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第16話 甘い香り

「くっ……あどけない顔して、なんて真似を……!」  レオンが苦しげに喉を鳴らした瞬間、彼の体から、理性を焼き尽くさんばかりの濃厚なアンバーの香りが一気に溢れ出た。  その雄々しい香りに脳を直接支配されそうになり、僕はたまらず彼の頑丈な胸板に顔を埋める。  僕は未発情のオメガだ。フェロモンの匂いなど出せないはずなのに、彼に触れられているだけで、自分自身が甘い百合の花に変わってしまったかのように体が熱くて堪らない。 「駄目だ、シリエル……っ」  レオンの熱い吐息が髪を揺らす。 「レオン……」  僕が潤んだ瞳で彼を見上げた瞬間、強引に唇を奪われた。  割り込んできたレオンの熱い舌が、僕の不慣れな口内を獰猛にこじ開けていく。 「ンンッ……ん、うう」  息ができず、鼻から切ない吐息が漏れた。その時だった。 「ブルルルッ!!」  近くにいたネロが、激しく鼻を鳴らしながら、警告を告げるように地面を強く二回蹴り上げた。 「……ッ!」  レオンがハッと我に返ったように目を見開き、名残惜しそうに僕の唇から身を引き離した。 「……すまない、俺は、なんてことを」  レオンの顔は苦悩に歪んでいた。彼は僕に背を向け、そのまま立ち去ろうと腰を浮かせる。 「待って! 行かないで……!」  僕は咄嗟に、立ち去ろうとする彼の広い背中に後ろからしがみついた。 「僕が……僕が我が儘を言ったから。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……っ」  このままレオンに見捨てられてしまうかもしれない。  そんな絶望的な恐怖が胸を突き刺す。見捨てられるくらいなら、どんな我が儘だって我慢する。僕は涙が溢れそうになるのを、下唇を強く噛みしめて必死に堪えた。  一瞬だけ動きを止めたレオンは、その大きな体をくるりと反転させると、僕を真正面からきつく抱きしめた。 「シリエルは我が儘なんて言っていない。……悪いのは、俺だ」  背中に回された頑丈な腕が、僕の体を優しく、けれど絶対に逃がさないという強い意志を孕んで引き寄せる。 「俺がもっと、理性的にならないとだめなんだ」  まるで自分自身に言い聞かせ、必死に獣を抑え込むように、レオンが低く呟いた。  こんな出来損ないのオメガである僕を、レオンはどこまでも大切にしてくれている。僕だってレオンを大切にしたい。彼に我慢を強いたいわけじゃないんだ。  僕を抱きすくめるレオンの腕に、さらにじわりと力がこもる。そして僕の頭頂部に、こつりと心地よい重みが当たった。見上げると、レオンが僕の頭の上に自分の額を預けている。 「ごめんね、レオン……。レオンに、無理ばかりさせてしまって……」  僕はレオンを失いたくない。でも、こうして一緒にいると、胸の奥から『もっと、もっと』と、欲が這い出てきてしまう。 (もっと僕を見てほしい。もっと僕に触れてほしい。……いっそ、その理性を壊してほしい)  レオンに、狂うほどに欲しがられたい。  そんな本音を口にすれば、彼をひどく困らせてしまうのは分かっている。  だから言えない。心の中でどれほど叫んでいても。  僕は顎を上げ、レオンと視線が交わるように顔を上向かせた。  視線が絡み合った瞬間、レオンが喉の奥で息を飲むのが分かった。  彼は眉を下げて困ったように歪ませながらも、僕を離さないと拒むように、その琥珀色の瞳を僕の瞳に強く絡め拘束してくる。  胸の奥が、熱くはぜた。 「シリエルがそばにいてくれるだけでいい。俺は本気でそう思っている。だから、無理なんてしていない」  レオンが言葉を紡ぐたび、彼の口元から、ふわっと微かな煙草の香りが漂った。 (それだけじゃ嫌だと思ってしまうのは、僕だけなの……?)  やるせなさに駆られ、僕はレオンの首に腕を絡ませてしがみついた。  彼の服の繊維に染みついた、特有のビターな煙草の匂いが鼻腔を満たす。

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