってクロヴィスはネムの自宅から出て行ってしまう。
呆然と見送ったネムは、またとはどういう事だろうと疑問に思った。
期待しちゃだめだと思いながらも、クロヴィスがまた来るのを待ち望んでもしまう。
(いや、本当に来る訳ない。送ってくれたのも、一晩の過ちを謝罪するために決まっている)
それなのに胸のドキドキが止まらない。ああもうどうしたらいいんだと頭をかきむしろうとした時――。
「あ、……鍵」
自宅の鍵をクロヴィスが持って行ってしまったことに気がついた。
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