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第32話 村での生活 ②
「カノンはね、お母さんのこと、全然知らない。でも、お父さんは私に毎日『愛しているよ』って言ってくれるし、お仕事がどんなに忙しくても、いっぱいいっしょに遊んでくれるの。だから私、全然寂しくないんだよ!」
そう力強く言いながら、カノンちゃんはヘイワードさんの大きな、節くれ立った手をぎゅっと両手で握り締めた。
「お父さんが私のお父さんでいてくれて、私は本当に嬉しいんだよ!」
「カノンが私の愛する娘で、父さんは本当に幸せ者だよ」
ヘイワードさんが愛おしそうにカノンちゃんを抱き上げた。
先ほどまで彼の瞳の奥を重く曇らせていた過去の憂いは、カノンちゃんの真っ直ぐな言葉によって、綺麗に打ち消されているように見えた。
僕の知っている『家族』は、これとは全く違っていた。
宮殿にいた父様も母様も兄様も、僕にはいつも優しかった。けれど、父様も母様も笑顔を向けてくれてはいたものの、その瞳の奥はいつだって冷たく、くすんでいた。
ベータだった兄様は、優秀なアルファたちに負けまいと、血を吐くような思いでいつも机に向かって義務を果たしていた。
誰も、互いの本当の心なんて見ていない。
それが僕の知る家族だった。それが当たり前だと思っていたし、そこに寂しさという感情があることさえ知らなかった。
実家の家族が悪かったとは思わない。
ただ家族の形というのは、もっと色々な、温かい形があっていいのかもしれないと、生まれて初めて思った。
「ヘイワードさんとカノンちゃんの家族は、なんだか、とっても暖かいですね」
僕がぽつりと呟くと、
「村長家族は、それはもう、ワシの焼きたてパンみたいにあったかいぞ〜!」
朗らかな声が響いた。
驚いて声の方を見ると、少しだけ開いていた窓の外から、白髪がよく似合うまんまるな顔がひょこりと覗いていた。
「ベイカーさん!」
ヘイワードさんに抱き抱えられていたカノンちゃんが床に飛び降り、嬉しそうに窓辺へと駆け寄る。
「村長、頼まれてた焼き立てのパンを持ってきたぞ」
顔だけを覗かせていたベイカーさんが、ぐっと背伸びをする。その小さな両手には、小麦の焼けた香ばしい匂いと、甘酸っぱくりんごが煮詰まった匂いを乗せた大きなバスケットが抱えられていた。
「いつも、ありがとうございます」
差し出されたバスケットをヘイワードさんが受け取ると、ベイカーさんの姿は一度窓の外へ消え、その直後にパッと玄関の扉が開いた。
(え……?)
現れたその姿に、僕は一瞬、自分の目を疑ってしまった。
家の中に迎え入れられたベイカーさんの背丈は、大柄なヘイワードさんの腰の位置くらいまでしかなかったのだ。
「おっ! これはまた、目の保養になる美人さんに色男だねぇ」
ベイカーさんは短い足で僕の前までスタスタと進み出ると、にやりと白い歯を見せた。
「ワシの名前はベイカー。この国一番のパン職人だ。よろしくな」
「は、はじめまして。シリエルと言います」
差し出された小さな手を、僕は大急ぎで前屈みになりながらそっと握り締める。
触れた手のひらはゴツゴツと硬く、手や顔、首筋には、幾年も真摯に火と向き合い、歳を重ねてきた者にしかできない深い皺が刻まれていた。
もともとは白髪ではなく、情熱的な別の色の髪だったのだろうなと思わせるような、不思議な覇気がある。
「そっちの色男さんも、よろしくな」
ベイカーさんは僕の手を離すと、今度は背後に控えていたレオンへと手を差し出した。
「はじめまして。レオンと言います」
その瞬間、レオンの着慣れた衣服がザッと衣擦れの音を立てた。
レオンは躊躇うことなく両膝を木床につき、小さなベイカーさんと完全に目線を合わせて、その手を大真面目に取ったのだ。
「たまげたな。レオンさんは、ワシのこの姿を見ても全く驚かないね」
「私のよく知る者に、非常に有能な小人族の御方がいらっしゃいますので」
初耳だった。
僕が咄嗟に驚いてレオンを振り返ると、レオンは僕の耳元にまでその綺麗な顔を寄せ、低い声で「昔、敵国の指揮官が有能な小人族だったんだ」とそっと囁いて教えてくれた。
耳に当たる彼の吐息が熱くて、心臓が跳ねる。
「そうだろ、そうだろ! ワシたち小人族は、有能な奴しかおらんからな!」
大きな口を開けて、ベイカーさんはガハハハと快活に笑った。
「あ、ベイカーさん、これアップルパイも入ってる!」
バスケットの中を覗き込んでいたカノンちゃんの顔が、パッと晴れやかに輝く。
「ワシのかみさん特製のアップルパイだ。持っていってやれってさ」
「ベイカーさん、ありがとう! 大好き!」
飛びついてきたカノンちゃんの頭を、ベイカーさんは大きな手で優しく撫で回す。
「ただし、食事の前には食べるんじゃないぞ」
そう言って、職人らしい顔でしっかりと釘を刺すことも忘れなかった。
「さぁ、これで食材はすべて揃いましたね。早速お昼にしましょう。カノン、ベイカーさんの奥さんにも、もうすぐご飯だからって声をかけてきてくれないか?」
「は〜い!」
カノンちゃんは元気よく返事をすると、弾むような足取りで扉の向こうへと飛び出していった。
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