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第二話

 オーギュストが来賓を招く場合、大体が西の応接間に招くという。そこは別名珊瑚(さんご)の間と呼ばれ、コーラルピンクを基調とした調度品で統一されていることに由来しているらしい。  リュカはいまそこに、給仕の道具をワゴンに載せて押す従者らとともに向かっている。  やがて特徴的なコーラルピンクに独特の意匠をこらされた扉の前に辿り着き、一つ大きく深呼吸する。 「失礼いたします、陛下。ルシアンでございます」  扉の向こうから「入れ」と命じられ、リュカは扉を開けてもらい深く礼をして中へ進む。  部屋の中ではオーギュストがソファーに座りにこやかに手招きしている。リュカはそれに微笑んで応じ、一礼して傍に歩み寄った。 「お呼びでしょうか、陛下。お茶でしたら今から御用意いたしますが」  愛妾が来賓の前に呼ばれたとなれば、給仕か話し相手くらいしか役割がないはずなのだが、「いや、茶は良い」とオーギュストは首を振る。  では何のつもりで呼んだのだろうかと小首をかしげていると、オーギュストはこちらを向き、いつになくやわらかに微笑みかけてくる。 「似合っておるな、その服。やはり私の見立ては良かったようだな」 「ありがとうございます、陛下」 「そうは思わぬか、グランディ公爵」  グランディ公爵――聞き覚えのある客人の名と、オーギュストが向けている視線を辿るように振り返り、リュカは目を瞠った。オーギュスト共に珊瑚の間にいたのはグランディ公爵ことアルベールだったからだ。  アルベールもまた王の見立てた衣装に身を包んで現れたのがリュカであるとは思っていなかったのか、振り返った瞬間に瞠目して言葉を失っていた。  恐らくアルベールも、リュカが身にまとう衣装が彼の瞳の色に合わせてあつらえられていることに気付いているのだろう。唖然としたまま凍り付き、言葉が継げない様子でいる。 「どうだ、グランディ公爵。ルシアンに似合っていると思わぬか?」 「あ……は、はい……とても……お美しいですね……」 「そうであろう。ルシアンの瞳の色に合わせて特注で作らせたのだ。よく似合っておる」  瞳の色と揃いの衣装を贈ることの意味を、アルベールが知らないわけがない。これではまるでリュカがオーギュストのものであると示しているようなものではないだろうか。つまり、アルベールは王のものに手を付けたと言われているも同然の状態とも言える。 「……有難き幸せでございます」  王であるオーギュストに褒められれば、即座に満面の笑みで礼を述べなくてはならない。それが愛情表現であればなおのことだ。  オーギュストはリュカを見つめたまま手を取り、その指先にチュッと口付けをしてくる。いままでそのようなふれあいなんて後宮でもしてきたことがないのに、なぜいまになって、しかもアルベールの前でするのだろう。不可解な気持ちと共に、触れられた箇所からまるでリュカの腕をヘビが這いまわるような不快感を覚えたが、振り払うことは許されない。ただされるがままにこやかに微笑んで返すほかない。  しかしオーギュストの振る舞いはそれだけにとどまらなかった。  手を握り引き寄せたかと思うと、そのまま腰に腕を回されてより近くに抱き寄せられ、まるで子猫のようにオーギュストに抱きすくめられる体勢になっていたのだ。いつにない至近距離での接触に、リュカは笑顔が引きつりそうになるのを必死にこらえる。 「へ、陛下……あの、お客様がいらっしゃいますが……」 「なに、構うものか。お前は私の美しい愛妾なのだ。存分にその美しさを見せつけてやらねばな」  リュカがやんわりとアルベールの存在を伝えつつ抱擁から逃れようとして見たのだが、一向にその腕がほどかれる気配はない。むしろ腕に力が込められて密着し、頬ずりせんばかりだ。  抱き寄せられているために顔を向けることはできないが、明らかにアルベールから向けられる視線に怒りが混じっているのを感じる。心なしか、膝上に置かれている拳が握りしめられている音さえ聞こえてきそうだ。 (アルベール様は政務でお越しになられたはずなのに……このような姿をお見せしてしまうなんて……!)  アルベールは堅物で真面目な公爵だ。そんな彼の前でこのような振舞いなど無礼にあたる許されないことだろう。いくらオーギュストと彼が旧知の仲とは言え儀礼に書き過ぎていると言える。そんな無礼な振舞いに加勢させられていることを思うと、リュカは情けなく申し訳ない気持ちで胸が潰れそうだった。  羞恥と申し訳なさで顔が熱くなっていくのが止まらない。しかしオーギュストはリュカのそんな様子さえ愉しんでいるのか、一層密着してくる。耳元で「愛いやつだな、ルシアン」などと囁いて口付けてくるが、嫌悪感ばかりが募っていく。 「へ、陛下。グランディ公爵はどのようなご用件でお越しになられたのですか?」  あまりにアルベールに構うことない振舞いをするため、耐えかねたリュカが半ば強引に話を振ると、オーギュストは「ああ、それはな」とわざとらしい態度で顔を上げた。リュカに制止されて若干不服なのか、白けたような顔をしている。 「グランディ公爵にワインの輸出量について相談しようと思うておったのだ」 「さ、さようでございますか……では、お話をされて……」 「だがいかんな、どうも」 「……へ?」  それまでぎゅうぎゅうとリュカを抱きしめていた腕が緩み、不意に解放されたかと思うと、オーギュストはアルベールの方を振り返る。そして一層侮蔑するように笑いながら言うのだ。 「そのように王のものを物欲しげに見るんじゃない、グランディ公爵。美しいこれは私のものだぞ」 「……申し訳、ございません」  感情を精一杯抑えた震える声で呟き頭を下げるアルベールの声につられるようにリュカが視線を向けると、まるでオーギュストを憎むかのような目で睨み付けているアルベールの姿があった。グッと、音がするほど歯を食いしばり、拳を握りしめる姿は鬼気迫るものがある。  何故オーギュストがアルベールにここまでの屈辱的な思いをさせているのか、リュカにはわからなかった。自分とオーギュストの間には睦言の一つ、口付けさえ交わしていないのに、まるで蜜月の仲であるような振る舞いをし続ける意味も。  アルベールとしては、きっと本当にワインの出荷量の話を話し合うつもりで城へ来たのだろう。テーブルに広げられている資料を見ればその意気込みが伝わってくる。  それなのに、オーギュストは目の前で愛妾と――よりにもよって手紙を交わしていたリュカと――の仲を見せつけ、挙げ句アルベールの目が物欲しげだと言う。これ以上の屈辱を彼に味わわせて良いものだろうか。  これではまるでアルベールが思いあがっているとでも言わんばかりではないか。そんな無茶苦茶な振舞いを許されるのはオーギュストが王だからに他ならないだろう。抗えない強権を前に、リュカはただされるがままになるしかない。 「アルベール。お前、歳はいくつになった?」 「……二十五でございます」 「ふむ、そうか……もうそんな年頃か。ならばそろそろ伴侶を得た方が良いのではないか?」  自身が正妃も決めていない状態であることも棚に上げ、オーギュストは突然アルベールにそう進言し出したのだ。  全く思ってもいなかった話題に(かじ)が切られ唖然としているリュカを横に除け、オーギュストは突然従者の一人を呼んだ。すると従者はいくつもの手紙を抱えて現われ、それをアルベールが持ち込んだ資料の上に広げていく。 「……陛下、これは一体……」 「うん? すべてお前宛の縁談の候補者だ、アルベール」  にこやかにアルベールの言葉に答えるオーギュストの顔は、柔和に見えたが一切の心を感じられなかった。  それでなくとも、リュカにはいま目の前で起きていることの意味が把握できずにいた。アルベールがリュカに対して物欲しそうな目をしているという言葉を吹っ掛けて彼の感情を煽るだけでなく、突如として縁談の話が飛び出してきたのだから。  立ち尽くして呆然としているリュカの姿など目に入っていないのか、オーギュストは山を成している手紙の中から次々と釣り書きを取り出しては開封し、読み上げていく。 「隣国の公爵令嬢だ。歳の頃は……二十歳か。なかなか釣り合いが取れていいんじゃないのか?」 「陛下、お心遣いは有難いのですが……」 「んー……じゃあ、こっちはどうだ? ちょっと遠いが、西の国の姫君だ。上手くいけば一国の主になれるやもしれぬぞ、アルベール」  オーギュストは当のアルベールよりも嬉々として縁談相手を見繕っていく。アルベールは最初こそ断りの言葉を口にしようとしていたようだが、一向に聞き入れる様子のないオーギュストに呆れてしまったのか、何も言わなくなっていった。  しかしその様子を傍で見ているしかなかったリュカにとって、沈黙していくアルベールの姿は絶望の何者でもなかったのだ。 (……そうか、オーギュスト様は幼馴染でもあるアルベール様のためを思って縁談をご用意しようとしてらっしゃるのだな。もしかしたら、アルベール様もそれをお受けするのかもしれない)  旧知の仲の同士でしか分かり合えないものがあり、それはきっとよそ者であるリュカが立ち入れる隙などないことを今更に思い知らされる。アルベールは若き未来ある公爵だが、リュカは城の外には一切出ることが敵わない籠の鳥である後宮の愛妾だ。手紙などやり取りをしていた所でそれが何になると言うのだろう。 (わたしは……何を思いあがっていたのだろう。公爵様と手紙をやり取りできたからって、御心をつかめるはずなどないのに)  だからきっともうリュカはアルベールとこれきりで、言葉を交わすことはおろか、会うことすら叶わなくなるだろう。しかしそれが当然のことであり、よもやまたあの無茶苦茶な命令を下されたような夜のようなひと時を持てるわけがないのだ。  どんなにリュカにとってアルベールが光のような存在であり、特別だと思っていたとしても、それは覆らない事実だということを、いまリュカは目の前に突き付けられていた。 「どうだアルベール。こちらなんかお前に似合いなんじゃないか?」 「は、はあ……陛下……ですが私にはもったいないお話ばかりです」 「なにを遠慮しておる。すべて私自らが選りすぐった縁談相手だぞ。気になる者すべて挙げていくがよい」 「それは身に余る光栄ですが……」  アルベールはきっと、この縁談相手の山の中から幾人か選び出し、そして伴侶となる相手を見つけるのだろう。忠誠心の厚い彼のことだ。きっと(めと)った相手を心から大切にし、愛していくのだろう。見知らぬ誰かと幸せそうに微笑む姿まで想像したリュカは、その生々しさに呼吸が止まりそうなほど苦しくなってくる。心なしか本当に呼吸が浅くなっていて、目眩がし始めていた。 「とにかく誰でもいいから一度会ってみるといい。実際に会えば釣り書きにはない何かを見つけるかもしれぬぞ」 「……さようでございますね」  苦笑気味ではあったが、アルベールが笑みを含んだ声でそう肯いたのが聞こえた気がした。その瞬間、リュカの目の前が幕を下ろしたかのように暗くなり、手足が重たく床に沈んでいく感覚に襲われ始める。目眩でぼやけていた視界が暗くなり、方向感覚すらなくなったリュカは、それまでどうやってオーギュストの傍に立っていたかがわからなくなっていた。  手足が、重たい――リュカがそうぼんやりと思っていた次の瞬間、それまで変わりなく据えていた空気が急激に薄くなってしまったように感じられた。

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