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第21話 怪我を負った犬 ②

 手の甲にピリッとした痛みが走ったけれど、この子が負っている痛みに比べたら、僕の傷なんて何でもない。 「痛いね。でも大丈夫だよ、もう怖くない。僕たちが助けてあげるから」  怪我をしている耳に触れないよう注意しながら、もう片方の手で優しく頭を撫でてやると、奇跡的に子犬の強張った動きがピタリと止まった。 「そう、お前はいい子だね」  おとなしくなったのを確認してから、僕はもう一度、水を流して綺麗になった脇腹の傷口をしっかりと診た。 「よかった……。傷は浅いよ、レオン」  ホッと息を吐きながら、後ろから心配そうに覗き込んできていたレオンを見上げる。 『よかった』と無言で応じるようにレオンが深く頷き、ツボに入った軟膏を差し出してくれた。  人肌で温めた軟膏を、そっと薬指ですくい、優しく傷口に塗り込んでいく。  しかし、痛みがぶり返したのか、さっきまでおとなしくしていた子犬が、突如として僕の右手にガチリと噛み付いた。 「っ……!」  今度は鋭い牙が手の甲に深く刺さり、鮮血がじわりと滲む。 「シリエル!」  顔色を変えたレオンが、慌てて僕から子犬を引き離そうと、その小さな口元へ大きな手を伸ばした。 「レオン、待って、僕は大丈夫! それに、このままの方が手当てしやすいから。ね? 僕は平気だよ」  レオンを宥めるように必死に声をかけたけれど、噛まれた傷口からは、まるでそこに心臓があるみたいにドクドクと激しい拍動が伝わってきて、痛みはどんどん増していく。 (野生の犬は、恐ろしい病気を持っている個体も多い。その病気が人間に移れば、死に至る確率は極めて高い)  かつて王宮の書庫で学んだ不穏な知識が、最悪のタイミングで脳裏をよぎった。  きっとレオンも、そのリスクを知っているからこそ、狂ったように僕から子犬を引き離そうとしてくれたんだ。  でも、今は何よりもこの子の手当てが最優先だ。持っているかも分からない病気のことを心配して手を止めるのは、すべてが終わった後でいい。  学んだ知識の通りに必死に包帯を巻いていくけれど、実際に応急処置をするのはこれが初めてだった。  本当にきちんとできているのか、自分でも分からない。  傷口をもう一度確認し、最後にしっかりと包帯の結び目を固定すると、役目を終えたのを察したのか、子犬は僕の手からすっと牙を抜き、安心したようにまた静かに目を閉じた。 「ほら、今度はシリエルの番だ」  レオンが僕の前に、大きな手のひらを差し出す。 (きっと、どんなに浅い傷口でも大怪我をしたみたいに、怒られるんだろうな……)  怒られる覚悟を決めて、僕は渋々レオンの掌の上に、血の滲む僕の手を重ねた。  するとレオンは、躊躇うことすらなく、僕の傷口から溢れる赤い血を舌で直接舐めとった。 「なっ……!? レオン、何をしてるんだ! もしあの子が病気を持っていたら、レオンにまで病気が移っちゃうかもしれないじゃないか! 今すぐ吐き出して!」  ほんの少しの量なら、まだ間に合うかもしれない。  そう思って焦る僕の目の前で、レオンは喉を鳴らして、僕の血をゴクリと飲み干してしまった。 「これで、移る時は一緒だな」  レオンは、何でもないことのように、不器用で優しい笑みを浮かべる。けれど、 「そういう問題じゃない!」  少しでも体内の毒素や濃度を薄めたくて、僕は馬車の水瓶からすくった水を差し出す。  けれど、レオンは頑なに首を振って飲んでくれない。 「レオンが死んじゃったら、僕は……僕は……っ」  体の底から、どろりとした悍ましい恐怖が噴き出してくる。  レオンのいない人生なんて、一秒だって考えられない。  愛する人がいなくなってしまった世界で、これから一人で生きていくなんて、絶対に嫌だ。  耐えきれず、後から後から涙が溢れて視界がぐしゃぐしゃに歪んでいく。  嗚咽を漏らして泣きじゃくる僕の体を、レオンはたまらずといった風に強く抱き寄せた。 「それは、俺だって同じだ。シリエルがいないこれからなんて、想像したくもない。それに……俺は『死なない』ってお前に約束しただろ」  低くて温かい声が、頭の上から優しく降ってくる。 「俺は死なない。だからシリエルも死なない。……それに、こいつも死なない」 「レオン……」 「こいつ、よく見たら小さな首輪をつけてる。きっと、飼い主が必死に探してるはずだ。次の村まで、連れて行ってやろう」  レオンは、僕の腕の中で規則正しい寝息を立て始めた小さな子犬を、ぶっきらぼうながらも、どこか愛おしそうに見つめていた。

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