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第12話
文官室へ戻ったネムは、静かに仕事をこなしていた。
もう少しで仕事が終わる時間に差し掛かった時、文官長が書類を渡してきてほしいとネムに言ってきた。言われるがまま、事務長宛の書類を渡しに行った帰りだった。
「……あの、騎士団長様に取り入るの、やめてください」
人気のない廊下で、唐突に話しかけられたのだ。
ネムに話しかけてくる人物がいることにまず驚き、そしてその言葉に驚いた。
相手は第二王子ユベールとよく一緒にいる姿を見かける羊の獣人だった。
小柄で可愛らしい姿は、まさに誰もが思い描く羊の獣人である。
ネムもこのような見た目だったら、嫌われたりしなかったのかなと、つい物思いに耽ってしまう。すると焦れた様子で再び話しかけられた。
「何か言ったらどうですか?」
詰め寄られたネムは、返答に困ってしまった。取り入っているといえばそうかもしれないけれど、ネムからクロヴィスに何か頼んだことはなかった。
しかし、親切でやってもらっているというのには、些か過分すぎるのは確かだ。
毎晩、クロヴィスと食事をとり一緒に眠り、そして朝も一緒に王宮へやってくる。昼食も執務室でとるので、本当に一日中べったりだった。噂になっていないのが不思議なくらい。
「だいたい、騎士団長様とはどういう関係なのです」
「……どういう」
「もしや友人なのですか?」
「友人……」
ではないとは思った。友人は体の関係など結ばない。それくらいは、人付き合いがあまりないネムでも知っている。
じゃあネムとクロヴィスの関係はなんなのか、改めて聞かれると何もわからない。
「え、ええと、友人ではないとは思うのですが」
言い淀むネムをじとりと睨み、責めるような口調で言った。
「貴方みたいな人が近くにいるのは、騎士団長様にとって迷惑です。それを自覚してください! 真面目で立派な騎士団長様が、この国で更に栄えある立場になるには、貴方みたいな人がいてはいけない!」
(騎士団長より上の立場ってなんだろう。クロヴィスは興味あるのだろうか)
仕事に熱心には見えなかったけれど。首を傾げたネムに、羊の獣人はわかりましたねと念押しすると、走って立ち去ってしまった。
(……どうしよう)
クロヴィスとの関係については、ネムも考えあぐねていたことだ。
これ以上、クロヴィスの好意に浸り続けては駄目になってしまう。一夜の過ちの責任とやらはもう十分だとクロヴィスに言うべきだと、ネムは思った。
いつものように、ネムが仕事を終えるとどこからともなくクロヴィスが現れる。
クロヴィスは当たり前の顔でネムの隣を歩き、一緒に帰ろうとする。毎日ネムの家に泊まっているのだが、クロヴィスは宿舎が与えられていたはずだ。こんなにも不在にしていて大丈夫なのかと心配になる。
しかしクロヴィスは管理人には許可をとってあるというため、ネムはそれ以上踏み込めないでいた。
まあ騎士団長を叱責するような立場の人物はそうはいないため、多分大丈夫なのだろうと思うことにした。
とはいえ、もう一つ気になることもある。
ネムの家に一緒に帰る途中で、クロヴィスは屋台などで夕食を買い込んでいく。そのお金はすべてクロヴィスが支払っているのだ。
ネムも支払うと言ったが、毎晩止めてもらう宿代だからとクロヴィスは受け取ろうともしない。
ネムの狭い自宅の宿代にしては少しもらい過ぎだからと訴えると、泊るだけじゃないだろうと耳元でささやかれてしまう。
ほぼ毎夜のアレを思い出し、ネムは顔を赤くして黙り込み、話は終わってしまったのである。
――今思い出しても恥ずかしい。
こんな風に享受し続けるから駄目なのだろうと肩を落としたネムの目の前に、赤く熟れたリンゴが差し出された。
「これ、好きだろう」
たくさん買ったぞ、とクロヴィスが言った。
ネムの好物がリンゴだと知ってから、こうやって美味しそうなものを見つけては買ってくれるのだ。人に好きなものを覚えてもらえるのは、なんだか嬉しい。
ネムが受け取ると、クロヴィスは優しく笑って頭を撫でてきた。
子供扱いとも違う触れ合いに、なんだかむず痒いような気持ちになってしまう。
(これ以上は本当に駄目になる……っ!)
今日中に決着をつけねばと、ネムは決意した。
したのだが。
結局、クロヴィスが買った夕食を一緒に食べ、ベッドに二人並んで座っている。
これではいつもと変わりない。内心で頭を抱えていたネムは、クロヴィスに話しかけた。
「あの、……もう」
「わかった」
ネムがすべてを言い終える前に、クロヴィスはこくりと頷いた。そして流れるようにネムを抱きかかえると、ギュッと抱きしめてきた。
逞しい胸板に顔を埋めると、何も考えられなくなる。このまま密着していたいと思ってしまったネムは、慌てて自身の首を横に振った。
(ここで流されては駄目だ!)
「クロヴィス、もうこういうのは大丈夫ですから」
「そうか?」
それならと、なぜか今度はベッドに押し倒された。上に覆い被され、ネムのシャツの中に手を侵入させてくる。違うそうじゃないと、ネムはクロヴィスの手を掴んで止めた。
「ちょっと話を聞いてください!」
「ああ」
クロヴィスはようやくネムの話を聞いてくれるようだが、尻尾がパタパタと振られている。なんだか早く話を終わらせろとでも言っているようにも見えてしまう。
でもこういう話は早くしてしまった方がいい。ネムとしてはこれ以上、クロヴィスから離れがたくなるのは困るのだ。
「そろそろはっきりした方がいいと思います」
「……っ! そうか」
クロヴィスは僅かに眉を寄せたのがわかった。
(責任を果たすのが少し重荷になってきたのかもしれない)
それならちょうどいい機会だとネムは思った。
「もう終わりにした方がいいと思うんです」
「……終わり?」
「今までありがとうございました。あの、もう責任をとらなくても大丈夫です」
「……何か不満があるのか?」
「不満はないですけど」
「じゃあなぜ!?」
「それは、その」
「……ネム」
上に覆いかぶさっているクロヴィスの圧が増したような気がする。でもそれでも、ネムにだって譲れないものがあるのだ。
「だ、だって、責任を果たすのが終わった時、一人で暮らしていけなくなってしまう! だから愛人をと思ってるのに、クロヴィスといると自分のせいですが給料が減ってしまうし、お金が貯まらなくて、……だから」
「待て」
聞いたことのないくらい低いクロヴィスの声が、ネムの言葉を遮った。
「愛人……、愛人とは?」
「お金でそばにいてくれる人です。お金を払えば、一緒にいて抱きしめてくれるのでしょう。そういうことをしてくれる人を……」
「待て、ネム。なぜ、そういうことをする人間を雇う必要がある?」
「……僕は嫌われているので」
「俺は嫌っていない」
はっきりと言われたことがなかったので、ネムは少し嬉しくなった。だが嫌っていない、それだけだから。
「でも、その。友人でもなんでもないのでしょう。か、体の、その体の関係だけだから、責任を取るというのはもう十分に……」
ネムが話せば話すほど、クロヴィスの顔が険しくなっていく。
「体だけの関係とは……。ネム、お前ずっとそう思っていたのか?」
「違ってましたか?」
体だけではなかったのだろうか。もしやそもそもネムとああいうことをするのは、クロヴィスにとってはもっと軽い意味合いがあったのだろうか。青ざめるネムに、クロヴィスは大きく息を吐いて項垂れた。
「……俺の不甲斐なさが招いたことか」
「クロヴィス?」
名前を呼ぶと、クロヴィスは顔をあげ真剣な表情でネムを覗き込んだ。
「ネム・ノワール」
「は、はい」
思わず反射的に返事をしたネムに、クロヴィスは言った。
「俺はお前と恋人同士だと思っている」
「……こっ……?」
言われた言葉を頭の中で反芻したネムは、それを理解した途端、顔が真っ赤に染まった。
「最初にきちんと言ったし、許可もとったはずだが。……食べていいか、と」
「……あっ」
(あれは、そんな意味だったのか!?)
まさかそんなと混乱するネムの額にクロヴィスは口付けた。それから目元に。口元に。
「食べても、いいか? ……ネム」
囁くように問われた言葉に。
ネムは頷くことしかできない。
――そうしてクロヴィスから受けた口付けは、今までにないくらい濃厚で激しいものだった。
荒く息を吐くネムに、クロヴィスが拗ねたような声色で言ってきた。
「ネム、俺は毎晩好きだと言っていた」
「……えっ、はい」
そうだっただろうか。いつも追い詰められているネムは、クロヴィスが何を言ってるかまで覚えていなかった。
反応の薄いネムに、クロヴィスは今までにないくらい満面の笑顔を浮かべて――。
「覚悟しろ、ネム。今日は、お前がその言葉を理解するまで、終わらないからな」
「……へっ?」
再び深く口付けられたネムは、言葉なんて紡げなかった。
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