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第14話
「……消えた!?」
「まさか、一体どうやって!?」
(…………?)
ネムの目の前で、ユベールたちが焦った様子で叫んでいた。
まるでそこにいるネムが見えないかのように。
「まだ匂いは消えていません。近くにいるはずです」
「なんとしても捕まえて、罪を償わせなければ……っ」
その言葉に、ネムは何もかも恐ろしくなってしまった。
(こ、ここには、いられない……っ!)
だってネムは何もしていない。身に覚えのないことばかりを責められて、弁解の余地もない。
ユベールは受けた報告をそのまま信じきっているようだし、アキの話を信じている狼獣人たちも。みんな、みんな。ネムに敵意を向けているのだ。
逃げなければと、ネムは扉へと手をかけた。
途端、不思議なことに、ネムの体はするりと扉をすり抜ける。
(……あれ?)
振り返るとそこには、閉じままの文官長室の扉があった。
何が起きているのかわからないが、ともかくここから逃げなければと、ネムは廊下を走っていく。
すれ違う王宮の人々は、ネムが通り過ぎても振り返りもしない。
(やっぱり、見えていないみたいだ)
すれ違っても嫌な顔をされないのは、こんなにも楽なのかとネムは思った。
このまま、ずっと、姿を認識されないままでいれば――。
チャリと胸元でペンダントが揺れる音がして、ハッとした。今は見つからないからいいけれど、それではクロヴィスと会えなくなってしまう。それは駄目だと思い直し、ここから出てクロヴィスのもとへ行こうと考えた。
クロヴィスに迷惑をかけるのは申し訳ないと思ってしまう。が、クロヴィスならネムの話を聞いてくれるという信頼もあった。それにあの狼獣人たちが言ったように、クロヴィスは公爵家の貴族だから、少なくともネムのように一方的に咎められることはないと思いたい。
(……もし、クロヴィスが家族から怒られたりしたのなら)
その時は消えてしまおう。
今みたいに、消えたいと強く願って、それから誰にも気づかれない場所へ――。
「……ネムくん? どうしたんだ、そんな血相を変えて」
人気のない倉庫の方へと走ってきていたネムに声を掛けたのは、厨房の調理人の一人だった。ラウリと同じ人間族で、一緒に船に乗ってこの大陸へ来たんだと話していた。
「あ、……セリノさん」
「昼休憩の時間になっても姿を見ないから、心配してたんだ。ラウリから、食事が疎かにならないように気にかけてくれって言われて……。なんだ、何かあったのか?」
すぐにバタバタと足音を立てて、倉庫の方へ衛兵がやってくる。
立ち尽くしていたセリノに向かって、ネムはいないかと尋ねてきた。
ネムはセリノの横に立っているが、衛兵たちには見えていないようだった。セリノは知らないと答えたが、衛兵たちは倉庫の中を調べ始めた。箱をひっくり返して乱暴に探していて、思わずびくりと体を震わせてしまう。
セリノがさりげなく壁際へとより、ネムを庇うように立ってくれた。
「……チッ、いないな」
「他のところを探そう。いくぞ」
衛兵たちが立ち去った後で、セリノはネムの方へと振り返る。そしておいでと手招きをした。
「なんであんなに気が立ってるんだ? こんなにメチャクチャにしやがって」
そう言いながらも、箱を抱えて倉庫の先へと向かうと、荷馬車が繋がれていた。
「なんだかわからんが、あいつら姿が見えてないようだ。これに乗ってけば、外に出られるから。それで、騎士団長に話を聞いてもらうといい」
この馬車はちょうど騎士団の遠征先へ物資を運ぶためのものらしい。
「中を見聞されるかもしれないが、このままなら見つからないと思う。一応、箱の中に入ってるといい」
言いながらセリノは毛布をネムに被せると、励ますように上から軽く叩いて、箱の蓋を閉めた。
少しすると馬の嘶きと人が乗り込む音。そして馬車が動き出したのがわかった。
揺れを感じながら、王宮から遠ざかっていくのを感じて、ネムはホッと息を吐く。このままこの馬車に乗っていれば、クロヴィスのもとへいけるのならば――。
まだ気を抜いてはいけないのに、ネムの意識はだんだんと薄れていく。
なんだかとても疲れてしまって、体から力が抜けていくのだ。
箱の中は薄暗くて、寒くて、冷たい。
次に目を覚す時は、クロヴィスの腕の中がいい。
(そうでなければもう目が覚めなくたっていいかもしれない)
***
クロヴィスがネムが行方不明になったと聞いたのは、遠征地に辿り着いて二日目のことだった。
遠征用の天幕をはり、そこに公爵家からの使いがやってきた。
しかもその報告は、最悪な内容だった。
クロヴィスは付き合っているのを隠す気はさらさらなかったが、ネムの周囲には悪意が取り巻いている。それに勝手に差し引かれている給料のことなど、探られたら痛い腹がある者たちが多くいるようだったから。
自分がネムと離れた時に、危険に陥らないようにと、兄にお願いして公爵家から使いを送ってもらったというのに。
その使いが、ネムを追い詰めて。ましてやペンダントを奪った犯人扱いし、脅したなどと。
報告を聞いたクロヴィスは、公爵家の使い二人を殴り飛ばしていた。殺意を飛ばしたところ、マルセルがクロヴィスを羽交締めにして強引に止めてきた。
「邪魔をするなら、お前もタダじゃ済まないぞ、マルセル」
「待って待て、落ち着けって。ともかく、どうしてそうなったのか話を聞かなきゃ……っ!?」
「聞く必要もない。名前も教えた。目印もつけた。なのにどうやったら間違えるんだ? そもそもお前が、辞めるのならせめて遠征に出てからにしろと言わなければ、こんな事態にはならなかった」
マルセルを睨むと、焦った様子で手を離して距離をおいた。
「本当に落ち着け! 魔物討伐は大事な騎士団の任務なんだぞ!? それをさすがに……」
そんなことなどどうでもいい。
大事な大事なネムが、王宮で追い詰められていなくなってしまったのだ。
こんなところにいたって意味がない。
早くネムを探しにいかなければ――。
クロヴィスがそう思った時だった。
「あの、騎士団長。ちょっとお話が……、ひっ!?」
天幕をくぐって声をかけてきたのは、ラウリだった。
殴られて血を流している公爵家の使いに驚いたのか、顔色を青くしている。
「……なんだ?」
「え、ええと、はい。ちょっと、厨房で働くセリノから知らせをもらって」
ラウリが声を顰めて話し始めた。
「なんだか王宮の獣人たちの様子がおかしい。妙に殺気立っていて、余裕がないように見える。ひどく追い詰められているようにも。なんだか危ないから、騎士団長の大事なものは、荷物に隠して馬車に載せたって」
クロヴィスは天幕から飛び出し駆け出していた。
今回の遠征地は、クロヴィスの出身である北部だった。それ故に道には雪が積もっていて、とてつもなく寒い。獣人の足ならば二日もかからないが、家畜の馬に馬車を引かせてくるのならもっと時間が掛かる。
――凍死してしまいかねない。
雪の中を走っていくクロヴィスの前に、唸り声をあげる魔物が現れた。
「クロヴィス、危険だ!! そいつが討伐対象の……っ」
マルセルが後ろから叫んでいるが、クロヴィスは止まれない。邪魔をするなと猛然と魔物へ向かっていき、思い切りぶん殴り、その頭を掴んで地面へと減り込ませた。
そして再びネムのもとへと走り始めたのである。
(……ネム、ネム!!)
緊急事態であるから仕方ないと、クロヴィスはネムの匂いを思い出して、嗅覚を頼りに居場所を探した。
ネムの匂いは全て記憶しているのだ。
(……っ!! いた!!)
ネムがいる場所へ一直線へ向かう。
走って行った先には、雪道をのんびりと進む荷馬車があった。
「止まれ!!」
「ひぃ!? ま、またですか!? 荷を調べられるのはこれで五度目だ……」
項垂れる御者を尻目に、クロヴィスは荷台へと上がった。
「ネム! 聞こえているか、ネム!!」
名前を呼ぶが返事はない。箱の蓋をあけるが、どこにも、どの箱の中にもネムはいなかった。
(そんな筈は……)
確かにこの荷台から、ネムの匂いがしているのだ。
なのにその姿も形もない。
自分の嗅覚がおかしくなったというのだろうか。
焦るクロヴィスの耳に、ちゃりと金属と石の擦れる音がわずかに響いた。
(これは、守りのペンダント)
ネムに渡した翡翠の守り。
聞き覚えのある音は間違いなく箱の中から聞こえた。
蓋を開けたそこには、何もない。
(……ネムの匂いが一番濃い)
「ネム! ここにいるのか、ネム!!」
クロヴィスが箱の中に手を伸ばすと、何もない筈なのに、何かに触れた。
「ネム!」
もう一度名前を呼ぶと、ほんの少しだけうっすらと透き通るネムの姿が見えた。
クロヴィスは箱の名からネムを抱き上げると、荷台から降りた。
そこには追いかけてきたマルセルやラウリの姿がある。
「な、な、ネムくんが透けてる!?」
「へっ、どこにいるんだ!?」
やはり人間のラウリには見えて、獣人のマルセルには見えていないようだ。
ともかくネムの手当をしなければ。呼びかけに反応しないばかりか、体が透けているのも理由がわからない。
「これはまた、随分と強い魔力だ」
焦るクロヴィスの目の前に、枝のように分かれ尖っている角が生えた獣人が立っていた。
そしてネムを興味深そうに見つめると、その額に指先を当てる。
――パチン。
何かが弾ける音がした途端、ネムの姿が半透明から普通に戻った。
先ほどまで呼吸しているかすら危うかったのに、クロヴィスの腕の中にいるネムの胸は確かに上下している。
「何をしている。早く温めてやらんと、凍死するぞ」
言われてクロヴィスは弾かれるように動き出した。この場所から一番近く様々なものが揃っているのは、兄の住む公爵邸だったからだ。
全ての疑問を無視して、クロヴィスはネムを抱きしめてひたすらに走ったのだった。
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