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第7話 レオンの第二の父 ③

 食後、マルコさんが二つの温かい器を運んできた。  僕の前には、ほんのり蜂蜜の甘い匂いが漂う、湯気の立った白いホットミルク。  そして壁際に佇むレオンには、マルコさんが自家製のチコリの根を深く焙煎して淹れたという、漆黒の苦い飲み物が差し出された。  部屋の中に、ミルクの優しく甘い香りと、レオンの持つタバコの匂いに混ざり合うような、焦げた木のような香ばしい苦味がふわりと広がる。  レオンはその黒い液体を、眉ひとつ動かさずに喉へと流し込んでいく。 (僕のミルクはこんなに甘くて温かいのに、レオンの飲むものは、どうしてあんなに苦そうなんだろう)  まだ見ぬ過酷な旅路を一人で背負おうとしているレオンの横顔が、その黒い飲み物の色と重なって、僕はホットミルクの器を握る手に少しだけ力を込めた。 「それでレオン。どうしてシリエル様がここにいるのか、説明してもらおうか」  マルコさんもレオンと同じ黒い液体を手に、僕の正面の椅子に腰掛けた。 「シリエルが王宮を追い出された」  レオンがそう短く告げた瞬間、部屋の空気が変わった。穏やかだったマルコさんの周囲の空気が、まるで目に見えない微弱な電気を含んだように、ぴりぴりとひりつき始める。 「だから、俺たちは旅に出ることにした」 「……」  斜め下の床を鋭い目つきで睨みつけながら、レオンの話を聞いていたマルコさんだったが、やがてその視線をゆっくりとレオンへ向けた。 「それが、お前の狙いだったんだろ?」  マルコさんの、地を這うような低い声が室内に響く。 「違う!」  即座にレオンが否定の声を荒らげた。僕にはマルコさんの言っている意味も、レオンが何に対して激昂し、否定したのかも分からず、ただ二人の迫力に圧倒されてホットミルクの器を見つめることしかできない。 「それにお前……あの薬を、もう飲んでいないだろう」 「……っ」  マルコさんの一言に、レオンが明確に息を詰まらせた。チコリの器を握る彼の大きな指先が、白くなるほど強張る。 「そんな状態でシリエル様の隣に居続けることが、本当にできると思っているのか?」 「……思っている」  レオンは頑なにマルコさんを見ようとしない。いつもならどんな時でも自信に満ちた受け答えをするレオンが、今はまるで子供のように、固く、たどたどしい拒絶の態度を取っている。 「独りよがりもいいところだな」  先ほどまでの温厚な老人とは別人ではないかと思うほど、マルコさんの冷徹な視線がレオンに突き刺さっていた。 「シリエル様に、今のお前は不釣り合いだ」 「違います!」  マルコさんの言葉を乱暴に遮るように、僕は叫んでいた。  お腹の底から声を張り上げたせいで、目の前のホットミルクの白い水面が細かく揺れる。 「僕は今まで、王妃になるためだけに生きてきました。幸せだったことよりも、辛く、苦しいことの方が多すぎた日々の中で……ずっと僕の味方で、僕のすべてを理解してくれたのは、レオンだけなんです!」  レオンへは刃のように冷たい目を向けていたマルコさんだったけれど、僕には、まるで迷子をあやすかのような全幅の優しい視線を注いでくれる。 「僕が、こうして生き延びられたのは……すべてレオンのおかげなんです。だから、不釣り合いだなんて言わないでください!」  必死に訴えかける先から、熱い涙がぽろぽろと溢れ、頬を伝い落ちていった。  自分の気持ちを言葉にしただけで泣いてしまうなんて、我ながら酷い弱虫だと思う。けれど、一度決壊した涙はもう止められなかった。  もしもあの地獄のような王宮で、レオンが僕の傍にいてくれなかったら。  僕はきっと、心を完全に壊され、生きたまま死んでいるだけの肉塊になっていたはずだ。 「辛かったですね。よくぞここまで、お一人で頑張られました」  ごつごつと硬く、節くれ立ったマルコさんの大きな手が、僕の頭をぽんぽんと優しく撫でた。王宮の誰のそれとも違う、日向のような温もりが頭頂から染み渡る。 「シリエル様。あなたはもう、誰に虐げられることも、脅かされることもなく生きていけるのです。もし、シリエル様に危害を加えようとする不届き者が現れましたら……レオンと、このマルコが、命に代えてもあなたを守り抜いて見せます」  マルコさんは、分厚い手のひらを拳に握り、自身の心臓の上を強く二度叩いた。  衣服越しに、ドン、ドン、と重い音が響く。その無骨な誓いが、どれほど本気のものか、その音が証明していた。 「うん……っ」  『ありがとうございます』と口にしたいのに、喉が切なく震えて声にならない。  涙で視界がぐにゃぐにゃに滲んでしまうのを止められず、僕はただ、何度も大きく頷くことしかできなかった。 「だから安心してください。これからは、あなたの好きなことだけをして生きていけばいい」  もう一度、マルコさんの温かい手が僕の髪を愛おしげに撫でてくれた。  しかし、慈愛に満ちた声のまま、マルコさんは静かに言葉を続けた。 「ですが、シリエル様。もしも、あなたをあの世界でそれほどまでに苦しめた『原因』を作ったのが、他ならぬレオンだとしたら。それでもあなたは、こいつを側におきますか?」  優しく微笑んでいるはずのマルコさんの目元の皺が、一瞬にして凍りつき、その目の奥に、ゾッとするほど鋭い光が宿った。 「え……?」  レオンが、僕を苦しめた原因……?  そんなこと、天地がひっくり返っても考えられないし、絶対にあり得ない。レオンはいつだって僕の救世主で、光だったのに。  どうして、マルコさんはそんな恐ろしいことを言うのだろう。  冷や水を浴びせられたように身体が強張り、マルコさんの瞳の奥に含まれる、僕の知らない不穏な意味を探ろうと息を呑む。  すると、僕の恐怖を察したかのように、 「真実とは、時に残酷なものかもしれませんね」  ふっ、とマルコさんの目の奥の鋭い光が消え、いつもの温厚なおじいさんの顔に戻った。

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