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第79話 初めてのヒート ①

 部屋へ向かう途中、何人もの人とすれ違い、危うくぶつかりそうになった。  裏庭から自室までは、ほんのすぐそこなのに、まるで果てしなく遠い道のりのように感じる。  なんとか部屋へ辿り着き、縋るようにドアへ手を伸ばして閉めた。  その瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、身体が床へと崩れ落ちる。 (ベッドに……行かないと……っ)  そう思うのに、指一本すらまともに動かせない。  それどころか、身体の奥から濃密なフェロモンが溢れ出し、自分自身の息さえ詰まりそうになる。  『ヒート』がどういうものなのか、知識として聞いたり、目にしたことはあった。  けれど、自分自身が当事者になるのは生まれて初めてだ。  胸が苦しい。  お腹の奥がじくじくと疼き、全身が燃えるように熱い。  床に手をついただけで、そのわずかな刺激に身体がびくりと跳ねた。  あまりにも急激な身体の変化に、思考がついていかない。 (怖い……怖い、怖い……っ)  どうしようもない本能への恐怖に押し潰され、絶望的な不安が重くのしかかってくる。 「レ……オ……ン……っ」  ここにはいない愛しい人の名を呼ぶ。  けれど、返事はない。  身体の奥底で眠っていた何かを無理やり起こされ、身体そのものが別のものへ書き換えられていくようだった。  熱い。  怖い。  全身の震えが止まらない。 「助けて……っ」  すがるように、部屋の扉へ手を伸ばした。  ——ドンドンドンッ!  突然、激しく扉が叩かれた。 (っ……エリアスさん……!?)  恐怖と緊張で、身体が跳ねるように固まる。 「シリエルさん! 大丈夫ですか!?」  扉の向こうから聞こえたのは、緊迫したリアーナちゃんの声だった。  その声を聞いた途端、張り詰めていた身体から、ほんの少しだけ力が抜けた。 「っ……あ……」  レオンを呼んでほしい。  そう伝えたいのに、激しい息苦しさのせいで声にならない。  思考が少しずつ、本能の熱に呑み込まれていく。  もう、自分の意思だけでは動けそうになかった。 「……っ、分かりました! レオンさんを探してきます! シリエルさんは、そこでじっとしていてくださいね。絶対に、絶対に扉を開けちゃダメですよ! いいですか!?」  リアーナちゃんが、扉越しに必死に叫んでくれる。  返事をしようとしても、声が出ない。  僕は代わりに、残された力を振り絞って床を『ドンドン』と、二度叩いた。 「絶対ですからね!」  リアーナちゃんの声とともに、廊下を駆けていく足音が遠ざかっていく。 (レオンが……来てくれる……)  暗闇に支配されかけていた心に、あたたかな光が灯った。 (もう……大丈夫……)  安堵した瞬間、瞼が重くなる。  ぼやけていた視界が、ゆっくりと暗闇へ沈んでいった。

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