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第7話

 人気のない中庭まで、誰に呼び止められることもなくたどり着いた。  いや上半身裸の騎士団長が走っているのを止められる者はいないだろうけども。  クロヴィスのシャツを頭から被ったままのネムは、心臓が激しく脈打ち続けた。  みっしりとした筋肉のついた腕に抱き締められてしまっているこの状況。  どうしたって激しく抱き合った時のことを思い出してしまう。 (あ、あんなこと、初めてだったから)  ボッと火がついたように熱が集まって赤くなってしまった。  ああもうどうしようと思いながら、両手を頬に当てながらネムは困り果てていた。  と、そこで、クロヴィスがネムを抱き上げたまま微動だにしないことに気が付く。  降ろしてくれないのはどうしてだろうかと、シャツをすこし捲りあげて覗くと、思いの外近くにあったクロヴィスと視線があった。 「……ひっ」 「気に入ったのなら、持っていていい。鍵のお礼だ」  どういうことだろうかと怪訝に思ったネムが、疑問を口にしようとした。しかしながらクロヴィスはネムをおろすと、頭を撫ではじめた。 「では、またな」  満足げに笑みを浮かべたクロヴィスは、そのまま去ってしまう。 「……鍵の、お礼?」  家の鍵はまだ返してもらっていない。  というか鍵とシャツは等価交換になるのだろうか。 (シャツなんかもらってもどうすればいいんだ) 「…………」  つい無意識に抱き締めて、匂いを嗅いでしまった。  もちろんながらシャツからは、クロヴィスの匂いがして。  先ほど思い出した抱き合った時のことを、さらに鮮明に思い出してしまう。 (あああっ!! な、何をやってるんだ、自分は)  一人で頭を抱えたネムは、その場にしゃがみ込んだのだった。  ***  ネムから離れたクロヴィスだったが、廊下の物陰で様子を窺っていた。  騎士団に入った頃と同じ時期にネムも王宮で働き始めたので、存在は知っていたし気にはなっていたのだが。  クロヴィスは最近まで王宮では勤務していなかった。  下っ端だった頃は遠征に行き魔物を狩り出世して、さらに遠征に行き魔物を狩って出世した。そうしてめでたく騎士団長となり、王宮で執務をしたり、鍛錬場で自己研磨に努めつつ部下を鍛えたりしている。  ようやくネムの普段の様子を見ることができるようになったのだ。  ものすごく離れがたい。  それに今まで、変な噂を聞くたびにやきもきとしていた。不埒な連中は潰したが、やはり王宮でネムは不当に扱われているように思える。  昨日の文官長のこともそうだ。  一方的な噂で決めつけているし、精査もしていない。 (……王宮の連中は、ここまで無能ではないはずだが)  何かがおかしいと、クロヴィスは感じていた。 「あれ、ネムくん。めずらしいね、こんなとこ歩いてるなんて」  視線の先にいるネムに、赤毛の騎士が話しかけていた。この王宮で比較的珍しい人間で、名前は確かラウリといっただろうか。  人当たりの良い性格で誰にでも気安く声をかけているのを見かけていた。 (そういえば、文官に書類を持っていく時は率先して引き受けていたな)  ネムと知り合いなのだろうかと思って様子を見ていると、挨拶をかわしている。しかしながらラウリの隣にいる兎獣人の騎士は、ネムを見るなり盛大に顔を顰めていた。 「ネムくん、なんだか今日は顔色もいいね。あはは、いつもより可愛い」 「……はっ?」  ラウリの言葉に驚きの声をあげたのは、兎獣人だった。思わず言ってしまったようで、気まずそうな顔をしていた。それを見たラウリは、ごめんねと謝罪してきた。 「いつも顔色悪いから心配してたんだ。本当にごめんね、こいつ失礼すぎるよね。怒っておくから。……それじゃあね」  ネムは特に気にした様子もなく、そのまま立ち去ってしまった。  兎獣人を引っ張るように連れて、ラウリはこっちへやってくる。 「……おい、いくらなんでもさぁ。ネムくんに失礼すぎないか、お前。いっつも思ってたけど、何がそんなに気に食わないわけ?」  怒りながら問い詰める様子を見るに、ラウリは本気でネムのために怒っているようだった。 「だって、お前。あの、ネムに可愛いだって!? あんな大柄でおっかない奴によく言えたな!!」  兎獣人の言葉に、ラウリは首を傾げている。そしてそれを物陰から聞いていたクロヴィスも、首を傾げた。 「大柄? おっかない? ……ネムくんが?」 「それにこっち睨んできたじゃないか! なんだよあれ、嫌な奴だ」  憤慨している兎獣人の言葉に、ますます疑問が大きくなった。  ネムの身長は大柄なクロヴィスと比べてだいぶ低い。人間のラウリよりやや小柄なくらいだろうか。  そして文官だからか、かなり線が細い。いや、昨日聞いた食生活を思えば、痩せているのは当たり前のような気もするが。ともかく迫力なんてものはない。 「睨むってなんだそれ? ネムくんはどっちかっていうと、垂れ目でおっとりぽやっとした雰囲気じゃんか」  ラウリの言葉にクロヴィスは深く頷く。そんな見た目な上に、目元と口元にほくろがある。可愛いポイントが多過ぎて盛り過ぎで最高だと、クロヴィスはいつも思っているくらいだ。 「はあ!? どこがだよ。ユベール殿下が声を掛けてくれたり通り過ぎる時だって、あり得ないぐらい睨みつけて威嚇してるだろ。ユベール殿下の心が広いから許してもらえてるだけで、他の連中は最悪だって思ってるんだぜ」  兎獣人はさらに言葉を続けた。 「さっき会って確信した。あいつ本当に態度が悪い! 俺は嫌いだね!」  言ってやったぞという様子の兎獣人の肩を、クロヴィスはポンと叩いた。  いい加減そろそろ我慢の限界であったからだ。 「ヒィッ、き、騎士団長!?」 「朝から元気で何よりだ。それだけ騒ぐ元気があるのなら、王都中を走って見回りしてくるといい」  行けと兎獣人の騎士を睨むと、悲鳴をあげながら走り始めた。  残されたラウリは青ざめながら早口で言った。 「べべ別にネムくんの不埒な話をしてたわけじゃないですよ!?」 「知っている」  どうやらラウリは以前クロヴィスが、ネムに対して不埒なことをしようとしていた連中を締め上げたのを知っているらしい。あからさまにホッとした後で、不思議そうに尋ねてきた。 「ところで騎士団長、なぜ上半身裸なのですか」 「……鍛錬だ」  信じていない様子のラウリに、もう一度鍛錬だと強く言うと納得したようだった。 (可愛らしいネムを執務室に連れ込んで致したい、という気持ちを押さえ込む鍛錬中だ)  だから嘘は言っていない。クロヴィスは間違っていない。 「俺のことはいい。それより、ネム・ノワールのことだ」  どう思っているのかと聞くと、ラウリは笑顔で答えた。 「えっ、はい。ネムくん、普通にいい子ですよね。書類を持ってくと、ガチガチに緊張しながら、一生懸命敬語つかって説明してくるし。大人しいけど、話しかけるとちゃんと挨拶してくれるし。めっちゃ控えめで、擦れた雰囲気ないですよね。悪い大人に騙されてないか心配になるくらい」  でも、と顔を歪めたラウリは首を捻っている。 「なんかやたらと嫌われてるんですよねぇ。さっきの兎獣人見ました? 耳が下に垂れていて、自身の手で押さえてたんですよ。あれって、本当に怖くて嫌な時に兎の獣人がやる仕草です」  一体どこに怖がるような要素があるのかさっぱりわからないと、ラウリは言った。 「呪いでも掛けられてるのかなって思いましたけど、そういうのって魔導士じゃないとわからないんでしょ」 「魔導士でも、呪いの判別ができるのは高位の存在だ」  そもそも呪いがネムに掛けられているのなら、王宮で働く時に判明するはずだ。 「……何か、おかしいな」  ネムだけが宿舎利用者のリストから外れていたり、書類の申請が通らなかったり。本当におかしい。  何かあるのかもしれないと、クロヴィスは真剣に思い始めた。

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