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*第三章 確信する想い 第一話
アルベールとの手紙のやり取りはかれこれ五通目になる。内容は主に例のまぐわいの夜の件から、いまではお互いの身の周りの出来事を報告し合うものに移っていた。
リュカが綴るのは後宮で見聞きする当たり障りない噂話や、窓からの景色を綴るばかりの面白みのない内容なのだが、アルベールはその一つ一つに感想を返してくれる。『あなたの目から見える景色は、きっと何より美しいのだろう』とまで言われ、読んでいていつも頬が熱くなってしまう。
対するアルベールの内容は、父親から爵位を継いで間もないらしく、若き公爵として日々公務にいそしんでいるというものだ。領地を見て回り、人々との触れあいでえた他愛ない話などがつづられており、城外に出ることのないリュカにとってささやかな楽しみになっている。
『光の人、リュカ殿。
今日も手紙をありがとう。あなたの文字を見ていると、忙しい公務の日々の中に安らぎを覚える』
そんな書き出しで始まる手紙を、リュカはいま庭でこっそりと読んでいた。後宮の自室でも読めなくはないのだが、侍従たちがそばに控えていることが多いため、なんとなく目が気になってしまう。だからこうして抜け出して一人の折にゆっくりと読むようにしており、今日は池の傍のベンチに座って読んでいた。
アルベールの文字は、彼の誠実な人柄そのものを表すようでいて、堅物とオーギュストに評される生真面目さを感じさせないやわらかな文面を綴っている。その意外な一面を窺えることもまた、リュカが手紙を楽しみにしている理由でもある。
『後宮では何かと窮屈 な思いをしていないか? せめてもの慰みに、これを贈ろう』
そんな文面と共に同封されていたのは、押し花にされた四葉のクローバー。丁寧に作られたのかとても形が美しい。手紙によれば、先日朝の散歩で庭を歩いていた折に見つけたのだという。
「クローバーは幸せの印だったっけ……嬉しいな」
ただの慰めの意味でしかなく、特に他意がないと言われればそれまでかもしれないが、それでもリュカにとっては喜ばしい贈り物であることには違いない。これまで誰ひとりとしてリュカの幸せを祈るような言葉をかけたり、行動をとってくれた者などいなかったし、贈り物だって初めてだ。
アルベールは窮屈な思いをしてないかと心配してくれたし、籠の鳥である以上実際はそうなのかもしれない。しかしそれでもそのような後宮という場所でこうして幸せを感じられているいまを、リュカはとても幸運だと思っていた。
なによりあの屈強そうなアルベールが庭先でこんな小さな草花を探してくれたのかと思うと、その光景を想像するのも楽しく、思わず笑みがこぼれてしまう。そんな不思議な効果が、この薄っぺらな緑の葉にはあるのだろうか。そう思いながらリュカはクローバーを指先で撫でてみる。
薄っぺらで儚い押し花をそっと手に取り、ハンカチに挟んで胸元に仕舞う。そうしてそっと胸元に触れていると、なんだか胸が弾むように鼓動しているように感じられた。
「もうわたしは、十分に幸せです、アルベール様」
「ほう、ならば私の許にいることは幸せでないと言うのかな、ルシアン」
「え……?」
思いがけない声で、思ってもいないことを言われてハッと顔を上げると、すぐ傍の池の水面に柔和な笑みを浮かべるオーギュストの姿があった。
通常であれば王城の中にいるはずなのに、なぜ今日に限って庭に出ているのだろうか。従者らしき者たちも傍にはいるものの、誰ひとり足音を立てず、気配すら感じられなかった。
いつから、どのあたりからリュカの様子を見ていたのだろう。一様に冷たく白い目を向けられていると、後ろめたいことをしていたわけではないはずなのに、手に汗がにじんでいく。
「へ、陛下……申し訳ございません、気付かずに……」
「なに、お前でも笑ったり嬉しそうな顔をしたりするのだなと楽しませてもらった」
「…………」
「なにやら随分と楽しそうにしていたが、何か読んでいたのか? 私にも読ませてみよ」
「え、いや、それは……あッ!」
手にしていた手紙を一通取り上げられ、追いすがろうとしたがあっさりと身をかわされてしまう。返してくれと抗議してよい相手なのかもわからずためらわれるが、読まれても平然としていられるほどリュカも鈍感ではない。
「なになに……『光の人、リュカ殿』? ほほう、しかも相手はあのアルベールなのか? っはは、アルベールのやつめ、随分とまた気障 なことを」
「へ、陛下! あの、もうそれほどでお返しを……」
「……ほう、アルベールはお前とのまぐわいで悩んでいるというのだな? 私のものに手を出しているようで後ろめたいのか? つくづくクソ真面目なやつだ」
手紙を読み上げられ、二人だけの呼び名を嗤われ、挙げ句アルベールの苦悩までないがしろにされる。相手がオーギュストであっても、リュカには許しがたい無礼に思えてならず、我慢がならなかった。
憎しみを抱くなんて許される相手ではないことは重々承知しているはずなのに、腹立たしさも手伝ってオーギュストへのどろりとした感情が湧き上がって止まらない。
自分だけならまだしも、アルベールまで虚仮にするようなオーギュストの振る舞いは、リュカの逆鱗に触れたとも言えた。
許しがたい……と思った次の瞬間には、リュカはオーギュストの手から手紙をひったくっていた。
「ッ! 何をする!」
オーギュストも、まさかリュカは手を出してまで歯向かってくるとは思わなかったのだろう。驚いた顔をして、ひったくった際にかすめた指先とリュカを見比べている。そしてみるみる間に不愉快さを隠さない表情に変わっていった。
オーギュストの表情にリュカはようやく自分がしてしまったことに気が付いたがすでに遅く、笑みの消えた冷ややかな顔したオーギュストを前に凍り付くしかない。
「も、申し訳ございま……」
「……そうか、アルベールはどうやら私のものを手懐けようとしておるのだな。二人して何を企んでおるのやら……」
リュカが反射的に爪を立てたオーギュストの手の甲には赤い筋が薄っすらと入り、控えている従者たちが慌ただしく大袈裟に手当てを始める。
騒然とし始める中でも、リュカはオーギュストがアルベールに向けた言葉に異を唱える。それはただアルベールを思ってというだけではなく、あらぬ誤解を払うためでもあった。
「陛下! おそれならがら、アルベール様はそのようなお方ではありません!」
「それはお前が手懐けられておるからだろう、ルシアン」
「そ、それは……」
必死にリュカが勇気を振り絞って抗議をしても一蹴されてしまい、事態は悪化していくばかりだ。従者らにもさらに冷ややかな目を向けられ、リュカは絶望で血の気が引いていく。
青ざめていくリュカに対して忌々し気にため息をつき、髪をかき上げて呟く。その目はやはり笑ってなどいない。
「まったく……飼い犬に手を嚙まれるとはこのことか。早急に何か手を打たねばな」
それだけを言い残し、オーギュストはリュカを残して去っていく。氷よりも冷ややかな表情をしていたオーギュストの気迫に圧されて、リュカはその場にへたり込む。
何故オーギュストに歯向かうような真似をしてしまったのだろう。リュカの|主《あるじ》は彼であり、決してアルベールではないのに。
しかし、冷たい眼差しを向けられたこと自体は恐ろしいことではあったが、リュカはオーギュストから手紙を守ったことに後悔はしていなかった。
手元でくしゃくしゃになっている手紙をそっと開くと、いつものアルベールの文字が覗く。オーギュストは気障だと笑った『光の人、リュカ殿』の文字であったが、そっと指で撫でていると恐怖と悲しみ、そしてわずかに覚えていた怒りが鎮まっていくのを感じる。しかし何故か今日は不安が薄く残っている気がする。
「……アルベール様」
そっと呟いた名前は落葉のように儚く中空を漂い、やがて傍らの池の中に溶けていく。ただ一人残された空間でリュカは心許ない想いを拭いたい一心で彼の名を呟き、そっとその名の綴られた手紙を抱きしめるのだった。
それからしばらくの間、リュカはまたオーギュストに指名されて無茶苦茶な命令を下されるのかと怯えていたが、特にこれといった出来事は起こらなかった。
あの庭での一件はオーギュストにとっては些末 なことで、愛妾の手紙をちょっとからかってみただけに過ぎなかったのだろうか。
噂に聞いたところによると、先日父王レオポルドが直々に城を訪れて後宮についてオーギュストに苦言を呈したらしい。そのためにしばらく夜会が開かれていないのではないか、とも言われている。その影響も全くないわけではないのだろう。
元よりオーギュストは政務では有能ではあったが、基本的に気まぐれな性格をしている。それゆえに周囲が振り回されることはよくあることではあったので、先日の件もその内の一つだったのかもしれないとリュカは考え始めていた。
そんな風にして、手紙の件をリュカでさえ気に掛けなくなってきたある日、珍しく王宮の方へ来いと命じられた。
「わたしが、王宮にですか?」
「陛下が是非に、と御所望でございます。お支度に参りましょう」
愛妾たちは基本的に後宮かその周辺の城内の敷地で過ごしている。だが爵位も持ち合わせているため、命じられれば来賓の話し相手や給仕などを担うこともある。
しかしそうやって王宮に呼ばれるのはオーギュストがその時に気に入っている愛妾がほとんどで、基本的に避けられているリュカが指名されることはなかった。
それなのに、だ。ここに来て突然の指名に、リュカはもとより周囲も騒めいている。
「今度はどういうおねだりをしたって言うんだろ?」
「陛下に抱かれたがらないくせに、どうやって陛下を虜 にしたっていうの?」
王宮に出向くためには特別な支度をしなくてはならないため、それに向かう道すがらにひそひそと聞こえよがしに囁かれる。
だがリュカもまた当惑しており、頭の中に疑問符を抱えたまま支度部屋へと連れて行かれ、いつになく豪華な衣装と化粧を施されることとなった。
「え、これを着るのか?」
用意されていた衣装を前に、リュカは思わず声を上げた。何故ならそれはリュカに瞳の色に合わせた上下一揃いに絹のシャツにタイ、そしてタイピンなどまであったからだ。
ヴェルミエ国では、男性が意中の相手に相手の瞳の色に合わせたものを贈ることは最愛の証しと言われている。その品数が多いほど愛が深いと言われているが、頭の上から爪先まで揃えられているということは、リュカがオーギュストにとって最愛の存在だということになる。
「こんな、まさか……」
王からの愛情表現を疑うことなど、愛妾としてあるまじき心得だろう。しかしこれまで一度だって優しくされたことも抱かれたこともないのに、どう信じろというのだろう。
何かの間違いではないか――そんな言葉を飲み込みながら、リュカはされるがまま着飾られていく。鏡の中で手際よく美しく仕上げられていく自分の姿を、リュカは戸惑いを隠せない目で見つめる。
(オーギュスト様は、何を考えてらっしゃるのだろう……?)
王の気まぐれにしてはあまりに手の込んだ支度をされ、さすがにリュカも平常心でいられない。何かとてもイヤな予感を胸に覚えながら、リュカは招かれるまま王宮の客間へと向かうのだった。
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