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第12話 旅路 ①

 鼻腔をくすぐる、瑞々しい緑の香り。風に揺れる草花の色彩が、頭上を賑わせる小鳥の囀りとともに後ろへと流れていく。  一人きりで薄暗い荷台に揺られているのは寂しくて、僕はレオンに無理を言って、御者台の隣に座らせてもらっていた。  荷台にいる時よりも、肌を撫でる空気は澄んでいて、柔らかな日差しが心地いい。  森の匂いに混ざって、隣からはレオンのアンバーの香りが微かに漂ってくる。  前を向いてラルゴの手綱を握る彼の横顔は、胸の奥が甘痒くなるほど愛おしかった。 (僕は、本当にレオンの伴侶になったんだ)  今まで生きてきた中で一度も知らなかった、陽だまりのような温かな幸福感が、体の底からじんわりと込み上げてくる。  ずっとレオンの顔を見ていたくて、横目でチラチラと盗み見ていると、僕の指先が、自然とレオンの大きな手に触れようと近づいていった。  ほんの少し、触れるくらいなら……。  ふと不埒な考えが頭をよぎったが、手綱を引くレオンの手元を狂わせては大変だと思い直す。  僕は伸ばしかけた手を、慌てて自分の胸元へと引き戻した。  頬を優しく撫でる風に意識を逃がしたくて、僕はそっと瞳を閉じた。 「眠いのか?」  手綱を捌く手を休めることなく、レオンの低い声が鼓膜に響いた。  彼特有の、深く響くバリトンのような声を耳が拾うだけで、心臓の奥が跳ねる。 「ううん。レオンを見ていたら、仕事の邪魔しそうだから、見ないことにした」  目を瞑ったままそう答えた瞬間、ガタン、と旅馬車が大きく傾いた。  車輪が大きな石を踏んだらしい。凄まじい衝撃の反動で、僕の小さな体が御者台から外へと投げ出されそうになる。  バランスを取ろうと焦るほどに体が強張り、咄嗟に動けない。 (落ちる……!)  僕は恐怖に身をすくめ、瞑っていた目をさらに強く閉じた。  硬い地面に叩きつけられる覚悟をした僕を、途方もなく硬くて温かい肉壁が受け止めた。 「……大丈夫か」  恐る恐る目を開けると、視界のすべてがレオンの広い胸板で埋まっていた。  レオンは片手だけでラルゴの猛烈な引きを抑え込み、もう片方の逞しい腕で、僕の腰をこれ以上ないほど強く胸元に引き寄せてくれていた。 「御者台(ここ)は危ない。やはり荷台に戻れ」  僕の安全を確認したレオンは、それでもまだ僕を離そうとせず、守るように抱きすくめている。  包み込まれるレオンの雄々しい香りのせいか、それとも肌越しに伝わる彼の高い体温のせいか、胸の音がうるさいほどに早鐘を打った。  離れたくない。彼の温もりに、もっと溺れていたい。 「嫌。荷台は寂しい」  僕は子供のように口元を尖らせてレオンを見上げた。  レオンは困ったように眉根を寄せると、ゆっくりと手綱を引いてラルゴをなだめ、旅馬車を完全に停車させた。 「我が儘を言わないでくれ」  彼は大きな両手で僕の脇を支えると、羽毛のようにも軽々と僕の体を持ち上げ、御者台から地面を踏んで後ろの荷台へと運んだ。 「もし馬車から転落してみろ、大怪我では済まないかもしれないんだぞ」  荷台の床に下ろされた途端、僕のおでこに、レオンの人差し指がコツンと痛くない強さで小突いてくる。

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