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第70話 翌朝 ③
夕陽が地面に吸い込まれ、辺りが紺色に染まり始めた頃。
ともしびの館の周りに、開店を待ち侘びる人だかりができ始める。
リアーナちゃんが店の扉にかけられた看板を『開店中』に切り替えると、仲間や友達と連れあったお客たちが、店内を埋め尽くした。
「リアーナちゃん、こっちいいか?」
注文を決めたテーブル客がリアーナちゃんに手を振る。
「は〜い。ただいま」
エプロンからメモをら取り出し、リアーナちゃんが向かう。
「エリアス、こっちも頼む」
酒が入ったジョッキを両手に四つ持ったエリアスさんが「すぐいく〜」と笑顔で返事をし、持っていたジョッキを別のテーブルに持っていく。
ほかの従業員の方々もフル活動。
開店早々、大賑わいだ。
レオンはマーサさんから渡された厚手の前掛けを、腰に巻きつける。
長い結び紐をキュッと後ろで固く結ぶと、引き締まった腰つきと胸板の厚さがかえって際立って見えた。
普段の男臭い旅装とは違う、どこか家庭的なレオンの姿に、僕は胸がキュンと甘く跳ねてしまう。
「レオン。僕もここで働きたい。どうしても……だめ?」
身支度が整ったレオンに、今日何度目かのお願いをしたけれど、答えは変わらず「ダメだ」と返される。
「そりゃ、みんなみたいに上手く動くには時間がかかるかもしれないけど、僕だってみんなの役に立てることもある……と、思う……」
ギロリとレオンに見られ、尻すぼみになってしまう。
「ダメだ。ここは酒の場だ。時間が遅くなれば酔っ払いも出てくる。そうなった時、危ない目にあうかもしれないだろう」
「確かにそうだけど……」
武術が得意でない僕は『自分の身は自分で守る!』とは、きっぱりと言い切れないのが悲しい。
それに……。
「レオンの帰りを、部屋で一人で待つだけなんて嫌だ……」
僕がそういうと、レオンは大きく一つため息を漏らした。
部屋で一人でいるのは寂しい。
これは僕のわがままだし、レオンを困らせているもわかっている。
でもレオンと旅を始めてからずっと、僕たちは一緒にいた。離れていることなんてなかった。
だから、ほんの少しの間だけでも、レオンの帰りを一人で待つことが、今まで以上に寂しい。
「邪魔にならないように、隅にいるから……。ね」
一緒に働くのがダメなら、同じ空間の隅でもいい。一緒にいたい。
「シリエル……」
レオンが困ったように眉をへの字に曲げ、僕を見つめる。
(やっぱり……だめか……)
レオンから視線を逸らし、部屋に向かおうと踵を返そうとした、その時だった。
「レオンさんがシリエルさんを守りたい気持ちはわかるけれど、部屋に閉じ込めておくだけじゃ不十分よ」
背後から、マーサさんのカラッとした声が響いた。
「ごめんなさいね。立ち聞きするつもりはなかったのだけど、おせっかいついでに言わせてちょうだい」
マーサさんは持っていた空のジョッキをカウンターに置くと、僕たちの元へ歩み寄ってきた。
「リアーナから聞いたわ。シリエルさんは飲み込みが早くて、帳簿付けも手際が良いってね。実際、この短時間で宿の手入れを完璧にこなしてくれたじゃない」
リアーナちゃんがマーサさんに、そんな風に言ってくれていたなんて……。
一生懸命やったことがきちんと伝わっていた嬉しさと照れ臭さで、胸がむずがゆくなった。
「それにね、この半日で『宿に凄く綺麗な子がやってきた』って噂が広まっているのよ。部屋に隠しておいたって、いつか変な虫がつくわ。だったらレオンさんと一緒にこの店に出て、シリエルさんはレオンさんの伴侶だってことを、客全員に知らしめたらいいのよ」
「知らしめる……ですか?」
「そう。二人が仲良く寄り添っていれば、馬鹿な男でも諦めるわ。それにね……」
マーサさんは悪戯っぽく微笑むと、混雑する店内をアゴでしゃくった。
「今夜は見ての通り大繁盛で、飲み物を作る手が全然足りないの。シリエルさんにはカウンターの中で、ドリンクを注ぐ手伝いや洗い物をしてもらいたいのよ。カウンターの中なら酔っ払いに直接触られる心配もないし、レオンさんの目も届くでしょう?」
「確かに……それなら、シリエルに危険は及ばないな」
さっきまで渋い顔だったレオンが、顎に手を当てて真剣に考え始めた。
「シリエル、ここで一緒に働かせていただこう」
「え!? いいの!?」
思ってもみなかった言葉に、僕は嬉しさのあまり跳び上がってしまった。
「ああ。ただし、二つ条件がある。絶対にカウンターから外へ出ないこと。そして、俺の視界から外れないこと。守れるか?」
「うん! 絶対に守る!」
願ったり叶ったりの条件だ。これで僕も、レオンと同じ空間で一緒に働ける!
「ふふ、素敵な条件ね。決まりよ!」
マーサさんは嬉しそうに言うと、カウンターの奥から小さめの前掛けを取り出し、僕の腰にキュッと結びつけてくれた。
「さぁシリエルさん、今日からよろしくね。カウンターで飲み物を用意して、運ぶのはエリアスとレオンに頼むから」
「はい! よろしくお願いします!」
胸を躍らせて返事をすると、さっそくホールから勢いよくエリアスさんが駆け込んできた。
「シリエルさん、ここで手伝ってくれるんですか!? やったぁ! じゃあ早速、エールビール二つと果実酒一つ、お願いします!」
「あ、はい! すぐ準備しますね!」
慌ただしくグラスを準備する僕の横で、レオンがエリアスを不機嫌そうに睨みつける。
賑やかな熱気と酒の香りに包まれた酒場で、僕の新しいお仕事がスタートしたのだった。
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