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第二話
それからの夜会は何事もなかったかのように賑やかに過ぎていく。華やかな笑い声が上がり、美酒が酌み交わされる中、リュカだけはどことなく浮かない顔をしていた。
自分が噂話を真に受けてしまったせいで、ベルナール公爵が北限の地へ追いやられてしまったのではないか。もしベルナール公爵はただ単に父王とオーギュストを比べているだけで特に他意がないのだとしたら、リュカはどう償えばよいのだろう。取り返しのつかないことをしたのではないのか、気が気ではなかった。
「このような場でそんな沈んだ顔をするものではないのではないか」
無意識にうつむいていたリュカの上にそのような声が降って来る。驚いて顔をあげると、アルベールが少し心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「も、申し訳ございません……!」
リュカがあわあわと頬などを手で擦り表情を和らげようとしていると、「先程のことを気にしているのか?」とも尋ねられハッと顔をあげる。アルベールの表情は先程の心配そうなものから一転、真面目そうな性格が窺える硬い表情になっていたが、向けられる眼にはわずかにぬくもりを感じられた。
きっと彼にはリュカの胸中などお見通しなのだろう。観念したようにリュカはまたうつむきつつうなずく。
「わたしが迂闊 に噂話を真に受けてしまったせいで、ベルナール公爵の人生を壊してしまったのではないかと思うと、申し訳なくて……」
「公爵の噂は城内に出入りする物であれば知らぬ者はいない話だとも聞いた。だからあなたがすべて悪いわけではない。あなただって、陛下を想って進言するか迷っていたのであろう?」
「ですが……」
「陛下も噂にただ踊らされるほど愚かではないことは、俺がよく知っている。後宮を設けたせいで誤解されやすいが、陛下の施政の手腕は御父上に並んで遜色のないものだと思っている」
旧知の仲だというアルベールの言葉でそう補ってもらえると、リュカは不安な靄がゆっくりと波が引くように鎮まっていくのを感じた。
「わたしは政 についてよくわからないので、陛下のすばらしさを理解できていないのですよね……」
「ならばいまから知っていけばいい。あなたはいま存分にそれを知る機会のある場所にいるのだから」
オーギュストの政治的手腕について、世間に疎いリュカが計り知れるものではないだろう。だからこそ、傍で彼を見続けてきたアルベールの言葉に信憑性を感じるのだ。
アルベールの励ますような言葉に、うつむきかけていた心と視線が上向いていく。そうして目を上げた先には優しく微笑みかけてくれているアルベールの姿があり、リュカもほっと息を吐いて微笑み返す。言葉以上の慰めや励ましを受けたわけではないはずなのに、それ以上に温かいものを受け取った気がしたからかもしれない。
「そうですね……アルベール様の仰る通りです」
「だからもう、あなたが気に病むことはない」
一介の愛妾でしかないリュカに、どうしてアルベールはこれほどまでに親切にしてくれるのだろう。確かに一度、王命とは言え肌を重ねた仲ではあるが、それ以上の繋がりなど殆どないはずなのに。
(アルベール様とお話をすると、気持ちがとてもあたたかくなる気がするのは何故だろう)
心地よさを覚えるなど、後宮に入ってからはほとんどなかった。それなのにまだ数度しか顔を合わせていないアルベールと言葉を交わすだけで、その心地よさを不思議と感じることができるのだ。
この感情を何と呼ぶのか、リュカは知らない。ただ心地よい風が胸を撫でるように吹き抜けていくだけだ。
(アルベール様は本当にお優しい方だ……)
そんな感情を胸に覚えつつなんとなくアルベールと見つめ合い、一言二言交わしていると、「これだから平民の出はぬかりない」と蔑む声が聞こえた。
言葉の内容は明らかにリュカについて言及している。声のした方に目を向けると、後宮でいつもオーギュストの傍に侍ることが多い愛妾たちがくすくすと嗤っている姿が見えた。
「平民のくせに伯爵家に転がり込んで、挙げ句今度は後宮入り」
「それなのに陛下に抱かれるのは嫌で、アルベール公爵なら尻尾を振ってすり寄るなんてねぇ」
「平民の地位を棄てられるなら誰にだって体を開くってこと? なんて浅ましい」
先日オーギュストの前でアルベールと睦み合った話を知らない者は、後宮は勿論、王城内だっていないだろう。きっと、目の前のアルベールの耳にだって、いまの声も届いているはずだ。
(わたしなんかに関わったせいで、アルベール様にまで迷惑が掛かってしまっている……何とお詫びしたら良いだろう)
聞こえよがしに囁かれる陰口は、リュカには慣れたものと言える類いだが、アルベールはそうではない。たとえ愛妾でありながら爵位がある者であっても、公爵の前でそのような発言をして良いものとは思えない。でも、アルベールはリュカと肌を重ねてしまっている。ただならぬ仲なのではないかと妙な勘繰りを入れる者もなくはないということだろうか。
自分のせいでまたアルベールに不快な思いをさせてしまったかもしれない。至らない自分に嫌気がさしつつも、どう事態を打開すればよいのかが全く見当がつかずただただ申し訳なかった。
アルベールの顔をそっと窺うと、やはり声は聞こえているらしく、不愉快そうに眉根を寄せている。
「あなたは、伯爵令息ではなかったのか?」
「わたしの母は、ベルニエ家に仕えていたメイドでした……ただ、父と関係を持ってしまったことでわたしが生まれたので……それで養子になり……」
ここに来てまさか自分の出自を明かすことになろうとは思わなかった。よりにもよって、同僚である愛妾たちからの陰口をきっかけにして知られるなんて、屈辱的でしかない。
(きっとアルベール様も幻滅されておられるだろう……卑しい平民のわたしなんかを庇いだてして、不愉快になられたことだろう)
ぐしゃぐしゃに乱れる胸を抱えたままアルベールから目を反らしつつ自らの出自を告げると、思いがけない言葉が返って来た。
「ああ、だからどうりであなたを夜会などで見かけたことがなかったのか」
「え……あ、はい……夜会などにはわたしは出させてもらえないまま、たまたまあの日後宮に召し上げられましたので……」
「そうか、なるほど……」
何か心得た風に独り言ちていたアルベールは、しばし考えたのちにリュカの手を取った。
アルベールの手は大きくたくましく、長い指でリュカの華奢 な指先を包み込むように握りしめている。熱いほどのそれにリュカの心までが包まれてしまったかのようで、心臓が早鐘のように動悸していく。
自分などの手を取って見つめるなど、またあらぬ疑いや噂を立てられかねない。そんな申し訳なさを覚えながらも、リュカはアルベールの手を振り払えなかった。
「ならばなおのこと、あなたが気に病む必要はない。あなたはただ、先程の事案の最後の一押しを陛下にしただけに過ぎない。陛下を想っての行動が浅ましさで取ったものでないことは、俺が知っている」
「アルベール様……」
「あなたは、浅ましい人ではない」
それだけを言い置いて、アルベールは会釈をして去っていく。その後ろ姿は凛としていて完璧で、若き公爵として恥じないたたずまいと言えた。リュカはその後ろ姿を惚けたように見つめるばかりで、そっと胸元を抑えると鼓動はまだ早鐘のようだ。
思いがけず出自を知られてしまったが、アルベールはそれを嗤いはしなかった。寧ろ気に病むリュカを慰め、補うような言葉もくれたのだ。
アルベールにもらった言葉はまたしてもリュカの胸の奥に小さな灯りをともし、陰口で萎れていた心にぬくもりを与えてくれた。その厚意がどれほど有難く心強いか。
リュカは人混みに紛れて見えなくなった若き公爵の背を探すように遠くを見つめていた。
ベルナール公爵の件があった夜会の翌日の晩、オーギュストはいつになく不機嫌だった。どうやら夜会での一件がレオポルドの耳に入ったらしく、そのことを書簡でだが苦言を呈されたらしいのだ。
詳細をリュカが知ることはできないが、侍従たちがこそこそと話していたことを聞く限り、『ベルナール公爵の処遇については、素早い判断は見事であった。しかしただ噂を耳にした程度で辺境地へ流すのはいささか早急ではないだろうか。王の器量を問われかねぬ』と、いったような内容が書かれていたらしい。
もとよりレオポルドとオーギュストは親子でありながら性格がまるで違い、それもあってか王政に対する考えもだいぶ異なっているようだ。
その際たるものがこの後宮の存在だ。レオポルドは情に厚い性格だが規律に厳しい面が強く、自由奔放に振舞う我が子の行いの中で最も理解しがたいと嘆いているという。『王の品性を問われかねぬ振る舞いは厳に慎むべきだ』『度が過ぎるのであれば儂 にも考えがある』といったような苦言を週に一度はしたためた便りを寄越すことが多く、そのたびにオーギュストがこうして不機嫌になるのだ。
「まったく……隠居したのであれば黙って私に任せておけないのだろうか。幼子を脅すようなことばかり言いおって……そんなに私は王として信用ならないのか?」
苛立たし気に杯を煽り、空にするたびに次を求めてくる。今宵はリュカが給仕の役を勝ち取っていたので、杯が空くたびに切れ目なく注いでいる。
性に奔放で、後宮内では特に自由気ままに振舞うオーギュストは、普段であれば酒の酔いに任せて侍っている愛妾に手を出すことが多い。快楽のままに振舞う様は確かに王と言うよりも欲情に溺れた若い男にしか見えないが、ひとたび|政《まつりごと》にかかると残忍なほど切れ者になる。その姿を先日目の当たりにしたリュカは、今宵少々荒れた様子のオーギュストの様子が気がかりでならなかった。
「オーギュスト様、今宵はもうお酒はお止しになった方が善いのではないですか?」
「……なに? どういうことだ?」
「お顔も真っ赤になっておられますし、お酒は過ぎると毒でございますよ」
若き王の身を案じて気を揉んでいる内に、つい無意識に口をついて出た言葉だった。しかしそれが思いの外広間の中に大きく響き、当たりがシンと静まり返ってしまったのだ。
静まり返った広間に響いた自分の言葉が、出過ぎたものだとリュカが気付いて慌てて口をつぐんではみたが、既に遅かった。水を打ったように静まり返った広間には、明かりの蝋燭 が燃える音が微かに響くばかり。その沈黙を作ってしまったリュカには、部屋中の視線が注がれていた。
しまった……と冷や汗をかきながらうつむくリュカに刺すような冷たい視線が向けられている。痛いほど突き刺さるそれが恐ろしくて顔も挙げられずにいると、「ほう……もう一度申してみよ」とオーギュストに命じられる声がした。その声は静かだが有無を言わさぬ圧力があり、リュカの喉を締め上げていくようだ。
「い、いえ、あの……も、申し訳ございません……で、出過ぎた真似を……」
「出過ぎた真似? お前は私を気遣って物を申したのであろう? それをもう一度申せと言うだけだ」
「あ、えっと……」
「できぬのか?」
なんと答えれば許してもらえるのだろうか。小さく震えが止まらないリュカの手をオーギュストがいつの間にか握り、じりじりと迫って来る。強い眼差しに神経が縮み上がらんばかりに震えるリュカに、オーギュストは忌々しげにつぶやいた。
「父上とお前は、気が合いそうだな。クソ真面目で私のすることなすことに注文を付ける。その内に私に王としての器量がないから政 から身をひけと言わんばかりだな」
「そ、そんなつもりは……!」
どうやら手紙には本当にオーギュストの王政に対する姿勢や生活態度を改めるようなことが書かれていたらしく、リュカはますます気まずくなっていく。
冷や汗をかきうつむくリュカに対し、オーギュストは追及の手を緩めてくれない。
「お前は後宮に召し上げられたことも不満なのか? だから私と夜を共にしないのか?」
「そのようなつもりは一切ございません! 誓って、そのような想いを抱いているわけでは……」
顔をあげて縋らんばかりにひれ伏そうとするリュカを、オーギュストは片頬を上げて見つめ笑っている。彼の一挙手一投足にビクビクと怯えるリュカの姿を愉しんでいるのだろう。その様はまるで隅に追いやられた小動物をいたぶって楽しむ残忍な肉食獣の顔とも言えた。
しかしリュカがあまりに怯え青ざめるせいか、それまで酷薄に笑っていたオーギュストの表情が冷めたように変わり、大仰そうにため息をつき、呟く。
「もうよい、お前は下がれ。しばらく顔を見せるな」
出て行けと言わんばかりに手で払われ、リュカは深く礼をしてそのまますごすごと広間をあとにした。まだ震えは止まらないが、命が助かっただけでも良しとしなくてはならない。
うな垂れてとぼとぼと歩くリュカの姿を、他の愛妾たちがクスクスと笑って見つめている。まるでいい気味だと言わんばかりだ。
「一度や二度褒められたぐらいでオーギュスト様に意見できるだなんて思いあがりもいいところだよ」
「愛想よく言われたとおりにお酌してりゃいいのに、意見するなんてなに考えてるんだか」
「やっぱり浅ましいやつだよ」
聞こえよがしに囁かれる言葉に耳を塞ぎたくてたまらなかった。悔し涙で視界がにじんで揺れていたが、決して涙をこぼすまいと思ってもいた。歯を食いしばり、どうにか自室まで持ちこたえて寝台に潜り込み、ぎゅっと我が身を抱きしめる。
しかしその時、ふと脳裏に昨夜アルベールが別れ際に言い置いていった言葉がよみがえり、溢れる涙が止まった。
『あなたは、浅ましい人ではない』
それはただベルナール公爵の一件に関する言葉ではあったかもしれない。だが今のリュカにとっては、自分を肯定して支えてくれる言葉にもなっていた。現に心も体も落ち着き、呼吸も幾分楽になっている。
この後宮にリュカの味方になってくれる者は皆無だ。しかし、城内にはひとりだけ――アルベールと言う存在がいる。味方になってくれているのかはわからないが、決して彼はリュカを嗤わないのは確かだ。
「……アルベール様」
毛布の中で小さく自分にだけ聞こえる声で名を呼んでみる。そうすると不思議と胸の痛みが軽くなり、呼吸も落ち着いていく気がした。まるで胸の奥に灯りが点るかのように。
灯りが点る胸の奥に、リュカが知らない感情が目覚め始めていたのだが、リュカはまだその存在も名前も知らない。
いまはただそのわずかなぬくもりを覚える名前に縋るように呟くことで、辛い我が身を慰めるだけだった。
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