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第10話 レオンの手のアザ ①

「レオン……今まで、僕に何を隠していたの?」  行き場のない恐怖が、一瞬にして激しい怒りへと変わる。 「今は言えない。だが、いつか必ず話す。それまで待ってほしい」 「そんなこと言って! 初めから言う気なんてないから、今までずっと隠してたんでしょ!?」  怒りはすぐに脆い不安へと変わり、堪えきれなくなった涙が溢れて、頬を熱く伝っていく。 「泣くな……」  レオンの頑丈な腕が僕を引っ張り、その逞しい胸の中へと引き寄せた。すっぽりと彼に抱きすくめられる。  いつものタバコと夜の森の匂い。  けれど薬を断った彼の身体の奥からは、じはじはと肌を焼くような、アンバーの熱く濃密な香りが立ち上っていた。その圧倒的な「雄」の香りが僕の鼻腔を支配した瞬間、狂おしいほどの安心感に、胸の不安が無理やり溶かされていく。  それが悔しくてたまらなかった。 「泣いてなんて、ない……っ」  僕はレオンの胸を、何度も何度も拳で叩き続けた。 「ああ、分かっている」  レオンは拒むことも避けることもせず、叩かれるがままに身を委ね、大きな手で僕の頭を優しく撫でてくれる。 「レオンは、僕のためにいてくれるんでしょ?」 「ああ」 「だったら、どうして僕をこんなに不安にさせるの!? 僕にはレオンが必要だって知っていて、どうしてそんな酷いことをするの……!?」  自分でも、理不尽で行い放題な我が儘を言っているのは分かっていた。  でも、レオンにだけは分かっていて欲しかった。僕には、レオンが必要なのだということを。  ただ守ってほしいからじゃない。  レオンはもう、僕の身体の一部。  レオンがいない世界なんて、僕の半分が毟り取られてなくなってしまったのと同じだ。  そんな絶望には、一秒だって耐えられない。 「ごめん……」  レオンはそれ以上、何も語ろうとはしなかった。 (僕の気持ちは、レオンには届かないの……?)  胸が、目に見えない両手でギリギリと握り潰されそうに痛む。 「シリエル様。あんまりレオンを責めないでやってください」  背後から、低く掠れたマルコさんの声がした。  振り返ると、彼はいつもの穏やかな顔で、けれど酷く困ったように眉を八の字に下げて僕たちを見つめていた。 「レオンは……シリエル様をお守りするために、ある薬を飲み続けていました。長年、その薬の副作用が奴の体内に蓄積され、限界を迎えて表に噴き出してきたのが、そのアザです」 「このアザが出たら、どうなるのですか? 『死ぬなよ』って、どういう意味なんですか!?」  マルコさんが僕の問いかけに、重い口を開こうとした時、 「言わないでくれ、マルコ!」  遮るようなレオンの苦しげな悲鳴が、僕の頭上から降ってきた。  しかし、マルコさんは首を横に振った。 「いや、シリエル様には知る権利がある。レオン、お前の身体はお前一人のものである前に、シリエル様のものでもあるのだ。主従関係とは、そういうものだろう?」 「……っ」  レオンが、これ以上ないほど悔しそうに歯噛みして黙り込む。  僕は、レオンとはいつだって対等で、レオンと僕がそんな冷たい「主従関係」にあるなんて思ったことは一度もない。  けれど、今はその言葉に縋らなければ、レオンに何が起きているのかを教えてもらえそうになかった。  レオンの沈黙を見届け、マルコさんは再び僕の目を真っ直ぐに見据えた。 「アザの侵食が濃くなれば、そこから肉体の感覚が消え、動かなくなり、やがて壊死が始まります。そして最終的には身体全体にアザが広がり……死に至ります」 「っ……!」  目の前が真っ白になり、一瞬、息の仕方を忘れた。  肺を広げて空気を吸おうとするのに、喉の奥が引き攣って何も入ってこない。 「そんなことは……絶対に、させない!」  それでも、どうにか酸素を絞り出すように、僕は言葉を吐き出した。 「それは、私も同感です。ですからレオンには、今までの薬はもう絶対にやめてもらいます。ですが、長年の薬を断てば、いつ身体が禁断症状を起こすか分かりません。その時のために、先ほど別の薬を渡しました。即効性はありますが、今までの薬とは比べ物にならないほどの苛烈な副作用を伴う劇薬です」 「……」 「それを飲むか、飲まないかはレオンに託してあります。ですが、シリエル様……」  マルコさんはそこで言葉を詰まらせ、 「こいつは、俺の不器用で可愛い息子なんです。どうか……どうかレオンを、守ってやってください」  そう言って、僕の前で深々と頭を下げた。  直後、静まり返った部屋の床に、ポツン、ポツンと大粒の水滴が落ちる音が響いた。  古い木床に、見る見るうちに濃い茶色のシミが広がっていく。マルコさんが泣いていた。  その涙の重さに、僕の胸の奥で、遠い昔の記憶がハッキリと目を覚ます。 「僕は幼い頃、レオンの命を守るって……そう約束したんです」  僕は涙を拭い、床に頭を下げ続ける老人の前に進み出た。 「だから、安心してください。僕が必ずレオンを守って、また元気な姿で、マルコさんに会いに来ると約束します」  今度は僕が守る番だ。力強くそう告げると、マルコさんはゆっくりと顔を上げた。 「ありがとう……ございます、シリエル様……っ」  マルコさんの、皺に刻まれた涙がランプの光にきらめき、その声は激しく震えていた。

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