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第11話

 ひとしきり泣いた後で、ネムは仕事に戻ると言って執務室を出て行った。  残されたクロヴィスは何があったのかとラウリに問い、そしてネムの事情を知ったのである。 「……この金額で、どうやって生活していたんだ」  ネムは部屋を借りていたが最近購入したと言っていた。そのせいで貯金が少なくなったとも。  節約を頑張っているとは言っていたがしかし。 (だからあんなに痩せているのか。……あの家には、何もないのか)  クロヴィスはぐっと唇を噛み締めた。  ネムが持っている私服は二着しかなった。あとは文官の制服のみ。  金を掛けていると言ったベッドのシーツはつぎはぎだらけ。毛布は丁寧に手入れをしているようだが、何度も洗っているせいなのか薄くなってしまっている。  ネムは気に入っているようだから、まあいいとは思うが。 「ノワール子爵に話を聞きたいが、金銭面での取り締まりはうちの管轄ではない。……マルセル」 「う、うーん。最悪なことを先に言っておくね。王宮で働く者たちの給料とかそういうのを最終的に決済しているのは、第二王子ユベール殿下だから、この話を持っていっても取り合ってくれるか怪しい」  困り果てた様子のマルセルに、ラウリがどうしてですかと憤慨している。 「えっ、ユベール殿下って次期宰相とか言われてるくらい優秀な方ですよね。なぜかネムくんへの当たりはキツいけど」 「そうなんだよ、まあ理由は知ってるけどさ」  そんなのは初耳だった。  教えろと視線で促せば、マルセルはたまたま見ちゃっただけでと言い訳じみた様子で話し出す。 「騎士団への入団申し込みの時、お前と逸れただろ。で、ちょっと王宮の奥まった場所まで行っちゃって、そこでユベール殿下が随従にめちゃくちゃキレてたんだよ」 『書類の提出先を間違えたか、書類自体を間違えたかわからないが、無駄足だった! ただの人間族じゃないか、ネム・ノワールは!』  獣人ですらないと怒鳴っていたと、マルセルは言った。 「それってノワール子爵が書いたものですよね。文官の試験を受けるには貴族の推薦状と身元保証の書類が必要ですから」  ラウリの言葉に、マルセルはそうなんだよねと頷いた。 「だからネム・ノワールはただ勘違いされただけで、あそこまでユベール殿下に嫌われてしまって……」 「待て。殿下は、ただの人間と言ったんだな?」 「確かにそう聞いたけど。それにネム・ノワールは人間族でしょ」 「えっ、羊の獣人でしょう」  何を言ってるんですかと、ラウリが呆れた様子で言った。 「は?」  マルセルは驚いた様子でラウリを見た。そしてその言葉には、クロヴィスも驚く。  ネムが羊の獣人なのは知っていたが、隠しているだろうことを考慮して誰にも話していない。  それなのに何故とラウリを見ると、焦った様子で自分以外も知っていると言ってきた。 「知っているのは誰だ?」 「え、ええっと。厨房で働いてるセリノとか、庭師のトーマスとかですけど」  全員、人間族だった。偶然で片付けるには、おかしすぎる。 「なんか最初見かけた時、耳の辺りが変だなって思ってたら、可愛い羊の耳だったので。髪の毛に隠れて見えづらいですけど、話しかけるとよくピクピク動いててますし。疲れているっぽい時とか、昼休憩前とかは、角も出てますよ」 「つっ……っ!!」  叫び出しそうになったマルセルの口を手で押さえ、言葉を遮った。 「……ラウリ、それを見てどう思った?」 「どうって、羊だなぁってしか」  角のある獣人の希少性をまったく理解していない様子だ。ラウリは元々はこの獣人が多く住む大陸で生まれ育った人間ではないことを思い出す。 「セリノの生家は牧畜業を営んでたので角の生えた羊は見慣れてますし、トーマスも俺も長いこと旅をしてこの国に移住してきたので、角のある羊くらいは見かけたことありますから」  獣人にも角があったりなかったりなのだなと驚いていたと話した。  ネムの角が見えているのは彼らだけだから、騒ぎにならなかったようだ。 「ラウリ、今の話は少し内密にしていてくれ。セリノやトーマスにも今すぐ伝えてこい」 「は、はい。……あの、何かまずいことを?」 「いや、大丈夫だ。だが本人には言わないでくれ。あれでも隠していたりするんだ」  それならまあと頷いて、ラウリは執務室から出て行った。  残されたマルセルは、少ししてからクロヴィスに詰め寄った。 「どういうことだ、クロヴィス。羊の獣人で角があるって、そんなことをどうして鈍感な人間が気付くんだ!?」  マルセルのこの発言は、人間からしたら見下していると思われかねないものだ。だからラウリが立ち去ってから、近くにいないことを確認して尋ねてきたのだろう。 「人間だからわかったのかもな」  獣人は人間よりも感覚、聴覚や嗅覚などが優れている。身体能力も基本的に上だ。だがしかし、その優れた感覚が仇になる場合もある。  悪臭や騒音などの中では、優れた感覚が牙を向くのだ。しかし人間は、そういった場所でも適応してしまう図太い生命力があった。 「兎の獣人などは、ネムが威圧して睨んでくると言っていたが。マルセル、お前もそう感じるのか?」 「威嚇されてるってほどじゃないけど、圧が強いなとは思ってたな」 「大柄に見えたか? お前と話をしているとき、どんな顔をしていたかわかるか?」  クロヴィスの質問に、マルセルは言い淀んだ。 「……そう聞かれると、よくわからないな。なんとなく嫌な感じがするだけだから」  だろうなとクロヴィスは納得する。狼獣人はだいたい聴覚と嗅覚で相手の状態を感じ取ることが通常になっていて、きちんと目で見るということをしないこともある。特に嫌な圧を出している人間と目があって、余計なトラブルになっては面倒だというのもある。  だからマルセルがネムを見ていなくても、理解はできるのだ。  しかし人間のラウリはネムを見ていた。見ていたからこそ、気づいたのだろう。 (……そうして俺はといえば、媚薬で理性を飛ばさないと声も掛けられない、意気地なしだった)  深くため息を吐き、クロヴィスは落ち込んだ。  騎士団に入った時に見かけて以来、気になっていたというのに。何もできないままここまできてしまったのだから。 (いや、落ち込んでいるだけでは駄目だ。今できることをしよう)  クロヴィスは顔をあげると、大急ぎで手紙を書き上げた。  相手は公爵である兄である。その兄にどうか魔法使いと連絡をとってほしいと頼んだのだ。  この国と付き合いが深い魔法使いは、確か春先まで旅に出ているということは聞いていた。しかしネムの、人間以外が獣人だと気付いていたい状況について、魔法使いに相談したほうがいいとクロヴィスは思った。  確か兄は魔法使いと親交があったはずだから、頼めばもしかしたら。 「手紙を送っても、返事がくるのは一週間後か。……ノワール子爵についても、騎士団長の俺が出ていくよりは、義姉に頼った方がいい」  義姉はかつては王宮で働いていた事務長だ。  金の管理についてものすごく厳しい。そんな義姉が孤児院出身者たちの給与から差し引かれる基金について、知らないわけがない。何かしら手を打ったのではないか、話が聞きたかった。 「……あとは、俺がネムのそばにいて見守ろう」 「クロヴィス、それ、毎日やってることだよな?」 「大事な役目だ」 「お前、恋人ができたって言ってから、ずっと夜間見回りを俺に押し付けてるだろう!! いい加減にしろ! 気持ちはわかるが、そろそろ他の連中に示しがつかなくなるぞ!?」 (別に騎士団長の地位になんの未練もないのだが)  任務で魔物を倒していたら、いつの間にかなっていただけである。 「騎士団長がネム・ノワールと噂になったとして、現状だと悪く言われるのはお前じゃなくネムの方だぞ」 「……何?」  眉間に皺を寄せ怪訝な表情を浮かべたクロヴィスに、マルセルがため息を吐きながら言った。 「元々悪い噂があるんだ。お前が仕事をサボったりしていたら、ネムが何かしたんじゃないかって思われる」 「それは困る」  誤解を解いて回っている最中なのに、自分のせいでネムが悲しい思いをするのはいけない。 「なら今日の夜間の見回りは……」 「ネムの家からいく。安心しろ、時間には遅れない」 「そういうことじゃなくてだな。……まあいい。とにかく気をつけるんだぞ」  不届者が現れても遅れをとるつもりもないクロヴィスは、深く頷いた。

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