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第9話 言えない ②
結局、あれからレオンが部屋に戻ってくることはなかった。
僕は帰ってこない彼をずっと待ち続け、結局一睡もできないまま朝を迎えてしまった。
もし眠ってしまったら、その間にレオンがどこか遠くへ消えてしまうかもしれない……。
その恐怖だけが、僕の瞼を重くさせなかった。
「おはようございます……」
擦り切れた心で、昨日夕食をいただいた部屋へとそっと足を運ぶと、扉が僅かに開いていた。
中から、マルコさんとレオンの低い声が漏れ聞こえてくる。
立ち聞きなんていけないと分かっていながらも、昨晩の二人の不穏な様子がどうしても気になって、僕は息を殺し、扉の隙間から中を覗き見た。
「それは賛成できないな」
腕組みをしながらレオンを冷たく見る、マルコさんの低く静かな声。
「だが、もうシリエルの身体は限界に来ている。これ以上あれを使い続ければ、本当に壊れてしまうかもしれない」
レオンは横顔しか見えず、どんな表情をしているかは分からなかった。
けれど、その声音は今までに聞いたことがないほど深く沈み、焦燥に引き裂かれそうだった。
「そうだとしたら、なおさらお前が続けるべきだ。お前の香りはシリエル様には刺激がきつすぎる」
「分かっている! そうしたいが……。これを見てくれ」
レオンが苦渋に満ちた声でマルコさんの言葉を遮った。
そして、いつも頑なに外そうとしなかった、右手の黒い革手袋をゆっくりと引き抜いた。
手袋が外されたレオンの右手を見た瞬間、マルコさんの顔が引き攣るように曇った。
マルコさんは慌ててレオンの右手を掴み上げ、その袖口を大きく捲り上げる。
「お前……これは、いつからだ」
マルコさんの声が恐怖で震えていた。
隙間から覗く僕の視線の先。
レオンの逞しい右手の甲から腕にかけて、まるで死人のような、赤黒い不気味なアザが這うように広がっていた。
「二年ほど前だ。はじめは、小さなシミのようなものだった。……だが、徐々に広がってきて、最近は指先の感覚が鈍くなってきている。このままあの薬を飲み続けて身体が動かなくなったら……シリエルに何かあった時、俺は、あいつを護りきれない」
「……ちょっと待ってろ」
マルコさんは奥の棚から、手のひらにすっぽり収まるほどの小瓶を持ってきた。
中には白い錠剤がぎっしりと詰まっている。
「お守り代わりに持って行け。即効性はあるが、身体への負担は今までの倍以上だ。……命を削る覚悟で、気をつけて飲め」
「ありがとう……」
レオンがそれを受け取ろうとした瞬間、マルコさんはレオンのアザを隠すように、彼の大きな両手を自身の分厚い手のひらで包み込んだ。
「死ぬなよ」
絞り出すような、短い言葉。
「ああ、分かっている」
レオンが静かに答えたーーその瞬間、僕は弾かれたように部屋へと飛び込んでいた。
「それ、どういう意味ですか……っ!?」
バン、と扉が壁にぶつかる音と共に叫んでいた。
マルコさんの言葉は、僕にはどうしても聞き流せるものではなかった。
「『死ぬなよ』って……それは、どういうことですか!?」
自然と声が大きくなる。
間近で見るレオンの右手は、遠くから覗き見るよりもずっと生々しく赤黒かった。すでに一部は黒く変色している。
咄嗟にレオンはその手を背後へ隠そうとしたが、僕は我を忘れてその手首を掴み、自分のほうへと引き寄せた。
アザは皮膚の下で僅かに不気味な膨らみを帯びていて、触れると、まるで氷塊のように冷たかった。
明らかに、彼の身体の中で恐ろしい異変が起きている。
(レオンが、いなくなってしまうかもしれない……?)
心臓を冷たい手で掴まれたような恐怖に、指先から小刻みに震え出す。
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