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第78話 運命の日 ③

「え……?」  思わず息が詰まった。 (……僕は、エリアスさんを避けている)  心の中で、認めざるを得なかった。  エリアスさんは、どこまでも優しくて良い人だ。  僕に避けられるようなことなんて、何ひとつしていない。  それなのに彼を避けてしまう原因は、すべて僕の側にある。  エリアスさんの優しさに触れるたび、自分の身体が不穏に騒ぎ出してしまう。  そして何より、レオン以外の男の人に心を揺らされてしまいそうな自分自身が、怖かった。 (『避けてなんていない』って、嘘をつくべき?)  その場しのぎの言葉が、ふと頭をよぎる。  でも、僕がエリアスさんを避けているのは紛れもない事実だ。  ここで嘘をついたところで、きっと僕はこれからも彼と二人きりになることから逃げ続ける。  そんな期待を持たせるような嘘で誤魔化すほうが、よっぽどずるくて酷いことなんじゃないだろうか。 「……はい」  震える声で、短く答えた。  その瞬間、エリアスさんの目が見開かれた。  いつもの澄んだ金色の瞳に、すっと濃い影が落ちる。  ゆっくりと伏せられていく瞼。  綺麗に咲いていた花が、一瞬で萎れてしまったように、その背中が小さく縮こまって見えた。  たった二文字の「はい」。  それだけの言葉が、エリアスさんを深く傷つけてしまったのだと分かり、胸が痛んだ。 「エリアスさんは何ひとつ悪くありません。優しくしてくれて、助けてくれて……心から感謝しています」  ポケットの中の手拭いを、指が白くなるほど強く握りしめる。  恐怖で震えそうになる声を押さえ込み、僕はエリアスさんの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。 「でも……これ以上、僕に優しくしないでください。僕にはレオンがいます。僕が大切にしたいのも、愛しているのも、レオンだけなんです」 「……っ、でも、君の身体は……!」 「身体がどうであれ、関係ありません!」  胸の奥から込み上げてくる恐怖を振り払うように、僕は叫んだ。 「僕の気持ちは、最初から最後までレオンだけのものです!」 「……」  エリアスさんが、何かを言いかけたまま口を閉ざした。  握りしめられた拳が、かすかに震えている。  俯いた横顔には、悲しみとも苦しみともつかない表情が浮かんでいた。  やがて、ゆっくりと顔が上がる。 「……さない」 「え……?」  地の底から響くような、低く暗い声が漏れた。 「許さない……」  さっきまでの優しい面影が消えた瞳に、激しい光が宿る。 「俺は絶対に……そんなこと、認めない……ッ!」  次の瞬間。  強引に両肩を掴まれ、視界が激しく揺れた。 「っ……!」  咄嗟に顔を上げる。  そこにあったのは、怒りと執着に満ちたエリアスさんの鋭い瞳だった。  直後、身体の奥底で、何かが弾けた。 「……っ!?」  恐ろしいほど甘く、熱い塊が、一気に身体の内側へ流れ込んでくる。  自分の意思では、どうすることもできない。  身体の芯から爪先まで、焼けつくような熱が駆け抜けていく。  その熱はやがて、下腹部へと集中していった。  生まれて初めて感じる、あまりにも異常な感覚。 (ヒートだ……っ!)  気づいた時には、もう遅かった。  全身から甘いフェロモンが溢れ出し、視界が白く霞んでいく。 「くっ……!」  目の前で、エリアスさんの表情が苦悶に歪んだ。  荒い吐息が肌を撫でる。  肩を掴む指先が、肉に食い込むほど強くなる。 (喰われる……っ!)  首筋のうなじが、焼けつくように熱い。  身体の奥が激しく疼き、蜜が溢れていくような感覚に、恐怖で身体がすくんだ。  どれだけ心が拒絶しても、身体だけが『真の番』を求めている。 (嫌だ……!)  怖い。  こんなの、嫌だ。  僕の心は、レオンを求めているのに。 (逃げないと……)  レオンの元へ。  何としてでも、レオンのところへ逃げなければ。  薄れゆく意識の中、残されたわずかな理性を必死にかき集め、両足に力を込める。  エリアスさんの拘束を振り払おうと身体を捻った。  その瞬間、野獣のようにギラついた瞳と、真正面からぶつかった。 「……っ!」  再び、身体の奥で暴力的なほどの熱が弾け飛ぶ。  あまりの衝撃に、エリアスさんの身体が一瞬ぐらりと傾いた。 (いまだ……っ!)  僕は最後の力を振り絞り、エリアスさんの胸を両手で強く押し飛ばした。 「っ……!」  身体が自由になった瞬間、僕は振り返ることもせず、自室へ向かって全力で走り出した。  足がもつれそうになる。  視界が霞む。  それでも、ただひたすらに走った。 (レオン……!)  今、僕が縋れるのは……レオンだけだった。

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